「やあオッサム。今日はやってくれたね」
「王子先輩、ご無沙汰しています。今回は胸を借りられたようで何よりです」
ボーダーの廊下で出会った王子に対し、修は普段通りの様子で何の気負いもなくそう告げた。
からかい交じりに絡んだ王子も王子だが、それに対し何の気負いもなく「胸を借りた」と言ってのけた修も修である。
結果としては玉狛が三点、王子隊が二点と玉狛側が勝っているので「胸を借りた」という言い方は正しくないのだが、修としては戦術で読み負けて早々に落とされた事は事実なので、別に挑発で言っているワケではないのだ。
「ふふ、それでこそだ。今日ほど、君を弟子にして誇らしかった日はないかもしれないね」
しかし、それで怒り出すような王子ではない。
むしろ面白がる有り様で、喜色満面の笑みで修を歓迎した。
このあたり、矢張り似た者師弟と言える。
一般的な感性を何処かに置いて来た奇人師弟は、ごく自然に意思疎通を成しながら笑い合うのであった。
「どうせならヒューストンを引き入れた経緯とかも聞きたいところだけど、それは多分君にとって「言えない事」の範疇にあるとぼくは見ている。だから敢えて尋ねはしないけれど、他の人は恐らく好奇心の方が先に来る筈だ。そのあたり、考えはあるのかな?」
「大丈夫です。色々と
「成る程、それなら大丈夫そうだね。けど、
「了解しました。ありがとうございます」
そう言って、修は頭を下げる。
今のやり取りは、「ヒュースの事について聞かれた時どうするのか?」という、王子なりの気遣いであった。
ヒュースは今回の試合で活躍し、相応に目立ちもした。
ならば当然、その
しかし王子は独自の推察と直感から、それが修にとって
だからこそ敢えて尋ねはしないのだが、他の者は普通に聞いて来るだろう。
そうなった時の「備え」はあるのかという懸念に対し、修は「是」と答えた。
王子はそれを聞いて一先ずは問題なさそうだと判断し、「協力ならいつでもするからその時は声をかけてね」と念押ししたのである。
修は王子にとって、大事な弟子である。
今は休業中とはいえ、その看板自体を下ろしたつもりもない。
故に弟子が困窮していれば手を差し伸べるのは吝かではなく、推察通りなら中々に厄介そうな「素性」を背負っているヒュースへの疑念は場合によっては大事になりかねないので、此処でいざという時の協力には応じる用意がある、とアピールしたのである。
人を頼る事の重要性については既に教えてあるし、こう言っておけば一人で抱え込む事はないだろうという算段もあった。
なんだかんだで修に対し愛着が湧いている、王子らしい気遣いと言えた。
「ともあれ、君の────────────────いや、君
「ありがとうございます。叶えます。必ず」
王子の激励に対し、修はそう言って頭を下げる。
必ず果たす。
その確固にして強靭なる意思の下、修は改めて己が意思を告げるのであった。
「君がそう言うなら、安心出来るね。じゃあまたね、オッサム。色々片付いたら、また隊室でお茶しよう」
「はい、楽しみにしています。それでは、また」
そうして、二人の師弟は別れた。
王子は、何処か楽し気な笑みで。
修は、いつも通りの自然体で。
それぞれ別の方向へと、歩みを進めるのであった。
「ある程度
「ありがとうございます。菊地原先輩」
修はそう言って、菊地原に礼を告げる。
素直に好意を返された菊地原はむぅ、と何処か居心地悪そうにしながらも、満更でもなさそうだ。
「ふん、万が一があるとぼく等にまでしわ寄せが来るからね。その為の働きなんだから、勘違いしないでよね」
「それでも、わざわざ動いて下さった事は事実です。助かりました」
「別にいいよ。何度も言うけど、君の為じゃないんだから」
菊地原はお手本のようなツンデレムーブをかまし、修は一切気にせず素直に感謝を告げる。
このあたり、素直になれない菊地原と常に本人は生真面目で何処かズレている修らしいやり取りと言えた。
今回修が菊地原に頼んでいたのは、「ヒュースに関して妙な事を口走っている人間がいないか」という調査である。
ヒュースの素性については、菊地原を含めた風間隊や太刀川隊といった遊真の出自を知る黒トリガー争奪戦に関連した者達を始めとした一部の隊員には通達されている。
機密を伝えた人員は「ヒュースの素性に辿り着く可能性がある、もしくは辿り着いた際に事前に伝えておいた方が都合が良い」と考えられた面々に限定されている。
遊真の素性について知る者達はあからさまな外国人らしき容姿と並外れた実力を持つヒュースを見れば、自然と彼の
普通なら「有り得ない」と断じる可能性であっても、遊真という
一つでも判例があるのであれば、「もしかして」という可能性には容易に辿り着けるものなのだ。
本来ならばまず挙げない想定であっても、類似例があるのであれば推察は可能だろう。
そうなった時に余計な面倒を避ける為、上層部はメンバーを限定して事前に通達する事にしたワケである。
機密を共有したメンバーについては修にも通達されており、その人員内であればヒュースの件に関して協力する許可は貰っている。
だからこそ修は、菊地原に情報収集を事前に依頼していたのである。
修はヒュースを入隊させるにあたって、早期に「彼の素性が疑われる」可能性について懸念していた。
これは本来ならば事が起こって初めて気付く類の懸念であっただろうが、幅広い分野の教育を王子から受けていた修はそうなる前に推察する事が出来たのである。
王子は戦術に関連する内容は勿論、交渉ごとやいざという時の立ち回りなど、とにかく雑多な分野に関連した講義を修に行っていた。
修は戦う才能については皆無に等しく、そんな彼を伸ばすのであれば座学を中心にするのが最も効率が良いと王子はすぐに気付いていた。
だからこそ王子は個人技を伸ばす訓練よりも、座学の時間を多めに取って指導を行っていた。
自分の弟子が色々と厄介ごとに首を突っ込む性質なのは早期に理解していたので、とにかく何か起きても大丈夫なように色々な知識を詰め込んでいたのである。
その教導の成果は着実に実を結んでおり、今回修がヒュースの件についての懸念に気付けたのも彼の指導の賜物と言える。
ともあれヒュースについて余計な噂が出回らないか警戒していた修は、菊地原にそれを調べるよう頼んでいたのだ。
強化聴覚の
故に彼は試合終了後ラウンジ等を回り、噂話好きなC級の面々がヒュースについて余計な事を口走っていないか聴いて回っていたのだ。
傍目から見れば適当にラウンジで寛いでいるようにしか見えず、座しての諜報活動が可能な菊地原にとってはさして難しい作業でもなかった。
その結果としてヒュースに関連する余計な話は出て来なかった為、こうして報告に来たのである。
修は一先ずその結果に安堵し、菊地原に改めて感謝した。
確かに修の懸念は真っ当なものだが、今回に限っては杞憂ではあった。
ヒュースはあの大規模侵攻の際、香取隊としか接敵していない。
彼は
撃破後に護送した烏丸も人気のないルートを通って玉狛まで移送している為、修や三輪が避難誘導していたC級の面々と鉢合わせる事もなかった。
これがC級を広く市民の避難誘導に用いていれば話は違っただろうが、早期に敵の狙いがC級の鹵獲であると気付いたボーダーの方針によって、それは事前に防がれた。
万が一妙な噂が広がった時の為に根付と相談の上、場合によっては東を通じて噂の上書きを行う予定であったが、この分ならその必要はないだろう。
玉狛支部については親近界民を掲げる妙な支部という認識に加え、とにかく滅茶苦茶強いメンバーが揃っている事でも有名だ。
S級隊員の迅や
その為、ヒュースが新人ながら並外れた技量を見せても「玉狛だからなぁ」と納得する空気が出来ていたのである。
そうなると平凡どころか個人としては弱小極まりない修の事が揶揄されそうではあるが、彼は大規模侵攻の一件でC級から英雄視されている。
彼等にとって修は自分達が危ない所に駆け付けてくれた紛れもないヒーローであり、本人が弱くとも強力なチームメイトを駆使して勝ち上がっていく様子はC級にとっては英雄の凱旋に等しく映り神聖視されていた。
故にそもそも修の事を貶しかねない事を口走ろうものなら周囲のC級から白眼視される事は確実であり、そんな空気の中で余計な事を宣える者はC級隊員にはいなかったのである。
修の活躍については彼等自身の口から広く伝えられており、ハッキリ言って彼の人望は本人が与り知らない所で天井知らずに上がっている。
そんな自分の評判など知る由もない修だが、今回はそのお陰で余計な労力を使う必要がなくなったとも言える。
それを自分の耳で
基本的に口が悪く人見知りな菊地原にとって、自分の毒舌をものともせず素直に好意を返してくれる修の存在は貴重である。
彼にとって自分から会話を行った相手は基本友達認定であり、修がどういうジャンルに置かれているかは瞭然である。
菊地原は相手の悪い所、改善点を注意はするがそこをどうすれば良いか明確には口にせず、相手が察するのを期待する女性的な感性を持っている。
基本的に菊地原は自分の言動から相手がこちらが言いたい事を察するのを待つ傾向があり、それが出来ない相手とは自然と距離を取る。
しかし修は王子の教導や本人が持つ元来の性質もあり、菊地原流の意思疎通にはしっかり応じる事が出来ていた。
だからこそ最初の関門をクリアし、尚且つ菊地原の毒舌にも一切怯まない修は晴れて彼の友達枠入りを果たしたのである。
「取り敢えず、何かあれば伝えるけどそれでいい?」
「はい、その時はお願いします」
「いいよ別に。大した労力じゃないしね」
故に、こうして厚意を返すのも吝かではないのだ。
聴こえ過ぎる自分の耳を鬱陶しく思っている菊地原にとって情報収集の継続は言う程容易い事ではないのだが、この後輩の為ならば、と密かに奮起した結果である。
普通ならばこんな事は言いださないし、頼まれても余程の事がない限りはやらないだろう。
しかし修に対する好意がかなり高くなっている菊地原にとって、この程度の事は最早当たり前だ。
確かにやる事と言えばラウンジ等で周囲に聞き耳を立てる程度であるし、そこまで耳を澄まさなくとも自然と聴こえて来るので特別な労力自体は必要ない。
だが実質的な効果がないとはいえ普段は周囲の音が聞こえ難いように髪を伸ばして耳を隠す程自身の副作用を厭うている菊地原が自分からこう言いだした事自体、相当に珍しいのである。
それだけ彼の修に対する好感度は高く、菊地原の友達想いな面が透けて見えていた。
「そういえば、今回君達負けたよね。あと二試合しかないけど、大丈夫なの?」
「少々厳しくはありますが、ヒュースも入ってくれたので何とかします。必ず、目的は果たします」
「ふぅん、ならいいけど。まあ、精々頑張ればいいんじゃない?」
今回三点しか得られなかった事も、菊地原は若干気にしていた。
一位の二宮隊がこれまでかなりの得点を稼ぎ、香取隊もそれに追随する勢いが付いているので、今回香取隊に6点も取られたのは修にとってかなりの痛手である。
しかし修に動揺はなく、むしろ何らかの算段があるようにも思える。
この調子なら心配ないかな、と一人判断し菊地原は踵を返した。
「じゃあね。何かあれば連絡するから」
「はい、ありがとうございました」
修が一礼したのを見届けて、菊地原はその場を立ち去った。
その顔に微かな笑みが浮かんでいたのは、気の所為ではないだろう。
後日、修との会話内容をうっかり漏らしてしまい風間から揶揄されるのはまた別の話である。