────────ユズルが千佳と関わりを持つようになったのは、ある意味必然だった。
ある日、狙撃手の訓練場にやって来ていた時に千佳が友人の出穂という少女と共に並んで訓練出来る場所を探していた折に声をかけ、置きっぱなしになっていた当真の荷物を移動させてそこへ案内したのだ。
頼んだ覚えもないのに師匠面をしている当真の事はハッキリ言ってウザったく思っているが、それはそれとして知った仲ではあるのでこの程度の事は許されるだろうと踏んでの事だ。
当真自身、細かい事にはあまり拘らない性格の為もしユズルがやった事が露見してもさして気にはしないだろうという小賢しい計算もあった。
ともあれ、そういう経緯で知り合いになったのだが、彼女の事については事前に知っていた。
曰く、雨取千佳は
その内容を知って無視出来なくなったユズルは実際に玉狛の試合ログを見て、その流布されている噂が恐らくは真実だろうと当たりを付けた。
これはユズルの観察眼が優れていた等ではなく、狙撃手ならば誰しもが分かる程千佳の行動はあからさまだったからだ。
撃てばまず点を取れるだろう所でも人を直接狙わず、大砲での地形破壊や他のサポートに終始する。
彼女程の莫大なトリオンがあれば、不意打ちで一発撃つだけでほぼ確実に点を取る事が出来るだろうにも関わらず、である。
ああまで明白であれば、流石に気付く。
千佳の挙動は間違いなく、人を撃てない狙撃手のそれであると。
また、ユズルの場合は既視感もその推測を助長していた。
即ち、ユズルの師匠────────────────鳩原未来。
彼女もまた、人を撃てない狙撃手であった。
しかし、だからといってユズルが彼女を軽んじた事など一度もない。
確かに人を撃てはしなかったが、鳩原の狙撃の腕はボーダー内でも図抜けて高かった。
個人的には、技術だけなら当真にも負けないと考えている。
だが、ボーダーの上層部はそうではなかった。
彼等は鳩原が人を撃てないという一点のみで落第生扱いをして正規の手段で通った遠征試験を落とし、その暫く後に彼女はいなくなった。
機密関連の隊務規定違反との話だったが、上層部に問い合わせても「機密だから」の一点張りで求める答えは何も返って来なかった。
その後、連絡も取れない鳩原の事を心配したユズルの事を見かねて影浦隊の面々が「じゃあ
話を持って行った時の根付は難しい顔をしながらも「検討
何故かいきなり影浦が根付を殴り飛ばし、結果として影浦隊はB級に降格となったからだ。
突然の事に混乱したが、影浦は粗雑な見た目とは裏腹に人情は厚く、何の理由もなしにあのような蛮行に及ぶような人間ではない。
後から理由を聞いてみると、あの時根付からは自分達に対する
要するに根付は口では「検討する」と言っておきながら、最初から断る前提で話を進めていたらしかった。
影浦の
憐れみが刺さったという事は、恐らく根付はこちらの魂胆を理解した上で鳩原に呼びかけられる可能性等を危惧し、断る事を決めていたのだろうとユズルは判断した。
それこそ、「検討の末残念ながら」とでも言うつもりだったに違いない。
話を聞いたユズルはそういう大人のズルさに嫌気が差したし、結局の所自分が発端となって影浦にあのような事をさせて隊が降格する原因となってしまった事に負い目を感じて、鳩原に関する情報収集を諦めた。
そこで食い下がるという手もあったが、繊細なユズルの精神は大切な先輩の手を泥に塗れさせてしまったというだけで
ユズルは典型的な思春期男子らしい性質を保持しており、尚且つ陰キャ気味の為自覚はしていないが面倒臭く繊細な性格をしている。
口から出る言葉は強いがそこまで思慮があるワケでもなく、他人の粗が見えるとまずはそこを指摘して自分の事を棚上げにしてしまう悪癖もあった。
加えて好感度によるフィルターも過分に入るので、自分の所為で手を汚させてしまったが大切な先輩である影浦の事は何も恨んでいないどころか申し訳なく感じている一方で、隊長でありながらユズル視点で鳩原の件に関して何もしない二宮に関しては嫌悪し、一方的に嫌っていた。
前者は何もかも影浦が悪いワケではないのでまだ良いとして、二宮に対する感情に関して言いがかりの部分も大きい。
鳩原の真実を知らないユズルからしてみれば、二宮は典型的な俺様系傲慢男で人の気持ちに配慮などしない暴君にしか見えないのだ。
彼が裏でどれだけ鳩原の為に動いていたか知らないユズルは、ただ二宮が鳩原の件に関して沈黙を貫いているというだけで敵認定をして、一方的に嫌っていた。
それがどれだけ見当外れなものか、考えもせず。
今回の千佳の事に関しても、そんな思春期的感情が動いていた部分は否定し切れない。
元々敬愛する師匠と同じく人を撃てない狙撃手という事で好印象を抱いていたのだが、実際に会った千佳は可愛らしく素直で、ぶっちゃけるとユズルの好みに
大人しく性格の良い相手が性癖のユズルにとって、まさしく天啓と呼ぶべきものが下りていたのは言うまでもない。
なので本人は無意識ながらも下心アリアリで千佳に話しかけたユズルだったが、実際に話してみて彼女が本当に人が撃てないと知ると、その好感度は一気に高まった。
このまま悩み続けるようなら相談に乗ってあげよう、と考えるくらいには。
ユズルの千佳に対する好感度は、高かったのだ。
(雨取さん…………)
そんなユズルの感情を、大きく揺さぶる出来事があった。
ROUND4。
その試合で千佳は、
正確には爆撃を敢行したというだけで人を狙って撃ち得点したワケではないが、それでも鳩原とは異なり
この時点でユズルは、何処か裏切られたような想いを抱いていた。
以前の彼女が嘘を言っていなかった事は、分かる。
恐らくあの時点では本当に、千佳は人を撃てなかったのだろう。
けれど。
千佳は何があったかまでは分からないが、人を撃てるように
鳩原とは、違って。
千佳は、人に向かって弾を撃つ事が出来た。
その事が、ユズルの心をかき乱していた。
何で、という困惑。
どうして、という焦燥。
これが傍目から見て無理に無理を重ねて何とか撃てた、という経緯であればユズルも納得を得ただろう。
死に物狂いで頑張って、何とか撃てるようになったのだと。
しかし、ROUND4の千佳は何の迷いもなく爆撃をしているように見えた。
それまでの彼女に大きな変化の兆候などなかったというのに、急に撃てるようになった事でユズルは大いに混乱していたのである。
勿論、千佳に自分の事情を何から何までユズルに打ち明ける必要などない。
そもそも別の部隊であるし、師匠と弟子というワケでもない。
なので何かしらの変化があったとしてもユズルがそれを知らずとも無理はないのだが、彼の思春期的思考はその事を裏切りのようにも感じてしまっていた。
だから、訓練場で千佳の姿を見た時ユズルは大いに引け目を感じていた。
どう、言葉をかければいいのか。
果たして、自分は冷静に彼女に向き合えるのか。
それが、一切分からなかったからだ。
(どうしよう…………)
だから実際に訓練場で千佳の姿を視認した時、ユズルはどうすべきか迷った。
素知らぬ顔で話しかけるのか、それともこの場は引き下がるのか。
大いに悩み、そして。
「あ、ユズルじゃーん。何してんの?」
「あ、えっと」
────────結果、まごついている間に千佳に同道していた出穂に見付かった。
出穂の言葉で千佳もこちらの事を認識した為黙っているワケにもいかず、ユズルはおずおずと二人に近付いた。
そんなユズルに対し、出穂はニカリと笑いかける。
「どうしたん? 場所なら空いてるけど、もしかしてチカ子に用?」
「あ、いや、その」
「OKOK、じゃあアタシはあっち行ってるからお二人でどーぞ」
「あ、待────────」
ユズルが止める間もなく、出穂は一人で訓練へ向かってしまった。
お節介を焼かれたと思った時には既に遅く、ユズルは1対1で千佳に向かい合う事になってしまう。
事態の推移を理解出来ない千佳はキョトンとしているが、流石にこのまま黙り続けるワケにもいかない。
意を決して、ユズルは千佳に向かって話しかけた。
「え、っと。雨取さん、その────────────────前回の試合の、事だけど」
「え、あ、うん。何かな?」
「その────────────────えっと、だから────────」
けれど、そこはコミュ障気味の陰キャ男子。
すぐに言葉が出て来るワケもなく、しどろもどろになってしまう。
結局、ユズルがまともに言の葉を紡ぐ事が出来たのは1分以上が経過してからだった。
「────────人、撃てるようになったんだ」
「あ…………」
そこで、千佳がようやくユズルの言いたい事を理解した。
要するにユズルは前回の試合を見て、千佳が人を撃てるようになったと考えたワケだ。
迷う素振りをしていたのは、それを実際に聞いていいか葛藤していたのだろう。
だが、聞かれた以上は応えないワケにはいかない。
如何にいずれは対戦する間柄といえど、自分が人を撃てない事は彼も知っている。
それに、何故か今は正直に話した方が良い気がするのだ。
理由は分からない。
けれど、此処は告げるべきだと。
千佳は、そう判断した。
故に一切の迷いなく、千佳は口を開いた。
「えっとね、その……………………まだ、本当の意味で撃てるようになったかは分からないんだ。撃てるようにしたい、とは思っているんだけど」
「え…………?」
「だからね、その…………」
そこで、千佳は説明する。
前回はあくまでもスコープ越しに相手を視認する狙撃ではなく、対処される前提の爆撃だから撃てたのだという事を。
まだ、人を直接
だけど、それでも最終的には人を撃てるようになりたいのだという事を。
「どうして、雨取さんは人を撃てるようになろうとしているの? 人を撃つの、嫌なんだよね?」
「…………わたしの為に色々迷惑をかけてるのに、これ以上わたしだけが立ち止まっちゃいけないと思ったの。わたしが人を撃てない理由も自覚出来たし、ただ守られるだけじゃ駄目なんだって思ったの。皆が足を進めているのに、わたしだけが
それに、と千佳は続ける。
「わたしは、人を
「…………!」
────────でも……………………あたしは一生人を撃てないと思う。あたしはやっぱり、ダメなやつなんだ────────
不意に、かつての鳩原の言葉が蘇る。
あれは、鳩原がいなくなる少し前。
突然電話して来た鳩原との会話の中で、彼女はそう言って電話を切った。
それは、直前にユズルが言った一言。
即ち、「
今になって思い返せば、自分がその言葉を発した瞬間から明確に鳩原の声色は変わっていた。
それまでは何処か空元気を出しているだけのように見えたのが、一気にその装飾が剥がれ落ちて平坦な声になっていたのだ。
思えばあれは、自分の言葉にショックを受けた結果なのかもしれなかった。
それを、ユズルは千佳の言葉で思い知らされる事になった。
千佳は、言った。
自分は人を
そこで、ようやく気付いたのだ。
恐らく鳩原はこの、
そう考えた時、あの時のユズルの言葉は彼女にどう聴こえたのか。
簡単だ。
ユズルの言葉は暗に「人を撃てるようになれば遠征に行けるだろう」というニュアンスがあった。
明確に言葉にしていないだけで、文面を見返せばむしろそうとしか聞こえないだろう。
それが恐らく、鳩原への
ただでさえ遠征行きが駄目になって落ち込んでいた時に親しい弟子からそんな事を言われれば、どう思うのか。
当時のユズルはそれを、考えもしていなかった。
いや、無意識の内に考えないようにしていたのだろう。
だって、それなら。
本当に、彼女を追い込んだのは。
鳩原がいなくなった、最大の原因は。
「…………ユズルくん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「う、うん。だ、大丈夫…………」
大丈夫などではない。
今のユズルは、自責の念で一杯だった。
千佳の一言で己の瑕疵を自覚させられ、ユズルは混乱の極地にいた。
思えば、二宮への過剰な敵意もそんな不甲斐ない時分から眼を背ける為の体の良い
そう思うと自分が情けなくて、涙が出そうにすらなる。
(いや、オレが落ち込んでどうするんだよっ!? 一番辛かったのはオレじゃないし、雨取さんは頑張ろうとしてるだけだっ!
けれど、好きな子の前で情けない姿は見せられないという意地の一点のみで、ユズルはそれを耐えた。
自分が不甲斐ないのは、理解した。
だが、此処で腐る事だけは出来ないと。
ユズルは己を意地のみで奮い立たせ、顔を上げる。
千佳は、言った。
自分だけが、足を止め続ける事は出来ないと。
狙撃手になって、ボーダー隊員になって日が浅い彼女が此処までの覚悟を見せたのだ。
何より、好きな子の前で恰好を付けるのは、男の子の本能である。
それに何より、此処で止まっては
きっと彼等は、ユズルの未熟など理解した上でその意思を尊重してくれていた。
影浦は、自身に向けられる感情を肌感覚で理解出来る。
だから鳩原の件を諦めたあの時、彼は気付いていた筈なのだ。
ユズルの感情が単なる諦観だけではなく、「恐れ」や「怯え」が混じっていた事を。
当時のユズルはこれ以上仲間に迷惑をかけて、嫌われたりする事を恐れていた。
それを誰より理解出来ていた筈の影浦は、何も言わずにユズルを見守り続けてくれたのだ。
先輩として、ユズルが自ら立ち上がる時を待ってくれていた。
だから自分は、そんな彼等に甘えていただけなのだ。
ならば、応えなければならないだろう。
大人になるとか、責任を果たすとか。
そういう聞こえの良い言葉の為ではなく、ただ自らの意思を通す為に。
そして、そんな自分を支えてくれた仲間達への恩を返す為に。
ユズルは、前を向く事を決めた。
己の瑕疵を、そして決意を自覚出来たユズルは、真っ直ぐ千佳を見据えて口を開いた。
「雨取さん」
「うん」
「オレも頑張るからさ。雨取さんも、頑張って」
「うん…………!」
ユズルの言葉を受けた千佳はにっこりと笑い、「じゃあまたね」と言って出穂の下に駆け出して行った。
言葉は少ないが、これで決意表明は出来たと感じる。
ユズルは走り去っていく千佳の後姿を見て、すぅ、と息を吐く。
彼は顔を上げ、携帯端末を握り締めた。
「よし。行こう」
そして。
ユズルはその場で千佳に背を向け、ある場所を目指して歩き出した。
「────────話とはなんだ、絵馬」
二宮隊、隊室。
そこでユズルを出迎えたのは、誰あろう。
二宮隊隊長、二宮匡貴。
重い空気が、部屋に下りる。
射手の王は突然の訪問者をいつもの仏頂面で迎え入れ、ユズルはそんな二宮の顔を真っ直ぐに見上げるのだった。