「…………!」
王子は天井の穴越しに飛んで来た弾丸を最小限の動きで躱し、そのまま疾駆する。
風切り音と共に弾丸は地面に着弾し、大きく床を抉り取った。
その衝撃を肌で感じながら、王子は次の攻撃へ警戒を強めつつ足を進める。
先程から繰り返されて来たこの光景だが、王子はとにかく直撃しない事を念頭に置いて最小限の動きでの回避を行って来た。
一分一秒が惜しいこの状況では、立ち止まっている暇などない。
そも、この場での動きの停止は敗北に直結する。
現在王子が何とか樹里の狙撃を躱せているのは、常に走り続け狙いを絞らせないようにしている為だ。
樹里の狙撃は、天井に開けられた穴を通して飛来して来る。
強化視覚により遥か先の光景まで見通す事の出来る樹里だが、当然それには間にある障害物が邪魔となる。
故に樹里が見通せるのはあくまでも穴の先にある光景のみであり、そして上階からの狙撃である以上着弾までにはタイムラグがある。
加えて密閉されたビル内では狙撃銃の発射音はそれなりに響いて来る為、狙撃のタイミング自体は知る事が出来る。
王子はその発射音が聴こえた瞬間に即座に加速し、何とか階層無視狙撃を回避し続けているのだ。
「…………っ!」
狙撃の発射音が聴こえて咄嗟に足を速める王子だが、そのすぐ背後を弾丸が通過する。
あと一瞬でも回避が遅れていれば直撃していたコースであり、王子は肝を冷やした。
(当然だけど、上層に上がるに従って着弾までのタイムラグは短くなる。これまで以上に、気を付けれなければいけないね)
最初の内は着弾までにある程度のラグがあったが、王子は現在中層を突破し上層階へと到達している。
当然樹里との距離も近くなる以上、狙撃の着弾までのタイムラグが短くなるのは通理である。
先程までの感覚で回避を続けていれば、いずれ被弾するのは必至。
これまで以上に気を引き締めて、進む必要があるだろう。
(厳しいけれど、やらなきゃいけないならやるだけさ。ジュリアーナのいる場所までは、もうすぐだ。勝負だ、香取隊)
「良く避ける。ムカつく」
樹里は床に空いた穴から上階へ駆け上がる王子の姿を目視しながら、思わず舌打ちをした。
佐鳥や華に見られればはしたないと注意されるかもしれないが、幸い今は誰も見ていない。
このくらい良いだろうと、樹里は自分を強引に納得させていた。
(機動力重視の部隊、って
これまで何度も狙撃を実行して来たが、王子は一度足りとも被弾していない。
それにはこの上階からの狙撃という環境要因だけではなく、彼自身の回避能力と機転あってのものだという事は理解している。
此処に近付くに従って着弾までのタイムラグは短くなっている為ギリギリの回避が増えてはいるが、一向に当たる気配が無いのには正直面白くない想いがある。
当真のように当たらない弾は撃たないといった矜持は持ち合わせていない樹里であるが、こうも立て続けに回避されていれば少々どころではなく癪に障る。
ダウナーなようでいて基本的に自分本位な少女なので、思い通りにならない事があるとストレスが溜まるのである。
今は先程の負い目がある為ある程度自重しているが、そうでなければもっと過激な手段に出ていてもおかしくはなかったのだ。
(…………一応、作戦通り。仕込みは、ちゃんと出来てる)
それをしない理由として、この状況までは既に予測は出来ていた事と彼を仕留める為のちゃんとした作戦を用意してあるというものがある。
何が何でもこの場に辿り着かせたくないというのであれば更なる手段を試行しただろうが、王子がこうして上がって来る事自体は既定路線だ。
華から指示された作戦ではそうなっており、樹里は正直それまでに狙撃で仕留められるだろうと思っていた部分はあったが、見事に彼女の言葉通りになった次第である。
(けど、それならそれで作戦通りにやるだけ。何が何でも、あれは仕留める)
自分だけで片付けられなかったのは癪ではあるが、だからといって幼馴染の立案した作戦に異を唱える事はない。
合理的な作戦ではあったし、自分にも活躍の場があるので文句はない。
出来れば先程の失態の分独力でどうにかしたかった想いもあったが、出来なかった以上は仕方ない。
此処は、華に言われた通り作戦の歯車に徹するだけである。
(そろそろ、だね。始めようか、王子先輩)
(もうすぐ、最上階か)
王子はチラリと、階段横にある階層表示のプレートを見る。
そこには75Fと表示されており、最上階である80階まではあと僅かであるのが分かる。
王子はこれまで階段で一階分を駆け上がった後はすぐさまそこから出て別の階段から上に上がる、といった行動を繰り返していた。
階段は最上階まで繋がってはいるのだが、それは同時に上階からの攻撃が素通しである事も意味している。
場合によってはアステロイドの斉射が襲ってくる可能性もあり、そうなると狭い階段内では逃げ場がない。
故に王子は階段の利用は最小限で済ませ、一階ごとに違う階段を利用する事で何とか危険を回避している状況だ。
幸い階段同士の距離はそう離れていなかった為、タイムロスは最小限で済んではいる。
一応最上階まで直通のエレベーターはあるのだが、無論そちらを利用するような愚は犯さない。
逃げ場のない箱の中にいる標的など、樹里にとっては格好の獲物でしかないからだ。
(次へ行こう。急がないと)
王子は階層を駆け、近場の階段に到着する。
そしてトリオン体の脚力を用いて跳躍を繰り返す事で一気に上の階へと駆け上がり、76階へと上がった。
「…………!」
────────瞬間、王子の眼が大きく見開かれた。
75階に出て、すぐの場所。
その直上に位置する天井に、大きな穴が空いていたからだ。
それが意味するところを理解出来ない程、王子は愚鈍ではない。
『王子くん、上…………っ!』
羽矢の警告と同時、すぐさま彼は階段へ飛び込んだ。
そして次の瞬間、その穴の向こうから大量の弾丸が襲って来た。
曲線を描くその弾幕は王子を狙い撃つように迫っており、
あの穴は、此処へ来る王子を迎え撃つ為に最初から空けられていたものだろう。
その意図は、あまりにも明確過ぎる。
(そうだ。上階から攻撃が来ているとは言っても、ジュリアーナがご丁寧に最上階にいるという確証はなかった。彼女は、すぐ上にいる…………!)
樹里からの攻撃は確かに遥か上階から飛来していたが、だからといって素直に最上階にいるとは限らない。
むしろその幾つか下の階層に陣取っている事自体、想定はしていたのだ。
こちらが到着するのを漫然と待っている程、樹里は気の長い性格をしていない。
故にこれは既定路線ではあったと、王子は覚悟を決め直す。
想定ではもう少し上の階でこれが来ると考えていたが、それが何層か先になっただけの話だ。
ならば、やる事に変わりはない。
そう考えながら、王子は次の階層へ飛び出した。
「…………っ!」
瞬間、その眼が見開かれる。
王子の、視線の先。
そこには、床の至る所に設置された小さなキューブ────────────────待機状態の置き弾が、待ち構えていた。
それらは王子がその階層に足を踏み入れた瞬間、一斉に襲い掛かって来た。
予め設置しておき、使用者の任意で起動して射出される。
通称置き弾と呼ばれる射手の扱う罠じみた技巧が、そこでは待ち構えていたのだ。
ほぼ360度に近い角度から、一斉に飛来する弾幕。
それらを回避するには階段に飛び込む他なく、王子は咄嗟に背後の階段へ飛び込んだ。
「…………!」
その瞬間、上階から無数の光が飛来するのを目撃する。
それを見た瞬間王子は迷わず下の階へと跳躍し、一瞬後にその階に仕掛けられていた
轟音と共に階段を吹き飛ばし、王子は間一髪でその弾丸の嵐から逃れて下の階へと飛び込んだ。
「────────」
「…………!」
そして、そんな王子を待ち構えていたのは階層の端に浮遊する無数のキューブを従えて佇む樹里の姿であった。
バッグワームを解除し、スコープサイトから無機質な眼でこちらを睥睨して来る少女の姿はボロボロの建物の中という事も相俟って何処か神秘性すら漂わせている。
(ジュリアーナ…………っ! つまり今のは、
無論、そう見えるのは見掛けだけで今の彼女は発射寸前の火器を構えた砲手に他ならない。
この短期間で樹里がこの場に来ているという事は、76階に仕掛けられていた
どの段階で樹里がこの階層に降りて来たかは分からないが、今はそれを考察する時間は無い。
既に攻撃態勢となっていた樹里は容赦なく、己の周囲の弾幕を射出した。
背後の階段はアステロイドの斉射によって崩れ落ち、使用出来ない。
かといって直線状に飛んで来るあの弾は、間違いなくアステロイド。
これが那須や出水相手ならばそう偽装した
バイパーは応用性がずば抜けている分、扱いが非常に難しいトリガーである。
幾ら事あるごとにトリガーセットを変えて来る樹里といえど、扱った事の無い射撃トリガーをセットして来る程考え無しではないだろう。
故に、この弾はアステロイドで確定。
貫通力の高いアステロイド相手では、シールドで防御した瞬間それごと叩き割られるのが眼に見えている。
「仕方ない、ねっ!」
だからこそ、此処で取れる択は一つのみだ。
王子は背後の階段へ向かい、下の階へと飛び降りる。
階段自体は吹き飛ばされたが、逆に言えば下へ降りる際の障害物は無いも同然。
王子はそうして、誘導された退路へと自ら飛び込んだ。
「────────」
そして。
その先にいたのは、旋空の発射態勢に入っていた三浦であった。
これまでその存在を隠蔽し続けていた三浦であるが、彼はこの場で王子を仕留める為に待ち構えていたのである。
それを王子が察知出来なかった理由は、単純だ。
彼はカメレオンを用いて姿を隠し、
樹里は先程の段階で既に、バッグワームを脱いでいた。
どの時点で解除していたかは分からないが、どの道レーダーに映っていた事は間違いない。
或いは、未だ上階に留まっている事を示す事で王子の退路を塞ぐ狙いもあったのだろう。
だが、本当の狙いは別にあった。
レーダーでは、高低差までは表示されない。
故に彼女は敢えてレーダーに姿を映し出す事で、カメレオンで隠れていた三浦の存在を隠蔽する事に成功したのだ。
三浦は無言で、旋空を放つ。
上階から飛び降りて着地したばかりの王子では、碌な回避は行えない。
防御不能、必殺の斬撃が王子に迫る。
「────────やっと会えたね、ミューラー」
「…………!」
だが、王子は不敵な笑みさえ浮かべながら跳躍し、その攻撃を回避してみせた。
されど、無理な体勢での回避の為次の攻撃を凌ぐ事は出来ないだろう。
しかし王子は迷わずハウンドを展開し、
「…………! 何を…………!」
「最初から、こうするつもりだったってだけさ。ミューラー」
「…………っ!」
瞬間、割れた窓から無数の弾丸が飛来する。
無論、樹里に依るものではない。
そして、香取と未だ交戦中である二宮のものでもない。
故に、これを撃てるのはただ一人。
────────未だに位置が判明していなかった、王子隊の射手。
蔵内に、他ならなかった。
飛来する、無数の弾幕。
それが床に着弾すると同時、大爆発が巻き起こる。
樹里の十八番でもあった合成弾を用いて、蔵内が爆撃を成功させた瞬間だった。
「く…………!」
シールドで爆風を防御した三浦だが、爆撃によって足場が崩れ去り宙へ放り出される。
グラスホッパーを持たない三浦では、空中で身動きを取る事など出来ない。
「…………!」
故に、発射された王子のハウンドに対してはシールドでの防御を選択した。
ハウンドであれば、広げたシールドであっても防ぐ事は出来る。
回避が許されない状況では、正しい択と言えた。
「獲ったよ、ミューラー」
「ぐ…………っ!」
だが、それは王子にとっても承知の話。
この光景を予期していた王子は旋空を放ち、シールドの上から三浦を両断した。
当初の、
王子には、最初から樹里を仕留める気などなかった。
否。
本命ではなかった、と言うべきだろう。
これまで一切姿を現していない三浦が、樹里の護衛に就いているであろう事は想像出来ていた。
確実に自分と言う駒を落とす為に、樹里と組んで待ち構えているだろうと予想していたのである。
だからこそ、最初から王子の狙いは樹里ではなく連携して襲って来るであろう三浦の方であった。
誰を落としても、同じく一点。
ならば難攻不落の強敵を落とすよりも、より落とし易い相手を狙う方が理に適っている。
「…………っ!」
そして、次の瞬間シールドの上からその頭部を吹き飛ばされた事もまた、王子の想定から外れてはいなかった。
上を、見上げる。
そこには、崩落を免れた上階からこちらに向かってアイビスを構える樹里の姿があった。
彼女が近くにいる状態で攻撃に移れば、こうなるのは自明の理であった。
旋空は、瞬間的に長大化するブレードを用いて行う攻撃である。
故に攻撃の瞬間は余程の熟練者でもない限り動きを制限され、硬直が生じる。
生駒や太刀川といった達人と異なり、戦闘スタイルとしては万能手に近い王子は旋空の熟練度はそこまで高くはない。
だからこそ、攻撃の直後を狙われれば回避など出来よう筈もない。
そういった理由で、王子は旋空を用いる事は滅多にない。
彼にとって旋空は、詰めの一手以外では隙が大きい諸刃の剣に他ならないのだから。
それを承知の上で三浦を確実に落とす為に旋空を用いたのだから、この被弾は必要経費であった。
「これで、目的達成だ。もう少し巧くやれたかもしれないけど、それはお互い様だよね」
『『戦闘体活動限界。
機械音声が同時に響き、王子と三浦の脱落を告げる。
してやられた事に気付いた樹里は憎々し気にその光景を見据えながら、見通しの良くなったビルの上から下を────────────────たった今サラマンダーが放たれた場所へと、目を向けた。
「…………まあ、こうなるよな」
『戦闘体活動限界。
その先では、胴を両断された蔵内の戦闘体が崩壊し光の柱となって消え去っていた。
彼を仕留めたのは、三浦と同じくこれまで姿を隠し続けていた辻であった。
辻は最初から王子隊の狙いを看破していた二宮の指示により、このビルの近辺で待ち構えていたのだ。
王子だけで樹里に挑んで勝てると思う程、王子隊は思い上がってはいないだろう。
必ず、それをサポートする為の蔵内が近くにいるだろうという犬飼の進言を受け入れた二宮が、彼を見つけ次第仕留める為に辻を派遣していたのである。
ふと、上を見上げる。
そこではビルの最上階近くからこちらを見下ろしていた樹里が、そこから飛び降りて姿を消していく光景があった。
「…………追いますか?」
『構わん。出来ない事をやれと言うような、無駄は事はしない』
「…………分かりました。すみません」
『構わんと言った。それを承知で隊に入れたのは俺だ。お前が気にする事ではない』
辻は二宮に一応の確認を取り、予想通りの答えが返って来た事に安堵する。
彼は女性恐怖症であり、それ故にランク戦であっても女は斬れない。
それを理解しているからこそ二宮は辻に樹里を狙えという出来もしない事を言いはしなかったし、追撃をさせないのも同様だ。
理解ある上司に感謝する反面、そんな彼に甘えている自分が情けなくはあるが、これは既に幾度も通り過ぎた道だ。
今更信条を変える事などある筈もなく、辻は仕える王の指示に従い彼の下へ向かって踵を返すのだった。
「────────覚えてなさい。次は、こうはいかないから」
『戦闘体活動限界。
同時刻、奮闘していた香取もまた、彼女を指さす二宮の眼前でトリオン体を崩壊させて脱落していた。
彼女は樹里と三浦が勝負を仕掛けた瞬間、二宮に万が一にもその邪魔をさせないようにリスクを度外視して特攻を試み、結果として刃届かず敗退したのだ。
しかし、散り際の顔は何処までも不敵であった。
当然だろう。
一度は後の無い劣勢に陥っておきながら、此処まで持ち直す事が出来たのだ。
負け戦ではあったが、得るものはあった。
彼女がそう考えたとしても無理はなかったし、二宮もそれを否定する気はなかった。
「…………終わりか」
遠くで、光の柱が上がるのが見えた。
十中八九、樹里が自ら
幾ら樹里といえど、三人全員が健在である二宮隊に単独で勝てると思う程思い上がってはいなかったという事だ。
こうして、波乱だらけの第二試合は幕を閉じた。
犬飼と共に夜空を見上げる二宮は、小さく息を吐いた。
それは何かを憂うようであり、同時に何かを期待するかのようでもある。
そして。
ポケットから出した右手が、そんな彼の感情を物語っているかのようであった。