「え、と、なんで…………」
千佳は顔を若干青冷めさせながら、おずおずと樹里に視線を向ける。
白いパーカーを纏った純白のカラーでその身を統一している少女は、無感動な目でこちらを見ていた。
あまりにもいきなりな、千佳の核心を突く質問。
それが予想外な人物から放たれた事で、千佳はハッキリと混乱と恐怖を感じていた。
何故、今それを。
そんな疑問が、彼女の中に渦巻いていた。
千佳にとって樹里は、話を聞いた事があるだけの第三者である。
元々知らない相手との会話に難のある千佳にとって一つ上の同性の先輩というのは、単に女子同士であるという共通項だけで話しかけられる相手ではない。
加えて基本的に相手の顔色を伺う事が癖になっている千佳にとって、殆ど感情を表に出さない樹里のようなタイプは特に苦手な相手でもあった。
仲の良いC級の出穂はとにかく感情が顔に出易く、言いたい事をズバズバと言ってくれるので話していて爽快感があり、向こうのコミュ力も低くないので円滑に関係が成り立っている。
それとは対照的に口数少なく、表情も一切変化しないに等しい樹里は傍目から見て機嫌等が分からず、どう対応していいか不明なのだ。
その相手から自分が抱えている負い目────────────────即ち、
それを追及された事で、反射的に身を竦ませたのも無理はないと言えるだろう。
「貴方が人を撃てない事は、知ってる。葉子達がそう言ってたし、撃つべき場面で人を狙ってないのも見てたから」
でも、と樹里は続ける。
「────────貴方は、自分のメテオラで相手が吹き飛ばされても大丈夫だった。それなら、人を傷付けたくないから撃てない、という理由は成立しない」
「…………!」
だが。
その困惑は、一瞬で驚愕に変わる。
確かにROUND3にて、千佳の設置したメテオラの起爆によって外岡が直接撃破されている。
樹里はその点を突いて、
「賢から聞いた話だと、「自分の手で人が傷付くのを見るのが生理的に無理」っていう隊員はいたみたい。だからわたしも最初は、貴方がそのタイプなんだと思ってた」
けど、と樹里は続ける。
「貴方は、自分の置いたメテオラで人が粉々になった経験を経た今でも特に体調不良を患っているようには見えない。話に聞いた
「それ、は…………」
反論は、浮かばなかった。
樹里の言葉には、筋が通っている。
事実として、千佳のメテオラによって撃破者が出た。
引き金を引いたのは自分ではないとはいえ、
にも関わらず、今の千佳は至って体調不良を患っていたり、その後遺症で苦しんでいるようには見えない。
その事に対する反論が、今の千佳には思い浮かべなかったのだ。
「えっと、先輩はなんで…………?」
「樹里。木岐坂樹里」
「あ、えっと、木岐坂先輩はなんでそれをわたしに…………?」
「単純に、疑問に思ったから。それだけ」
「そ、そうですか…………」
なので当たり障りのない返答を選んだのだが、すぐに会話は終了してしまった。
この少女が独特な感性を持っているのは今のやり取りで何となく理解は出来たが、だからといって有効な対策が思い浮かびはしない。
樹里は、千佳にとっては赤の他人だ。
これまで交流があったワケでもないし、香取や修のように接点があったワケでもない。
故に、判断に困る。
一体、この少女は何を求めているのか。
それが、単純な興味本位であるならば。
一体、何を以て
それを、千佳は思案していた。
「えっと、多分ですけど、直接スコープを覗いて撃ってないから大丈夫だったのかな、って」
「それなら、極論スコープを見ないで適当に撃った弾が相手に当たるのは問題ないって事になるけど、どう?」
「あ、えっと、それは……………………そもそも、それは当たらないんじゃないかな、って」
「ただのたとえ話。でも、想像してみる価値はあると思う。もし
「…………っ!」
適当に思いついた返答を口にした結果、更に鋭い突っ込みが待っていた。
直接スコープで相手が被弾する瞬間を目撃するのが駄目なのであれば、適当に撃った結果当たった場合はどうなのか、という質問が返って来た。
確かにそれは、想定した事がなかったケースである。
出来る出来ないはさておいて、思考実験事態には価値があると言えた。
(適当に撃って、それが相手に当たった事が後から分かったら、わたしは────────────────っ!?)
────────そこで、気付いてしまう。
実際に、その場面を脳内で想定した時。
自分が、
これが直接スコープを覗いて相手が被弾する瞬間までイメージすると、流石に恐怖感で身体が動かなくなるのが容易に想定出来る。
だが。
もし、スコープという視界を狭めて対象をクローズアップする装置を用いずに。
相手が被弾した
それを想定した時、千佳は
確かに、多少顔が青冷めはするだろう。
しかし、
そもそも。
千佳は、自分が人を撃ったとして。
その結果として
(わたしは、人を撃てない。ううん、
千佳は、自分が人を撃てない事が相当チームの負担になっている自覚がある。
彼女が人を撃てさえすれば、わざわざ先日のランク戦のような迂遠な方法を取らずとも、千佳がその火力を積極的に使うだけで雑に点が取れていた筈なのだ。
にも関わらず修はその事を責めないし、遊真も同様だ。
玉狛支部には、人が出来た人間しかいない。
皆が皆千佳に優しく、決して彼女に無理をさせようとはしなかった。
千佳が「人が撃てない」とカミングアウトした時も、「成る程」と納得するだけで、特に追及はして来なかったのがその証拠だ。
彼女程のトリオンの持ち主が人を撃てないなど、チームにとってどれだけの損失か理解しているにも関わらず。
誰も彼も、千佳の意思を第一に尊重してくれたのだ。
これは彼女の与り知らぬ事ではあるが、鳩原という
結果として彼等は千佳が鳩原と同じく「人を撃つのが
だが、それはあくまでも千佳の自己申告によるものだ。
千佳は「人を撃てないと
第一に、千佳が人を撃てないと発言した以上、その発言を疑い実証を強要するという発想がそもそも玉狛のメンバーには存在しない。
全員人が良過ぎて身内には特に甘い傾向がある為、負担を強いるようなやり方はまず行わないからだ。
本人が「無理」と言っている以上、そういうものとして扱う。
そういう思考回路が、玉狛支部の面子には根付いている。
良くも悪くも相手の意思を第一に尊重するのが、彼等のやり方であるのだから。
だから、千佳が自分が本当に人を撃てないのか、という実証自体は出来ていない。
彼女自身、無理だという先入観もあってやろうとも思っていなかった事もある。
(わたしは、人を撃てない────────────────ううん、
それが出来た方がチームの為になるのは明白だが、出来ない。
否。
その思考が出た時に思ったのは、驚くと納得だった。
千佳は、気付いた。
自分が人を撃てないのは、生理的な嫌悪感などではない。
もっと個人的、否。
そう、勘付いたのだ。
(…………考えてみよう。なんで、人を撃ちたくないのか)
千佳は、思案した。
気付いた以上、放置する事は出来ない。
先程から悪感が酷いが、これは恐らく真実を知る事を拒否する自己防衛反応から来るものだ。
もしも大規模侵攻の時、途中から碌な記憶もなく気付けば終わっていた、という顛末であったのなら彼女は此処で思考を止めただろう。
樹里にも適当な返事だけをして、お茶を濁したかもしれない。
けれど、千佳にはしっかりと記憶がある。
修が戦場のど真ん中でトリガー解除を行い、
あの時、千佳は何も出来なかった。
正確にはレイジに言い含められて何もしない事を選んでいたのだが、結果は同じだ。
修が自分の命を危険に晒す中、
あの時、千佳は自分に力があれば、と思った。
正確には、自分の
千佳が他者に負担をかけるだけではなく、その力で敵を一掃出来る程の実力を持っていたのなら。
修にだけ、あんな真似をさせる事はなかったかもしれない。
当然、そんなのは単なる
多少実力があったところで、あの場面では千佳という存在そのものが状況への劇薬に等しかったのだから、結果は変わらなかっただろう。
だが、千佳が自分の意思で何もしない事を選択したという事実は消えない。
それが消えない棘となって彼女の心を今以て蝕んでいるのは、事実なのだから。
(人を撃った
そして、彼女は真実に辿り着く。
思考を回し、考え抜いた結果。
千佳は、自分の力を何の制限もなく振るう事で生じる、
それが、千佳の抱えている
「…………多分、ですけど。わたしは、人を撃った後、それを責められる事が怖い、んだと思います」
「どうして?」
「えっと、多分、わたしのトリオンで人を撃ってズルいとか言われないかとか、そういうのが嫌なんだと思います」
千佳はそれを、目の前の少女相手に口にしていた。
何故、赤の他人に等しい樹里相手にそこまで胸襟を開く気になったのかは分からない。
けれど、なんだか。
何処か他人とは思えないような、そんな気配がこの白い少女からしたのが理由かもしれなかった。
「…………? トリオン多くてズルいとかチートだとか、そういうのを言われるのが嫌って事?」
「はい、多分ですが」
「別に、どうでも良くない? わたしもたまに言われる事はあるけど、特に何とも思わなかったよ」
そして、その答えを聞いた樹里は何処かキョトン、とした顔でそう返した。
何と言えば良いか分からない千佳相手に、樹里は続けた。
「わたしも、ボーダーの中じゃトリオンは多い方。実際にそれを見てズルいとかチートだとか言う人はいるけど、そういうのを言うのは大多数がC級の有象無象か、たまに冗談半分で正隊員の一部が言うくらいだし」
樹里の言う通り、確かにボーダー内にもそういうデリカシーのない事を言う者はいる。
しかしその大部分は碌な努力もせずに燻っているC級隊員か、冗談半分に口にする者くらいだ。
少なくとも、真面目に鍛錬を積み勝つ為の努力を怠らないB級中位以上の者達は、そんな暇があるならば研鑽と相手チームの研究に専念するだろう。
それが出来ない者は、勝ち上がる事など出来はしないのだから。
「後者は単にからかってるだけだし、前者はどうでもいい相手なんだから別に何言われても気にする理由はないもの。そうじゃない?」
「あ、えっと…………」
「だって、虫が耳元でブンブンうるさくてもウザったいだけでしょ? それと同じだと思えばいい」
「む、虫って…………」
あんまりといえばあんまりな樹里の言い方に、千佳は唖然とする。
極論にも程があるが、千佳の迷いなど大した事がないと、そうとも取れる言い方だった。
「実際、興味ない相手にリソース割く理由って特にないと思う。自分の人生にとってどうでもいい相手の為なんかに気を向ける事自体、無意味だと思ってるけど」
「で、でも、その所為で仲間に嫌な思いをさせたりしたら────────」
「逆に聞くけど、貴方のチームメイトは
「────────! ううん、それは絶対にないと思う」
「答え、出てると思う」
「…………っ!」
千佳は、眼を見開いた。
確かに、樹里の言う通りであったからだ。
仮に千佳がそのトリオンを十全に活かして試合で暴れた結果大衆に揶揄されたとしても、修は決して彼女を見捨てないだろう。
どころか、新しい戦術が練れると喜ぶ姿すら想像出来た。
有象無象への対処は遊真がやってくれるような気さえするし、そう考えると問題らしい問題は見当たらない。
樹里の極論は、ある意味で正鵠を射ていると言えた。
「身内以上に大事なものがないなら、有象無象の事を考える事自体無駄だと思う。わたしは実際そうしてるけど、特に不都合を感じた事はないかな」
「ええと、それは」
「賢なんかはもう少し他の人にも気を配れって言うけど、必要な時に協力さえ出来ればいいんだから別にそこまで気にする必要ないと思ってる。そもそも、その程度の相手なんて大した力がない奴等が大半なんだし別に問題はないと思うけど」
まあ、樹里の場合は極端な身内至上主義であるという事も影響しているようであるが。
それでも、参考になる意見である事は間違いなかった。
確かにその程度の心胆のC級隊員に反感を持たれたところで、直接的なデメリットが生じる事は早々無いというのはある意味では間違いではないのだから。
(わたしにとって一番大事なのは、修くん達。修くん達を失う恐怖に比べたら、他人にどうこう言われる事くらい大した事ない、と思った方がいいのかも)
千佳も流石に彼女程極論に走る事は出来ないが、それでも修や遊真といった仲間の存在が至上である事に変わりはない。
彼等の為になるのであれば、多少他人から揶揄される事があっても耐えられるのではないか。
今は、そう思う事が出来た千佳であった。
「…………ありがとうございます、木岐坂先輩。色々、参考になりました」
「ん、別に気にしないでいい。ただ、高火力で相手を吹っ飛ばせた時は気持ちが良い。あの快感を知らないのは、ちょっと損だと思ったから」
「あ、あはは…………」
とはいえ、此処でオチを付けるのが樹里である。
千佳は乾いた笑みを浮かべながら、修が香取との対談を終えて呼びに来るまで樹里と些細な雑談を交わすのであった。