「次はメガネくんの所とか。二回目になるけど、調子はどうかな?」
「準備は進めてる。けど、まだ色々不安要素はあるかな」
樹里は出水の問いかけに対し、淡々とそう答えた。
その表情は何処か陰を落としており、何かしらの懸念事項があるのが見て取れる。
此処は、太刀川隊室。
樹里は今日もまた出水に師事を乞う為、この場を訪れていた。
彼女が出水に学びたいのは主に戦術思考、座学が中心である為まずはこうして口頭での談話から入るのが常だ。
樹里は元々射手としては一定の技量を持っており、基本的な所は押さえている。
しかしそれでも独学の部分が強い為、出水にはそういった部分の補強や彼女に足りない戦術思考の側面を補う形で師事を行っているのだ。
今回の話題は当然ながら、次に当たる対戦相手の事となる。
出水は修の師匠もしている為彼のプライベートや訓練内容を明かす事はしないが、樹里の側からの質問にはそういったTPOを弁えた範囲内で応えるようにしている。
このような座学の時間では、出水はまずは相手の相談したいであろう内容に関する話を振り、樹里の好きに喋らせる。
イエスやノーで回答が完了する閉じられた質問ではなく、定型の存在しない開かれた質問を行う事で樹里の語りたい、相談したい内容を引き出した上でそれに応えていくのが出水流のコーチングである。
開かれた質問は相手が何を相談したいか、という自覚を促すのに効果的であり、何を質問しようか迷っている相手にはまずはこちらを行ってから会話の取っ掛かりを掴むのが有効となる。
今回もまたその例に漏れず、成る程、と出水は頷いて
「不安要素ってーと、どのあたりだ?」
「んー、と、これ言っていいのかな。えーと…………」
「あ、玉狛の新人の事なら聞いてるぜ。
「…………知ってるんですね。なら話が早いかな。それが懸念事項その1です」
成る程、と出水は得心する。
ヒュース入隊にあたり、黒トリガー争奪戦に関係した面々────────────────即ち、遊真が近界民であると知っている面子には彼の正体について上層部から知らされていた。
玉狛に近界民が入隊するという
他の面々と異なり、彼等は「近界民がボーダーに入隊する」という事例が有り得ない事でない事を知っている。
玉狛が近界民に隔意がない者達である事も情報として理解しているし、何処から来たかも分からない実力の高い新人が修のチームに入ればその背景を想像する事は難しくない。
だからこそ、上層部は予め彼等黒トリガー争奪戦参加メンバーにはヒュースの正体について通達していたのだ。
よって太刀川隊、冬島隊、風間隊、三輪隊、嵐山隊に関してはヒュースの素性については既知の情報となっている。
以前ならばそこで三輪が噛みついていただろうが、迅との確執を解消した今の彼が敢えて反応する事はなかった。
内心では色々複雑な想いがあっただろうが、それでも闇雲に噛みつくだけの状態から卒業した今となってはそれを表に出す事はしないだろう。
遊真の事があった当時の三輪を見ていた者からするとその豹変ぶりに驚くだろうが、元来の彼は物静かなタイプに属する。
近界民への憎悪を剥き出しにしている事自体無理をしている部分があり、憎しみというモチベーションを切らさない為に自分自身を追い込んでいる側面もあった。
今は自らを見つめ返す事で無理にモチベーションを上げずとも戦意が維持出来るようになっている為、そういった側面は鳴りを潜めている。
そんな彼を見て東や二宮が成長した後輩を見るような温かい視線を向けていた事は、言うまでもない。
なお、その東もヒュースについての情報は知っている。
彼についてはほぼ幹部みたいなものなので、特例枠のようなものだ。
実際本部長補佐の役職が出来上がった時に沢村とどちらがその役職に就くか候補になった事があり、東の側が辞退した為彼が役職持ちになるのは先送りになった。
そういった立場なので重要機密であるヒュースの正体についても知らされており、いざという時の隠蔽工作にも協力して貰う事になっている。
ボーダー内の影響力を考えると最適の人材であり、口の堅さも保証されている為彼を除く理由は何もない。
兎角、そういった経緯でヒュースの事について聞いていた出水は香取隊が彼と大規模侵攻で交戦したという情報も掴んでいる。
その為樹里の懸念事項がヒュースと言う大型新人の加入にある事を見抜き、指摘したワケだ。
「それはやっぱり、強力な新人が入ったからかな」
「そうですね。ヒュースくんの強さは知っているし、ノーマルトリガーを使ったとしても判断力は軍人のそれだろうから、侮れない相手な事は分かってる。トリオンもわたしより多いしね」
「確かにそうだな。おれは伝聞でしかそいつの実力は知らねーけど、トリオン量がおれや二宮さん以上ってだけでも警戒対象だろ。判断力も確かとなりゃ、猶更だよな」
出水自身は今言った通り、ヒュースの強さに関しては伝聞でしか知らない。
しかし自分以上のトリオンを持ち、軍属なだけあって戦術にも明るいとなれば侮れないのは当然だ。
近界出身の軍事関係者という事で例に上がるのは遊真だが、彼の戦術眼の確かさと凄まじいまでの機転の利きようはこれまでの試合で明らかになっている。
トリガーの応用についても他の追随を許さないレベルであり、特にグラスホッパーとスコーピオンの習熟度は入隊してさして経過していない隊員としては考えられないレベルとなっている。
元々この二つのトリガーは自由度が高く応用性の広いものである為、遊真の自由な発想力の下で使いこなせばそうなるのは自明でもあった。
その遊真と同じ軍事関係者であるヒュースだが、彼と遊真とでは決定的に違う部分がある。
それは、大きな組織の下でそれに忠実に従って来たか否か、である。
遊真はカルワリアで長く戦って来たが立場としては傭兵に近く、講和が成立した後すぐに出奔出来た事からも組織に対する忠誠心自体は皆無であり規律に関してもそこまで執着してはいない。
一方ヒュースは根っからのアフトクラトルの軍人であり、組織に対する忠誠や規律は芯から叩き込まれている。
その為規範となるものに関して両者にはズレがあり、遊真が基本的に個人の目的を優先するのに対してヒュースは主命の遵守を第一とする。
一方で二人共共通するのが自身の最優先事項を組織ではなく対象個人に置いている事であり、遊真であれば修、ヒュースであれば主君であるエリン家の当主がそれにあたる。
遊真は修とボーダーが天秤にかけられれば迷わず前者を取るし、ヒュースは主君の命が危険に晒された現状迷う事なくそちらを取ろうとしている事からもそれが分かる。
飄々としながらも誠実な遊真と生真面目に見えながらも最終的には情で動くヒュースとの相性は実のところ悪くはなく、連携面でも不安はないだろう事が予想される。
近界出身のエース二枚看板は、見た目以上の脅威となるのは確実なのだ。
「自分を
加えてヒュースは軍属である為前線での組織の一員としての効率的な戦い方をというものを知っており、傭兵故に単騎での遊撃の経験が大部分を占める遊真ではカバー出来ない部分を補えるという意味でも脅威となる。
傭兵の戦い方というものは最終的には自身の生存と契約達成が最優先事項となり、違約とならない範囲で戦働きを行った上で生還する事を第一とする。
反面軍人というものは組織としての勝利を至上にしている為、時には自身を捨てて全体の勝利に貢献する、というやり方はヒュースの方が慣れている。
これは
敵としてもヒュースほどの大駒を無視する事など出来る筈もない為、これは相当に厄介な要素と言える。
エース級が平然と自分自身を捨て駒とする戦術を選択肢に入れられるのは、そのエースが落ちても勝ち筋が残るチームとしては大きな強みだ。
これまでの玉狛第二は遊真が落ちれば勝ち筋がほぼ潰えていたが、ヒュースの加入でその弱点は消え去った。
だからこそ、ヒュースはいざとなれば捨て身の作戦を実行出来る。
それが相手にとっては何よりも脅威だと、出水は言う。
いざという時の手札が一枚増えるだけで、出来る事の引き出しは無数に増えていくのだから。
「でも、次の試合はMAP選択権もないし、ヒュースくんのトリガー構成も不明。多分中距離用のトリガーは何かセットして来るとは思うけど、どういう構成で来るかは読めないし」
「ふぅん、なんで中距離用のトリガーを使って来ると思うんだ?」
「単純に、あのトリオンなら使わない理由がない。わたしもそうだったから」
樹里の言うように、トリオン強者がその強みを活かすのであれば中距離用のトリガーを入れない選択肢は無い。
所有者のトリオンに応じて強くなるのがトリガーの常であるが、それがより明確な形で現れるのが中距離用のトリガー、即ち射手トリガーや銃手トリガーである。
トリオンが増えれば単純に威力や射程が上がるし、濫用しても早々にトリオン切れに陥る事もない。
ブレードトリガーの場合は元々一定の強度や威力は担保されているし、並のトリオンの者が使ってもシールドを割るには充分な事から、トリオン強者が使ったところで眼に見える程の変化は出ない。
樹里もそう考えて早々に攻撃手から射手に転向したクチである為、自分以上のトリオンを持つとなれば中距離用のトリガーをセットしない手はない、と考えたワケだ。
「それに、戦った時に使ってたトリガーが明らかに中距離用のものだった。トリオンのコントロールにも長けてるっぽいし、射手トリガーは間違いなく入れて来るんじゃないかと思ってる」
加えて、大規模侵攻の時にヒュースが使用していた
あの時ヒュースは磁力の鏃を利用した中距離戦に専念しており、自分から近付いて鍔迫り合いを行おうとはしなかった。
当時の立ち回りを考えるにヒュースの本領は中距離戦であり、その制御能力を活かすならば射撃トリガーは外せないだろう、というのが樹里の読みであった。
「へぇ、ちなみにどんなトリガー使ってたんだ?」
「磁力を操るトリガー。黒い磁力の粒を操作して、色々やってた」
「成る程、そりゃ面白そうなトリガーだな。一回使ってみてー」
「ん、昨日の夜の戦いでは使ってた。多分本人、というか玉狛が保管してるんだと思う」
ふぅん、と出水は眼を細めた。
今の情報は敢えて喋る必要のないものであり、このあたり樹里の脇の甘さが伺える。
この情報を知ったところで出水がそれを利用するような事はないが、少々迂闊だな、とは考えていた。
そういう駆け引きも後で少しは教えとくか、と思案する出水であった。
「じゃあ樹里ちゃんは、ヒュースがどういう戦術を使って来ると思ってるんだ?」
「三浦先輩が弧月を使ってるヒュースくんと戦ったって言ってるから、多分
王子隊は全員がハウンドを装備し、中距離戦に対応可能とした攻撃手を二人擁している部隊だ。
ヒュースは弧月を使っていた事からも王子隊に近い立ち回りを可能とする万能手的な戦術を取るであろう可能性が高く、更に言えば火力では彼等とは雲泥の差がある。
あくまでも平均的なトリオンしか有しない王子隊と異なり、ヒュースには樹里や出水以上という潤沢なトリオンがある。
トリオンの大きさが火力と直結するのは樹里自身が証明している事であり、いつ何処で高火力の射撃が飛んで来るか分からない弧月使い、というのはそれだけで厄介だ。
三浦が弧月一本での勝負でボロ負けした事からも近接戦闘能力の高さは申し分なく、前衛も後衛も高水準でこなせるエースというのは立ち回りの自由度が高くチームとしても重宝するだろう。
それだけの駒が玉狛第二に加入した事は、目下頭痛の種と言える。
「それで、出水先輩に相談があるんだけど」
「お、なんだ?」
「合成弾は、出水先輩が考案した。合ってる?」
「おう、そうだぜ。やってみたら出来たんだ。すげーだろ」
不意の樹里の質問に、出水はそう言って自信満々に答える。
質問の意図は不明だが、確かに合成弾は出水が考案したものだ。
やってみたら出来た、という天才しか許されない過程なのは置いておいて、事実は事実であるのだから。
「質問。今確認されてる合成弾は、
「ああ、今んトコ試した事あんのはそれくれーだな。それがどうしたんだ?」
「────────じゃあ、
「…………!」
続く樹里の質問で、出水は眼を見開いた。
突飛な発想に驚いた、のではない。
彼女が何を問いたいのかを、理解したからだ。
「────────つまり、試したい合成弾の組み合わせがあるって事か?」
「うん。
「確かに、どういう効果になるかについても想像がつくしな。出来ねー事はねーと思うぜ────────────────やってみっか」
うん、と頷く樹里を見て、出水は面白い事になった、と顔をにやつかせながら自隊の訓練室へ向かった。
その後、出水は桜子とコンタクトを取りある交渉を取り付ける。
それが何なのかは、言うまでもない事であった。