「────────行くぞ」
開戦の狼煙を挙げたのは、太刀川だった。
太刀川は地を蹴り疾駆すると、そのまま勢いを付けて突貫。
迅へ向かって、斬りかかった。
「おっと」
その攻撃に対し、迅は風刃を抜刀。
淀みのない動きで、斬撃を防御。
硬質な金属音が、夜の路地へ鳴り響く。
「────────」
更に、そこへ風間が追撃に加わる。
音もなく忍び寄った風間は、その手に持つスコーピオンを無造作に振り抜く。
狙うは、太刀川の剣を受け止めている風刃を持つ迅の腕。
一撃で急所を狙うような迂闊な真似は、しない。
そんな甘い攻撃が通用するような相手ではない事は、百も承知。
故に、風間は堅実に部位破壊を狙う。
風刃は、刀剣の形をしたトリガー。
それを扱う腕を斬る事が出来れば、一気に戦況を優位に傾かせる事が出来るからだ。
「────────」
当然、それを易々と受け入れる迅ではない。
迅は太刀川の刃を受け止めていた風刃を持つ腕を押し返し、その勢いを利用して後退。
風間の刃を回避し、更に距離を取ろうとバックステップを踏む。
「────────ハウンド」
そこへ、歌川が素早く展開したハウンドを撃ち放つ。
無数の弾丸が獲物を追い立てる猟犬の如く、逃げる迅へ殺到する。
「よっと」
それに対し、迅は迷いなく跳躍。
嵐山達のいる屋根の上へと、一瞬で退避する。
光弾は地面へ着弾し、着弾音が周囲に鳴り響く。
「────────!」
そして、お返しとでも言うように嵐山と時枝がアサルトライフルを掃射。
ほぼ一塊になっていた太刀川達は、素早くその攻撃を回避。
しかし、それこそが彼等の狙い。
回避行動を取った太刀川達の隙を突き、迅と嵐山隊は大きく後退。
一瞬で、家屋の向こうへと姿を消した。
「このまま、あいつらに連携をさせるのは不味いな。黒トリガー故の弱点を、突く事が出来ない」
「ああ、まずはあいつを嵐山隊から引き離さなきゃ駄目だなこりゃ。姿を晦まされて風刃を引き撃ちされちゃ、眼も当てられねぇし」
風間と太刀川はその様子を見て頷き合い、三輪の方に振り返る。
「三輪、迅は俺と風間隊が担当する。お前は出水と一緒に嵐山隊を足止めしろ。当真は必要だと思った方を援護すればそれで良い」
「了解」
「へいへい、了解っと」
太刀川の命令に三輪と当真は迷いなく頷き、行動を開始する。
こうして、黒トリガー争奪戦の戦いの火蓋は切って落とされたのだった。
「多分、太刀川さん達は三輪隊を使って俺とお前等を分断しに来るだろうから、そっちを担当してくれ。多分当真さんもそっちに行くと思うから、気を付けて」
「了解した。お前も気を付けろよ」
「ああ、勿論だ」
迅の提案を迷いなく了承し、嵐山は隊を率いて行動を開始する。
太刀川の目論見には、当然気付いている。
迅が持つ、黒トリガーの使い手としての特有の弱点。
それを突く為には、ノーマルトリガーを持つ者が一緒にいてはならない為に分断を狙って来るのは当然の事と言えた。
黒トリガー、風刃は強大な力を秘めたトリガーだ。
ブレード本体の性能も勿論、その真の力である遠隔斬撃は攻撃面に於いて強力無比。
一度狙われれば、抗う事は容易ではない。
しかし同時に、風刃は防御面に使える能力が
風刃は、というよりも黒トリガーは通常ノーマルトリガーと併用する事は出来ない。
これは黒トリガーがボーダー規格のトリガーとは異なり、独自の仕様を持つ武器である事に由来する。
量産品としての汎用性を追い求めたボーダーのトリガーとは異なり、黒トリガーは
それ故にノーマルトリガーと同時に使用する事が出来ず、本来ボーダー隊員が標準装備でセットしているシールドやバッグワームといった有用なトリガーの恩恵を受ける事が出来ない。
つまり、普通の隊員であれば誰でも行えるシールドでの防御やバッグワームでの隠密といった行動が、迅は一切行えないのだ。
先程のハウンドに対し、防御ではなく回避という行動を取った要因の何割かはこの性質に起因する。
トリオン体そのものの強度は、どれだけのトリオン量を持つ者であっても変わらない。
つまり、どんな攻撃であれそれがトリガーを用いたものであれば、直撃すればダメージを受けてそれが重篤なものであればトリオン体の崩壊に至る。
黒トリガーによって莫大なトリオン量を得ている迅であっても、それは例外ではない。
故に、風刃を持つ今の迅は文字通り剣一本で戦う事を強いられる。
そういった性質を理解しているからこそ、太刀川達は迅と嵐山隊の分断を狙って来ると推測出来た。
(ま、これはこれで願ったり叶ったりだからね)
何故、このまま連携を続けずその思惑に乗るのか。
それは、自分達と彼等の間に純粋な
こちらの戦力は迅と嵐山隊、そして風間の推察通り戦場に付いて来た樹里の合計6名。
対して太刀川達は四部隊の戦力、合計10名がいる。
A級でもトップクラスの力を持つ者達がそれだけの数揃っているという事実は、到底無視出来るものではない。
確かに、迅の持つ風刃は強力であるしそれと未来予知を併用した彼の戦力は計り知れない。
嵐山隊も順位こそA級五位ではあるが、その連携力は決して侮る事が出来ず部隊の練度も非常に高い。
それでも尚、戦いに於いて数の力というものは馬鹿に出来ないのだ。
突出した戦力がいるとは言っても、自分達より勝る数の精鋭が相手とあれば油断など出来る筈もない。
だからこそ、相手が戦力を分けて来るのであればそれは一つのチャンスでもあった。
最も厄介な太刀川と風間隊を迅一人で引き受ければ、残りは嵐山隊で対処出来る。
それが、迅の目算だった。
別段、三輪隊を侮るつもりはないがこれが最も勝率が高い。
迅は冷徹に、そう判断していた。
「だから、樹里ちゃんは好きなように動いて良いよ。佐鳥共々、その場で最善と思う行動を選んで欲しい」
『了解』
「動いたな。行くぞ」
「ああ」
太刀川は迅と嵐山隊が二手に別れるのを見て、行動を開始した。
予定通り、太刀川と風間隊は迅を。
三輪隊と出水は、嵐山隊を追った。
想定通りの状況に、太刀川は内心でほくそ笑む。
迅がこう動いて来るだろう事は、想像出来ていた。
彼は、自分の力を過信するような愚者ではない。
こちらの力を正しく認識し、最善と思える行動を取る事が出来る。
だからこそ、こう動かざるを得ない。
嵐山隊を侮る気は微塵もないが、正面から総力戦をやれば数で勝る太刀川達が有利なのは自明の理だ。
極論、前衛で防御に徹して出水や歌川に射撃を引き撃ちさせ続けるだけでも相当に優位に戦える。
出水のトリオン量は二宮には及ばずともボーダーでもトップクラスに高く、その攻撃を防御し続けるのは容易ではない。
向こうにも同等のトリオン量を持つ樹里がいるが、彼女の本職は狙撃手。
軽々に姿を見せるような事があれば、それこそ望む所だ。
彼女は射撃トリガーも使えるとはいえ、その攻撃を掻い潜る手段など幾らでもある。
少なくとも、太刀川と風間であれば不可能ではない。
だからこそ、迅は太刀川の思惑に乗ったのだ。
その方が、結果的にマシになると判断したが故に。
(実際は、そんな派手な戦いをしながらあまり時間をかけ過ぎると玉狛の面々が増援に来る可能性があるからな。俺等としても、こっちの方がありがたい)
太刀川としても、その方が都合が良かった。
総力戦でぶつかる事自体に異論はないが、そうなると相当に派手な戦闘になる。
今回に置ける玉狛支部の他の面々のスタンスが不明である以上、時間をかけ過ぎれば増援としてレイジ達がやって来る可能性があった。
可能性としては非常に低いだろうが、それでもボーダー最強部隊である玉狛第一という戦力は決して無視出来るものではない。
レイジと小南は、迅と同じく一人で一部隊換算される程の実力者。
その参戦は、戦況を大きく傾けかねない。
無論負けるつもりはないが、彼等が一人でも戦闘に参加すれば大幅な不利が予想される。
だからこそ、徒に時間をかけるワケにはいかなかったのである。
(それに、折角迅と戦える機会だ。それじゃ、面白くねぇよな)
それに、今回はかねてより切望していた迅との戦いだ。
だからこそ、気兼ねなく正面からぶつかりたかった。
恐らく、そんな太刀川の心境は迅も理解しているのだろう。
故に、この行動は二人が暗黙の了解で示し合わせた末のものだとも言える。
二人の目論見が偶然重なったというよりは、好敵手同士お互いの腹を読み合った、と言った方が正しい。
互いに、この戦いにかける熱意に嘘はないと信じて。
彼等は、示し合わせたように行動したのである。
(お前の思惑がなんであろうが、遠慮するつもりはねぇ。全力で、お前の予知を覆してやる。覚悟しろよ、迅)
「来たか」
「…………!」
三輪は路地の向こうで待ち構えていた嵐山を視認し、知らず唇を噛む。
此処は通さないとばかりに立ちふさがるその姿が、今の彼には自身の想いを阻む理不尽な壁に見えて他ならなかった。
(く、冷静になれ。嵐山隊は、感情のままに斬りかかって勝てるような甘い相手じゃない)
激憤しそうになる感情を力づくで抑え込み、三輪は合流した米屋に視線を向ける。
米屋は分かっているとばかりに前に出て、槍型の弧月を構えた。
「ま、色々思う事はあるけどさっさと戦ろうぜ。考えるのは、俺等の仕事じゃないしな」
「お前に同意するのは癪だが、その通りだな。そういうのは、俺等の柄じゃねぇ」
「珍しく意見が合うな、弾バカ」
「お前に言われたくねぇよ、槍バカ」
出水と米屋は漫才のようなやり取りを繰り広げ、それを見た三輪は自然と肩の力が抜ける。
いつも通りと言えばいつも通りの光景だが、それが三輪の精神に一定の落ち着きを取り戻させた。
そうだ、何を迷う。
それに従う自分は正しい、正しい筈なのだ。
嵐山の言葉で揺れていた精神を、無理やりに納得させる。
たとえそれが、本人すら誤魔化しきれない欺瞞であったとしても。
戦闘に向かう以上、余分な思考は
今は、戦いに集中すべき。
それが分からない程、三輪は愚かではなかった。
「行くぞ」
「ああ」
「了解っと」
三輪は銃と剣を。
米屋は槍を構え、それに続くように出水が両脇に二つのトリオンキューブを発生させる。
射手である出水の、
その最大威力の攻撃を、初手で解禁する。
「おっと」
否。
それは、
遠方より飛来した一発の弾丸は、トリオンキューブを解除した出水の展開したシールドによって受け止められた。
最初から、両攻撃は囮。
それによって、闇に潜む狙撃手を釣り出す事が狙い。
射手の
しかし同時に、それは一切の防御を行えない諸刃の剣でもある。
相手が同じ射手であれば弾同士をぶつけて相殺も可能だが、何処から来るか分からない狙撃相手ではそうもいかない。
だからこそ、射手の両攻撃状態というのは狙撃手にとって格好の狙い時でもあるのだ。
それを理解しているからこそ、出水は敢えて隙を見せたように見せかけて狙撃を釣り出した。
(二発じゃなく、一発か。これが二発なら、相手が佐鳥だって確定出来たんだがな)
しかし、想定外の事もあった。
隙を見せれば、佐鳥が得意のツイン狙撃を使って狙って来ると出水は踏んでいた。
佐鳥は狙撃手としての能力は高いが、半崎程ではないとはいえ引き金は軽い方だ。
半崎は高い狙撃技術を持つが故に、狙撃の成功を最優先する気質がある為比較的引き金は軽い。
それは彼の技量の高さの証明でもあるのだが、奈良坂や当真等と比べるとやや視野が狭いと言わざるを得ない。
たとえるなら、彼は狙撃手版の南沢に近いと言える。
佐鳥の場合はそういった勇み足をするワケでもないが、出水という厄介な駒を排除出来るタイミングを逃す程機に疎くもない。
優秀であるからこそ、行動は予測し易い。
そう考えて釣り出しを敢行したが、撃って来たのはツイン狙撃ではなく通常の狙撃一発。
これでは、撃ったのが佐鳥なのか樹里なのか判断がつかなかった。
(樹里ちゃんが撃って来る可能性を考えて全力で
場合によっては狙撃の威力でどちらかを確定出来たかもしれないが、今回の場合それはリスクが大き過ぎた。
樹里のトリオン評価値は、出水と同じ12。
トリオンに応じて上がるのが威力ではなく射程距離であるイーグレットであれば片手の集中シールドでも防御は出来たが、もしも彼女がアイビスを持ち出して来ていた場合は
生半可な防御では貫かれる攻撃が放たれる可能性があった以上、出水の選択は間違ってはいなかった筈だ。
撃って来るのが佐鳥だけであれば他にやりようもあったが、樹里もまた佐鳥とは別のベクトルで引き金が軽い。
佐鳥の場合はリスクを承知で機を逃がさない性質が故の軽さだが、樹里の場合は位置がバレたとしても充分に戦えるから、といった要因が大きい。
出水に匹敵するトリオンを持つ元射手である彼女は、射手として動いても相当なレベルで戦える。
だからこそ、狙撃手の弱点である「位置バレした後の脅威度激減」といった常識が通用しない。
故に、樹里の引き金は比較的軽いのだ。
狙撃手としての経験が薄い事もあるが、それ以上にそれこそが彼女にとって最適な戦い方であるが故に。
(やっぱ、性格悪いな
出水の勘は今の狙撃は十中八九佐鳥だろうと告げているが、相手が樹里である可能性が消えない以上迂闊な行動は出来ない。
何より、
バッグワームを解除していない以上大まかな方角しか分からない為、ある程度距離がある以上逃げられてしまう可能性も存在するのだ。
仮に佐鳥である事が確定出来れば、米屋を送り出す手もあった。
しかし、もしも相手が樹里であった場合は彼女の高出力の射撃の脅威に米屋単独で立ち向かわせる事になってしまう。
そう考えると、単騎で刺客を送る事は躊躇われた。
それは三輪も同様の考えのようで、険しい表情を隠せていない。
此処での判断が、趨勢を分ける。
間違えるワケにはいかないが、この場での指揮権は三輪にある。
ある程度の進言はするが、最終的な判断は彼に委ねると決めていた。
(まあいいさ。どちらにしろ、俺は自分の仕事をするだけだ。此処はひとつ、射手としての年季の違いってやつを、見せてやろうじゃないの)
出水は知らず、不敵に笑う。
ボーダー屈指の天才射手は、強敵との戦いを前にこれ以上なく奮い立っていた。