「香取先輩、今日はありがとうございました」
「ふん、ただの取引よ取引。別に恩とかそういうの感じなくていいから」
「いえ、助かったのは事実ですので」
「…………まあいいわ。じゃ、後で何か返しなさいよね」
はい、と元気よく頷く修を見て、香取は知らずため息を吐く。
お互いの知りたい情報の交換が終わり、現在は香取隊の隊室前にいる。
修は思っていた以上に鈴鳴に対する所見を話してくれたので、見返りに那須隊や諏訪隊について他の知っている事を喋っていたら、結構な時間になってしまった。
まだ夜にはなっていないが、充分に夕方と言って良い時刻である。
一応の礼儀として見送りに出て来たのだが、相変わらずの修の暖簾に腕押しぶりに徹底して毒気が抜かれる香取であった。
「それでは、また何かあれば────────千佳、行くぞ」
「あ、うん。それじゃあ、失礼しました」
修は同道していた千佳を連れ、その場を去っていく。
去り際に千佳は香取の後ろに立っている樹里に対してぺこりと頭を下げており、その様子を見た香取は眼を細めた。
明らかに、来た時より千佳の樹里に対する態度────────────────というか視線の温度が、上がっている。
人付き合いが巧いとは決して言えない幼馴染に向ける態度としては、少々おかしい。
そういった所には、目敏く気が付く香取であった。
「ねぇ樹里、アンタあのチビ大砲と何か喋ってたみたいだけど、いつの間に仲良くなったワケ?」
「ん、ちょっと気になってた事を聞いただけ。あとは、少し雑談」
「アンタが初対面に近い人間相手にまともに喋れるワケないでしょうが────────────────言いなさい、今度は一体何やらかした?」
ジロリと、香取は樹里を睨みつける。
樹里は基本的に、コミュ障と言っても構わないくらい対人能力が低い。
そもそも自分から人の輪を広げようとする発想が皆無な上に、興味のない相手には徹底した無視か塩対応がザラだ。
なので見るからに引っ込み思案な千佳相手に、まともな手段でコミュニケーションを成立させたとは思い難い。
故に、
このコミュ障幼馴染があの少女と仲良くなるに至った、突拍子もない
樹里はあまり他者に関わろうとしない反面、一度興味を持った事柄があれば知りたい事を知る為に誰が相手であろうと構わず突貫する悪癖がある。
自身が見目麗しい美少女である為かそれが原因でトラブルになった事は少ないが、皆無ではない。
男なら誰だって樹里のような美少女に声をかけられれば気分が良くなるものだし、彼女の美貌は同性にさえ通じるレベルである為女子相手でも好感を抱かせる事もある。
ただ、樹里は相手の感情に対して無頓着な部分があり、直接的なトラブルには発展せずとも放置すれば面倒な事になる事は請け合いだった。
その後始末をしていたのが香取と華であり、特に香取は樹里の様々な奇行の対処に追われていた過去がある。
だからこそ、今の香取の脳内には警鐘が鳴り響いていた。
今回、樹里がしでかした
第六感じみた香取の直感が、そう訴えていたのだ。
「ん。特別な事はやってないよ。ただ」
「ただ、何よ?」
「────────雨取さんに、何で人を撃てないのか、って聞いただけ」
「はぁ…………っ!?」
────────そして、その予感は的中する。
樹里は、あろう事か「人を撃てない」とされている千佳相手に、その理由を尋ねるというデリカシー皆無な事をしでかしていたのだ。
普通に考えて、初対面の人間相手にやって良い事ではない。
ボーダーという戦うのが仕事である組織にいながら尚「人が撃てない」というのは相応の理由がある筈であり、確実にその人物の内面にダイレクトに繋がるものだろう。
それを、樹里は。
会話した事すら初めてであっただろう千佳相手に、やらかしたというのだから。
呆気に取られるのも、無理はないと言える。
「アンタ、馬鹿じゃないの? それ、三雲に知られたらキレられるんじゃない?」
「感謝された。だから、問題ない」
「それは結果論でアンタがしでかした馬鹿真似をなかった事には出来ないでしょうがこのスカポンタンッ!」
「あぅ…………!」
バチコーン、と香取が常に懐に忍ばせている樹里専用突っ込みハリセンが炸裂し、額に一撃を貰った樹里は涙目になる。
このハリセンは相手に決して怪我はさせないが痛みは感じるという絶妙な硬さを保っており、幼少期から香取が樹里の奇行に突っ込む際に使い続けて来た年代物だ。
以前は平手打ちで突っ込みをしていたのだが、間違って怪我したら危ないとの事で香取の父親が何処からかこれを持って来たのである。
未だに使い続けられる耐久性も疑問だが、特に香取は深く考えた事はない。
そもそも樹里が隊に戻って来るまで封印されていたのだから、厳密には使い続けたワケでもないので単に大事に仕舞われていただけとも取れる。
どちらにしろ、香取にしてみれば突っ込み棒以外の何物でもないので気にする事はないのであった。
「あのね、アンタに分かり易く言うならアンタがアタシの隊への入隊を拒み続けた理由を強引に聞き出されたようなモンなのよ? しかも、全く関係のない第三者に。これ、アンタならどう思う?」
「…………怒る、と思う」
「そういう事。納得した?」
「う、うん。わたし、悪い事しちゃったかな」
自分のした事に対し分かり易いたとえを出され、樹里は一気にしゅんとなった。
彼女は天然気味で突拍子もない行動を取る事も多いが、決して自分の非を認められない人間ではない。
常識が多少常人とズレているだけで、自分に理解出来るケースに当て嵌めればちゃんと納得は出来るし反省もするのだ。
香取のたとえは樹里的には物凄く分かり易いものであり、納得するしかなかったという事でもあるが。
改めて自分の行動の不味さを振り返る事になり、樹里は俯いてしまった。
「…………はぁ。まぁ、どういう経緯か知らないけど雨取はアンタに感謝してたんでしょ? 結果良ければ全て良しとは言わないけど、大失敗じゃないだけマシと思うしかないわね」
「葉子、慰めてる?」
「アンタに落ち込まれるのもウザったいからフォローしてるだけよ自惚れんな」
ふん、と鼻を鳴らす香取に対し樹里はくすりと微笑んだ。
不器用で素直ではないが、香取がこちらを案じて言葉をかけてくれたのは分かる。
色々思う所はあるが、この場は彼女の厚意に甘えよう。
そう、思い直す樹里であった。
「それで、一応経緯を話しなさい。何がどうなってあのチビ大砲に感謝される結果になったワケ?」
「それは────────」
そして。
本題である、千佳との話の内容。
樹里はそれを、訥々と話し始めるのであった。
「────────それ、思いっきり背中押しちゃってるわよね? これ、もしかすると雨取が人を撃てる狙撃手にバージョンアップしちゃわない?」
「…………する、かも…………?」
「結局大チョンポやらかしてんじゃないのよこのスカポンタンッ!」
「
バチコーン、と再び景気の良い音が鳴る。
一通り話を聞き終えた香取は、思った以上の樹里の
聞けば樹里は自分なりのやり方で千佳から「人を撃てない理由」を聞き出し、それが解決出来るよう後押しじみた言葉まで送っていた。
これがチームメイトに対するものなら仲間思いな少女という事で終わるが、相手は今後再び対戦する事になるであろう部隊の一員。
しかも、その戦術の中核を成す一人である。
ROUND3も千佳が人を撃てない事からあのような大掛かりな仕掛けを以て試合に臨んだ玉狛であるが、もしも彼女が人を撃てるようになれば一切の前提がひっくり返る。
樹里以上の高火力と際限のない射程距離を持った狙撃や爆撃が、縦横無尽にフィールドを覆い尽くす。
そんな地獄絵図が顕現する可能性が出て来たのだから、こういう反応にもなろう。
何せ、トリオン量だけを見ればあの二宮すら大きく上回るのだ。
それが何の制限もなく火力を解禁出来るとなれば、玉狛第二の脅威度は天井抜きに跳ね上がる。
それこそ、彼等の目指すB級二位以内という目標すら現実的なものになる程に。
千佳が人を撃てるようになるというのは、大きい変化なのだ。
「…………でも、すぐに撃てるようになるとは限らないんじゃないかな? まだ少し迷いもあるようだったし、何か切っ掛けでもないと変わらないとは思うよ?」
「その
「それはそう。葉子、頭良い」
「むしろ悪いと思ってたのねアンタ良い度胸ね面貸しなさいホラこっち来てやっぱ反省しなさいこの馬鹿」
「あうぅ~っ!」
余計な事を言った樹里の頬をぐにぐにと引っ張り、お仕置きをする香取。
この子ほっぺすんごく柔らかいわね肌もハリがあるしマジ美少女よねと、至近距離で頬を伸ばされている樹里の顔を観察しつつ、香取は内心で大きなため息を吐いた。
何かやらかしただろうとは思っていたが、これは思った以上に一大事だった。
次玉狛といつ当たるかなんてわからないが、ROUND5以降で一度も当たらないという事はまずないだろう。
修の事だから今日香取が渡した情報を活用してすぐに中位から上位に舞い戻って来るであろうし、一度失敗を経験した彼等が再度中位落ちになるとはどうも思えなかった。
前回の試合でも、弓場の行動がなければ遊真の撃破は諦めざるを得ないくらい、ギリギリの戦いだったのだ。
もしも最大の弱点であった千佳が人を撃てないという問題を解消して来るのであれば、別次元の対応を迫られる事は間違いない。
しかも、ROUND6からはあのヒュースも参戦してしまうのである。
ノーマルトリガーを使用したヒュースの実力の程は不明だが、少なくとも遊真に匹敵するものを持っていたとしても不思議ではない。
大規模侵攻に於いて彼が使用していた近界製トリガーは応用性が高い反面、繊細な操作を必要とする複雑な代物に見えた。
少なくとも、あれがノーマルトリガーのように量産されていても彼程巧く扱える人間はそうはいないだろう。
そんな代物を手足の如く使いこなしていたヒュースであれば、ノーマルトリガーにも問題なく適応する筈だ。
それだけでも頭が痛い問題なのに、そこに人を撃てるようになった千佳が加わると思えば本当に滅茶苦茶な脅威度を持った部隊が完成してしまう。
一時的に棚上げしていた問題が更に大きくなった事に、香取はため息を隠せなかった。
「そもそも、なんでアンタそんな事聞いたのよ? あのチビ大砲の何かがアンタの琴線に触れたワケ?」
「…………えっと、高火力で人を吹き飛ばすのって気持ち良いから、それを知らないのは損だな、って思って」
「てぇ事はアンタ確信犯じゃないの何やらかしてんのよこのスカポンタンッ!」
「
その理由を正直に吐いた樹里に対し、香取は思わず頬掴みを再開する。
要するに樹里は「人を撃てないの勿体ない」という理由で千佳にあの質問をした挙句、人を撃てるように後押しまでしたというのだ。
樹里が赤の他人の為を思って踏み込んだ質問をする筈がないとは思っていたが、あんまりにもあんまりな理由に嘆息する。
流石にこれは擁護出来ず、お仕置きを再開する香取だった。
「葉子、樹里。何してるの?」
「あ、華」
「あぅ」
そんな中、帰って来た華にジト目を向けられ、香取は折檻を止めた。
引っ張られて赤くなっている頬を抑えながら、樹里は期待を込めて華を見た。
華は涙目になっている樹里と香取が腰に差したままのハリセンを見て、即座に状況を理解。
大きく溜め息を吐いて、ジロリと両者を強い視線で見据えた。
「取り敢えず、奥に行きましょ。入口近くだと、外から見えるわ」
「あ、うん」
「わかった」
喧嘩両成敗。
そんな言外の通告が聴こえるような華の視線に、即刻二人は降参の意を示す。
見る者に控えめで穏やかな印象を与える華であるが、その実こうと決めた事は決して曲げず、自分の意思はハッキリと告げる我の強さがある。
その事を骨身に染みて理解している二人にとって、こういう時の華の言葉は絶対だ。
基本イケイケな香取も我関せずな樹里も、本気で怒った華には敵わない。
故に、抵抗は無意味。
据わった目の華に押される形で、二人は隊室の奥へと入って行くのだった。