「賢、帰らないの?」
「んー、色々あってね。今は此処で時間を潰した方が良い的な?」
「そう。ならいいけど」
ボーダー本部、ラウンジ。
そこで共にドリンクを手に、樹里と佐鳥は談笑していた。
突然香取隊の隊室に現れて「迎えに来た」と言って樹里を引っ張って行った挙句のこのムーブなので、ぶっちゃけ怪しい事この上ない。
流石の樹里も佐鳥に対しジト目を送っており、じーっと湿度の高い視線を受けている佐鳥は素知らぬ顔だ。
「…………はぁ」
「ん? どしたの樹里ちゃん」
「賢。わたし、そんなに鈍くないって前言ったよね」
「そだね。それで?」
「…………流石に、賢がわたしをあの場から連れ出す為に来たのは分かるよ。多分、華に頼まれたんでしょ」
疑問形ではなく、断定形。
樹里は疑いを持つのではなく、確信を以て佐鳥に詰め寄った。
じっと、少女の透明な視線が佐鳥に突き刺さる。
それを受けて佐鳥ははぁ、とため息を吐いた。
「…………まあ、そりゃバレるよね。というより、あんまし隠すつもりもなかったし」
「そうだね。隠すつもりならあのまま帰れば良いだけだもんね。なんでそうしなかったの?」
「多分、そう遠くない内に
そう、と樹里は静かに頷く。
分かっていた事だ。
あまりにもタイミングが良過ぎた佐鳥の介入と、その直前までのやり取りを思えば。
佐鳥が華に依頼されて、
あのまま帰っていればもしかすると疑念で終わったかもしれないが、本部のラウンジに留まり下手な誤魔化し方を続ける佐鳥を見ていれば嫌でも察するというものだ。
「…………えっと、怒ってる?」
「…………ん、ちょっと複雑。仲間外れにされてるみたいで気分が良くないのは、確か」
けど、と樹里は続ける。
「華が、わたしの為に何かをしようとしてるのは何となく分かる。多分、それをわたしに聞かれたら不都合な事が
「…………」
佐鳥は樹里の何処か悲し気な独白に、押し黙る。
彼女は、天然に見えてはいても頭の回転自体は速い。
加えて香取とは別方向に勘が良く、幼馴染が絡まなければ妙な先入観を持つ事もないので物事の本質に辿り着く能力に長けている。
更に明確とはいえずとも
樹里に、あの恐慌状態の時の記憶はない。
正確には朧気には残っているが、夢見心地に近い状態で詳しい内容などは覚えていないのだ。
だが、その直後に佐鳥に対しカマをかけた事でそれが単なる白昼夢ではなく現実で起こった事だと悟っており、華達が自分を排して何かを話し合おうとした原因がそこにあるのだと推察していた。
その樹里の推論に対し否定も肯定も出来ない佐鳥は、何を言うべきか分からず押し黙る。
コミュ強者に分類される佐鳥ではあるが、樹里のこの件に関する話題は非常にデリケートだ。
どんな些細な間違いで引き金を引くか分かったものではない以上、迂闊な真似は憚られる。
最近事情の片鱗を知った香取達よりは
言葉をかけたいが、かける言葉が見つからない。
その二律背反で苦しむ佐鳥を見て、樹里は薄く微笑んだ。
「大丈夫。賢も、わたしの為に色々黙ってくれてるのは分かるよ。賢が、理由もなしに隠し事をする筈ないもんね」
「樹里ちゃん…………」
「だから、話して、なんて言わない。多分、それは応じてくれないお願いだと思うから。賢を困らせる事は、しない」
でもね、と樹里は続ける。
「わたしは、信じてるから。賢も、華も、葉子も。みんな、わたしの為に頑張ってくれてるって。ついでになら、若村先輩や三浦先輩も信じてあげてもいいかも」
「そこは無条件に信じてあげようよ、樹里ちゃん」
「ん、善処する」
未だ若村・三浦に対し隔意が残っている様子の樹里に呆れ顔をする佐鳥であるが、そこに以前のような本気の嫌悪感が無い事は見抜いていた。
前までなら若村の名前を出すだけでも明確な負の感情が浮かんでいた筈だが、今はそれがない。
それだけでも、樹里の精神の成長が伺えるというものだ。
「…………葉子達は、記憶が朧気で素性が怪しいわたしを昔と同じように大切な幼馴染って言ってくれた。だから、わたしも信じてあげなきゃ不公平。葉子達が信じてくれる分、わたしも葉子達を信じたい。これが、わたしの正直な気持ちだから」
「樹里ちゃん…………」
佐鳥は、そう語る樹里の眼を見て息を呑む。
彼女の眼は何処までも透き通り、一片の負の感情も伺えない。
隠し事をされた事に対する怒りは微塵もなく、あるのはただひたすらに純粋な
大切な人を信じるのに理由は必要ないという、少女の純粋な善意だった。
「賢を信じるのも、理由は要らない。賢は、一年前に右も左も分からなかったわたしを導いて、面倒を見てくれた。何かとわたしを気にする理由があるんだとは思うけど、それでも恩人で大切な人で大好きな人なのは間違いないから」
だからね、と樹里は続ける。
「いつか、わたしの気持ちにも向き合ってくれると嬉しいな。今はそれが難しいのは何となく分かるけど、いつまでも相手にされないのは寂しいから」
「…………!」
────────あまりにも不意打ちな告白を受け、佐鳥は思わず目を見開いた。
気付いていない、とは嘘でも言えない。
樹里が自分に特別な感情を抱いている事くらい、とうの昔に気付いている。
そして、様々な負い目や自分の立場故にそれに安易に応える事が出来ないという現実も。
しかし、それでも。
それをとうの樹里本人から言及されるとは、思いもしなかった。
否、言い換えよう。
(駄目だな、オレ。樹里ちゃんにこんな事言わせるようじゃ、男子失格じゃん。なあなあの関係を続けて、その居心地の良さに甘えてたのはどっちだっつーの)
認めよう。
自分は、安易に前に進んでこの少女との関係が壊れる事を恐れていた。
負い目がある、立場がある。
言い訳は、幾らでも出来る。
けれど、それを理由に彼女の
今すぐに想いに応える事は出来ないのは、事実だ。
その状態をどうこうする手段も、今の所持ち合わせてはいない。
────────
それは、彼女の想いから逃げる
今は、無理だろう。
だがそれは、努力を止める理由にはならない。
今すぐに無理であれば、状況が変わればどうか。
自分一人で不可能ならば、誰かの助けを得られればどうか。
その程度も考えずに頭ごなしに
甘えるな。
樹里程の少女が、全霊の好意を向けてくれている。
無防備な所も見せてくれもするし、全幅の信頼を置いてくれてもいる。
その状況に甘んじて、歩みを止めるなど許されない。
すぐに光明が見つからずとも、手を止めて良い理由はないのだから。
「樹里ちゃん」
「うん」
「今すぐは、ごめん。応える事は出来ない」
「うん」
「でも、でもね樹里ちゃん」
「うん」
「────────いつか必ず、応えられるようにするよ」
「────────うん」
だから、今言えるのはこれだけだ。
根拠のない約束は、出来ない。
けれど、決意表明程度出来ずして何が男かというのだ。
実現の難しい目標であっても、声に出さなければそもそも歩みを始める事すら出来やしない。
だから、これは宣誓。
樹里へ、そして自分自身への。
樹里は、それを受け入れてくれた。
今すぐにそれを受け入れられない事も、明確にいつそれが実現するのかも確約出来てはいない。
けれど、
だから、後は応えるだけだ。
応えられるように、足を進めるだけだ。
現状のままで無理なら、遮二無二にでも手を伸ばせ。
自分だけで無理なら、体面など関係なく仲間に助けを求め続けろ。
それが出来ずして、樹里の隣に立つ資格はない。
実感はない。
雲を掴むような話だというのも、理解している。
樹里の背後にある事情は、想い一つでどうにかなる程生易しくも単純でもない。
けれど、それでも。
本当に、彼女の幸せを求めるならば。
足を止める理由は、
「賢」
「うん」
「ありがと」
「それを言われるのは、まだ早いよ」
「ううん。それでも、ありがと。わたしに、向き合ってくれて」
「…………ありがとうは、むしろこっちの台詞だよ。ホント、樹里ちゃんには敵わないなぁ」
やれやれとかぶりを振る佐鳥に、樹里はくすりと笑う。
その笑顔は本当に魅力的で、どうして此処が衆人の眼のあるラウンジなのだと今更ながらに悔やんでしまう。
隅っこの席である為人通りからは離れているが、皆無というワケではない。
彼女の笑顔は、出来るなら自分だけで独り占めしたかった。
そんな想いが沸いて来た事に、我が事ながら苦笑する。
本心は、嘘をつけないなと。
佐鳥は、心の中で苦笑いを浮かべるのだった。
「あ」
「どしたの? 樹里ちゃん」
「ん、ごめん。葉子から呼び出し。行かなきゃ」
「行っておいで。むしろ、引き留めてごめんね」
「ううん、来た甲斐はあったし良いよ。だからね、賢」
「え?」
────────それは、不意打ちだった。
携帯端末を手にした樹里を見送ろうと立ち上がりかけた佐鳥の懐に、一息で樹里が接近する。
そして頬を何かが掠める音がして、同時に柔らかな感触が触れる。
それが何かを自覚した時には、既に樹里は佐鳥から離れてクルリと背を向けていた。
「またね、賢。わたし、待ってるから」
「あ、う、うん。ま、また、ね」
しどろもどろになりながら去り行く樹里を見送り、佐鳥は自身の顔が真っ赤になっている事を自覚する。
今までもボディタッチ程度は幾らでもあったが、今のは不意打ちに過ぎた。
脳内がピンク色に染まるのを自覚しつつも、止められない。
そんな佐鳥の姿を偶然通りがかりに見てしまった綾辻から突っ込みを受けるまで、あと僅か。
果たしてそれまでに佐鳥が冷静さを取り戻せたかは、神のみぞ知る。
「遅いわよ、樹里。何処行ってたの」
「ん、ラウンジ。賢と一緒にお茶してた」
「変な事してないでしょうね?」
「してない。
「ならいいわ。じゃ、早速だけどミーティングを始めるわよ」
隊室に戻るなり詰問を受けた樹里だが、いつも通りの────────────────否。
何処かテンションが上がった様子でしれっと香取の追及を躱し、そのままさり気なく彼女の隣に移動する。
色々あって無敵モードに近い今の樹里の機嫌は、最高潮だと言って良い。
「…………」
その様子に勘付いていたのは華だけだが、今は話し合いを円滑に進める為に突っ込むべき所ではないと自重する。
勿論、後回しにするだけで忘れる事はない。
直観力では香取や樹里に劣る華であるが、代わりに洞察力と対人交渉力はずば抜けて高い。
樹里がこんな状態になっている原因が
こう見えて樹里は口が堅く中々秘密を喋らないが、佐鳥は機密等はともかくプライベートな面での防御力はそう高くはない。
何が何でも知られてはいけない情報は隠し通すが、知られても被害が自分だけで収まるような秘密であればそこまでガードは堅くないのはこれまでのやり取りで実証済みだ。
「まず、次の試合で重要なのは選ばれるMAPが分かってるのをどう活かすかよ。そのあたり、考えがあるんでしょ華。MAP選んだの、華だもんね」
「ええ、勿論。色々考えて、あのMAPにしたわ。事後承諾になったのは、ごめんなさい。出来るだけ、三雲くんにこっちの思考を開示したくなかったの」
「それはいいわよ。目の前で相談なんかしたら、そこからこっちの作戦を読んで来てもおかしくないからねアイツは」
香取はそう言って、華の独断専行に等しいMAP選択を肯定する。
確かに、あの場でチーム内で相談しながらMAPを決めていれば、その相談内容からこちらの意図を修に推察されていてもおかしくはなかった。
それを思えば、独断でMAPを選択し提示した華の行為はある意味で最適解と言える。
仲間内での信頼関係がなければ成立し得ないスタンドプレーだが、幸い今の香取隊に華の意向に口を挟む者はいない。
若村と三浦は作戦については全面的に華の指示に従う所存だし、香取と樹里はそもそも華の意見を肯定しないという選択肢が無い。
自分の意見は言うが、基本的に華の意思は最大限尊重するのがこの幼馴染の少女二人の特質だ。
そういう事情も相俟って、華の独断専行が咎められる事はなかった。
これはそれだけ彼女がチーム内で信頼されている事の証左であり、有言実行を旨とする華らしい立ち回りの成果と言えた。
「じゃあ、わたしがあのMAPを選んだ理由を説明するわね」
故に淀みなく華は説明に移り、周囲の面々が頷いたのを見て話し始めた。
「幾ら事実上MAP選択権を譲渡されたと言っても、ROUND2でわたしたちが選んだ摩天楼を選ぶようじゃ流石に恣意的過ぎる。けど、市街地Cのようなわたし達に有利である事が
華の言う通り、ROUND1で大暴れした舞台である市街地Cは警戒されて玉狛と弓場隊の共闘を生み出しかねないし、ROUND2で自ら選んだ摩天楼では、流石に恣意的過ぎて余計な邪推を生みかねない。
かといって市街地Bでは弓場隊が有利になるし、工業地区のような狭い地形では幾ら千佳が人を撃てないとはいえ
故に、それらのMAPを選ぶ事は憚られるのも当然と言えた。
「かといって極端なMAPだと、今度はそれをどう三雲くんに利用されるか分からない。わたし達が慣れてないMAPでやり合うには、少しリスキーな相手だと思うわ」
だから、と華は続ける。
「────────市街地A。このMAPで戦う為の戦略を、用意したわ」
選んだMAPは、市街地A。
その名の通り最もオーソドックスな市街地MAPであり、特徴がないのが特徴と言える地形。
それが、華が思案の末に選び玉狛に提示したMAP選択であった。