「…………っ!」
嵐山は険しい表情で前を見据えながら、トリオン体の脚力に任せて走る。
向かう先は、三門第三中学校。
彼の弟達が通っており、
この中学はボーダーの基地から離れた所にあり、更に運の悪い事に近くに急行出来る隊員がいなかった。
その為、第三中学がトリオン兵の襲撃に遭っている事自体に気付くのが遅れてしまい、既に学校からは派手な土煙が立ち上っている。
その事が、嵐山の心を逸らせる。
彼は以前に記者会見で、「家族が無事なら思い切り戦えますから」と言い切った。
それは記者からの「街の人と家族どっちを守りますか」という悪意しかない質問に対して相手を黙らせるに足る完璧な返答だったが、この発言には一切の虚偽がない。
嵐山は本気で家族の無事さえ担保されればどんな状況でも全力で戦えると自負しているし、その言を違える事はないと確信している。
しかし、それは逆に家族が無事でなければどうなるか分からない、という事でもある。
異端の精神性を持つ彼といえど、だからこそ家族への情は人一倍大きい。
その大切な家族が危険に晒されていると知って、心穏やかではいられないのだろう。
(嵐山さん…………)
そんな嵐山の横顔を垣間見ながら、木虎は沈痛な面持ちをしていた。
彼の家族愛は日頃から耳にタコが出来る程聞かされている為、今の彼の心境が痛い程分かってしまう。
自分に兄弟はいないが、家族が危険な目に遭っているであろう状況下で叫び出さない時点で嵐山の自制心は相当なものだと理解出来る。
もし、自分が同じ状況であれば彼のように冷静でいられるだろうか。
今の彼は我慢をしているだけで、決して平常心というワケではない筈だ。
敬愛する隊長の為に、今自分が出来る事は何か。
それは。
「嵐山さん、私が先行して突入します。よろしいですか?」
「…………! ああ、頼んだ」
「了解」
自分の
木虎は嵐山に了解を取ると、即座に跳躍。
壁や電柱を足場に、一気に加速。
目標地点へと、全速力で向かっていった。
「気を遣わせてしまったか。木虎の気持ちに報いる為にも、俺達も急がないとな」
「ええ、そうですね」
嵐山は木虎を見送り、何処か安堵したような笑みを浮かべていた。
木虎の機動力は嵐山よりも高く、本人も三次元機動が得意な為全力を出せば彼女の方が速い。
嵐山が遅いのではなく、木虎が速過ぎるのだ。
隊のエースに相応しい、機動力と突破力を持った女傑。
それが、嵐山隊が誇る木虎藍という少女なのだから。
気を急いていた自分を気遣い、先行してくれた彼女の為にも。
自分達もまた、全力を以て事に当たらなければならない。
そう決意して、足に力を込めて。
『嵐山さん、佐鳥です。ちょっと、お伝えしなきゃいけない事がありまして』
そんな折。
場所が離れていた為合流を一時諦めていた隊の狙撃手から、通信が入る。
嵐山は、彼からの話を聞き。
苦笑いをしながら、何処か困ったような表情を浮かべたのだった。
(…………どういう事なの、これ)
一方、先行した木虎は予想もしていなかった光景を前に困惑していた。
彼女の予想では、既に学生に怪我人が出ている────────────────最悪の場合、死傷者が出ている事も覚悟していた。
トリオン兵は彼女のような正隊員にとっては雑魚に過ぎないが、トリガーを持たない一般人にとっては対抗手段の存在しない死神のようなもの。
鈍器や刃物は勿論、近代兵器さえ通じないトリオン兵を倒すにはトリガーを使うしかない。
だからこそ、正隊員がいないこの学校は襲撃を許した時点である程度の被害を覚悟して然るべき場所だった。
だが。
木虎が到着してみれば、多少の軽症者はいるものの重傷者は皆無。
無論犠牲者も出ておらず、とうのトリオン兵────────────────モールモッド二体は、既に駆除された後だった。
他の正隊員が自分達より早く着いたのか、とも考えたが、近くにそれらしき姿はない。
「…………! 貴方、C級隊員ね。丁度良いわ。此処で何が起こったか、説明しなさい」
「あ、ああ」
そんな時に木虎の視界に入ったのは、その手にトリガーを握っている少年────────────────三雲修の、姿だった。
この学校には正隊員はいないが、C級であれば何名か在籍している。
しかし、訓練生は訓練用トリガーしか持たされておらず、加えてボーダーの許可のないトリガー使用は禁じられている。
そういった理由で戦力としてカウントしていなかったのだが、それでも情報源としては充分だろう。
また、傍から見て修は何処か挙動不審で怪しい。
木虎は直感で、彼なら何か知っていると判断したのだ。
修は一端逡巡するが、すぐに顔を上げる。
そして、一部始終を虚偽なく語り始めた。
「実は────────」
「成る程、話は分かったわ。貴方は隊務規定違反である事を知りながらトリガーを使い、時間稼ぎの戦闘を行った。その結果として誰かがモールモッド二体を狙撃して倒したから、難を逃れた。そういう事ね」
「ああ、そうだ」
話を聞き終えた木虎は、なんとも言えない表情をしていた。
これが目の前のC級隊員がトリオン兵を倒した、などという話なら彼女はそのプライドの高さと負けず嫌いな性格により即座に噛みついていただろう。
しかし、話を聞いた限りこのC級隊員────────────────修の判断は、隊務規定違反を犯したという点に目を瞑れば、そう悪いものではなかった。
訓練用トリガーしか持たない自分一人でトリオン兵を倒せるとは考えず、あくまで救援を待つ為の時間稼ぎに徹した。
その結果として助けが間に合い、犠牲者の一人もなく状況を終わらせた事は明確な彼の貢献だ。
隊務規定違反を犯した以上、罰則は受けなければならない。
しかし、木虎の目から見ても充分以上に情状酌量の余地があるのもまた事実。
結果として嵐山の顔が曇る事態に陥らなかったという点からも、このまま彼に無慈悲な処罰が下るのは忍びない。
どうするべきか、と木虎は思案する。
「木虎、すまない遅くなった。その様子だと、事情は彼から聞いたようだな」
「…………! 嵐山さん」
そこに、嵐山が時枝を伴ってやって来た。
今の言から察するに、既に事態は把握している様子。
(でも、一体何処で……………………待ちなさい。そういえば)
しかし、疑問なのは何処でその事情を知ったかだ。
自分はたった今話を聞いたばかりで、誰にも報告はしていない。
修も、木虎以外に事情は説明していない。
ならば、何処から嵐山が情報を得たのか。
そこまで考えて、木虎は先程の修の話を思い出した。
────────遠くから、二回狙撃があったんです。周囲を見渡してもそれらしい人影はなかったので、何処から撃ったのかまでは分かりませんでしたが────────
肉眼で視認出来ない程の距離からの、正確無比な
それが行える存在に、木虎は心当たりがあった。
遠く離れた場所すら肉眼で見通せる能力を持った、一人の少女。
自部隊の狙撃手である佐鳥と近しい、射手から狙撃手へ転向した隊員。
木岐坂樹里。
彼女であれば、遠く離れた場所からでもモールモッドを狙い撃つ事が可能だろう。
樹里は佐鳥と同じ高校に通っていた筈なのだから、情報はそこから来たと見るべきだろう。
「もしかして、トリオン兵を狙撃したのは木岐坂先輩ですか?」
「ああ、たった今佐鳥から報告があってな。彼女が一部始終を
そうですね、と木虎は相槌を打ちつつ難しい顔をする。
樹里の事は、ハッキリ言って苦手だ。
射手として充分過ぎる程の実力があったにも関わらずいきなり狙撃手に転向し、その上で転向して間もないとは思えない習熟度を見せつける。
対人関係の配慮は希薄で、社会性も高いとは言えない。
加えて、何より重要なのが木虎でさえ1対1では確実に勝てるとは言えない相手である事だ。
木虎は年上には「舐められたくない」という対人欲求があり、特に年上の同性相手にはこれが更に顕著になる。
また、努力をそもそもしない人間や間違った努力を行う人間の事を低く見る傾向もある。
才能に任せて碌な努力をしない香取の事は内心見下しており、彼女相手には大体勝てるのでそこまで執着する事はない。
しかし、樹里相手には過去に一度だけ戦いその試合で負けて以降露骨な対抗心を見せるようになった。
彼女は香取とは違い何の策もなしには勝てる相手ではないと開き直りひたすら自己鍛錬に時間を費やしていたが、負けた事自体は今でも根に持っている。
サバサバしているように見えて、恨みも恩も忘れないのが木虎という少女である。
その意識している相手が今回の件の解決に関わっていると聞き、内心非常に複雑になった木虎であった。
「三雲くん、事情は聞いている。君のお陰で、犠牲者が出ずに済んだ。心から礼を言うよ」
「いえ、結局やられちゃいましたし…………」
「いいや、君は立派に時間稼ぎをこなしてみせたじゃないか。君の年齢で出来る事と出来ない事を見分けて実行する事は、とても難しい。そういう点でも、君は良く頑張ったと言えるよ」
嵐山は今回の一件の功労者である修にそう告げ、握手を交わす。
いきなり有名人に握手をされて動揺は────────────────あまりしていないが、
明確な労いの言葉に、修は何処か困惑していた。
自分が何かをやり遂げた、という自覚がないのだろう。
迷わず時間稼ぎが出来る時点で只者ではないと思ったが、このあたりの理解度の低さはある意味C級らしいと言える。
「隊務規定違反を犯したのは確かだが、処分が厳しくならないよう俺達の方からも進言しておこう。放課後、本部に来てくれ。案内は────────」
「私がやります。こうなった以上、最後まで面倒を見る責任がありますから」
「そうか。木虎がそう言うなら、任せる。頼んだぞ」
「了解」
嵐山は木虎の進言を受け入れ、彼女に修のエスコートを任せる事とした。
こうして、修は同い年の少女に校門で出待ちされるという経験を初めて味わう事になったのだった。
「へぇ、王子先輩に師事してるの。あの人が弟子を取るなんて、意外ね」
「偶然や成り行きの結果だけど、とても良くして貰っているよ。ぼくなんかには勿体ない師匠だと思う」
「そういう事は、あまり言わない方が良いわ。自分を卑下し過ぎると、お世話になっている相手にも失礼に当たるもの」
「そうか。分かった、気を付けるよ」
放課後。
修は予定通り迎えに来た木虎に連れられ、ボーダー本部へ向かっていた。
木虎一人であればあっという間に着くのだが、運動音痴と言って差し支えない修が彼女のペースに合わせる事など不可能だ。
故に二人は共に下校する年頃の少年少女そのものといった風情で歩いており、傍から見れば青春まっしぐらな構図が自然と出来上がっていたのである。
「でも、王子先輩で良かったわね。貴方の当初の予定通り木岐坂先輩を選んでいたら、碌な師匠にならないどころか門前払いでしたでしょうし」
「え? あの先輩の事を知っているのか…………?」
「知っているも何も、ボーダーでは割と有名人だもの彼女。チームメイトが彼女と親しいから、その縁で多少顔見知りではあるけれど」
とにかく、と木虎は続ける。
「彼女には、あまり関わらない事をお勧めするわ。良くも悪くも独特な人だから、無理に関わっても疲れるだけだもの」
「必要があれば関わるし、そうでなきゃ関わらないよ。人の事をあれこれ探るよりも、強くなる為に努力した方が良い筈だしね」
「賢明ね」
詳しい事情までは知らないが、樹里に何かしら厄介なバックボーンがある事自体は察している。
下手に関わってもそもそも相手にされないだろうし、そんな事になるくらいなら最初から接触を断った方がマシだろう。
そんな、木虎の不器用な気遣いの結果だった。
しかし、見た感じ今のところ積極的に彼女に関わるつもりはなさそうである。
これならば、心配ないだろう。
木虎は修の返事に満足し、ふぅとため息を吐いた。
そして、何気なく空を見上げて。
『緊急警報────緊急警報────
────────────────あってはならない二度目の警報が、けたたましく鳴り響いた。
「…………!」
瞬間、空に黒い穴が開く。
そして。
そこから、空に浮かぶ鯨のような巨体。
爆撃用トリオン兵、イルガー。
通常であれば殲滅戦にしか使われない筈のそれが、三門市の市街地上空に出現し。
その砲塔を、眼下の街に向けた。
脅威はまだ、終わらない。
神の国が投じた第二の尖兵が、数多くの人間がいる市街地にその照準を定めていた。