『そうですか。樹里ちゃんはやっぱり異常なし、ですか』
「ああ、不思議なくらい普段と変わらんかったよ。バイタルはむしろ、いつもより良好なくらいじゃった」
開発室。
そこで鬼怒田が電話をしていた相手は、誰あろう迅である。
鬼怒田は樹里の診察を終えた後、すぐに迅に連絡を取ったのだ。
今ならば恐らく、電話を取るだろうと。
そう、予感して。
彼の予測は見事に的中し、ワンコールで迅は電話に出た。
そして樹里の検査結果を聞いて、「やっぱり」と繰り返した。
『どうにも、不気味だね。おれもあの
「その、おぬしが視た未来というのはどういうものなんじゃ? 少しでも推測出来る情報はないのか?」
『おれが視たのは、樹里ちゃんが何処かの場所で
ふむ、と鬼怒田は迅の話を聞いて顎に手を当てて考え込んだ。
異変が起きる事はほぼ確定しているというのに、その原因や詳しい経緯が分からない。
迅の未来視は未来の映像、要は
しかも常に未来は無数に分岐しており、一秒前に視えていた未来が何らかの出来事の影響で書き換わる、といった事もしょっちゅうだ。
得られている情報が少な過ぎる為、「そう遠くない未来に樹里に異変が起きる」という事以外何も分からないのが現状なのである。
そうなると対処としては常に彼女の様子に気を配り、何かあった時に即応出来るように備える他ない。
仕方のない事とはいえ、口惜しいと唇を噛む鬼怒田であった。
『そういえば、佐鳥におれの視た未来の事を伝えてくれたみたいですね。手間をかけさせて、申し訳ありません』
「ふん、あ奴にも言ったがお主は少し気を遣い過ぎておる。厚意も度が過ぎれば過保護どころか余計なお世話、というものじゃぞ」
『はは、言葉もありませんね。反省します』
電話の向こうで、迅は乾いた笑いを漏らす。
その真意を見通した鬼怒田は、眼を細めた。
「そうやって悪びれるでない。おぬしが佐鳥の奴に心の準備をさせる為に、敢えて姿を隠してワンクッションを挟んだ事くらいは分かっとる。あまり大人を侮るな」
『…………そこまでお見通しでしたか』
「ふん、やり方は感心せんがお陰で佐鳥が巧い具合に現状を呑み込めたのも事実じゃからな。これ以上の小言は勘弁してやる」
実際、鬼怒田の言う通り迅が姿を隠して佐鳥がその理由を推察し、鬼怒田の下を訪れるという工程を経た事で彼は未来を受け入れる心の準備が出来ていた。
これがもし迅から即座に未来の情報を伝えられていれば、その場で取り乱さなかったとは言い切れない。
過去の経緯もあって樹里の安否には敏感になっている佐鳥なだけに、回避不能の悪い未来と聞いただけで混乱してしまう確率は低くないのだ。
しかし今回、一度迅が姿を隠した事で佐鳥はその理由を考察し、心の準備を行った上で鬼怒田から真相を聞いている。
そうやって間に鬼怒田を挟む事で、佐鳥が状況を客観視しながら至極冷静に事実を受け止める事が出来たのは確かだ。
それは紛れもなく迅の功績である事は間違いないので、鬼怒田もこれ以上は言わない事にしたのである。
されど迅が敢えて露悪的に振舞うのは感心出来なかった為、忠言をした次第である。
『ありがとうございます。じゃあこちらでも、樹里ちゃんの様子に気を配りつつ各所で異変が起きないか
「ああ、頼む。業腹じゃが、それはお主にしか出来ん仕事じゃからの。だが、ちゃんと休息は取れよ。徹夜を続けて見回りをする等といった馬鹿をした暁には、小南をけしかけるからな」
『それはご勘弁。小南、そういう時って容赦ないからね』
また、迅が無理をしないよう釘を刺すのも忘れない。
彼の事だから、トリオン体の仕様を悪用して何日も徹夜続きで調査をする、といった無茶をやりかねないのだ。
実際、これまでにも二徹三徹くらいはちょくちょくやらかしている疑惑があるのだ。
確かにトリオン体になれば睡眠せずに活動をし続けられるが、生身への身体への負担は蓄積される。
しかも睡眠と言う身体の休息を取らなければ、蓄積された疲労が原因で身体を壊すといった事も充分に有り得る。
眠る事で肉体の
一度や二度程度ならばともかく、それが常態化するようであればどんな悪影響が出るかなど言うまでも無い。
迅は己が役割の為ならばと、そういった無茶をしでかす可能性が十二分にあった。
だからこそ、こういった釘刺しは重要なのである。
勿論ただ注意しただけで素直に聞くような相手でもないので、小南という
迅は小南に対しては旧ボーダー時代からの付き合いのある歳の近い相手という事もあり、中々頭が上がらない。
その彼女は迅が無茶をする事を快く思っておらず、前に似たような真似をした事が発覚した際にはその怒りは烈火の如しで、彼を物理的に制圧して強引にベッドに放り込んで寝かせたという出来事もあった。
それを小南の口から愚痴という形で聞いていた鬼怒田は、彼女の事を持ち出せば迅も早々無茶はするまいと考えたのだ。
案の定小南の名前を出された迅は苦い顔を浮かべており、効果は覿面な様子である。
「休む事も仕事の一つじゃ。お主は大学には通っておらんが、社会人になれば体調不良というものは自己管理を怠った方が悪いと判断されがちじゃ。お主が成人した後どういう方向性に進むつもりかは知らんが、自己管理くらいしっかり出来るようにならんと生き抜けはせんぞ」
『おれは…………』
「お主が未来視で街の安全を守る為に進学を選ばなかった事は知っとる。このまま、ボーダーの職員として形式上雇用して未来視に依る貢献に専念する道もあるじゃろう」
じゃが、と鬼怒田は続ける。
「おぬしの散々言っている「平和な未来」が訪れた後、お主はどうやって生きていくつもりじゃ? 考え無しにボーダーに貢献する未来だけではなく、他の道も探しておく事はそれなりに糧となる行為の筈じゃ。その道を、最初から諦めるでない」
『…………平和になった
迅の絞り出すような呟きに、鬼怒田はため息を吐いた。
この少年は「平和な未来の為」と言って邁進し続けているが、いざその理想が実現した後の事については何も考えていない────────────────否。
恐らく、
迅は飄々とした態度をしているが、根は極端に悲観的な現実主義者だ。
基本的に最悪を想定し、現実というものは残酷で願いが叶う事なんてほぼ有り得ないと考えている。
それはアリステラ防衛戦で多くの仲間を、師匠を失った事と無関係ではない筈だ。
迅の未来視は、起こる事が確定している未来であれば数年先まで見通せるが、逆に未だ定まっていない事柄に関しては近々のものしか視る事は出来ない。
彼の謳う「平和な未来」は未だ確定の遠く、現段階では夢物語の類に過ぎない。
遊真や修がやって来た事で明るい未来への道そのものは視えても、その未来の
加えて言えば、その明るい未来がどの程度懸念のないものなのかも判断出来ていない。
精々が「今よりは確実に良くはなる」といった程度で、根本的な解決が行われるかどうかさえ未知数なのだ。
そんな状態で明るい未来の先でどうするか、といった事を考える事など出来なかったのだろう。
理想を謳いながらも何処までも現実主義な迅らしいと言えるが、鬼怒田としては子供がそんな有り様で過ごしているのは到底許容出来ない。
現状が彼の異能におんぶに抱っこなのは承知の上だが、それでも良識ある大人として苦言を呈さずにはいられなかったのである。
「具体的に考えろとまでは言わん。頭の片隅にでも置いておけ。今は、それで充分だ」
『…………はい、ありがとうございます』
「それでええんじゃ。まったく、可愛げのない奴め」
ふん、と鼻を鳴らす鬼怒田だが、その顔は照れ隠しで若干赤らんでいた。
ツンデレだなぁ、と電話口の向こうで迅が思った事など露知らず、鬼怒田はため息を吐いた。
「そういえば、木岐坂達は今頃何をしておるんじゃろうな」
『どうやら、ランク戦についての話し合いをするみたいだね。対戦組み合わせも決まったし、気合い充分って感じだよ』
「成る程。昨日のゴタゴタで忘れかけておったが、夜の部は正常に行われたのじゃったな」
鬼怒田の言う通り、昨夜のランク戦ROUND5夜の部は予定通りに実施された。
香取達はそれどころではなかったが、一夜明けて尚且つ樹里の無事も確認出来た事もあって、次の試合へ意識を向けているだろう。
彼女達には裏の事情を伝えていない事もあって、そうなるのも自然な流れと言えた。
「どれ、次の対戦相手は────────」
『────────王子隊と、
「よりにもよってROUND6でメガネのトコに当たるとか、引きが悪いにも程があるわね」
香取隊、隊室。
そこでは改めて対戦組み合わせを見た香取が、苦い顔を浮かべていた。
「今回は、ヒュースの奴が参戦するんだよな。もう、入隊はしてるのか?」
「してるよ。もうB級に上がってたから対戦してみたけど、弧月一本でやって一度も勝てなかったんだよね」
無論、その理由はヒュースの参戦にある。
以前聞いていた通り、次のROUND6からヒュースが玉狛第二のメンバーとして参戦して来るのだ。
事前にそれを知っていた三浦はヒュースのノーマルトリガーでの強さを少しでも測ろうと挑んだのだが、見事にコテンパンにされている。
それだけヒュースの剣の腕は突出しており、B級上位でそれなりに強者達に揉まれている三浦でも歯が立たなかったのだから相当だろう。
「
「しかも、トリオンもトリガー
「うん。多分だけど、トリオン評価値換算で16くらいあるんじゃないかな。数値だけで見れば、二宮さんより上だと思う」
「ますます反則じゃない。全く、気が滅入るわね」
はぁ、と香取は盛大にため息を吐いた。
近接が強いというだけでも厄介なのに、トリオンまで高いと来た。
技量の方もあの扱いの難しそうなトリガーを自在に使っていた事から申し分ないであろうし、つくづく弱点らしい弱点のない優良選手と言える。
アフトクラトルという軍事国家の精鋭なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、それでもそんな彼が玉狛第二に加わる意味は大きい。
「あのチビ大砲も人を撃てるようになってるっぽいし、空閑の奴は相変わらず油断ならないし、メガネはウザいしでホントチームそのものがキワモノの塊じゃないの」
「たしかに。厄介な駒が揃ってるよね」
うんうん、と樹里も頷く。
ただでさえ、玉狛には常識外のトリオンを誇る千佳と反則じみた応用性と機転を兼ね備えた遊真がいて、それを悪辣と言って良い策謀で指揮する修までいるのだ。
今まででも充分厄介だったのが、ヒュースの加入で
「ログを見たけど、雨取さんが正面から二宮さんと撃ち合いながら移動を続けて、建造物を破壊し尽くしながら周囲のチームを炙り出してそこを空閑くんが各個撃破してってるね。最終的には二宮さんを崩せなくて負けてるけど、それでも二宮隊相手にこの戦果は大したものだよ」
「ホント、巻き込まれた生駒隊や弓場隊が気の毒な試合だったな。まあ、生駒さんが生駒旋空で家越しに雨取を仕留めたのは流石だったけど」
「あれで試合が決まったようなものだよね。雨取さんを失って、二宮さんへの対抗策がなくなっちゃったし。逆に言えばそれさえなければどうなってもおかしくなかったから、かなり厄介なチームな事に間違いはないかな」
ROUND5昼の部では、玉狛第二は二宮隊・生駒隊・弓場隊と当たっている。
そこでは千佳が二宮との正面からの弾幕戦を展開し、それに巻き込む形で建造物を排除。
そうして炙り出された他チームの隊員を遊真が各個撃破する、という方針を取っていた。
結果として玉狛第二は、帯島・水上・南沢を撃破。
しかしそこで生駒旋空が炸裂し、千佳が脱落。
二宮隊への対抗策を失い、そのまま弾幕で押し切られた形だ。
だが逆に言えば千佳の脱落さえなければどうなっていたか分からなかったのも確かであり、前衛不足という弱点が解消された今、何処まで潜在的な脅威力が上がっているかは分かったものではない。
少なくとも、前回戦った時と同じと見れば確実に負けるだろう。
そう思わせるだけの戦力が、今の玉狛には揃っているのだから。
「とにかく、色んな方向から作戦を考えましょう。叩き台は用意してあるし、知恵を出し合って穴を埋めていくわよ。何せ今回は、あの王子までいるんだからね」
そして、次に戦う相手は玉狛だけではない。
自分達にとっては、ある意味因縁の相手。
王子隊もまた、次回の対戦相手となっているのだから。