「お疲れさん、樹里ちゃんがいてくれて助かったよ」
「うん。もっと褒めて」
「はいはいっと」
三門第一高校、屋上。
そこに陣取った樹里は、二丁のイーグレットを手に上機嫌で笑みを浮かべていた。
彼女こそ、たった今見せた超々遠距離狙撃の実行者である。
これにより数キロ先であれ鮮明な映像として視認出来る彼女は、この場から第三中学校を襲っているモールモッドの狙撃を敢行したのだ。
二丁もイーグレットを持っているが、片方は佐鳥から借り受けたものだ。
モールモッド二体を確認した樹里は、
イーグレットのトリオン量に応じて射程距離が延びるという特徴を最大限まで利用した、彼女しか出来ない超遠距離狙撃であった。
(まあ、おれのトリオンじゃあの距離は届かなかったしな。ホント、色々巧く噛み合ってくれて良かったよ)
佐鳥は万事成功を収めた事に安堵し、溜め息を吐く。
今の狙撃は、様々な意味で樹里にしか成し得ないものだ。
イーグレットは、使用者のトリオン量によって射程距離が延びる。
加えて威力も集中シールドでなければ防げない程に高い為、多くの狙撃手がメインウェポンとしている優良トリガーだ。
だが、何事にも限度がある。
イーグレットが射程に優れる武器だとしても、その程度はトリオン量に左右される。
少なくとも、佐鳥のトリオンではあの距離の標的を狙い撃つ事は不可能だった。
樹里の豊富なトリオンと、数キロ先の標的でも肉眼で視認可能という
それが噛み合わさって、初めて実現した絶技と言える。
本当に、彼女がこの場にいてくれて良かったと佐鳥は心の底から感謝していた。
「────────賢。一応聞くけど、あの学校にボーダー隊員はいないんだよね?」
「え…………? ああうん、正隊員は一人もいない筈だけど。なんで?」
故に、不意に投げかけられた樹里の問いに深く考える事なくそう答えた。
三門第三中学には、正隊員は一人も在籍していない。
あの場には、トリオン兵を撃退出来る戦力は存在しない。
だからこそ、犠牲者が出かねないと自分は焦っていたのだから。
「わたしが撃つ前に、モールモッドと戦ってた子がいたよ? やられても
「へ…………?」
故に。
その樹里の思いも依らない発言に、佐鳥は目を丸くした。
C級隊員が、トリオン兵と戦っていた。
これは、戦力的にも規約的にも有り得ない事だ。
C級隊員は訓練用トリガーしか渡されておらず、これは通常のトリガーよりも威力が著しく低く設定されている。
何故そんなものをわざわざ用意するかというと、実力的にも精神的にも未熟な子供に安易に人を害する事の出来る武器を渡さないようにする為だ。
ボーダーは、主戦力を若年層────────────────特に、学生と呼べる年齢の者達を中心に据えている。
これはトリオン器官の成長が最も著しいのが思春期の少年少女だからという理由があり、だからこそ
トリガーは、明確に他者を害する事の出来る武器・兵装の類である。
世間的には近界民を
一応ボーダー謹製のトリガーには誤って生身の人間を殺さないように調整が施されているが、それでも生身の人間に向ければただでは済まない事は言うまでもない。
殺傷までは行かずとも人を傷つける事が可能な時点で、取り扱いには慎重を期するのが当然だ。
特に、思春期の学生というものはとかく
安易な発想、無責任な思慮の浅さから手に入れた武器を好き勝手に振るう蛮行に至る可能性は十二分にあるのだ。
だからこそ、未熟な
また、製作コストの高い
暴走の危険性と、危地に陥った場合の保険の有無。
そういった観点から、訓練生が基地外でトリガーを使う事は原則禁止されているのだ。
つまり、樹里が視たというC級隊員は明確に隊務規定違反を犯している事になる。
だが。
(こりゃ、判断がムズいな。確かに隊務規定違反は隊務規定違反だけど、その子が戦わなきゃ犠牲者が出てた可能性が高い。オレらがあそこの襲撃に気付くまでタイムラグがあったワケだし、色々問題点はあるにしても完全に間違った行動とも言えないな)
彼が隊務規定違反を承知の上で、身を挺して時間を稼いでくれていた事は事実。
それを鑑みれば、充分情状酌量の余地はある。
(けど、城戸司令そこらへん厳しそうだからなー。まあ、前例を許すと碌な事にならないって理屈は分かるから、ちょいと難しいかもな)
しかし、組織の長である城戸はリスク管理を徹底した厳格な人物だ。
下手にC級隊員の独断専行を許容するような前例を作るよりは、一律に厳罰に処して再発防止に努める方針を取る可能性が非常に高い。
佐鳥も理屈は理解出来るだけに、例のC級隊員の処罰を防げる見込みは低いように思えた。
(まあ、このままってのも寝覚めが悪いし一応隊長経由で進言はしといてあげようかな。その後は悪いけどお任せ、って事で)
隊務規定違反を犯してまで戦ったC級隊員には悪いが、そのあたりが限度だろうと佐鳥は割り切った。
元々、今回の事例自体
抜け道があるとすれば、これまで前例にない事件というあたりに踏み込むしかないだろう。
一応、隊長の嵐山に事情を説明すれば上に話を通してはくれる筈だ。
色々と複雑な立場の佐鳥が直接進言するよりは、効果が高い筈。
そう考えて、佐鳥は今回の件への対応を決めた。
「そういえば、あのC級って昨日わたしが視た白い髪の子と一緒にいた子だね。例の子も同じ中学の敷地内にいるし、間違いないよ」
「え…………?」
だが。
そんな佐鳥の思惑は、樹里の一言で吹き飛んだ。
昨日視た白い髪の子。
樹里がそう表現するという事は、十中八九先日佐鳥が彼女から聞かされた、ボーダーの規格外のトリガーを使う子供の事を言っているに違いない。
但し。
「ちょ、例の子とC級隊員が一緒にいた…………っ!? 佐鳥、それ初めて聞いたよ…………っ!?」
「言ってなかったっけ?」
「少なくともオレは聞いてないなぁ」
はぁ、と佐鳥は大きく溜め息を吐く。
ボーダーの規格外のトリガーを使う少年の正体については薄々察してはいたが、既に対象の人物と接触を持った隊員がいるとなれば色々と話は変わって来る。
今の話からすればその人物は三門第三中学に学生として在籍しており、状況から考えて件のC級隊員とは友好的な関係を構築していると予想される。
近界民排斥を掲げる城戸派に属する者からすれば有り得ない事だが、迅が裏で動いている事が確定している以上その訓練生は彼────────────────というよりも、玉狛寄りの思想を持っているであろう事が予測される。
たとえ相手が近界民であろうと利害が一致さえすれば協力は可能である事を知っている旧ボーダー、ひいては現玉狛の面子からすれば件の正体不明のトリガー使いを
問題は。
迅がこの事態を、
(多分、オレに例のC級隊員の事を伝えなかったのは意図的だよね。何処から漏れるか分からないから、可能な限り情報を知る人間を絞りたかった、あたりかな。となると、件の子供以外にその訓練生も迅さんにとっては重要視する何かがあるって事になる)
今回、樹里がそのC級の危地を助ける形になった事自体、どうにも迅の意図が絡んでいるように見えてならない。
万が一にも、例の訓練生を失う事態は避けたかった。
そのあたりだろうと、佐鳥は考えている。
分からないのは、何がそこまで迅を例のC級隊員に執着させるのか、である。
(順当に考えれば、件の子────────────────推定友好
状況証拠から考えるに、迅が例のC級隊員に期待しているのは件の正体不明のトリガー使いとの交渉・折衝役だろう。
先日のバムスターの一件から考えるに、例の子供はそのC級隊員と友好関係にある事が予想される。
でなければ一緒の学校に通ったり、目立つ真似をしてまでバムスターを撃破した事の説明がつかない。
樹里は、昨日の時点でそのC級と白い髪の子供は一緒にいたと言っていた。
訓練用トリガーでは倒し得ないトリオン兵が倒されていた事から考えて、その子供が訓練生を守る為に力を振るった、というあたりだろう。
無論、自身の存在が露呈するリスクを承知の上で。
そこまでして彼を守る為に動いたのだから、相応の信頼関係が構築されていると考えた方が自然だ。
(って事は、今その子に除隊処分とかされちゃ困るワケか。どうせ迅さんが動くだろうけど、オレの方でももうちょい手を回してみるか。迅さんへの協力を怠った所為で未来が悪い方に転んじゃ、後悔してもしきれないしな)
自身の勘の良さを恨みながらも、佐鳥は今後の行動方針を定めた。
迅の邪魔をする事は百害あって一利なしと識っているが為に、その判断に迷いはない。
もう、無知故の間違いを犯す事など。
あっては、いけないのだから。
「賢。さっきから黙ってたけど何か言って。暇」
「暇って、それなら他の所の手伝いにでも行く?」
「もう要らないと思う。幸い出て来たのがバムスターやモールモッドのような雑魚ばっかりだったから、他の隊員が概ね処理出来たみたいだし」
それより、と樹里は佐鳥は詰め寄った。
「なんか、難しい事考えてる目してた。何かあったの?」
ジロリ、と樹里は佐鳥の眼をジト目で睨みつけた。
佐鳥の百面相やその後の言動を見て、直感的に何かに勘付いたのだろう。
その眼が、言い訳は許さない、と暗に語っていた。
「いや、こんな事が起こったしこれからどうなるのかなって色々考えてたんだよ。また市街地に
「……………………」
(沈黙が怖い…………っ! でも、本当の事を言うワケには…………っ!)
佐鳥は自分の言葉を聞いて尚無言の樹里を見て、冷や汗を流す。
これは、どうやら薄っぺらい嘘やハッタリが通じるような雰囲気ではない。
確実に、秘密を暴き立てる。
樹里の眼が、暗にそう語っていた。
かといって、事情を話して樹里の参戦を誘発させるような真似は出来ない。
可能な限り、樹里は暗闘に関わらせたくはないのだ。
たとえ無駄に終わる足掻きだとしても、彼女に負担を強いる事はしたくない。
そんな、佐鳥の意地が彼に沈黙を選ばせていた。
「賢」
「なにかな?」
「今日。放課後。わたしの部屋」
「…………了解」
そんな佐鳥を見て、この場で問い詰めても埒が明かないと思ったのだろう。
樹里は有無を言わさぬ口調で放課後部屋に来るように
彼女への説明は必要だろうし、問題を先送りにしてばかりでは意味が無い事も事実。
決して、こちらを凝視する樹里の視線が怖かったからとかではない。
ないったら、ないのである。
(…………樹里ちゃんの事は後で考えよう。今は────────)
「凄いな。あの距離から狙撃だなんて、どうやったんだろ」
『恐らく、何らかのトリガーの補助か遊真の同種の能力でも使ったのだろう。この世界では、
一方、三門第三中学の校舎にて一部始終を見ていた遊真は長距離狙撃を成功させた名も知らぬ誰かの技巧に、純粋な興味を抱いていた。
実のところ修がやられかけた時点で介入をほぼ決めていた遊真だが、彼が戦闘に移行する直前に樹里による狙撃で状況が終了したのだ。
そんな彼の傍に浮遊しているのは、黒い雪兎のような形状のフォルムをした機械である。
名称をレプリカと言い、遊真のお目付け役兼相棒のような存在だった。
「ふーん。おれのは嘘が視えるやつだけど、もしかしたらメッチャ眼が良いとかそんな能力なのかな」
『可能性は高いな。様々なケースが考えられる為、断定は出来ないが』
「そっか。ん…………?」
遊真はレプリカと会話しながら、この場に急行して来ている面々へがいる事に気付き振り向いた。
彼の視線の先には、三人の少年少女がこの学校に向けて疾駆していた。
その胸に刻まれた
A級五位部隊、嵐山隊。
ボーダーの広報部隊として名高い彼等が、この学校へと向かっていた。