「さて、今後の方針を決めていくわよ」
香取は隊室に戻るなりふんす、と鼻息を荒くさせながらそう宣った。
当然、状況の変化に付いて行けていない若村と三浦は困惑顔だ。
その様子を見て、華がはぁ、とため息を吐く。
「葉子、それじゃあ伝わらない。まだ、詳しい説明もしていないんだし」
「そうね。じゃあ、任せたわ、華」
「任されました」
華の取り成しにより香取はあっさりと引き下がり、説明役を譲り渡した。
実のところ、香取も事情の全てを理解しているワケではない。
彼女が理解した部分は、二点。
一つ、樹里に何らかの危機が迫っており、その発生が回避不能である事。
一つ、何かが起こった場合に頼れるのは誰なのか。
他にも色々言っていたが、要約すればこの二点だけを押さえておけば良いと香取は判断した。
なので隊で意識の共有と統一をしておこうと思い立ったのだが、順序立てての説明であれば華の方が適任なのは言うまでもない。
彼女なら自分では補足出来ない部分も説明してくれるだろうと、香取はあっさりと引き下がったワケだ。
他の誰かがしゃしゃり出て来たのであれば香取は反発しただろうが、華ならば大丈夫という信頼がある。
香取にとって華はこういう時に全幅の信頼を置ける存在であり、迷う事など一切ない。
互いが互いを信頼する幼馴染だからこそ、余計な言葉は必要ないのだった。
「じゃあ、説明するわね。まず、樹里に今後何らかの異変────────────────要するに悪い事が起こる、っていうのが迅さんに視えたって話よ。これはいいかしら?」
「え、ええ。迅さんの未来視でそういう未来が視えた、んですよね?」
「そう。そしてどうしてそうなるかは原因不明で事前の解決は不可能。こういう話だったわ」
華はそう言って、第一の前提を話す。
即ち、今後樹里に起こる回避不能の異変についてだ。
今回の発端は、天羽が持って来た「樹里に今後異変が起こる兆候」についての話だった。
それに端を発した話し合いの後、香取は佐鳥を呼び出して何か知っている事が無いか尋問した。
これは香取の独断専行に見えるが、事前に話を聞いていた華も黙認した為半ば隊としての総意に近い。
基本的に香取隊の中で決定権を持っているのは香取と華の二人なので、両者の間で意思統一がされた場合止める者は誰もいない。
若村と三浦は発言権が低いし、樹里はそういった事には基本ノータッチでそもそも今回は内容が内容なだけに彼女だけには知らせていない。
結果として華公認の下、佐鳥への尋問が実行されたワケだ。
その結果として迅からの予知の内容を聞いていたのが彼だけではなく鬼怒田も同様であったという言質を得て、華達は開発室へと殴り込んだ。
丁寧に事を進めてはいたが、彼女達にとっては殴り込み同然の意識であった事は言うまでも無い。
そしてそこで、鬼怒田から話を聞く事が出来たワケだ。
「鬼怒田さん達開発室もこの事は知っていて、現時点でこの未来を回避する方法はない、って事だったわ。原因も不明なのだから、無理もない話だけど」
「一応、原因で思いつくのがあの時の蜘蛛みたいなトリオン兵の攻撃よね? あれくらいしか心当たりがないけど、どうなのかしら?」
「わたしもそこは同意見ね。今後また近界民絡みの何かが起こる可能性はあるけれど、現時点の情報の中ではそれが発端である可能性が濃厚と見ているわ」
彼女達にとって、樹里の異変に繋がる心当たりといえば件のガロプラ侵攻の際に襲って来たトリオン兵による攻撃である。
あの時、蜘蛛のような姿をしたトリオン兵から樹里は攻撃を受けている。
その時の苦しみようが尋常ではなかった為、香取の脳裏にはあの時の光景が焼き付いている。
今後樹里に何か異変が発生するとすれば、あの時の事が発端である可能性は高いと言えるだろう。
「でも、それなら検査で異常がなかったってのは変よね。どうしてなのかしら?」
「恐らくだけれど、近界の未知の技術が関わっているんじゃないかしら。近界に関する事柄は未だブラックボックスが多いし、現時点で分かっている事はそこまで多くはないと思うの。だから、開発室の検査でも分からない事があっても不思議ではないわ」
問題は、検査でも異常が発見出来ず解決策が分からないという点だ。
香取は訝しんでいたが、何の事はない。
ボーダーは未だ、近界の全てを理解出来ているワケではないのだ。
当然未発見の技術など幾らでもあるし、解析が出来ない類のものなどあってもなんら不思議ではない。
近界は広く、この世界は未だトリガー技術後進国の分類であるのは間違いないのだ。
戦争が日常である近界と異なり、今のボーダーは基本的に自分から戦争に関わる事はない。
大規模侵攻の時は戦争状態とはなっていたが、あれは例外中の例外だ。
戦争は技術革新を招く切っ掛けと成り得るものであり、それが日常的に行われている近界では命の価値が軽い。
即ち人道を無視した人体実験も平然と行われている事が多いのが近界であり、そういった手段は後先を考えさえしなければ技術の革新的な発展を齎す近道となる。
無論ボーダーでそんな真似は絶対に出来ないしやらない為、人体に関するトリガー工学の分野で近界に後れを取っている事は事実なのだ。
故に今のボーダーでは解析不能な技術がある事は確かであり、今回はそういったケースだろうというのが華の見解であった。
「けど、それなら何か起きた時解決出来なくない? 原因が分からない、ってんじゃお手上げだと思うけど」
「そこは問題ないわ。恐らくだけど、鬼怒田さんのあの反応を見る限り、樹里に起こる異変っていうのは間違いなく
「暴走…………? まさか、樹里が突然暴れ出すとかそういう感じ?」
ええ、と華は頷く。
「これまで、樹里の事情を知っているであろう人物は一貫して、彼女に対して細心の注意を────────────────言い方を変えれば、腫物を扱うようにしているように見受けられたわ。葉子も、それは感じてたんじゃない?」
「…………そうね。まるで樹里が危険人物みたいに扱われてて、正直気分が悪かったわ」
二人の言う通り、確かにこれまで樹里の事情について既知であろう者達は彼女に対してかなり慎重な姿勢を見せていた。
それは傍から見れば危険人物に対する警戒のようにも見えた為、香取としてはあまり気分の良いものではなかったというのが正直なところである。
「もしも樹里に起こるであろう異変が「樹里を害する何かの存在」であれば、警戒の眼は近界側に向く筈なの。けれど、彼等は一貫して外ではなく内────────────────つまり、樹里本人にこそ最大限の警戒を払っていた。これは事実よ」
そして、彼等の警戒の仕方もあからさまであった。
もしも樹里に関する異変が近界からの襲撃に関連する事柄であれば、彼女を害する
しかし、事情を知る者達は一貫して「樹里の様子」の方を最優先で気を払っていた。
これが最大のヒントであると、華は告げる。
「要するに、彼等が警戒しているのは樹里が外部から害される可能性ではなく、その逆────────────────彼女
「…………!」
そう、華の言う通り、彼等の警戒は常に樹里の状態にこそを対象としていた。
それはつまり、樹里に起こる「異変」とは
華は、そう言っているのだ。
「考えられるのは、樹里が何らかの切っ掛けで暴走状態に陥る事ね。多分だけど、さっき鬼怒田さんが挙げていたメンバーのうち一部は以前に起きたその状態の時に鎮圧に関わっているんじゃないかとわたしは見ているわ」
「なんでよ?」
「鬼怒田さんが挙げたメンバーを思い出して。風間隊は上層部から直接指示を受けて裏で動く事が多い部隊だし、事情を知っていても違和感はないわ。佐鳥くんも、樹里のあの懐きようからして一緒にいて不可抗力的に巻き込まれたものと予測出来る。その関係で、嵐山隊が何かを察していても不思議じゃない」
でも、と華は続ける。
「────────木崎さんと小南先輩は、玉狛支部の人間よ。上層部でも慎重に扱っている樹里の情報を、何の事情もなく軽々に話すとは思えないわ」
あ、と香取は眼を見開く。
確かに、今回鬼怒田が挙げた人間の中でレイジと小南だけが異質なのだ。
二人は玉狛支部の所属であり、ボーダー内の最大派閥である城戸派とは表向き対立関係にある。
無論実情はもう少し複雑だろうが、何の理由もなしに彼等に機密事項に類するであろう樹里の情報を知らせているというのは考え難いのだ。
「つまり、あの二人には情報を知らせざるを得ない事情があった。その理由として真っ先に思い浮かぶのは、荒事に必要だったから、っていうのが可能性として一番高いわ。彼等はボーダー最強部隊、一人で一部隊換算の精鋭中の精鋭だもの」
そして、その
レイジと小南はボーダー最強とされる玉狛第一のメンバーであり、一人で一部隊換算として扱われる精鋭中の精鋭だ。
防衛任務の時もこの二人だけは一人で一部隊分として扱われてシフトを組まれており、これはボーダーが公認で「この二名であれば一人だけで一部隊分の働きが出来る」と認められているも同然なのだ。
当然それだけの評価を受けるだけの実力をこの二人は備えており、そこに異論を挟む者などいるワケがない。
ボーダー最強部隊というのは、伊達ではないのだ。
「つまり、この二人は樹里が過去暴走状態になった時に鎮圧に動いた可能性が高いの。要するにそれだけ、暴走した樹里の脅威度というのが高いという証明でもあるわ」
「要するに、風間隊だけじゃどうにもならなかったって事? 流石にA級部隊相手に、樹里一人じゃ厳しいと思うんだけど」
「忘れた? 樹里には、
そういえば、と香取は思い出す。
樹里はその強化視覚により、近距離でカメレオンを使用している者の位置を看破する事が出来る。
最近はカメレオンを使って来る敵がいなかった為すっかり失念していたが、その特性が活きるのであれば風間隊とは相性最悪の筈だ。
何せ、風間隊はカメレオンによる隠密戦闘を主軸とした部隊である。
最大の武器が潰されるとあっては、幾らA級部隊とはいえ厳しい戦いになるのは言うまでもない。
「勿論、普段の樹里なら付け入る隙は相応にあるから正面から風間隊とぶつかっても勝てはしないでしょう。でも、暴走状態の時どれだけの無茶な強化が入るか分かったものじゃないもの。少なくともボーダー上層部が脅威を感じる程度には、危険な状態だったと思われるからね」
無論、今の樹里がまともにやって風間隊に勝てるかは別の話だ。
相性が悪い程度であっさり負ける程A級の看板は軽くないし、カメレオンが通じずともやり様は幾らでもあるだろう。
しかし、樹里の暴走状態はボーダー上層部が危険視する程の何かがあるのだ。
一部隊の働きだけで簡単に鎮圧出来るのならあそこまでの警戒は不自然であるし、そうなった時の樹里の脅威度は高めに見積もっておいた方が良いだろう。
少なくとも、レイジと小南の二人の出動要請がかかるレベルであると認識するべきだ。
「わたしが言いたいのは、樹里の異変が起きた時には確実に荒事────────────────暴走状態の樹里との戦闘の発生が予測されるわ。その時の戦力として当てに出来るのが、鬼怒田さんが挙げたメンバーだと思った方が良いでしょうね」
結論として、樹里に異変が起きた際には確実に過剰と思われるレベルの戦力が必要になるという事だ。
確かに言われてみれば挙げられたメンバーは全員がA級であり、戦闘能力も折り紙付きだ。
それだけの人員を挙げている以上、荒事が起こる可能性は非常に高い。
鬼怒田の言う「頼れる相手」というのは、実力的な意味でという側面が非常に大きいと華は見ているワケだ。
「樹里の事情を知っている相手であれば、動いて貰う時に話がスムーズに通る可能性が高いわ。だから決めておくべきは、真っ先に誰を頼るかだけど────────────────正直、この部分は鬼怒田さん経由で決めて貰った方が面倒がないわ。現状、わたし達には何の権限もないのだし、何かが起こった時には即座に開発室に一報を入れた方が良いでしょうね」
でも、と華は続ける。
「場合によっては、即座に鬼怒田さんが動けないケースも考えられるわ。だからその時、挙げられたメンバーの中で手を貸して貰う事が出来る相手とコンタクト出来る手段は確保しておいた方が良いと思う」
「つまり、何が言いたいワケ?」
簡単よ、と華は顔を上げる。
そして立ち上がり、口を開く。
「────────玉狛に、行きましょう。まずは木崎さんと小南先輩の二人に面会して、いざという時の渡りを付けに行くわよ」
こうして、華の一声により方針が決まった。
向かう先は、玉狛支部。
香取隊にとっては色々と因縁深い支部、その初訪問となる。