「賢。わたし、頑張った。褒めて」
「はいはい、樹里ちゃんは頑張りましたね」
「ん」
樹里の部屋、その一角。
そこでは試合後当然のように佐鳥を呼んだ樹里が、早速頭を撫でて貰う事を要求している光景が見られた。
彼女にとっては初のチームランク戦の試合が終わり、香取達と別れた樹里は「一緒に帰りたいな、話したいな」という欲求に素直に従い、解説の仕事を終えたばかりの佐鳥を捕まえて彼を伴って帰宅したワケだ。
割と遅い時間だったので佐鳥も多少は抵抗したが、基本的に彼は樹里に甘々なので単なるポーズ以上の意味はない。
本人の自己認識はともかくとして、佐鳥が樹里の要望を聞き届けなかったパターンは例外を除き殆どないのだから。
されるがままに頭を撫でられ、気持ち良さそうに声を漏らす樹里の姿を見てほっこりしている時点で、当人同士の力関係は眼に見えるようであるが。
佐鳥は割と、庇護欲が強いタイプだ。
樹里に対しての感情も同年代の少女に向けるそれよりは保護者目線のものに近く、彼女の時折見せる年齢不相応の幼い態度も相俟って、父親と娘のような────────────────と言うには距離が近過ぎるが、それに似通った雰囲気を醸し出す事が多い。
基本的に甘やかされる事が大好きな樹里は、そんな佐鳥からの扱いを甘んじて受けている。
保護者目線で見られている事は何となく察しているだろうが、それ以上に佐鳥にちやほやされている現状が心地良い為、抵抗する事はないのだ。
「ん」
「あ、えっと、樹里ちゃん…………?」
もういいかな、と考えて少女の頭から手を離した佐鳥だったが、それが不満だったのか樹里は無言ですりすりと彼の胸に頭を擦り付け始めた。
ついでとばかりにぎゅ、と腰に抱き着かれた事で樹里の肢体が佐鳥に密着する。
膝に柔らかすぎる感触を感じ、硬直する佐鳥。
何が当たっているかは察して知るべしだが、流石の佐鳥も顔が赤くなるのは抑えきれなかった。
紳士的な彼とはいえ、男性としての反応までは抑制出来ない。
こういう可愛らしい反応をすぐに見せてくれるので、樹里は乙女心と甘え癖を天秤にかけながらも佐鳥の保護者目線での扱いを受け入れている部分がある。
当人の認識がどうであろうが、その気になれば年頃の少年としての反応を引き出せるので樹里としては特に問題はないのだ。
密着している為に柔らかい感触やら少女の甘い体臭やらが色々とダイレクトに感じられてしまい、あたふたしている佐鳥を見て樹里はご満悦である。
甘やかされるのは受け入れるが、それはそれとして少女としての矜持はしっかり守る。
色々考え無しのようでいて、割とちゃっかりしている樹里であった。
「あー、えっと、樹里ちゃん。ちょっと、離れて貰っても?」
「やだ。このままがいい」
「えーっと、それはちょっと困るかなって」
「なんで?」
「そ、それはですね…………」
「なんで?」
「────────勘弁して下さい」
樹里の無知を装った質問に、佐鳥は白旗を挙げる。
まさか「胸が当たってるんですー!」と言うワケにはいかず、全面降伏の体を取った形となった。
樹里は割とボディタッチも多い方なのでこういったハプニングは多いのだが、だからといってそれに慣れるような佐鳥ではない。
普段から紳士である事を心掛けている佐鳥であるが、男の
心持ちはともかくとして、可愛い女の子に密着されればドキドキしない筈はなく、本人の理性が鉄製な事もあって何よりもまず気恥ずかしさが先に来る。
これが見た目通りの軽薄な性格であれば違った反応になったのだろうが、佐鳥はどちらかというと初心な類だ。
メディアでは三枚目的な性格を売りにしている事もあって、嵐山のように多数の少女達に囲まれても平然としている精神性など持ち合わせてはいないのだ。
というよりも、嵐山は比較対象としては不適格であろう。
そもそも、嵐山はどれだけ見目麗しい女性に近付かれても男性らしい反応を見せた事が皆無である。
仕事は仕事として割り切っているのは分かるが、普通そんな状況になれば多少なりとも照れや自尊の感情が来るものだ。
男なら誰だって、女にちやほやされて嬉しくない筈がないのだから。
だが、嵐山はその手の感情を見せた事がなく、それはプライベートでも同じだった。
敬愛する隊長であるが、それはそれとして人間らしい部分が希薄である為、時折心配になってしまう事がある。
この隊長は、あまりにも公私の私を蔑ろにし過ぎているのではないかと。
佐鳥も人の事を言えた立場ではないが、嵐山はあまりにも滅私奉公の精神が過ぎる。
公共の利益の為に戦うのは当然と思っているのは佐鳥も同じだが、嵐山のそれは少々以上に
心配になって迅にその事を相談した事もあったが、彼は苦々しい顔をしながら「そうだね。あいつがやり過ぎないように気を付けて欲しい」と言ったのみであった。
恐らく、彼も嵐山のそういった性質について思う所はあるに違いない。
しかし同時に、彼の頑なさと強烈に過ぎる信念を動かす事が難しい事も理解しており、部隊の一員として共にいる事が多い佐鳥にそう告げるに留まったのだろう。
迅も迅で難しい立場に置かれており、過干渉が出来ないであろう事は想像に難くない。
友人なのだから少しは踏み込んでも良いんじゃないかとも思うが、流石にそれは佐鳥の立場で口出しして良い事ではない。
ならば自分としては出来る範囲で嵐山を見守り、フォローに徹する他ないだろう。
細かい所は時枝が気が付いてくれるであろうし、佐鳥に出来る事などたかが知れているかもしれない。
それでも、やらない理由にはならない。
敬愛する隊長を守る為に、大層な動機など必要ないのだから。
「むー」
「あ、樹里ちゃん待って。ちょっと押し付け過ぎっ、色々当たってるからぁ…………っ!」
しかし、現実逃避の為に違う事を考えていたのが良くなかったのであろう。
それを敏感に察知した樹里はあろう事かがしっ、と全力で抱き着いて思い切り胸を押し付けて来たのである。
しかもその状況で更に力を籠めるものだから、佐鳥の腹で樹里の割と着やせする胸が潰れて大変な事になっている。
あわあわとしながら樹里を引き離そうとする佐鳥だが、少女に気遣った程度の力で全力で抱き着いて来る少女を押しのけられるワケもない。
佐鳥はピンク色になる脳内と格闘しながら、樹里の気が済むまで慌て続けるしかなかったのであった。
「ん」
「…………ごめんなさい。はんせいしてます」
「なら良い。わたしと一緒の時は、もっとわたしに構うようにして」
「善処します」
「…………もっかい、やる?」
「勘弁して下さいお願いしますぅ…………っ!」
ひとしきり佐鳥の反応を楽しんだ樹里は、グロッキーになっている少年相手にマウントを取ってご満悦であった。
色々な煩悶と戦っていた佐鳥は完全に白旗を上げ、自分に背を預けて座っている樹里の髪をひたすらに撫でている。
少女の感触や匂いがダイレクトに感じられる危ない状況ではあるが、先程のように正面から抱き着かれるよりはマシなので甘んじている状況である。
佐鳥とて、許容量の限界というものはあるのだ。
間違いを犯す気は欠片もないが、それはそれとして年頃の少年としては色々とキッツイのだ。
こういう樹里の行動は初めてではないが、慣れたと言える程佐鳥はスレていない。
矢張り、力関係ではどれ程経っても樹里の上を取れない佐鳥であった。
「えっと、そういえば初めてのチームランク戦をやった感想はどうだった?」
「個人戦とは色々違って、楽しかった。若村先輩達も思ったよりは動いてくれたし、結構暴れられたからまんぞく」
話題を変えようと、佐鳥はランク戦の話を持ち掛ける。
今日こうして佐鳥を連れ込んだのも元はといえば初のチーム乱戦を終えた樹里への労いが口実であり、さして不自然な事でもない。
それに応じた樹里はにこりと笑いながら、割と
若村を下に見ているのはどうやら変わらないが、以前のようにボロクソに言わなくなっただけ改善はされているのであろう。
今回の試合で自分が暴れる為のサポートをしてくれたのが、割と大きいのかもしれない。
以前の樹里からの若村に対する評価は幼馴染の足を引っ張る口だけの役立たず、に終始していたが、あの敗戦以降色々と認識が変わったのは間違いない。
しかし元から持っていたマイナスイメージが強烈過ぎるので、未だに舐めてかかっている部分があると佐鳥は見ている。
或いは負けず嫌いなこの少女の事なので、彼を侮った結果敗戦に繋がった事が未だに認め難いのかもしれない。
あの時の試合はどう考えても樹里の慢心が大きな敗因の一つであった為、言い訳のしようがないのだ。
若村を侮りまくった結果隙を晒した事に違いは無いので、彼の評価自体は上方修正がかかったが、感情的な面ではより一層のマイナスイメージを持ったとしても不思議ではない。
樹里の意地っ張りな側面を知る佐鳥としても、それが妥当なところだろうと思っている。
ダウナーに見える樹里であるが、その実結構感情で動くタイプである事は佐鳥も知っている。
表情の変化に乏しい為親しい相手くらいにしか分からないだろうが、割と樹里は情緒が豊かだ。
基本的に自分の情動に従って動いている為、割と天然気味にも見えるだけである。
傍から見れば突拍子もない行動も、彼女の中ではしっかりと理由が存在する。
分かり難いように見えて、結構分かり易い行動理由を持っているのがこの樹里という少女なのであった。
「そっか。個人戦と比べて、どう感じた?」
「ん。割と、動き易かった。無理に自分から動く必要がないから、爆撃と狙撃に専念出来たし。役割分担って、こういう事なんだね」
「そうそう、それがチームランク戦と個人ランク戦の一番の違いって言えるね。個人戦と違って自分一人で全部をやるワケじゃないから、自分の仕事に専念出来る。だから、適材適所で役割を振るのが重要なんだ」
佐鳥はそう言って、樹里に簡単なレクチャーをする。
チームランク戦と個人ランク戦の最大の差異は、「自分一人で全てをこなす必要がない」事に尽きる。
個人戦では敵への対処を全て自分一人でやらなければならないが、チームランク戦では仲間内で役割分担を行う事で自分の得意な仕事のみに専念する、といった事が可能になるのだ。
これは狙撃手兼射手である樹里にとっては割と大きく、前衛に斬った張ったを任せながら自分は遠距離から一方的に攻撃し続ける、といった動きが可能になるのである。
この仕様を最大限生かしたのが今回の試合であり、事実荒船隊は樹里の爆撃と狙撃の合わせ技によって壊滅状態に陥った。
横から点を掻っ攫われた漆間隊と異なり、今回荒船隊には手番と言えるものがなかった。
その原因は間違いなく樹里の大暴れによるものであり、それに関しては彼女も大いに満足したようだ。
狙撃手の訓練では転向してから日の浅い樹里は先達の狙撃手の面々に立ち回りの面で劣る所が多く、彼等と比べればあまり良い成績を修めているとは言い難かった。
無論
狙撃手はただ狙撃が出来れば良いというものではなく、適切な隠れ場所に陣取る判断力や、咄嗟の逃亡等の機転を利かせる事が必須とされる。
故に狙撃技術だけが高くとも、立ち回りが甘ければそこを突かれて敗北するのが狙撃手の難しさである。
メリット自体は大きいが、同時にピーキー且つ扱い難い側面の多いポジション。
それが、狙撃手なのだから。
「次に戦う二宮さん相手じゃ、こうはいかないからね? 分かっているとは思うけど二宮さんのトリオン量は樹里ちゃんより上だし、チームの練度も滅茶苦茶高い。今回みたいな力押しだけじゃ、まず負けると思った方が良いと思うよ」
「そうだね。
「…………一応師事した事あるんだから、それ以外も認めてやりなよ」
「面倒。そもそも下手に絡みたくないし。戦う以上は、全力でやるけど」
だからこそ、二宮という自身の上位互換に近い相手には今回のような立ち回りは難しい。
今回の試合は樹里のトリオン量による暴威の押し付けがメインであったが、同じ手は彼女以上のトリオンを持つ二宮には通用しない。
出力で負けているのだから、脳死でごり押しすればどちらが勝つかは明らかだからだ。
もう少し彼女がチームランク戦に慣れた頃合いであれば可能性はあったが、今回香取隊が二宮隊に勝つ事は非常に難しいと彼は見ている。
B級1位という看板は、伊達ではないのだから。
「とにかく、応援してるよ。勝つのまでは難しいかもだけど、一矢報いるくらいなら出来るかもしれないしさ」
「やるなら勝つ気でやる。それだけ」
「うん、それで良いと思うよ。最初から負ける前提じゃ、得るものも得られないしね」
だが、それを言って素直に認める樹里ではない。
ふんす、と可愛らしく奮起する樹里を見て、笑みを浮かべる佐鳥であった。
「賢。色々相談したいから、泊まってって」
「それは駄目です」
「けち」
それはそれとして、ちゃっかり佐鳥を泊まらせようとする樹里には抵抗するが。
一時の身体的接触までは我慢出来ても、一晩樹里と一緒に過ごして何も無いと豪語出来る程佐鳥は自分の理性を信用していない。
今夜も今夜で、泊まらせようとする樹里とそれに抵抗する佐鳥の間で静かな暗闘が繰り広げられたのであった。