「あ、やっと来た。賢、行こ」
「はいはい、っと。ごめんねー、待たせちゃって」
佐鳥はそう言って、マンションの前で待っていた樹里の下へ近寄った。
目の前まで来た佐鳥に対し、樹里はその手を掴んで握り締めた。
ぎゅうう、と力強く掴まれる腕の具合から、佐鳥は彼女の不満の度合いを理解する。
これ、結構拗ねかけてるな、と。
直感的に、佐鳥は目の前の少女の不機嫌具合を察していた。
「待ちきれなくて、出て来ちゃった。だから、賢」
「うん、分かったよ。まずはいいとこに行こっか」
「…………! うん」
なので、取り敢えず彼女の好物で釣る作戦自体は成功したようだ。
少女の好きな和菓子店の名前を出した瞬間樹里の顔はぱぁっと華やいで、にこにこ笑顔へ変身する。
単純だなぁ、と思わなくもないが、見た目が妖精みたいな儚げな容姿である樹里がやると純粋な絵面の破壊力も大したものなので、むしろ愛おしさが勝る。
初見の異性であれば見惚れてしまいかねない代物でもあったが、幸い佐鳥は樹里の笑顔には慣れている。
無事に普段通りの対応を行い、るんるん気分で歩き出す樹里に引っ張られるままに佐鳥は歩を進めた。
(仕事を急いで終わらせた甲斐があったかな。そこまで手間がかかるものじゃなくて良かった)
実は佐鳥は先程まで、広報部隊に関係したとある打ち合わせに参加していた。
香取達に連行されていた時に迫っていた仕事がこれであり、怒気を放つ少女達相手でもしっかりとその事は伝えてあった。
広報部隊として任されている仕事なので、流石にすっぽかすワケにはいかない。
そういった機微を理解出来ない華ではないので、効果は覿面だったというワケだ。
華は確かに重い感情を持つ少女だが、同時にTPOをしっかり弁えた常識人でもある。
切羽詰まった状態であればともかく、早急な異常事態でも起こらない限り他者の歩みを止めてまで何かをするという気概ではない。
だからこそ佐鳥は香取に連行された後、華に対してその事を告げていたのだ。
香取は基本的に感情を第一に動くので、彼女に直接話しても言い訳だと取られて相手にされないのが目に見えている。
故に佐鳥は大人しく連行された後に、その場に居合わせた華相手に自分は仕事の時間があるから長居は出来ないと伝え、無事に彼の意思は汲み取られたワケである。
佐鳥は樹里に関連した事柄で香取隊には少なくない数関わっており、相手の性格についてもある程度把握している。
社会に出て仕事をする以上、付き合いで得た情報から相手の為人を把握するのは必須スキルだ。
メディアにも多く出ている佐鳥にそれが出来ない筈もなく、華に関してどういう人格の持ち主なのか、という
よってこの取引が成立出来たワケであり、向こうもこちらの思惑は承知の上だろう。
今回の情報を得た香取隊がどう動くのか、想像は出来ていたが為に。
佐鳥はこうして仕事を手早く終わらせて、樹里を連れ出しているのだ。
(取り敢えず、いいとこのどら焼きで機嫌は担保出来そう。待たせちゃったのは悪かったし、少し奮発するかな。多少、急な誘いではあったしね)
香取達から解放された直後、佐鳥は仕事に向かいながら樹里に連絡を取り、用事が終わったら迎えに行くからと彼女を家に帰らせた。
これは万が一にも樹里に香取達が話をしている内容を聞かれないようにする為の処置であり、彼女達の行動をスムーズに行えるようにするアシストでもあった。
今回、香取達は樹里の
であるならば、万が一にも樹里がその話の内容を聴いてしまう事態に至ってはならない。
軽々に樹里の事情を明かせない理由が此処にあり、この件に関しては彼女の前で話をする事自体がそもそもタブーだ。
故に佐鳥は予め彼女を家に待機させ、香取達の行動との
悪いと思わないワケではないが、事情が事情なだけに致し方ない。
佐鳥は樹里に対する不義理よりも、彼女の安全をこそ第一とする。
その為であればこのくらいの事は、幾らでもやる。
それが、佐鳥なりの誠意なのだから。
「────────で? 賢。また、わたしは仲間外れなんだね」
「え?」
「答えなくて良いよ。賢がこうしていきなり連れ出してくれる時は、大体わたしがいたら都合の悪い所から離す為だろうからね」
だが、それを察せない程樹里は鈍くはなかった。
佐鳥が何かを答える前に、その表情の微細な変化から彼女はこちらの思惑を見破ってしまっていた。
内心で慌て始める佐鳥に対し、樹里ははぁ、とため息を吐く。
「忘れた? わたし、この
「あー、そういえばそうか。参ったなぁ」
説明を聞き、佐鳥は項垂れた。
確かに、以前彼女は言っていた。
自分は眼が良過ぎるから、相手の表情の微細な変化まで把握する事が出来、一緒に過ごす時間が多い相手なら普段との差異から軽い嘘発見器のような真似が出来ると。
どうやら佐鳥の態度は相当に分かり易かったらしく、既に確信を持っている様子だった。
「内容は、言わなくても良いよ。多分、わたしの為なんだろうから」
「…………怒らないの?」
「うん。わたしの為に何かしてくれてるってのは、感じれるから。だから、良い。何も聞かない。それでいいんでしょ?」
「ああ、助かるよ。御免ね、樹里ちゃん」
佐鳥はそう言って、胸を撫で下ろす。
大丈夫だと思ってはいたが、こうして言葉にされた事で安堵する。
樹里は割と我が儘で面倒な性格はしているが、それでも聞き分け自体は悪くない。
ちゃんと筋が通っている、もしくは誠意がしっかりしていれば、彼女はこちらの秘密に対して深くは突っ込まない。
自分の事をあれこれ詮索されるのが嫌いだからか、彼女は他者に対して軽々に踏み込む事をしない。
それは彼女なりの自他の線引きであり、己が定めたルールのようなものだった。
今回はそのスタンスに救われた形であり、既に樹里は話は終わりとばかりに佐鳥と腕を組み歩き始めている。
腕にダイレクトに感じられる柔らかな感触に辟易しつつも、佐鳥は顔を上げた。
(そろそろ、着いた頃かな。迅さんの言う通りなら、きっと────────)
「よく来たな。まずは座れ、茶を持って来る」
「はい、ありがとうございます」
玉狛支部。
相当に大柄な体格のレイジは目の前に立つだけで相当な威圧感があるが、彼が着けているエプロンの所為で何処か家庭的な印象が強く、むしろ何処か微笑ましい。
香取はあからさまに何か言いたそうにしていたが、華が一瞥すると諦めてそのまま着席した。
今回の交渉では自分が矢面に立つと事前に彼女に伝えてあった事もあり、香取にでしゃばるつもりはないようだ。
勿論突発的に前に出て来る可能性は充分あるので、気配りは忘れない。
幼馴染の操縦については、既に慣れたものであった。
「あ、来た来た。あたしとレイジさんに用事って聞いてるけど、何かしら?」
そこへ、小南がやって来た。
この様子だと、レイジは彼女にこちらの用件は伝えていないらしい。
失念していたとも思えないので、恐らくこの場で話した方が的確だと考えたのだろう。
華の見た限り小南は隠し事が得意なタイプではないので、事情を知れば態度に出るのは明白だ。
樹里の事情を無暗に他者に知られるのは、些かマズイ事くらいは分かる。
だからこそ、レイジはこの場での情報共有まで余計な事を言わないようにしたのだろう。
あちらもあちらで、身内の操縦については慣れたもののようであった。
「それは────────」
「待たせた。菓子は適当に摘まんでくれ」
小南に返答しようとする華に割り込む形で、レイジはお茶と茶請けの菓子をテーブルに置いた。
そうして、レイジは小南に華の対面のソファーに座るよう促して自身も横に座る。
その様子にただ事ではない気配を感じたのか、小南は素直に従った。
頃合いだな、と考えて華は話を切り出した。
「単刀直入に言います。お二方は以前、樹里の事情に巻き込まれた────────────────いえ、
「…………!」
「…………」
華の話の内容に、小南の眼の色が目に見えて変わった。
既にある程度話を通していたレイジは、ふぅ、と息を吐いて顔を上げた。
「電話である程度聞いてはいるが、もう一度説明してくれ。俺も、経緯の全てを聞いたワケじゃないからな」
「分かりました。発端は、天羽くんから齎された情報でした。曰く────────」
「…………成る程。それで、俺達の所に来たワケか」
「はい。鬼怒田さんに教えて貰った面子の中で、貴方方玉狛だけはまともなコネクションがなかった事もあります。三雲くんとは何度かやり取りをする機会はありましたが、それでもちゃんとした繋がりと言えるかは微妙でしたので」
一通り事情を話し終えた華は、そう言いながらチラリと小南の方を見据えた。
小南はあからさまに険しい表情をしており、何事かを考え込んでいる様子であった。
「…………確かなのね? 迅が、そう予知したってのは」
「はい、佐鳥くんはああいう場で嘘を言う人物ではありませんし鬼怒田さんにも確認を取れています。少なくとも、迅さんがそう発言した事は事実だと思われます」
そう、と小南は矢張り厳しい表情のまま頷く。
そしてため息を吐きつつ、顔を上げた。
「鬼怒田さんが認めてるなら、話して良いわね。確かにあたし達は、昔樹里ちゃんが
「…………! 矢張り、ですか」
華は予想していたとはいえ自身の想定通りの返答を返され、顔を強張らせた。
そんな華を見て、小南は優しく微笑んだ。
「そんな顔しなくていいわよ。あたし達は、特にあの子に隔意があるワケじゃないから」
「そう、ですか」
「うん。ただ、何かの拍子であの時の事を思い出すといけないから不用意に接触するな、とは言われててね。もっとちゃんと話したかったけど、流石にあれがもう一度繰り返される可能性がある、って聞かされると無下にも出来なくてね」
ホント、参ったわよ、と小南は愚痴る。
華の見る限り、今の言葉に嘘はない。
彼女は本心から、現状に関して憂いている様子であった。
「…………その、当時の状況をお聞きしても?」
「ハッキリ言うけど、あたし等は事情を全部知ってるワケじゃないわ。あたし達は、変貌した
けど、と小南は続ける。
「当時あの子の鎮圧に、あたしとレイジさんが必要になったのは確かよ。そうでなきゃ、丁度非番で近くにいたとはいえわざわざあたし達を連れ出したりはしない筈だしね」
「…………そうですか」
小南の話を聞き、華は頷く。
何か変化の切っ掛けでも分かれば、という期待はあったものの、流石にそう旨くはいかないようだ。
もっとも、此処で小南の言質が取れた事は大きい。
流石にこの場で知らぬ存ぜぬを通されては、話の進めようがなかったのだから。
「補足しておくと、俺も木岐坂の事情については詳しくはない。むしろそちらについては、佐鳥の方が詳しいだろう。あの時の経緯について全てを知っているのは、あいつと迅くらいのものだからな」
「やっぱあい────────」
「分かりました。ありがとうございます」
佐鳥の名前を聞き反射的に叫び出しそうになった幼馴染の足を踏んで制し、華は「あいたっ!」と痛がる香取を横に涼しい顔である。
この場で香取がしゃしゃり出ると、話が拗れるもしくは脱線するのが目に見えている。
交渉を円滑に進めたい華としては幼馴染相手とはいえ、否。
幼馴染だからこそ容赦する理由は微塵もなく、涙目の香取を尻目に話を続けた。
「ちなみに、迅さんから話を伺う事は可能でしょうか?」
「残念だが、今まであいつが姿を見せなかったという事はそういう事だ。あいつは自分が必要と思わない限り、人前に姿を見せる事はしない。俺達から言っても、その時には
言外に迅との直接交渉は諦めろと言われ、華は内心で唇を噛んだ。
彼が所属する支部の人間経由であれば、と思わなくもなかったが、流石にそう甘くはないらしい。
全てを知るであろう迅から話を聞く事が出来れば手っ取り早かったのだが、そもそも此処へは協力の打診に来たのだ。
今は最低限、やるべき事を済ませる。
そう頭を切り替えて、華は顔を上げた。
「分かりました。それでは、いざという時は頼らせて貰っても構いませんか?」
「それについては構わん。俺と小南の連絡先を渡しておく。何かあれば、此処へ繋げ。良いな、小南」
「ええ、あれが出て来るとなると流石にあたし等が行かないとマズそうだしね。構わないわ」
そうして、思った以上にあっさりとレイジと小南は協力を表明し、華は二人の連絡先を受け取った。
取り敢えず、これで最低限の条件はクリアね、と華は安堵の息を吐く。
「あ、そうだ。アンタ等、うちの子達と会って行きなさいよ。丁度、今全員支部に揃ってるしね」
「え?」
しかし、話は此処で終わらない。
華達は小南の提案により、因縁深い玉狛の面々と顔を合わせる事になったのだった。