(ど、どう返事すればいいんだ? 流石に記憶喪失の子の対応なんて初めてなんですけどっ!?)
佐鳥はいきなりの事態で半ば、パニックになっていた。
仕事柄大人は勿論、小さな子供の対処だってやった事はある。
メディアに出る仕事では小さな子供達を集めて行う番組への出演も珍しくはなく、ひょうきんなキャラクターで通している佐鳥はそういった役柄が回って来る事も多かった。
なので老若男女様々な立場の相手への対応は心得ているつもりだが、流石に記憶喪失の人間などというものに出会うのは初の体験だった。
どう答えるが正解か、など分からない。
否。
「えっと、じゃあ何か分かる事はないかな?」
この場で最もしてはいけないのは、「黙り込む事」だという事くらいは分かる。
記憶喪失、という事は自身の
内心は、とても不安でいるに違いない。
見たところ今は半ば寝惚けたような状態であるように思うが、冷静になれば自分の存在のあやふやさに理解が及ぶ筈だ。
もし此処で佐鳥が黙り込もうものなら、それを切っ掛けに冷や水を浴びせてしまう可能性もゼロではない。
だからこそ佐鳥は、「会話を続ける事」を選んだ。
どういった内容であっても、構わない。
最低限相手の素性に結び付くヒントを探し出し、「次」へ繋げる。
それが今すべき事だと、佐鳥は直感したのだから。
「ん…………わかんない。わたし、今まで何してたんだっけ?」
「そ、そっかぁ。えっと、何処から来たかも分からない、って事かな?」
「…………わかんない、かな。ただ、なんとなく懐かしい気は、するかな。多分、元いた所はそんなに離れてない、のかも?」
そっか、と佐鳥は努めて冷静に相槌を返した。
そして、今分かった内容を噛み砕いていく。
(少なくとも、人間に擬態した人型
まず、この少女が「人間に擬態した人型近界民」という展開はないだろうと判断した。
門から出て来たのだから近界民が何かしら関係しているのは確かだろうが、少なくともこちらに敵意を持ってやって来た尖兵、というワケではなさそうだ。
それならそれで疑いを逸らす為のバックストーリーを用意する筈であるし、「何も分かりません」で通そうとしているのだとしたら短慮が過ぎる。
以前機会があって「人型近界民」の正体については聞いているが、それでもそのイメージと目の前の少女は合致しなかった。
(それに、少なくともこの子にそういう腹芸は無理っぽいしね)
加えて、佐鳥が見たところこの少女にそういった腹芸に向いた気配はない。
少なくとも、佐鳥がこれまで出会って来た「こちらを騙してやろう」「こちらを食い物にしてやろう」という者特有の悪意がこの少女からは透けて見えたりはしていない。
こちらを謀ろうとする者は、どうしたってその所作に悪意が滲み出て来るものなのだ。
なので一見笑顔であってもそのどす黒い腹の内は隠し切れるものではなく、更にそういった者達は「饒舌」という共通点がある。
相手に疑いを持たれないよう、如何なる言葉に対してもそれに対する「解答」を用意しているのが詐者の常だ。
だが、この少女はこちらの言葉に対する反応はたどたどしいし、断定形で喋ったりもしていない。
なので逆に、こちらを騙そうとしている手合いではない、と判断出来るのだ。
佐鳥の経験則による推測だが、仕事柄人を見る眼はこう見えて養っているつもりだ。
恐らくこの見立ては間違っていないだろうという確信が、佐鳥にはあった。
「あなたは、こんなところで何してるの? 周り、なんにもないけど」
「あー、えっと、
「…………ネイ、バー…………? なんだろう。聞き覚えは無い、筈なのに……………………なんだか、嫌な感じ、するかも…………?」
ぶる、と少女は思わずといった風に自分の身体を抱き締めた。
その表情には明らかな翳りが差し込んでおり、佐鳥はしまった、と自身の失態を悟る。
(…………ッ! 馬鹿、この子が記憶喪失なのだって状況から見て
この少女の正体は未だに分からないが、門から出て来た以上近界民が何らかの形で関わっているのは確実。
だというのに、みすみすそれを想起させる真似をしてしまった。
これは明らかなミスだと、佐鳥は自省し手を差し伸べる。
少女がおずおずとその手を握り返し、落ち着いたのを見て佐鳥は再び話し出した。
「ごめん、話を戻そっか。此処は警戒区域って言ってね。有り体に言えば、ちょっと危ない所なんだ。オレはあそこに見えるおっきな建物を本拠地にしてるボーダーって組織の一員でね。だからこの辺りも通れてたんだけど、ちょっと歩いていたら君を見付けた、って感じかな」
「…………ボーダー、か」
ふむ、と何かを考え込む様子の少女に佐鳥は安堵の息を吐く。
こういう時は無理やりにでも別の話題を提供して、意識を逸らす事が肝要だ。
今までに培った対人スキルのお陰で何とか難を逃れたが、それでも今やらかしたミスは頂けない。
もう今みたいな事はないようにしないと、と一人奮起する佐鳥であった。
「それで────────」
「佐鳥」
「え?」
だが、そこから話を続けようとする佐鳥の耳に、聞き覚えのある声が入った。
振り向けば、そこには子供にしか見えない体躯の鋭い目つきの男性────────A級三位風間隊隊長、風間蒼也が背後に部下の歌川と菊地原を従えて立っていた。
風間は少女と佐鳥を一瞥し、ふむ、と眼を細めた。
「登録外のトリオン反応を感知したとの知らせを受けて来てみれば、この少女はなんだ? 一体、此処で何が起きた?」
「…………それについては、道すがら説明します。とは言っても、オレも全部理解出来てるワケじゃありませんが…………」
そう言って、佐鳥は風間の顔色を窺った。
今の言から察するに、彼等は先程の
ボーダーには隊員のトリオン反応は全て登録されており、登録外のトリオン反応は即ち近界に関する何か、という事になる。
そういった反応が出た為に、風間隊が派遣された、といった所だろう。
彼等が裏の仕事専門の部隊だからなのか、それともたまたま近くにいたからかは分からない。
とにかく此処で下手に誤魔化すのは得策ではなく、むしろ情報を提供して協力を仰ぐのがベストだと佐鳥は判断した。
「────────恐らくですが、この少女は近界に拉致されていた「帰還者」の可能性が高いです。それを含めて、調べて頂けると幸いです」
「
「やっぱり、ですか」
ボーダー本部、開発室。
風間隊と共に少女を連れてやって来たこの場所で、佐鳥は鬼怒田から予測していた答えを聞いて矢張り、と得心した。
佐鳥は少女が記憶喪失である事、そして近界民が関わっている可能性が高い事を鑑みて、「何かしらの経緯で記憶を喪った三年前の大規模侵攻で攫われた者の一人」なのではないかと当たりを付けていたのだ。
というよりも、それ以外の素性に思い至らなかった、と言っても過言ではない。
近界民でないのは、状況から推測していた。
ならば彼女は何なのかと考えると、「近界民による拉致の被害者」という解答が自然と浮かび上がって来たのだ。
三年前の大規模侵攻では、多くの市民が行方不明となっている。
そしてその大多数は、近界民により攫われたと考えられている。
既に三年もの月日が経過しているので生存は絶望視されていたが、場合によっては生きている可能性もゼロではない。
そして、見知らぬ土地にいきなり連れて来られた結果精神的に追い詰められて記憶を失うケースだってあり得るだろう。
そう考えると、少女が記憶喪失であるという点もこの推測のヒントと成り得た。
記憶喪失、というものは早々起こるものではない。
もしも起こり得るのだとすれば、「許容量を超える精神的な負荷を受け続けた場合」が考えられる。
近界に拉致された人々がどういう環境に置かれていたかは分からないが、十中八九碌なものではないだろうと推論は出来る。
ならば、その過酷な環境下でのストレスが記憶の忘却に繋がるケースだって有り得ない話ではない。
そう考えて開発室に協力を仰いだのだが、佐鳥の予測は的を射ていたようだった。
ボーダーには、三年前に行方不明となった者達のDNA情報が保管されている。
正確には体毛や血液等のDNAが取得出来るものを大規模侵攻後に回収或いは提供された者限定ではあるが、少なくない数のDNA情報がボーダーに集まっているのだ。
これはいざ近界に拉致された者が見つかった際に本人照合を行う為のものであり、大人であればともかく子供時代に拉致されて数年が経過すれば見た目も相応に変わる筈だ。
そういった者達が見つかった時に本人かどうかを確認するのに一番手っ取り早いのは、DNA情報の照合だ。
なのでボーダーは行方不明になった者達の家族や知人に対し、本人のDNA情報の提供を求めていた。
勿論これは任意ではあるのだが、結果多くのDNA情報がボーダーに集まる事になった。
誰しもがいなくなった人間に戻って来て欲しいと思うのは同じであり、その一助となるのであればと協力を惜しまなかった者は多い。
広報部隊という立場故にそれを知っていた佐鳥は此処に来れば少女の手がかりが得られるのではないかと考えて、鬼怒田に話を持って来たのである。
「佐鳥の推測は正しかったようだな。よく、あの短期間で必要な情報を取得出来たものだ」
「いやぁ、消去法でたまたまですよ。別段大した事はしていません」
「それでも、初対面で尚且つ記憶喪失の相手から必要な情報を聞き出す手腕は大したものだ。既にかなり懐かれているようだしな」
「ん」
なお、その佐鳥だが現在先程出遭った少女────────樹里にがしり、と右腕を掴まれている状態にある。
風間に揶揄されている通り、樹里はこの場に来てから一度たりとも佐鳥から離れようとしなかった。
というのも、樹里は医務室に連れて来て検査の為に佐鳥が離れようとした途端、恐慌状態になって暴れ出したのだ。
いきなり泣き叫び、悲鳴をあげる少女を見て佐鳥が声をかけながらその手を握り締めたところ、ぴたりと少女の狂乱が止まった。
一連の光景を見ていた鬼怒田は即断で佐鳥に検査の間絶対に樹里から離れるなと厳命し、そのまま諸検査を始めたのだ。
その間少女は強い力で佐鳥の腕を抱え込んでおり、柔らかな感触を終始感じ続ける結果となった。
広報部隊の一員とはいえ、佐鳥はまだ中学三年生。
思春期男子の一人として、ずっと悶々としていたのは致し方ない事と言えるだろう。
「…………けど、なんでこんなに懐かれたんでしょう?」
「刷り込み、というものもある。記憶を失ってから初めて出会い、真摯に対応したお前の事を「信用出来る人間」と彼女の中でインプットした可能性はゼロではない。単に、お前の事が好みだったというケースも有り得るがな」
「からかわないで下さいよ、もう」
くつくつと笑う風間に対し、佐鳥はげんなりした様子でため息を吐いた。
勿論、こんな美少女に懐かれるのは悪い気はしない。
しかし相手の弱みに付け込んで好感を得たようで、どうにも収まりが悪いのだ。
佐鳥は此処で何も考えず喜べるような感性ではなく、むしろ性根に根付いた善性によって葛藤する結果となっていた。
風間はそれを察しているからこそ、敢えてからかうような言動を取っているのだとも言える。
経緯はともあれ、佐鳥が樹里の信頼を獲得しているのは事実。
ならばそれは事実として受け入れ、次に繋げるべきだろうというのが風間の考えなのだろう。
それが分かるからこそ、敢えて口には出さない。
風間がどれだけ世話焼きで面倒見の良い先輩なのかは、既に身に染みているのだから。
「そういえば、城戸司令からは?」
「今のところ、様子見という所らしい。何分、「帰還者」というのは初めてのケースだ。状況の特殊さも鑑みて、迂闊に判断は出来ない、といったところだろう」
そうですか、と佐鳥は安堵して頷く。
樹里を保護した件は当然、ボーダーの司令である城戸にも伝えている。
この場に菊地原と歌川がいないのは、その報告の為だ。
先程から風間が通信で誰かと話しているのは察しており、状況からその通信相手が城戸だろうというのも推測していた。
だからこそ佐鳥は、ボーダーとしての「樹里への対応」を尋ねてみた、というワケだ。
もしも上層部が佐鳥の推測を一蹴し樹里を「近界民だ」と判断してしまえば、どういう結末が待っているかは想像に難くない。
そうなった時の事を考えていたのだが、どうやら杞憂に終わったようで何よりである。
「…………話は、まだ終わっておらん。木岐坂は調べたところ、両親は三年前の大規模侵攻の際にトリオン兵によって倒された瓦礫の下敷きになって亡くなっておる。親類もおらんようじゃし、天涯孤独の身の上のようじゃ」
「天涯孤独、ですか。家族も家もないってなると、これからどうなるんでしょう?」
「なんとも言えん。正直な話、「帰還者」をどう扱うかに関してはまだ協議が進んでおらず、何の対策も出来ていない状態じゃ。発見は、絶望的と目されておったからの」
鬼怒田はやれやれ、とかぶりを振った。
その表情には、言い知れぬ苦渋が滲んでいる。
無理もない。
佐鳥でさえ、三年前に攫われた者達が無事に戻って来る可能性など、皆無に近いだろうと思っていたのだ。
それはボーダー上層部とて同じだろうというのは予測出来た話で、優先順位が高くない事柄に関しての協議が進んでいないのも無理は無いと言える。
家族が生きているならば話は早かったのだが、それもないとなれば未成年の身の上である佐鳥には良い案など浮かぶ筈もなかったのだ。
「じゃが、どうやら彼女の「家」は残っておるようじゃ。もっとも、今は誰も住んでおらんようじゃがの」
「え?」
だが、そこで予想外の返答が来た。
思わず疑問符を浮かべた佐鳥に対し、鬼怒田は続けた。
「────────警戒区域と市街地の境界線に建つマンション、そこが木岐坂の住んでいた家らしい。もっとも、そんな場所にあるものじゃから今はもう無人になっておるようじゃ」
行ってみるか、という問いに対して佐鳥は逡巡の末、返答する。
自分の手を握る少女の事を思えば、最初から答えは見えていたのだが