軽量化、速度特化された白の異形が夜の空を駆ける。
一直線、標的である樹里目掛けて凄まじい速度で進んでいく。
現在の模倣躯体ラービット、否。
形こそ先程までのものを
並大抵の攻撃力では遊真に勝てないのは分かり切っているし、そもそも基礎性能で黒トリガーに勝てる筈もない。
加えて、遊真はコアの位置を正確に把握する術があるようだった。
すぐさま鏃に紛れたコアの存在に気付いた事からも、それは間違いない。
本当ならばあのまま標的の近くまでコアのままで移動し、直前になってから躯体を構築する予定だったが気付かれた以上はスピード勝負になる。
遊真がこちらに追いつくよりも早く、標的に到達する必要があった。
だからこそ攻撃性能のほぼ全てを切り捨て、速度に特化させた構成にしてあるのだ。
戦闘行為は、最早余分。
あとは最短最速で、目的を果たすのみなのだから。
『標的付近に護衛用と思われる
臨時躯体は香取の存在を認識したが、目的遂行の為の障害とは捉えなかった。
戦闘力がどれだけあるかは不明だが、こちらが破壊されたとしても目的さえ果たせればそれで構わない。
「
────────そこに、後方から遊真が加速の印で突っ込んで来る。
多少離されていたとしても、この印さえあれば問題なく追いつける。
「…………!」
だが、臨時躯体は空中で
良く見れば、その足元には薄い糸が建物の合間を縫う形で張られている。
臨時躯体は咄嗟にこの糸を用いて足場を形成し、回避行動を行ったのだ。
遊真の
しかしその出力の高さ故、急な方向転換には向かないという欠点がある。
加速力が凄まじい故に、方向転換には強引に停止してそこから行う必要があるからだ。
遊真は臨時躯体に追いつく事のみを目的として加速重視で跳んだ為、敵が予測外の動きをしてそれが空振りに終わった事で、距離が離れてしまっている。
前進に全力を傾けた為、その弊害が出てしまっているのだ。
そして恐らく、もう一度試したところで同じだろう。
臨時躯体は徹底して遊真との交戦を避ける姿勢を取っており、こちらに攻撃しようとする素振りすらない。
再度突撃しても、同じようにいなされるのがオチだろう。
「────────
────────それが、遊真一人の場合だった話であれば。
『────────!?』
空中を駆ける臨時躯体の全身に、無数の黒い鏃が突き刺さった。
遊真からの回避行動を取ったばかりの臨時躯体はそれを避け切れず、まともに全弾を受けてしまう。
速度特化に調整したが故に、小回りが利いていないのはこちらも同じ。
出力の違いから遊真の
今回は、そこを突かれた。
「墜ちろ」
────────他ならぬ、ヒュースの手によって。
警戒区域のただ中に立つヒュースは、アフトクラトルの黒いマントと己のトリガー
彼こそが、迅が用意していた最後の保険。
この場限りで用いる事の出来る、最強の盾だ。
ヒュースはまだ入隊式を迎えていない為、正式なボーダー隊員にはなっていない。
故に他の隊員と共に真っ当に防衛に参加する事は許されておらず、この場にいるのは何とか城戸の許可をもぎ取ったが為であり、それでも様々な制限が課せられている。
その誓約の中には「事情を知る隊員以外に姿を見られてはならない」というものがあり、だからこそ時が来るまでは樹里の近くに秘密の護衛として潜伏していたのだ。
今のヒュースはアフトクラトルのマントを纏っているばかりか、トリガー
これは彼のトリガーである
大規模侵攻では相当数の隊員が角持ちのアフトクラトルの精鋭と交戦しており、今のヒュースの姿を見れば彼の素性など一発で露見してしまうからだ。
トリガーは換装時、予め登録された姿のトリオン体を構築する。
それはヒュースであっても例外ではなく、彼が蝶の盾を使えば必然的にこの姿になってしまうのだ。
登録時の恰好は弄る事自体は出来るのだが、アフトクラトルの技術の粋の一つである蝶の盾を解析するのは容易ではなく、そもそもヒュースがそれに応じなかった。
彼にとっては主の下に帰った時に、預けられていた蝶の盾を弄られていたという事実があってはならないと考えたのだろう。
捕虜にされた時点で今更ではあるが、そこはヒュースも譲れない所だった。
どの道入隊前のヒュースを防衛に用いる自体相当なグレーであったし、蝶の盾がそもそもボーダー外のトリガーである事もあり、彼の意地を通した所で誤差だろうと判断され今に至る。
よって、ヒュースに出来るのは姿を隠したまま遠隔で
正体不明のトリガー
だが、今はそれで充分。
磁力の鏃を撃ち込む事に成功した今、敵の無力化は成したも同然。
ヒュースは磁力を操作し、臨時躯体を地面に叩き落とさんとした。
「…………っ!?」
────────されど、その目論見は崩れ去った。
全身に鏃を撃ち込まれた臨時躯体はその表皮を自ら脱落させ、鏃を削ぎ落としたからだ。
この臨時躯体も、
故に不要となれば捨てる事に躊躇いなどなく、表皮に磁力の鏃が突き刺さっているとなれば猶更だ。
だからこそ表皮ごと剥離させるという手段で排除されてしまい、臨時躯体は一回りその身体を縮小させるだけで磁力の檻から脱してしまった。
「充分だ」
────────されど、それで問題は無かった。
縮小化した臨時躯体に、無数の黒い弾丸が着弾する。
撃ち込まれたのは、遊真の
これは
蝶の盾と異なり磁力で引き寄せるという
ヒュースの役割は最初から、敵を一瞬でも足止めする事。
先の失敗を踏まえてこうなる事もあるだろうと、遊真が備えていた結果だった。
「…………!」
だが。
敵は、まだ諦めてはいなかった。
重石の重量で落下していく臨時躯体の口腔内から、勢い良く一つの影が飛び出した。
それは掌大の大きさを持つ、蜘蛛型の個体。
即ち、
アラフニは躯体の全身に重石を付与された事で装甲を完全に捨て、剥き出しの本体の射出という最終手段に踏み切ったのである。
そして、アラフニは口腔内から無数の糸を吐き出し、夥しい数の糸が触手のように一斉に樹里へ向けて襲い掛かった。
肉眼では視認困難な、極細の糸の群れ。
それが、少女へ向かって殺到する。
射撃や狙撃で撃墜するには、アラフニはサイズが小さ過ぎる。
何せ、小型の女郎蜘蛛と同程度の大きさしかないのだ。
高速で飛翔中で、尚且つそれだけの小さい標的に当てられるような技量を、樹里は持っていない。
最初から準備していたのであればともかく、飛行中の相手に当てるのはそもそも至難の業だ。
咄嗟に撃った程度では、精々掠る程度で終わりだろう。
「
「
あくまでも、樹里
玉狛の二人が、それぞれのトリガーで射出された糸を迎撃する。
ヒュースは回転する巨大な磁力の刃を形成し、糸を切断。
遊真もまた、広範囲の射撃で糸を駆逐しにかかった。
敵が最後にこういう足掻きをして来るだろう事は、承知の上。
一度躯体を乗り捨てての脱出という手段を用いた以上、二度目が無いとどうして言い切れよう。
故に遊真はコアのみの脱出を前提として作戦を組み、こうして二の矢を放ったワケだ。
「させるかってのっ!」
大部分の糸をヒュースと遊真が削った事で、香取は
前面全てにシールドを展開し、残ったアラフニの糸を凌いだのである。
「…………っ!」
だが、それだけでは終わらなかった。
弾かれた糸は一つに束ねられ、ドリルのような形状に変化。
回転する螺旋状の糸がシールドに突き立ち、穿孔。
並程度の強度しかない香取の広げたシールドは耐え切れず、罅割れと共に穴が空いてしまう。
しかも
樹里は射手である為攻撃までにはタイムラグがあり、何よりたった今
万事休す。
そう言って差し支えない、窮地だった。
『────────ッ!?』
だが。
その窮地を、二発の弾丸が救ってみせた。
空中から糸を伸ばしていた、アラフニ本体。
それに、遠方より飛来した二発の弾丸が立て続けに着弾。
小さな蜘蛛型の寄生体は、その身を砕かれ致命傷を負った。
二発の弾丸の、同時狙撃。
こんな事が出来る人間は、一人しかいない。
「佐鳥か…………っ!」
佐鳥賢。
恐らくは彼が、今の攻撃を放った張本人に違いない。
ボーダーの屋上で狙撃支援にあたっていた筈だが、どうやらいつの間にか近くまで来ていたらしい。
香取的に気に入らない相手ではあるが、助かったのは事実。
今は感謝しておこうと、一先ず胸を撫で下ろした。
「…………! 後ろだ…………っ!」
「え…………?」
────────だが。
敵の執念深さは、彼女達の想像を超えていた。
香取達の背後に、音もなく小さな影が躍り出る。
それはアラフニと酷似した、拳大の歪な蜘蛛型の怪物だった。
彼女達は与り知らぬ事だが、先程の糸を放った際、アラフニは自身の予備プログラムをその内一本に載せて、近くに隠していたアイドラの頭部に移植していたのだ。
このプログラムは最低限必要な機能だけを切り取った容量の小さいバックアップデータのようなものであり、撃ち込んだ対象を疑似的な
出力も小さく、活動時間も数分が限度。
しかし隠密性だけは突出しており、こうして背後に現れるまで誰にもその存在を察知させなかった。
虚を突かれた香取を他所に、疑体アラフニが一本の糸を射出する。
その糸は吸い込まれるようにして、樹里の脇腹に突き刺さった。
「…………! あぅ…………っ!?」
「樹里…………っ!?」
瞬間、樹里は身体の中に異物が侵入した不快感で見悶える。
体内に得体の知れない何かが入り込み、染み込んでいく感覚。
それは樹里にとって耐え難いものであり、少女は苦痛に喘ぐ。
「この…………っ!」
苦悶の声をあげる樹里を見て、香取は咄嗟にスコーピオンで疑体アラフニを叩き斬った。
疑体アラフニは抵抗する事なく刃を受け入れ、両断される。
更に香取は敵の放った糸を両断し、樹里の脇腹に刺さった糸を強引に引き抜いた。
「樹里、大丈夫…………っ!?」
「う、うん。ちょっと、気持ち悪いだけ。平気」
「そ、そう。ならいいけど」
はぁ、はぁ、と荒い息を吐く樹里を心配そうに見る香取だが、彼女がこう言っている以上今は信用するしかない。
心配なのは確かだが、専門家でもない自分に出来る事はたかが知れている。
(早いトコ医務室────────────────ううん、この場合開発室の方が良さそうね。何かされてないか、さっさと確かめないと)
今回の敵は、どう考えても樹里一人に狙いを絞っていた。
故に何かしらの悪影響を彼女に齎そうとしたのは間違いなく、今の糸で何かの干渉を受けた可能性は捨てきれない。
今の所極端な恐慌状態やパニックの前兆のようなものは見られないが、念には念を入れる必要があるだろう。
『防衛任務に参加している全隊員に通達する。たった今、敵の完全な駆逐が確認された。現時刻を以て、特殊防衛任務を終了する』
そこで通信により忍田から、任務終了の知らせが入る。
状況終了を認識し、香取は安堵の息を吐く。
こうして、予想外の事態が連続したガロプラ襲撃は収束を迎えたのだった。