(────────必ず当てる。葉子の仇は、しっかり取る)
樹里はアイサイト越しに標的たるヴィザを見据え、引き金に手をかける。
込めるのは役割を果たさなければならないという使命感と、義憤。
先程香取がヴィザに斬られる光景は、この眼で目撃していた。
幾ら作戦の内だったとはいえ、大切な幼馴染が無情にやられる姿を見て気分が良いワケが無い。
情深く身内を大切にする、という一点で香取と同類な樹里は、その瞬間からヴィザを絶対にぶちのめしてやると心に決めていた。
東からこの役割を任されていたのは、この上なく幸いだったと樹里は思う。
そうでなくとも強引に自分を売り込んでいた可能性は高いが、そこはそれ。
常の無表情でありながらも、親しい人間には分かるくらいには今の樹里は闘気に満ち満ちていた。
これまで我慢が利いていたのは、そうしなければあの翁を仕留める事は出来ないと本能が訴えていたからである。
ヴィザの実力は、遥か天上の更に上に位置している。
自分では測り切れない程の高みに、あの翁は座しているのだ。
その彼を確実に仕留める為には、決して逸るワケにはいかなかった。
樹里は狙撃手。
これまで射撃による支援は散々行って来たが、今の彼女の本職はあくまでも狙撃手なのだ。
必殺の機会を得るまでひたすら待ち続けるのは、佐鳥から口を酸っぱくするくらい言われ続けた狙撃手の基本だ。
見られても力づくで薙ぎ倒していけば良い、と狙撃手に転向した当初の樹里は考えていた。
樹里の高トリオンでゴリ押せば大抵の相手は倒れていくし、攻撃手時代に培った体幹もある。
正直、位置バレしても自分なら大して問題にはならないだろうとすら思っていたのだ。
しかし、それに待ったをかけたのが佐鳥である。
彼が「じゃあ試してみますか」と言って個人戦を仕掛けて来た時には望むところ、と意気揚々と勇んで戦った。
結果は、惨敗。
己が位置を徹底して秘匿し、ゲリラ戦に徹した佐鳥相手に良い様に弄ばれる形で樹里は敗北したのだ。
隠密に徹する狙撃手がどれだけ厄介な存在なのかは、その時実地で味わった。
その時から樹里は、隠密行動を軽視しなくなった。
今こうしてそれを実行していられるのも、佐鳥があの時身を以て証明してくれたからである。
確かに自分は、狙撃に頼らずとも戦える。
しかし、それは折角習得した技術を腐らせて良い理由にはならない。
必要とあらば幾らでも割り切って動くものの、隠れて戦う利便性と優位点を今の樹里は理解している。
故に、この一撃に全てを懸ける為に動いて来た。
樹里は先程
そこは、建物の屋上でも高所でもない。
戦いの最中積み重なった、瓦礫の陰の一角である。
此処からヴィザのいる位置までは複数の建築物や瓦礫が存在し、一見すると射線が通っていないように見える。
されど、問題は無い。
樹里の
通常の狙撃手であれば、まず通せないであろう射線。
それを、樹里は己が
引き金が、引かれる。
樹里の持つイーグレットより必殺の弾丸が射出され、ヴィザに向かって一直線に飛んで行った。
遠方より放たれた、必殺の一射。
それは、今のヴィザに気付ける筈もないものであった。
たった今、ヴィザは風刃への防御の為にサークルブレードの全てを自らの周囲に旋回させている。
それは彼の視界を自ら塞ぐ事にも繋がり、超低空を滑空する樹里の弾丸を隠すカーテンの役割を果たしていた。
加えて、風刃はヴィザに何の手傷も与えなかったワケではない。
地を這い隆起する土砂の如く突き立った風の刃は、ヴィザの防御を抜いてその右足を斬り落とす事に成功していた。
風刃による攻撃は致命打となる部分は全て凌がれたものの、剣鬼の機動力を削ぐという大きな役目は果たしていたのだ。
正直な話、東の想定では風刃の一撃によって倒せる筈ではあった。
しかし、今まで見せて来たヴィザの規格外ぶりを充分承知していた彼は、万が一に備えて二の矢も装填していたというだけの話である。
傍から見れば必殺と思える布陣であっても、ヴィザであれば軽々と乗り越えて来る。
それをこれまで散々に見せつけられて来た東は、決して楽観をしなかった。
常に最悪を想定するという彼の思考すら上回るヴィザの戦略兵器ぶりは、既に充分過ぎる程理解した。
故に、風刃が万が一防がれたとしても二の矢で確実に仕留める為に樹里を配置したのである。
彼女は純粋な狙撃手としては東や当真には及ばないが、己が
壁抜き狙撃だけならば東にも可能だが、樹里は一見すると射線が通らない場所であってもその細部を直接視認する事で強引に狙撃を通す事が出来る。
いわば壁抜き狙撃ならぬ、壁避け狙撃。
それを可能とする樹里を、東はこの最終局面で起用したのだ。
通常の狙撃では、ヴィザには届かない。
ハウンドやバイパーと異なり一直線にしか飛ばない狙撃は、ヴィザからすれば回避も防御も容易い単調な攻撃でしかない。
だが、今この瞬間。
風刃の防御の為にリソースを使い尽くし、自ら下方向の視線を封じた今であれば。
超低空を滑空する樹里の弾丸は、翁に届き得る。
通常の狙撃では難しい、障害物の合間を縫う形での超低空狙撃。
それは真実、ヴィザを仕留めるに足る魔弾である。
これで、決まる。
誰もが、そう思った。
「────────残念、でしたな」
されど。
ヴィザは、その予測演算を。
残酷なまでに、嘲笑ってみせた。
先程に倍するスピードで、サークルブレードの一本が旋回する。
それは、重石を付けられていたにしては速過ぎた。
何故、此処に来てブレードの剣速が向上したのか。
その答えは、彼が密着に近い状態でサークルブレードを展開させた時にこそあった。
あの時、ヴィザは風刃に対する防御を行いながら、サークルブレード同時を擦り合わせて可能な限り重石を削り取る、といった作業を行っていたのだ。
そうする事によって最初期程ではないが、サークルブレードは剣速を取り戻す事に成功していた。
流石に不可視の域までは無理であったものの、今この瞬間飛んで来る弾丸を斬り落とす程度は容易い。
真実必殺足り得た弾丸は、剣鬼の底知れない器の前に敗れ去る。
(────────嘘)
それをその
強化された彼女の視力は、正確に自分の放った弾に振り下ろされる断頭台を目視している。
その軌道は正確無比であり、このまま彼女の弾丸は斬り落とされるだろう。
香取の。
皆の奮闘を無駄にする形で、樹里の弾丸は防がれる。
それは、決してあってはならない攻撃だった。
一応、この後も二宮と出水による二面攻撃が行われる事にはなっている。
しかし、風刃という切り札も樹里の狙撃という隠し札も切ってしまった今、ヴィザを脅かすに足る決定的な脅威は最早存在しない。
東も最初は風刃で決めるつもりで、樹里はあくまでも念には念を入れた二の矢として用意したものだった。
故に、これが最初で最後。
本当にヴィザに届き得る、最大の
それが、無為になる。
皆の頑張りが、無駄になる。
その事実が、樹里の心に絶望を去来させた。
嫌だ。
許せない。
皆の頑張りを、私の失敗で終わらせるなんて。
断じて、看過してはいけない。
けれど、もう何も出来ない。
既に、弾は発射された後だ。
これがハウンドであればともかく、狙撃銃の弾は一直線にしか飛ぶ事は無い。
如何に威力と射程が優れていたとしても、途中でその軌道を変える術など無いのだ。
かといって、すぐに二の矢を装填する事は出来ない。
イーグレットは元々連射機能はないし、一度撃った後は次弾装填までのタイムラグがあってすぐには撃てない。
今回は以前みたいに両腕に狙撃銃を装備したりはしていないし、発射までに複数の
如何に準備の要らない
備えを間違えた後悔が、敵に届かなかった悔恨が。
怒りとなって、樹里の心を支配する。
そんな想いが、樹里の心に溢れ出す。
細かい記憶を
彼女の心に、その後悔は刻まれていた。
(いやだ。このまま終わるのだけは、絶対に…………っ!!)
ドクン、と心の臓が高鳴る。
ナニカが身体の中で脈動し、血液が沸騰する。
それが何なのか、理解出来ぬままに。
樹里は怒りと後悔に塗れた眼で、ギラリ、とヴィザを睨みつけた。
────────敵個体、アフトクラトルの最大戦力・固有名ヴィザと確認。これより、撃滅の為の
────────瞬間。
樹里の脳裏に、聞き覚えの無い/過去に嫌という程聞いた声が。
────────現状認識、完了。本星の■トリガーへの接続、失敗。接続対象が見つかりません。
「う、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!!」
焼ける。
脳が焼ける。
眼が、熱湯をかけられたように熱かった。
何かが。
己の知らぬナニカが、自分の中で沸騰している。
そうとしか思えない苦痛に、樹里は思わず絶叫した。
だが。
既に意識が朦朧とする最中。
その声は、止まる事はなかった。
────────
樹里の右目が、鮮やかな蒼から血のような赤紫に変色する。
瞳孔にはカメラのような文様が現れ、ヒトのものではないナニカが彼女の一部を占有していく。
人工物のような輝きを放つ彼女の右目が、駆動音を立てながら己が放った弾丸を視認した。
────────
その、刹那。
樹里の弾道が、
まるで見えない糸か何かに引っ張られるように、サークルブレードに斬り落とされる寸前だったその弾は僅かではあるが確実にその軌道を捻じ曲げた。
一瞬後、その場所に刃が振り下ろされる。
標的を失ったブレードは、何かを切断した感触と共に空を切る。
その場所には斬り裂かれた糸状の何かが散らばり、斬られた蜘蛛糸は風に溶けて消えていった。
「な…………っ!?」
ヴィザの眼が、驚愕に見開かれる。
それは、有り得ない光景だった。
狙撃手が放つ弾が射手の放つそれのように弾道が曲がる事がない事は、既に確認済みだ。
或いは敵が手札を隠していただけという事も考えられるが、それならばもっと切り時は幾らでもあった筈だ。
何よりも。
たった今斬り裂いたものには、覚えがあった。
かつて、とある国を侵攻した際に眼にしたもの。
無数の蜘蛛糸に率いられた、能面の集団。
ヴィザを含めたアフトクラトルの精鋭達の、悪夢の象徴。
かつて殲滅の為に派兵し、結果的に滅んだ国家。
中立の医療国家を謳いながら、その裏で度し難い私欲による悪逆を極めていた悪鬼共の巣窟。
最終的に
機人国家、ククロセアトロ。
今のは彼等が防衛戦で使用した、あの■トリガーに依るものに間違いはない。
滅んだ筈の国のそれが、何故此処で出て来たかは分からない。
だが、戦闘に全てを懸けたヴィザの思考は即座に次の解答を提示する。
即ち、敵の攻撃を阻止する為の行動を。
ヴィザはサークルブレードの一本を操作し、改めて敵の弾を斬り落とすべく振るう。
敵の弾速的にギリギリではあるが、何とか間に合う計算であった。
最大の懸念事項が出て来てしまってはいたが、まずはこの攻撃を防がなければ話にならない。
故に、細かい事は斬ってから考えるべきだと、ヴィザは割り切り対処に動いた。
「な、に…………っ!?」
されど。
そう考えたヴィザの眼に、信じ難い光景が飛び込んで来た。
有り得ない軌道変更を成し遂げた、樹里の弾丸。
それが、
軌道を変えただけではなく、途中でその弾速を上げるという暴挙。
その未知の挙動を見せた弾は、剣鬼たるヴィザの想定を超えて。
断頭台の如く振り下ろされたサークルブレードを潜り抜け、弾丸はヴィザの身体に直撃した。