(あいつは、また…………っ!)
警戒区域、その付近。
修は逸る心を押さえつけながら、ひた走る。
彼が焦っているのは、偏に修の大切な人物が危険に晒されているからだ。
否、言い換えよう。
自ら危地へ赴き、当然の如く窮地へ陥っていた。
彼女、雨取千佳はそういう少女だ。
一番危険なのは自分なのにも関わらず、「他の人に迷惑をかけたくないから」と自ら危地へ向かう。
そういう、自己犠牲心が強過ぎる少女なのだ。
そんな彼女は今、襲撃の警報が鳴っている真っ最中の警戒区域内にいる。
自分がいる場所に
修には、何故彼女が
しかし、事実としてそうである以上、その事を前提に行動するしかなかった。
千佳が警報の度に警戒区域に向かうのは、何も今回が初めてではない。
これまでも何度も、彼女はそういった事をしでかしている。
今まで問題にならなかったのは、彼女が
それがなければ、とっくに彼女は近界民の餌食になっていただろう。
今回に限ってこれ程までに焦っているのは、どういう経緯かまでは分からないが彼女が近界民に見つかってしまったからだ。
今のところは、無事ではある。
どうやら千佳は先んじて遊真と出会っていたらしく、警戒区域へ向かった彼女を追いかけてくれたらしい。
間一髪で危ないところを助けてくれたようだが、近くでボーダーが戦闘を行っている以上迂闊に遊真が戦うワケにはいかない。
彼ならば万が一はないだろうが、幾ら遊真とはいえトリガーもなしにトリオン兵を相手にするのは無理がある。
故に、一刻も早く現場に到着し、トリオン兵を排除する必要があった。
レプリカによる報告によれば、襲っているトリオン兵はバンダー。
中型のトリオン兵であり、砲撃能力を持つという。
修には戦った事のない相手だが、砲撃にさえ気を付ければモールモッドよりは楽に対処出来るらしい。
(見えた…………っ!)
そうこうしているうちに、修は遊真達を追いかけるトリオン兵の姿を視認した。
モールモッドよりは大きく、バムスターよりは小さい。
痩せたバムスターといった感じのフォルムのそのトリオン兵は、どうやらこちらには気が付いていない。
(今なら、不意を撃てる…………っ!)
修はキューブを展開し、照準を定める。
狙うは、バンダーのカメラアイ。
トリオン兵の急所であるそこを射抜けば沈黙させられるし、少なくとも気を引く事が出来ればそれで良い。
そう考えて、修は攻撃準備を行って。
「え…………?」
────────その刹那、遠方から飛んで来た一発の弾丸によりバンダーのカメラアイは射抜かれ、修の手にかかる事なく沈黙した。
その光景に、修は目を見開いて驚く。
何が、起きたのか。
それが、一瞬理解出来なかったからだ。
「オサム」
「あ、ああ。すまない、遅くなった」
修は遊真に声をかけられ、棒立ちから解放される。
慌てて二人の様子を見ると、特に怪我等を負った様子はない。
ふぅ、と思わず安堵の息を吐く修であった。
「いや、それより今のはオサムがやったんじゃないよな?」
「ああ、ぼくじゃない。きっと、ボーダーの誰かだ。流れ弾がたまたま当たったとか、そういう────────」
『いいや、今のは明確にバンダーの急所を狙って放たれた攻撃だ。以前、修が相手をしたモールモッドを倒したものと同じだろう』
「…………!」
だが。
今度は、たった今バンダーを撃破した一撃の事が問題になった。
修は、想起する。
忘れもしない、あの日。
修が苦戦し、時間を稼ぐ事しか出来ずに敗北した二体のモールモッド。
それらを姿も見せずに葬った、遠距離からの弾丸。
その攻撃を放った者について、以前王子に聞いたところ返答が返って来ていた。
────────────────それなら、間違いなくジュリアーナだね。近くに狙撃手の姿が見当たらなかったのなら、彼女しかいないと思うよ────────────────
木岐坂樹里。
修が王子に弟子入りする切っ掛けとなった、狙撃手の少女。
王子の話では強化視覚の
思えば、今の一撃は相当に遠くから放たれていた。
修は狙撃手の射程については詳しくは知らないが、だとしてもかなりの距離から放たれているのは確実だ。
となれば、今回も樹里が行った狙撃であるという可能性は高いだろう。
(強化視覚のサイドエフェクト、か。もしかしたら、今のぼくらも見られているのかも。だとしたら、いや────────)
修は今の現場が見られているのであれば残って事情を説明するべきか、とも思ったが千佳と遊真の存在がそれに待ったをかけた。
千佳はボーダーに所属していない一般人であり、警戒区域で襲われていた事を報告すれば記憶処理がかけられる。
そして当然遊真の存在は劇薬そのものであり、この場にいた事を気取られる事自体あってはならない。
修の姿が見られているかどうかは分からないが、遊真がトリガーを扱う近界民である事だけは隠し通さなければならない。
それ故に、彼個人が特定される行動は避けなければならなかった。
「早く此処から離れよう。話はそれからだ」
「うん」
「わかった」
修は二人を急かし、その場を後にした。
そして。
「賢」
『なに? 樹里ちゃん』
「今、例の白い髪の子供と三雲くんが警戒区域にいた。小さい女の子も一緒」
『…………は?』
その光景を、樹里はその
修の推測通り、たった今バンダーを破壊した一撃は樹里のイーグレットによるものだ。
樹里は警戒区域内でバンダーが何者かを追いかけているのに気付き、この場から狙撃を行い仕留めたのだ。
その結果としてその場に居合わせた修、そしてバンダーに追いかけられていた二人の存在に気が付き、一部始終を視ていたのだ。
『いやいや、なんでそんなトコにいるんだよその子。これも、迅さんの思惑通りなのかな…………?』
「そんな事、わたしに言われても分からないよ?」
『そーだよねぇもう。うーん、迅さんには何も言われてないし此処は────────』
「じゃあ、追いかけてみる」
『え、ちょ』
佐鳥の制止の声を聞かなかった事にして、樹里はその場から駆け出した。
彼からは散々「迂闊に白い髪の子に近付くな」と言われているが、要は相手に存在を気取られる場所にいなければ良いのだと彼女は独断で解釈した。
相手を追いかけ、情報を得るのにわざわざ近付く必要はない。
今彼等が辿っているルートから、凡その行き先は分かる。
彼女の
樹里は己が思惑に従い、ある場所へと向かい始めた。
「ちょ、樹里ちゃん…………っ!? ああもう…………っ!」
一方、いきなり通信を切られた佐鳥は慌ててその場から駆け出した。
今回は嵐山隊の彼以外の面々は広報の仕事で不在であった為、樹里と二人で防衛任務に出ていた。
佐鳥達は狙撃手である為、一ヵ所に固まって動くのは効率が悪い。
故に二手に分かれて
樹里は任務中に修と例の推定近界民の子供を発見し、それを追いかけると言って通信を切ってしまった。
恐らく、彼女は万が一にも自分が事態に乗り遅れないように少しでも情報を集めよう、という魂胆なのだろう。
佐鳥は有事の時は彼女を呼ぶ事を約束したが、完全に信頼されたワケではない事は分かっていた。
こと、面倒事に関わる事で佐鳥は樹里を遠ざけたがる事を、彼女は知っている。
色々と前科がある分、完全に信用はされていないとは思っていたが、まさか此処まで直接的な行動に出るとは思わなかった。
(樹里ちゃんの事だから遠くから
今回、チームメイトが同行していない事が功を奏した。
佐鳥は速やかに任務完了と撤収を本部に報告し、樹里を追った。
向かう先は、分かる。
樹里にはGPSを持たせているので、その反応を目印にすれば追跡は可能だ。
このGPSは開発室で作成した特別製であり、トリオン体であっても反応が追えるようにしてある。
諸事情で万が一にも樹里の位置情報をロストするワケにはいかないので、開発室がわざわざ作成したものだ。
有事の際には彼女の位置情報が鬼怒田の判断で上層部に共有される事になっているが、佐鳥はその情報を常に追える端末が渡されている。
今現在は有事という判定はされていない筈なので、本部に彼女の行動は伝わっていないだろう。
(向かってるのは、此処か。ああもう、誰にも見つかってませんように願っときますかねぇ…………っ!)
「オサム、一応聞くけど大丈夫か? さっき、見られてたんだろ?」
「可能性は高いけど、お前がボーダー隊員と面識を持ってしまう事の方がリスクが大きいからな。後で何か言われたら、ぼくの方で言い訳をしておくよ」
警戒区域付近、弓手町駅。
此処は警戒区域に近い為閉鎖となった駅であり、現在は新弓手町に新しい駅が存在している。
修は一先ずの退避場所として警戒区域の外であり、尚且つ一般人が立ち入る事のないこの場を選んだ。
場合によっては遊真の事情を千佳に説明する必要がある為、人気のない場所を選んだという理由もある。
加えて、万が一千佳の存在に引き寄せられた近界民が出て来てもこの場所であれば他に被害が出ないであろうという思惑もあった。
これは修というよりは千佳の意向であり、修が行き先に悩んでいた時に彼女がこの場所を提案したのだ。
他に候補地も思い至らなかった修はそんな千佳の思惑に気が付きながらも、この場を選択したワケである。
今の修は、以前と異なりB級隊員。
トリガーも訓練用ではなく正規のものをセットしているし、アステロイド以外にもレイガストを始めとしたノーマルトリガーを装備している。
トリオン兵が出て来たとしても自分で対処が可能であるからこそ、この場を選ぶ事に承諾したのだ。
幾ら修が弱くとも、正隊員となり通常のトリガーを使えるようになれば、少なくとも早々トリオン兵相手に遅れは取らない。
モールモッド相手では怪しいが、バムスター相手なら何とかなるだろうという目算はあった。
そもそも修がトリオン兵をまともに排除出来なかったのはトリオン量の不足によってただでさえ威力の低い訓練用トリガーの火力不足が著しかった事にあり、それが解消されればある程度はどうにかなる。
修本人の動きは素人に毛が生えた程度でしかないので、機敏なモールモッド相手では負ける可能性はあるが、それでも以前のようにやられっぱなしにはならないだろう。
実戦で相手をしたワケではないので、あくまで希望的目算ではあったが。
「えっと、修くん。この子は…………?」
「こいつは空閑遊真。最近うちのクラスに転校して来た、外国育ちだ。日本の事は良く知らないから、よろしく頼む」
「どもども」
修の説明に千佳はぺこりと頭を下げ、遊真もそれに応じて談笑する。
既に出会っていた事は聞いていたが、この分だと良好な関係を築く事が出来ているようだ。
妹分と遊真が親しくなれた事に安堵を覚えつつ、修はふぅ、とため息を吐いた。
「千佳、前にも言ったが自分から警戒区域に入るのは止めろ。近界民は出現次第ボーダーが対処しているんだから、昔みたいに警戒区域の外に出て来る事はないんだ」
「で、でもこの前わたし達の学校に近界民が出たのは…………」
そこで、修は千佳が憂慮している事に気付く。
先日の、イレギュラー
その時、修の学校は────────────────即ち千佳のいる学校は、
今の言い方からして、彼女はそれが自分がいたからだ、と考えて今回の行動に走ったらしい。
最近はなかったのにどうして、と思ったがそういう事か、と修は得心した。
「あれは例外だ。少なくとも、お前がいた所為じゃない筈だ。だよな?」
「うーん、そうとも言い切れないかな。さっきの話を聞く限り、チカは昔から近界民に狙われてたんだろ? なら、
「は?」
援護射撃を頼んだにも関わらず追い打ちのような事を言う遊真にぎょっとする修だが、此処で気付く。
遊真は確かに悪人ではないし誠実ではあるが、近界で傭兵をしていただけあって修達とは価値観が異なる。
その最たるものとして、オブラートに包むよりも事実をそのまま伝えた方が良い、というものがある。
これは情報一つが生死を分ける戦場にいたからこそ培われた遊真の考え方であり、修自身はそこまで気にしてはいなかった部分ではある。
しかし、千佳相手となると話は別だ。
自己犠牲心が強く自分を低く見がちな彼女にこんな事を言えば、思い悩んでしまうのが目に見えている。
だが。
それよりも、今の遊真の発言には聞き逃せない内容があった。
「トリオンが高いから、って、どういう事だ?」
「どういう事もなにも、近界民が人を攫うのはトリオンの為だぞ? トリオンの高い人間は特に狙われ易いし、ラッドはトリオンが高い人間の傍に優先的に
そう言って、遊真は修を見た。
「修のトリオンは一般人とほぼ変わらないレベルだから、てっきりオレがいたからだと思ったんだけど、チカが昔から近界民に狙われてるってんならそれだけトリオンが高いって可能性はあるだろ」
「いや、でも…………」
『なんなら、計ってみるか? 私なら、どの程度のトリオンをその者が持っているかが計測出来るぞ』
レプリカの提案に、修は揺れる。
確かに、彼の言う通りであるならば千佳が今まで近界民に狙われていた理由が分かる。
しかし、その理由を明確化して良いものか。
悩んだ修は、千佳を見て。
彼女は、こくりと頷いた。
「えっと、出来れば調べて欲しい、です」
『わかった。では』
「…………待ってくれ。先に、ぼくを調べてみてくれないか? その方が、千佳と比べ易いだろ」
『承知した』
修としては自分の低過ぎるトリオンと比較すれば千佳のトリオン量がどの程度か判断し易いという事もあったが、何より彼女が未知の相手に検査をして貰う、という状況に二の足を踏んでいた事が理由だ。
彼は遊真やレプリカを信用に値する相手だと思っているが、千佳からしてみれば今日初めて出会った相手でしかない。
自分が先に調べて貰えば、千佳も安心出来るだろう。
そう思って、調べて貰ったのだが。
「…………小さいな」
「近界民に狙われるには、この3倍は欲しいかな」
「余計なお世話だ」
案の定、修のトリオンを計測した結果出現したキューブは小さかった。
分かっていた事だが、こうして言葉にされるとなんとも言えない想いを抱いてしまう。
しかし、どうやら修がやってみせた事で千佳の不安は払拭出来たらしい。
今度は千佳がレプリカの検査を受け、そして。
「…………うわ」
「かなり大きいな、これ」
目に見えて巨大な、光り輝くキューブが出現した。
修の時に出たものとは、比較にすらならない。
その光景に、呆気に取られていると。
「────────動くな。ボーダーだ」
第三者の、足音が響く。
怜悧な声と共に隠す気のない殺気を向ける者と、その随行者の二人。
三輪隊隊長、三輪秀次。
同隊攻撃手、米屋陽介。
その二人が、明らかな敵対意思を以て修達の前に現れた。
「────────へぇ」
それを。
アパートの屋上に立つ樹里が。
その眼を以て、事態の推移を見据えていた。