「樹里、隠岐先輩は?」
『今のところ想定通りの動きをしてる。こっちの作戦には乗ってくれたっぽい』
「了解。上々ね」
香取は市街地を駆けながら、樹里の報告に頷く。
現在彼女は千佳の下へ向かう為、後を追う遊真との
グラスホッパーを駆使し、更には家屋の壁や電柱、あらゆるオブジェクトを足場としてひたすらに駆ける。
回り道はせず、最短距離で。
射線の通る場所であっても構わず疾走する香取に、遊真は未だ追いつけてはいない。
(でも、少しでも隙があればすぐ追いつかれる。あの白チビは、そういう相手よ)
しかし、だからといって余裕があるワケではない。
今香取がリードを保っていられるのは、あくまでも状況がこちらの優位に傾いているからに過ぎない。
今、香取は射線が通る場所であっても気にせずに疾駆している。
普通であれば、狙撃手が全員生きている状態でこれは有り得ないやり方だ。
確かに猛スピードで駆け抜ける香取を狙撃するのは難しいだろうが、何かの拍子で足を止めた瞬間を撃ち抜かれる可能性は十二分に有り得る。
だからこそ後を追う遊真は射線が通る場所を避けて通っているのであり、本来であれば香取も同じやり方をせざるを得ない筈だった。
しかし、状況が香取に味方した。
まず、千佳は樹里の攻撃で防戦一方になっており、こちらを狙う余裕はない。
隠岐の場合は、樹里が睨みを利かせている為に香取を狙う可能性は殆どないと言って良いだろう。
樹里は付近で最も高いビルの屋上に陣取っており、彼女の
その事に隠岐が気付いているという前提ではあるが、そんな状態で香取を狙えば樹里の銃口が誰を撃ち抜くかは火を見るより明らかである為こちらを狙って来ないだろう、という想定で香取はこんな大胆なやり方を実行しているワケだ。
結果として隠岐はその思惑に乗ってくれたようであり、一先ず安堵する香取であった。
(悔しいけど、総合的な能力じゃあっちが上。まともにやり合っちゃ分が悪い以上、こっちにしかない武器を活かすしかない)
香取は一瞬、腰のホルスターに収められた拳銃を意識する。
癪ではあるが、総合的な能力値を見た場合自分は遊真に負けている。
機動力では五分と見ているが、状況判断能力や他者との連携能力、発想力では明らかに負けている。
真っ当な条件で勝負すれば、かなり分の悪い戦いになるだろうとまで見ている。
認めるのは噴飯ものではあるものの、この前提条件を理解しなければ勝機どころの話ではない。
敵の戦力分析は、勝つ為には基本中の基本だ。
かつての香取は疎かにしていた分野ではあるが、今はその重要性をしっかりと認識している。
相手の能力を正確に分かっていなければ、作戦の立てようがないからだ。
その重要性は、今の状況が物語っている。
もしもトリオン量の規格外さだけを見て千佳を評価していれば、今のように防戦一方に追い込む事は出来なかっただろう。
彼女は確かにトリオン量は凄まじいものの、ボーダー隊員としての練度はあくまでも素人の延長線上に過ぎない。
狙撃手としての能力は中々のものだが、樹里と異なり射手としての経験があるワケではないのだ。
だからこそ、いざ先手を打たれた時にどう対応すればいいかが身に付いていない。
仮に純粋な狙撃手であれば、位置が露見した瞬間から逃げの一手以外は有り得ない。
しかしなまじ射撃トリガーという対抗手段を持ち合わせている事もあって、「どうにかして反撃しよう」という思考が生まれてしまう。
その葛藤こそ、付け入る隙だ。
たとえ射撃トリガーをセットしていたとしても、射手としての経験がない以上先手を取られた場合の対処方法を知らない為に防戦一方になるしかない。
射撃トリガーは攻撃までにキューブの展開・分割・射出という
よって、先手を取られて攻撃を絶え間なく続けられている時点で、出来る事は相当限られてしまうのだ。
それは元射手である樹里もしっかりと実地で理解しており、だからこそ弾速を最重視したチューニングで絶え間ない攻撃を続けているのだ。
もしも千佳に射手としての心得や経験があれば、対処も出来たかもしれない。
それこそ、射手の
相手の弾を撃ち落とすような絶技が出来るかはさておいて、何かしらの対処は出来た筈だ。
しかし、千佳に射手としての経験などある筈もない。
射撃トリガーをセットしてはいるが、これまでの彼女は基本的に徹頭徹尾狙撃手であった。
ハウンドや
故に、このやり方が一番効く。
トリオン量の多寡に惑わされず、相手の経験不足をこそ着目した戦法。
それを実行に移せたのは、偏に相手の能力を正確に分析して作戦を立てる、という事を香取が行えたが故だ。
自分よりも格上がいる事くらい、今の香取は充分承知している。
ならば、その格上が「どの程度」先に行っているのかを正確に理解しなければ、手を届かせるどころの話ではない。
相手を下すのならば、最低限その戦力差は認識していなければならない。
いつかその背に爪を突き立てる事を思うのならば、戦力分析はやらなければならない事の筆頭である。
如何に格上とはいえ、理論上の条件は
攻撃が通れば倒す事が出来る以上、何らかの方法で隙を探せば勝機はある。
大規模侵攻で現れたという「身体を液状化出来る」というふざけた性能のトリガーなど早々ある筈もなく、そもそも同じボーダー隊員であれば扱えるトリガーは同様だ。
各々の適正や考えによってトリガーセットの種類は千差万別だが、全てが既知である以上やりようによっては格上殺しの可能性はあるのだ。
そも、どんな実力者であってもチーム戦であれば勝ち目がないワケではない。
逆に、どれだけ強くとも相手の連携次第で崩される可能性があるのが、集団戦の怖さだ。
1対1の戦いとは異なり、不意の横槍や他部隊の妨害まで計算に入れなければランク戦は生き残れない。
そして、どれだけ強い駒であっても大勢で囲んで叩けば最終的には倒せる事はヒュースの一件が証明している。
だからこそ、「格上だから」と思考を止めるのではなく「自分よりどれだけ強いのか」を正確に知る事は重要なのだ。
自分より上の相手ならば、その差がどれ程かを理解すればその前提で作戦を構築出来る。
戦力分析とは、ただ相手の強さに慄く為に行うものではない。
相手との差を理解し、
それを理解したからこそ、今の状況がある。
このあたりは、香取の成長の成果と言えるだろう。
遊真になく、香取にある武器。
それは、拳銃という中距離武器の存在だ。
香取の知る限り、遊真の攻撃手段はスコーピオン一本のみ。
故に、中距離での攻撃手段があちらにはない。
だからこそ、拳銃での牽制が有効となるのだ。
拳銃型の銃手トリガーは
威力と弾速を突き詰めた弓場のリボルバーであればともかく、通常の銃手トリガーはシールドを張れば充分対処出来る代物でしかない。
現に二丁拳銃二人体制というB級下位の茶野隊の戦績は眼を覆うようなものであり、少なくとも武器を拳銃型のみに絞ってまともに戦えるのは弓場を除いて他にいない。
だからこそ普通の銃手は連射性に優れた、「
要するに、メインの火力となる武器を他に用意しつつ、牽制や不意打ちの為に活用するのが拳銃型の本来の用途なのだ。
携行性という他の銃手トリガーにはない唯一無二の武器を活用するならば、香取のようにスコーピオンという主武器を活かす為の牽制用として用いるのが正しい使い方なのだ。
その極地とも言えるのが三輪であり、彼の戦い方こそある意味で理想の万能手と言って差し支えない。
拳銃で牽制しながら接近し、弧月で相手のシールドを叩き割る。
或いは、三輪だけの武器としてカスタムして片手でも撃てるようになっている
流石に後者は再現不可能だが、前者の場合はある程度参考に出来る。
要は、拳銃で相手を仕留める必要はない。
隙を作る事さえ出来れば、それで良いのだ。
遊真は今、それをこそ警戒している筈である。
下手に接近を試みないのも、こちらに拳銃で固められている隙に隠岐に狙撃されるのを危険視しているからだろう。
シールドを張れば対処出来るとはいえ、その為に生じた隙を狙撃手に突かれては目も当てられない。
だからこそ、遊真は香取の拳銃を警戒せざるを得ないのだ。
単体では脅威ではなくとも、他の要因があれば無視出来ない攻撃になる。
その見えない武器こそが、拳銃の持つ最大の利点と言えるだろう。
今、香取はその武器を活用する事で何とか遊真の追撃を逃れている状況だ。
もしも少しでも状況が変われば、立場は容易に逆転し得る。
それを理解しているからこそ、香取は油断しない。
この優位が薄氷の上にある事など、とうに承知しているのだから。
(あいつが、このまま手をこまねいているなんてあるワケない。何か、仕掛けて来るわね。確実に)
『────────というワケだけど、どうだ?』
「空閑はそのまま香取先輩を追ってくれ。チャンスは、こっちで作る」
『了解』
修は裏路地を駆けながら、遊真の通信に応答していた。
ふぅ、と息を吐きながら当初の目的地に向かって駆けていく。
これまで一度も直接戦闘を行っていない為トリオンはまだ余裕があるものの、それでもスパイダーの設置を含め何もしていなかったワケではないので緊張感は持続している。
今は試合の佳境であり、気を張り詰めるのも当然と言えよう。
(やっぱり甘くはいかないか。けど、まだ何とかなる範囲だ。ぼく等の目的達成の為に必要な条件は、ほぼ揃っているんだし)
ハッキリ言って、状況は良くはない。
千佳は防戦一方に陥っているし、遊真も香取に追いつけずにいる。
二宮隊で唯一生き残っている辻は三浦との一騎打ちの最中であるし、もしも彼が得点を重ねるような事があれば自分達にとっても無視出来ない事態となる。
辻と三浦では、前者の方が単騎の能力的には上だ。
だからこそあの二人を1対1の状況にしたくはなかったのだが、かといって香取を無視すれば千佳を落とされてしまう。
それだけは避けなければならなかった為、遊真も彼女を追いかけざるを得なかった。
修には修の役割がある以上そちらに人手を割くワケにもいかず、忸怩たる思いだが自分達の手で辻と三浦の戦いに介入するのは避ける他ない。
だが、やり様がないワケではない。
その為に「仕込み」を続けて来たし、戦果も上々である。
決して、何もかも思い通りにいかない、という状況ではないのだ。
(せめて、二宮さんが得点していなければどうにかなったんだけど、そこを考えても仕方がない。今ある条件で、何とかしないと)
現在、玉狛第二は南沢、生駒、水上の三名を撃破し三点を獲得している。
対して、現B級二位である二宮隊は若村撃破により一点を獲得。
これにより、両チームは41ポイントと同点となっている。
そして、同じ点数であれば前期の最終順位が上である方がランキングは上となる。
要するに、前期のランク戦はそもそも参加していない玉狛第二では二宮隊相手に同点では負けてしまうのだ。
そしてこの状況では、辻の得点は何が何でも回避したい。
かといって香取を放置して千佳を落とされれば、得点のチャンスそのものを逃がしてしまう。
せめて二宮隊が得点していなければそちらを放棄してでも辻の撃破に全力を尽くせたのだが、起きた事を覆せない以上今の状況での最善手を打つしかない。
修の目的は、ランク戦で勝つ事ではない。
遠征部隊に選ばれる条件、即ちB級二位以内を達成する事だ。
その為ならば、極論勝敗は度外視しても構わない。
他の部隊とは、目指している条件が違うのだ。
ならば、その条件を如何に達成するかが彼等にとっての「勝利条件」となる。
それを間違えない修は、「勝つ」為に策を練っていくのだった。