「────────へぇ、成る程ね」
冷たい声が響く。
此処は、香取隊室。
そこでは香取の手で再招集をかけられた面々、樹里を除く香取隊のメンバーが揃っていた。
あの後、天羽からの情報を得た若村は自分一人で抱えるには重過ぎるそれを持て余した結果、一先ず隊で情報の共有をしようと香取に電話をかけたのだ。
つまり、「今天羽からこういう話があった」という報告を。
それを聞いた香取は通話越しでも分かるくらい声の温度が低くなり、「全員集合」と短く告げるとすぐさま樹里以外の隊員に隊室に再度集まるよう招集をかけたのだ。
その結果として四人が隊室に集まったワケだが、そこで待っていた香取の放つ怒気は尋常ではなかった。
目つきは鋭く、苛立たし気に机を叩いている指は鬱血するほどの力が込められていた。
相当に鬱憤が溜まっているのは見れば分かる程で、これでも皆の前だからと抑えている様子すら伺える。
叶うならば叫び散らしたいところだろうが、それを何とか理性で押し留めている感じだ。
その怒気を間近で感じて若村は正直ビビりっぱなしで、しかし自分の持って来た話が全ての大本なので逃げるワケにもいかない。
結果、鬱屈と怒りのオーラを放っている香取と及び腰ながらも話が始まるのを待つ若村という構図が出来上がった。
ちなみに三浦は冷や汗をかきながらも空気を読んで黙っており、華は事の成り行きを静かに見守っている。
「葉子、話を詰めましょう。こういう時は理詰めでどうにかしないと始まらないわ」
訂正。
どうやら華も相当に腹に据えかねている様子で、下手をすれば香取以上に憤っていた。
理性的に見えてはいるが、内心がどうなっているかは想像すらつかない。
滅多に見ない華の怒りモードに若村はどう反応して良いか分からず、怒気に満ちた空間でただ話が始まるのを待っていた。
香取は華の促しを受け、「そうね」と頷く。
ふぅ、とため息を吐いた後香取は話を始めた。
「…………要するに、樹里に何かあるって事なのよね。天羽の話だと」
「あ、ああ。ハッキリと何がどうってのは分からないみたいだったが、何かはあるって話し方だった」
そう、と香取は眉間に皺を寄せる。
そして再度、溜め息を吐いた。
「つまり、鬼怒田さんが異常なしって言ったのは嘘だったってワケ?」
「その可能性は低くないわね。ただ、鬼怒田さんでも見抜けなかった異常って線もあるから決めつけは良くないけど」
「どっちにしろ、何かあるってのは分かってんだから開発室に殴り込む以外に道はなくない? 仮にもしも誰も気付いてない話ってんなら、伝えとかなきゃ駄目じゃないの?」
香取は華の言葉に対し、そう反論した。
確かに万が一誰も気付いていない異変であるのならば、それを伝えて対処を促すべきだろう。
正直、今の樹里にはブラックボックスが多過ぎる。
そもそも、香取の知る幼少期の樹里は黒髪黒目で今のような白髪の虹彩異色などではなかった。
再会した時は数年ぶりに会えた喜びを最優先した為深くは突っ込まなかったが、どう考えてもあの外見の変貌ぶりはおかしい。
いなくなった数年の間で
華が掴んだ情報によれば近界に関連する事柄なのは確定しているが、その仔細までは不明なのである。
そんな彼女に起こっている異変など、ハッキリ言って皆目見当もつかないというのが正直なところだ。
先日の防衛戦における未知のトリオン兵に受けた攻撃が原因だろうという事までは推察出来るが、分かる事といえばそれくらいだ。
具体的に何がどうなっているか全く把握出来ていないのが現状であり、香取達に出来る事といえばどうにかなる技術を持っているであろう所に駆け込むくらいなのである。
だからこそ言葉尻は喧嘩腰ながらも開発室に行く事を提案しているのだが、華はいえ、と首を振った。
「恐らくだけど、
「え?」
「迅さんよ。未来視を持つ迅さんなら、樹里に何かあったのなら確実に気付く筈よ」
あ、と香取はハッとなって顔を上げた。
確かに、未来視の
そして迅がそれについて既知だと仮定するのならば、上層部の誰にも報告をしていないというのは考え難い。
言われてみれば当然の事に、香取は得心する。
「なら、鬼怒田さんも知ってたって事?」
「少なくとも、今現在は知っていると思うわ。迅さんなら、わたし達が開発室に行った未来を視てその後まで報告を遅らせる、くらいの事は出来そうだもの。あの時どうだったかはともかく、今は承知しているでしょうね」
「なら、猶更殴り込むべきじゃない? あの子の事だったら、アタシ達にだって知る権利くらいあるじゃないのっ!」
ギリ、と香取は歯噛みして怒りを露にする。
誰も異変に気付いていない、という事態は回避されたと見て良いが、それならば猶更自分達だけが蚊帳の外に置かれた事が気に喰わない。
大切な幼馴染の一大事を知らされていなかった、という事に香取は相当に腹を立てていた。
どういう理由があるかは分からないが、下手をすれば何も知らないまま最悪の事態が訪れていた可能性もゼロではないのだ。
こんな仕打ちをされて黙っている程、香取の情は薄くはない。
本質的に情深く激情家である彼女だからこそ、今回の事は見逃すワケにはいかなかった。
「それは悪手よ、葉子。現時点で、証拠は何もないんだもの。天羽くんの証言だけじゃ、根拠として弱過ぎるわ」
「なんでよ?
「ならないわね。天羽くんは要するに、「何となく樹里に異変の兆候があるみたい」だと言っているだけで、詳しい事までは知らない様子だったもの。そうなると、彼の言っている事は直感に基づいた主観的な証言と見做されて、客観的な視点に欠けるわ。これだと、証拠不十分でシラを切られるのがオチね」
しかし華はそう言って、香取の訴えを棄却した。
確かに今回、天羽は「樹里に何か異変の兆候
これを根拠にして殴り込んでも、「具体性に欠ける」だの「検査では異常は見つからなかった」と言って言い逃れ出来る余地は充分にある。
故に現状で開発室に向かっても、得られるものはないというのが華の見解であった。
「そもそも、検査で異常がなかった事自体は事実である可能性が高いわ。仮に明確な異変があったのなら、流石に伝えて来ているでしょうし」
「どういう事よ?」
「今回、わたし達に樹里の異変を伝えていない理由は大きく二つほど考えられるわ。一つは、単純に機密上の理由。組織としての何らかの都合等の理由で、情報規制をかけているであろうというのは充分に考えられるわ。わたし達は、機密保持に関してそこまで信用はされていないでしょうから」
華の言う通り、機密上の理由で情報を制限している可能性は高い。
樹里に関する事柄はボーダー内でも限られた者しか知らない様子であり、上層部も取り扱いに細心の注意を払っている様子すら伺える。
それだけ重要度の高い機密事項であれば、特に組織上の実績がなく機密保持の面でも信用する理由が見当たらない自分達に対して情報を出し渋るのは十二分に有り得るだろう。
確かに香取や華は幼馴染の為であれば、平然と機密事項を漏洩させる可能性がある。
それに関しては華も香取も内心で意見を同じくしていた為、ぐうの音も出ない理由であった。
「もう一つは、上としても具体的な事は分かっておらず、現時点で知らせても意味がないと判断されている可能性ね。わたしは、こっちが濃いと思っているわ」
「なんでよ?」
「その方が、辻褄が合うからよ。順を追って説明するわ」
華はまず、と前置きして話し始めた。
「何か明確な異常があって、尚且つ早急に対処が必要な事態であればいつも樹里と一緒にいるわたし達に情報を教えない、というのは考え難いわ。少なくとも、「何か異変があったら報告してくれ」の一言くらいはあっても良い筈よ」
でも、と華は続ける。
「実際には、その一言すらもなかった。これはつまり、ボーダーとしても具体的な根拠までは掴めていなくて、最悪迅さんの未来視しかまともな情報がない可能性もあるわ」
「それでも、迅さんがそういう未来を視たなら動く理由としては充分じゃないの?」
「いえ、わたしも迅さんの
華の言は、的を射ているように思える。
確かに具体的な対策が出来るのであれば、それをやらない理由はないだろう。
そういった動きがないという事は、つまり具体的にどう動けば良いかボーダーとしても分かっていない可能性の方が高い。
迅の未来視についての子細な情報は知らないが、推測の上でならば仮説は立てられる。
その結果としてこういった状態である可能性が高いと、華は結論しているのだ。
「だから、教えても無駄に不安を煽るだけだと判断されている可能性が高いわ。少なくとも、悪意や保身から情報を出し渋っているのではないと思う」
それに、と華は続けた。
「迅さんが、天羽くんがわたし達に情報を与える事を見逃している筈がないわ。もしどうしてもこの事を知らせたくないのなら、あの人が止めているでしょうし」
あ、と香取は気付く。
未来視を持つ迅であれば、天羽が若村に情報を与えようとした事が視えた時点でそれを止める事も出来た筈だ。
それをしていないという事は、天羽経由での情報伝達を迅が黙認したという事を意味している。
「恐らく、天羽くんの行動は迅さんなりの配慮なんじゃないかしら。具体的な事は分かっていないけれど、それでも異変の兆候がある事自体は伝えたい。思惑としては、そんな所でしょうね」
「じゃあ、どうしろってのよ。アタシ達は、指を咥えて見てろっての?」
いいえ、と華は首を振る。
そして、顔を上げて決意に満ちた瞳を見開いた。
「樹里に何かあった時、すぐに動けるように心構えと準備を欠かさない事。それが、わたし達に今出来る最善だと思うわ」
「よう、天羽」
「迅さん。今来たって事は、今回のおれの行動は思惑通りって事でいいの?」
天羽はそう言って、声をかけて来た迅を胡乱な目で見上げた。
此処は、ボーダーの屋上。
そこから夜空を眺めていた天羽の下に、迅が訪れたという格好だ。
迅は天羽の問いかけに対し、そうだな、と頷く。
「概ねはね。やっぱ気付いてたんだ」
「当然でしょ。時間はあったのに、止めに来なかったんだから」
でも、と天羽は続ける。
「本当に良かったの? 香取とか、開発室に殴り込んじゃいそうだけど」
「その
「別に心配してるワケじゃない。ただ、これで香取隊が何らかの処罰を喰らうようなら少し後味が悪いから気にしただけ」
ふん、とそう言って天羽はそっぽを向いた。
要するに自分の行動が原因で香取隊、ひいては若村の立場が悪くなる事を気にしているのだろうが、迅はそのあたりのフォローは抜かりない。
立場上暗躍で動くのが常ではあるが、ボーダー内の人間関係を徒に悪化させたくなどはないのだ。
必要とあれば憎まれ役になる事も辞さないが、だからといって不和を無駄に広げる理由もないしそもそもやりたくもない。
目的の為に手段を択ばないというだけで、迅の性根自体は善性なのだから。
「あと────────」
「それから、遠征の事まで発破をかけてくれたのは有難いよ。今後の事を考えると、間違いなくプラスになるからね」
「…………未来のおれと会話しないでよ。それ、今から言うつもりだったんだけど?」
「ごめんごめん、ついね」
まあいいけど、と天羽はため息を吐く。
迅は常に未来の映像を見続けている関係上、相手が話す事を口にする前に知ってしまう事が多々ある。
彼としても現在と未来の境界が曖昧になりがちであるので、本人は既知の事柄であっても相手が喋る前にそれを先んじて話題にしてしまう、といった事は割とあったりするのだ。
このあたりは、日常的に未来を視ている弊害と言えよう。
「ともあれ、これで香取隊がより良い未来へ進む為の切っ掛けは作れた。感謝してるよ」
「…………ところで、さ。木岐坂って、本当に大丈夫なの? あの様子だと、近い将来何か起きそうなんだけど」
「それはまだ、分からないとしか言いようが無いな。何かが起きるのは分かってるけど、具体的にどうなるのかが未知数な状態でね」
でも、と迅は続ける。
「その時の為に、備える事は出来る。時間が充分にあるとまでは言えないけど、準備は欠かさないつもりだよ」
「そう。それならいいけど。おれも必要なら手は貸すから、その時は言ってよ」
「ああ、勿論だ」
迅はじゃあな、と言って踵を返して屋上を去る。
その後姿を見詰めながら、天羽は無言で立ち上がる。
もう一度だけ夜空を見上げ、黒トリガー使いの少年は一人その場を後にするのだった。