「あ、いたいた。見つけたよ、樹里ちゃん」
「賢」
樹里は自分を呼ぶ聞き慣れた声に振り向き、息を切らせた様子の佐鳥を視界に映す。
佐鳥はそんなのんきな樹里を見て、盛大にため息を吐いた。
「はぁ、駄目じゃない樹里ちゃん。気持ちは分かるけど、いきなりこんな風に動いちゃ」
「だって」
「だって、じゃありません。しっかり反省すること」
「…………むぅ」
何処か納得していない様子で、樹里はそっぽを向いた。
こうなると機嫌を直すのに苦労するが、だからといってなあなあで済ませれば「このくらい大丈夫」という前例を作る事になってしまい、彼女の為にならない。
もう少しお説教するか、と佐鳥は口を開きかけて。
「でも、そのお陰で重要な場面に居合わせたよ。あの子達、三輪隊に襲われてるし」
「…………は?」
────────────────その爆弾発言に、思わず呆気に取られて絶句するのだった。
「
「…………!」
修は、突然の事態に目を見開いていた。
目の前に現れた少年には、見覚えがある。
上層部に呼び出された時、城戸司令の近くに控えていた。
確か名前は、三輪秀次。
ボーダーA級部隊、三輪隊の隊長であり。
王子に話を聞いたところによれば、近界民に激しい復讐心を持つ第一次大規模侵攻の被害者。
その人物が、明らかに敵対の意思を以てトリガーを起動している。
彼等が既に遊真に目を付けており、たった今その疑いの目は確信へ変わった事は瞭然だった。
「
「待って下さい、千佳は…………っ!」
「いいや、おれだよ。おれが
「…………そうか」
そして、千佳に疑いの目が向いた事で修は思わず反応してしまい、結果として遊真の自白を引き出してしまった。
三輪の目つきが、変わる。
どちらに照準を合わせるか迷っていた、仕事人の目から。
私情に走る、復讐の炎を宿す暗い瞳へと。
「間違いないな?」
「間違いないよ」
「────────」
「な…………っ!?」
修は、再び目を見開く。
三輪は遊真の返答を聞くなり、即座に銃撃を敢行。
咄嗟に発動した盾によって遊真は難を逃れたが、警告も無しに発砲した事に修は驚愕していた。
「何を…………っ!?」
「
だが、気付く。
三輪は言葉こそ淡々としているが、既に冷静さを失っている。
というよりも、大義名分が出来た頃に暗い喜びを覚えて歯止めが利かなくなっているのだ。
その、暗雲とした復讐の炎を宿す瞳を見て。
修は、先日の王子との会話を思い出していた。
「そういえば、王子先輩。城戸司令の近くに三輪先輩って人がいたんですけど、あの人はどういう立場の人なんですか?
「
王子隊室。
そこでB級昇格を祝うお茶会に招かれていた修は、思い切って王子に気になっていた事を質問していた。
上層部に呼び出された時に居合わせていた少年、三輪秀次。
彼の事が妙に記憶に残っていたので、ある程度情報を知っているであろう彼に聞いてみたのだ。
王子ならば、望む返答を返してくれると信じて。
「城戸司令の、懐刀。なにか、そういう特別な役職なんですか?」
「いいや、明確な役職を貰っているワケじゃないんだ。ただ、城戸司令に忠実で多少後ろ暗い命令でも喜んでこなすから、重用されてるってだけでね。実質的な権限はないに等しいけど、派閥の代表人物として無視出来ない影響力があるんだ」
「派閥、ですか」
ああ、と王子は頷く。
「ボーダーには三つの派閥があってね。そのうち最も力を持っているのが、
「近界民への、復讐心、ですか」
「そうさ。四年前の大規模侵攻で家族や大切な人を奪われた者は、数多い。そういった者達にとって、復讐は重要な
修は王子に言われて、確かに、と思った。
自分は、特別近界民に思うところはない。
ボーダーに入ったのは、あくまで
友達を失った千佳の涙を拭う事が出来ず、果てに慕っていた人物には「連れていけない」と置いていかれてしまった。
それだけの価値が自分にはなかったのだと、今でも思っている。
あの時のメールには色々謝罪の文章が綴られていたが、なんの事はない。
修には、彼の旅に連れていくだけのメリットが無い。
そう思われていたからこそ、あの人は自分を置いていったのだ。
今なら分かる。
こんな弱い自分が彼に付いて行ったところで、何の役にも立たなかっただろうと。
そんな自分を置いて行ったあの人の、麟児の目は正しかったのだと。
今になって、その事実に直面していた。
だから、悪いのはあくまでも弱い自分であり、近界民に全ての責任を押し付ける気はなかった。
無力は、悪なのだからと。
自罰の意識が強い少年は、本気でそう思っていた。
けれど、と修は思う。
もしも、自分が直接大切な人を────────────────たとえば千佳や母親を近界民に奪われていれば、どうだっただろうか。
自分を責めていた事は間違いないが、その責任の在り処を近界民に求めて憎悪に身を燃やしていた可能性はあるだろう。
大切な人の喪失に明確な加害者がいるのであれば、そこに感情をぶつけようとする心の動きは理解出来る。
修の場合はその前に自分を責め続けるだろうが、人によっては復讐に全てを捧げて辛い現実から逃避する事もあるだろうと。
何処か冷静に、そんな意見を修は抱いていた。
「スリリングは普段から近界民への憎悪を公言していてね。声高に近界民排斥を叫び続けて尚且つ城戸司令に重用されてるものだから、実質的な派閥の代表人物的な扱いをされているってワケさ。裏の広告塔、という役割もあるしね」
「裏の広告塔、ですか」
ああ、と王子は再度頷く。
「
「復讐心を公言する三輪先輩を重用する事で、同じように復讐心を持った隊員の心を掴んで組織への貢献を促す。だから、
「その通りだ。理解が早くて助かるよ、オッサム」
説明に納得した様子の修に、王子は満足気な笑みを浮かべる。
今の話であれば、修も理解出来る。
復讐心を持ち、尚且つ実力のある人物を重用する事で同じ想いを抱いている隊員に対し組織への貢献と帰属心を高める。
これは有効な手段であり、巧いやり方だと修は感心した。
人によっては多少眉を顰める方法かもしれないが、組織を大きくする上で自然と隊員の量と質を確保し易くなる。
復讐心を持つ人間というのは暴走し易いというデメリットがあるが、ボーダーはその復讐対象である
組織に属しているだけで復讐心を満たされるのだから、自然と組織へ貢献しようという意識が高まり、此処こそ自分の居場所なのだと安心して帰属心も高まる。
諸々の心情を考慮しなければ、一石二鳥のやり方だろう。
「ちなみに、あと二つの派閥は近界民への憎悪は特にないけど街はしっかり守ろうっていう忍田さんの派閥。そしてもう一つが、迅さんが所属する
「親近界民。そういえば…………」
────────────────おっと、違う違う。俺はお前の敵じゃない。向こうの世界には何回も行った事があるし、
王子の言葉に、修は先日の迅の言っていた事を思い出す。
あの時迅は確かに近界民に友好的な発言をしていたし、大方の三門市民にとって
しかし、それは。
最大派閥である城戸派と、真っ向から対立する考えの筈だ。
「だから、玉狛派の筆頭である迅さんと関わりがあるというだけで城戸派閥────────────────特に、スリリングには睨まれ易くなるだろう。その事は、注意しておいた方が良い」
それは王子も承知していたようで、彼は警鐘を鳴らしていた。
「気を付けると良い、オッサム。彼の前では、迅さんの名前を出すのは却って逆効果になる。スリリングは迅さんを、物凄く嫌っているからね」
(どうする? 迅さんの名前を出すのは逆効果だって、王子先輩は言ってた。でも────────)
修は王子の言葉を思い返して一瞬逡巡するが、それよりの自分の立場を明確化させる事が先決だと考え口を開いた。
「迅さんに聞いてくれれば、遊真の事は分かる筈です。だから────────」
「ふん、迅だと? 矢張り奴とグルだったか。裏切り者の玉狛支部が」
(やっぱり。でもこれで────────)
予想通りの反応に修は思わず内心で舌打ちするが、彼の隣に立つ少年────────────────米屋がへぇ、と口元を歪ませた様子を見て狙いの一つが成功した事に確信を抱く。
確かに、近界民への復讐心に捉われ迅に悪感情を持つ三輪に対しては、彼の名前を出す事は逆効果になるだろう。
しかし、迅の名前を出す事で修が独断で行動しているのではなく、
これは、今後の事を考えれば大切な事だ。
ただのB級成り立てに過ぎない修が独断で行動したのであれば厳罰は免れないが、迅の思惑の下行動していたのだとすれば言い訳も立つ。
今この場で三輪を止める事は出来ないが、修が迅の意思で遊真に協力しているという立場は米屋に知って貰う事が出来た。
無論その報告を三輪が握り潰してしまう恐れはあるが、恐らく彼は正直に話すだろう。
三輪としては迅の尻尾を掴んだと思ってそう進言するだろうが、組織としての受け取り方まで彼の意図の通りになるとは限らない。
迅は、ボーダーではかなりの発言力を持っている。
それも、最大派閥である城戸派と真っ向から対立する主張を持ちながら、である。
その理由は、なんとなく見当がついている。
未来視。
迅の持つ、
ラッドの一件を見た限り、彼はその能力を駆使してこれまでボーダーに多大な貢献をし続けて来た。
そんな彼を、今更近界民を庇った程度で組織が切り捨てるのはどう考えてもリスクとメリットが釣り合わない。
故にこそ、迅の後援があると主張する事は肝要なのだ。
「退け、三雲。俺たちは城戸司令の特命で動いている。これ以上邪魔をするようなら、実力で排除するぞ」
問題は。
今この場を切り抜ける手段が、何も思いつかない事だが。
三輪は既に臨戦態勢どころか戦闘態勢に入っており、一切の聞く耳を持つ気がない。
隣の米屋も彼を止める素振りを見せず、むしろ武器を構えていつでも動き出せるようにしている。
A級隊員。
B級隊員の上をいく、修が目指す高み。
その隊長ともなれば、修が戦っても一蹴されて終わりだろう。
自分には、彼を止めるだけの力がない。
「いいよ、オサム。こいつらとは、おれ一人でやる」
「…………空閑」
「心配するな。おれは、強いからな」
だが。
遊真は、別だ。
これまでは正体を隠す為にトリガー使用を控えていたが、既にバレてしまった以上その制限は最早意味を成さない。
彼の強さがどの程度なのか、バムスターを葬った手並みしか知らないが。
それでも、修には想像もつかない程の領域にいるのは分かっている。
彼ならば、大丈夫。
修はトリガーを起動し、黒いボディスーツ姿になる遊真を見て、彼を信じる事にした。
「オサムはチカに付いててくれ。チカ、悪いな巻き込んで」
「…………!」
未だに事態の推移に追いついていない千佳を置き去りに、遊真は二人を庇うように三輪達の前に立つ。
敵意も悪意もない瞳で、遊真はじっと三輪と米屋を見据えた。
「悪いけど、ただでやられるワケにはいかないんだ。そっちがその気なら、抵抗はさせて貰うよ」
「ほざくな、
三輪の瞳が、暗い憎悪に染まる。
それを契機に、遊真一人と三輪隊の戦闘が開始された。