香取隊の狙撃手   作:デスイーター

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白の変遷①

 

 

(クソッ…………!)

 

 佐鳥は思わずガン、と壁を殴る。

 

 硬質な音が響き、生身の拳で壁を叩いた為に手が赤みを帯びて薄っすらと腫れてしまっている。

 

 トリオン体でやると壁の方が壊れて問題になってしまう為無理もないが、らしくもない無機物への八つ当たりをしている時点で常の彼らしくない様子であった。

 

(ああしてオレの前に姿を現した以上、あれは多分「次はない」って警告ってよりも、今後樹里ちゃんと香取ちゃんの二人の間を取り持つ事を徹底的に妨害するって通告の筈だよな。それでオレは、それをどうにかする手段はない。悔しいけど、迅さんの言う通りにするしかないなんて…………っ!)

 

 現状は、ほぼ詰んでいると言っても過言ではない。

 

 普段滅多に人前に出る事のない迅が佐鳥に対し個別で会いに来て更には忠告めいた真似までしたという意味は、重い。

 

 常であれば間接的に人を動かすか、知らぬ間に暗躍を終えているのが迅のやり方と聞く。

 

 その彼がわざわざ自分の目の前に現れた以上、今回の事は迅にとってかなり重要度の高い項目である事に疑いはない。

 

 つまり、樹里が香取と接触に至るのはそれだけ危険視されているという事にもなるのだ。

 

 だが、それは。

 

(樹里ちゃんの願いは、叶えてあげたい。けれど、あの迅さんがこうまで頑なになるって事は、それが相当悪い結果に繋がる可能性が高い、って事なのか…………? でも、それは────────)

 

 ────────このまま、樹里に孤独を強いる事を座して見過ごすという意味に他ならない。

 

 佐鳥との会話の中でも主体性に欠けていた樹里が、ああまで切なそうな顔で再会を望んでいる相手なのだ。

 

 出来る事なら会わせてやりたいし、それが叶わずとも互いの無事は何らかの手段で伝えてやりたい。

 

 しかし、迅はそんな佐鳥に行動に対しハッキリと「否」を口にした。

 

 言葉尻こそ穏やかだったが、迅の瞳には強い意志が感じられた。

 

 恐らく、今後佐鳥が二人を結び付けようとする度に彼の妨害があるであろう事は間違いない。

 

(これは完璧に私情だよ。そんな事、言われなくても分かってた────────筈、だったんだけどな)

 

 加えて。

 

 香取が樹里の生存を知った事で起きるリスクをある程度承知していながら意図してそれに眼を瞑っていた佐鳥にとっては、改めて現実というものを突き付けられた形だ。

 

 今更ながら自分が組織の一員としてではなく佐鳥賢という個人の私情で動いたという事実を指摘され、有り体に言って冷や水を浴びせられた気分でもあったのだ。

 

 これを無視出来る程佐鳥は図太くなければ、後先を考えられない性格でもない。

 

 佐鳥の善性を突いた、ある意味で真っ当且つ順当な手段と言えるだろう。

 

(あれだけ木虎に噛みつくような子だし、きっと口が堅いって事もないんだろうな。でも、あの木虎に食い下がる事が出来てるんだから、能力が高いのは疑うまでもないし、迅さんが言うように勘も鋭いんだろう。そうじゃなきゃ、個人の力だけでチームをB級上位まで引っ張り上げられるワケがないしね)

 

 佐鳥の見た限り、香取は高いセンスと才覚に恵まれた、自尊心の強い少女だ。

 

 少々感情的になり過ぎるきらいはあるようだが、それでも天性の戦闘センスと溢れる才能は隠れようがない。

 

 勘も相応に鋭そうであるし、樹里の生存を伝えただけでその現状まで行き付く可能性がゼロであるとはとても言えない。

 

 口が堅いとも思えないし、樹里と会う為にその情報を躊躇いなく公開するくらいはやってのけるかもしれない。

 

 そう思えば、佐鳥は随分と後先を考えない行動をしようとした事になる。

 

 感情という名の建前で覆い隠した佐鳥の本心を迅によって暴き立てられ、彼の心は揺れていた。

 

 ある程度自業自得であるとはいえ、そもそも佐鳥が此処まで一個人に拘る事など早々なかった事を考えれば無理もない。

 

 佐鳥は確かに情深く、聡い少年ではある。

 

 しかし年齢に不相応に聡過ぎるが故に自分を押し殺しがちな面があり、ひょうきんなキャラクターを演じて笑いを取ろうとするのも、大衆から見た自分を戯画化(カリカチュア)しようとしているのも、その本質を隠す事に一役買っていた。

 

 責任感が強く空気を読み過ぎてしまう為、自分を引っ込める事がある種当たり前となっていた。

 

(…………でも、それでも伝えたかった。これはきっと、オレの我が儘なんだろうな)

 

 そんな彼を私情で後先を考えない行動をする年頃の少年に戻したという意味で、樹里の与えた影響は大きい。

 

 一目惚れに近しい出会いではあったが、それでも佐鳥の心に大きな変革を齎した事は間違いない。

 

 だからこそ、傍から見れば浅慮としか言いようのない行動を取ってしまったのだろう。

 

(オレは、どうすればいいんだろう? 樹里ちゃんの願いは叶えてあげたいけど、迅さんの妨害があるし嵐山隊の皆にも迷惑はかけたくない。こんな、駄々みたいな────────)

 

 しかし、それでも佐鳥は諦めるという事が出来なかった。

 

 理屈を、通理を考えれば樹里には全てを隠し、迅の言う通りにするのが正しいのだろう。

 

 されど、それは佐鳥の中に義にもとる行いだ。

 

 自分を信じてくれた、あの少女の心を裏切る選択だ。

 

 本当に、それで良いのか。

 

 そんな自問自答が、佐鳥の中で渦巻いていた。

 

「────────浮かない顔だな、賢。何かあるんなら相談に乗るぞ」

「…………っ! 嵐山、さん…………」

 

 聞き覚えのある声に、振り向く。

 

 そこには自分の所属する部隊の隊長、嵐山準がいつも通りの爽やかな笑みを浮かべながら、こちらを見据えていた。

 

 

 

 

「む、手が赤くなってるぞ。どうしたんだ?」

「あ、えっと、ちょっと壁を殴ってしまって…………」

「そうか。痛むんなら言ってくれ。医務室なら傷薬があるだろうし、隊室にも絆創膏くらいはある。なんなら持って来ようか?」

 

 いえ、大丈夫です、と佐鳥は何処か気まずげに返答する。

 

 みっともない所を、尊敬する先輩に見られてしまった。

 

 それまでマイナス思考を繰り返していただけに、どうにも居心地の悪さが先行する。

 

 俯く佐鳥を見て、嵐山は眼を細めた。

 

「珍しいな、佐鳥がそういう事をするってのは。やっぱり、何かあったんじゃないか?」

 

 じぃ、と嵐山が真剣な眼で佐鳥の顔を覗き込む。

 

 詰問、といった雰囲気ではない。

 

 きっと、ただこちらを心配してくれただけなのだろう。

 

 それでも本人が大真面目である為、距離感に遠慮がないだけだ。

 

 多分、女の子がこれやられるとメロメロになっちゃうんだろうなぁ、と約体も無い考えが頭を過ったが、今は自分を案じてくれた隊長への対応の方が先である。

 

 佐鳥は居住まいを正し、真っ直ぐ嵐山に向き合った。

 

「…………えっと、その、嵐山さん。オレの置かれている状況について、根付さんから何処まで説明を受けてますか?」

「臨時の仕事があるから、普段の業務は手伝えない、とは聞いてるぞ。期間も未定らしいが、内容までは聞いていないな」

 

 嵐山はそこで一端、言葉を切った。

 

 尋ねたい事は恐らく、「例の臨時の仕事の事で悩んでいるのか」といったところだろう。

 

 そうと聞かずにただ反応を待つあたり、嵐山らしい配慮が伺える。

 

 嵐山は尋ねるべき事はしっかりと口に出して聞くが、相手の心の準備等が必要な案件の場合はこうしてこちらが話す態勢になるまで待ってくれる。

 

 少なくとも、プライベートでの対応ではそれが顕著だ。

 

 相手と正面から向き合い、その全てを受け止める。

 

 そんな覚悟を当たり前のように持っているからこそ、喫緊の事態でもない限りは幾らでも待つ事が出来る。

 

 そういった大人の余裕が、嵐山にはあった。

 

 つい先ほど私情で行動してしまったばかりの佐鳥としては、叶わないなぁ、という感想が先に来る。

 

 少年期の三歳違い、というのはこうも異なるものなのか。

 

 或いは嵐山が特殊に過ぎる事例であるだけの話なのかもしれないが、人間としての格差を思い知らされる気分であった。

 

 こうまでされては、黙っているのは礼に反する。

 

 相応の真摯さと誠意を以て、応対するのが筋というものだ。

 

「えっと、その、嵐山さん。申し訳ありませんが、その臨時の仕事に関する詳細については、機密事項が関わって来るのでお伝え出来ません」

「ああ」

「でも、その、えっと────────少し、迅さんと揉めてしまって。それで悩んでいる、と言いますか」

 

 ふむ、と嵐山は眼を細めた。

 

 迅の名を出した瞬間表情が変わり、成る程、と頷く。

 

「察するに(アイツ)に何かを言われて、やろうとしてる事を止められたけど、納得出来ない、って感じか?」

「あ、そうなんですけど、どうして」

「迅は、少し情報を出し渋り過ぎるからな。アイツは厄介な能力(ちから)を持っている所為で、物の見方がズレてるところがある。その所為で誤解を受ける事も、結構多いんだ」

 

 だから、と嵐山は続ける。

 

「一つだけ言っておくと、基本的に迅は間違った事は言わない。突拍子もない内容であっても、アイツが必要だと感じたことは大体必要な事なんだ」

「そう、ですね。それは、分かってます」

「けど、理解と納得は別だろう? 賢はあまり情報をくれない迅に対して、不満に思ってるんじゃないか?」

「それは…………」

 

 そうですが、と言いたくなったのをぐっと堪える。

 

 嵐山は迅の友人、或いは親友と呼んで差し支えない関係の人間だ。

 

 そんな相手の前で堂々と友人を非難するような事は言えず、佐鳥は思わず口ごもる。

 

 だがその態度こそが、彼の内心を雄弁に語っていた。

 

「やっぱりか。となると、少し難しいかもな。賢も、アイツが間違った事を言ってないって事は分かるんだよな?」

「ええ、まあ」

「それでも納得出来ないなら、やっぱり感情の問題だからな。俺がここで「迅の言葉に何も考えずに従った方が良い」と言ったところで、解決にはならない。とうの賢本人が納得してないんだから、当然だよな」

 

 そう、嵐山の言う通り、佐鳥は迅の正当性自体は疑っていない。

 

 話の筋も通っているし、完全な私情で行動しようとしたのは自分の方だ。

 

 それを諫める側の迅が間違っている筈もないし、理屈も理解出来る。

 

 けれど、それでも納得には至らない。

 

 佐鳥が自分の気持ちを噛み砕き切れていないのだから、当然と言えば当然だ。

 

 此処でどれだけ美辞麗句を並べ立てられようが、納得出来ないものは納得出来ないままなものだ。

 

 特にそれが、感情に起因するものであれば猶更である。

 

「それなら、俺から言えるのはこれだけだ。「思う通りにやってみろ」。誰かに強制されたものじゃなくて、賢自身が思った通りにな」

「…………でも、いいんですか? きっと、間違ってるのはオレで────────」

「どっちが間違ってるかなんて、この際どうでもいいんだ。大切なのは、賢が現状とどう向き合うかだ。何事も自分で考えて、自分でやってみなくちゃ本当の納得なんて出来ないものだ。誰かに言われて嫌々やった事よりも、自分の意思でやった事の方が納得もし易いだろうからな」

 

 嵐山はそう言って、いつも通りのにこやかな笑顔を浮かべた。

 

 ただ言葉を尽くして説得するのではなく、あくまでも佐鳥の自主性を尊重する選択。

 

 其れはある種厳しいかもしれないが、同時に相手の事を思いやる優しさに満ちていた。

 

 本当にどうでもいい相手であれば、適当な美辞麗句でお茶を濁して終わりだろう。

 

 けれど、嵐山はそうしなかった。

 

 あくまでも佐鳥自身の意思を尊重し、己の思う侭に行動しろ。

 

 ある種放任とも捉える事の出来る内容だが、本当に相手の「今後」を考えて今回の件を良い機会だと捉えている事がひしひしと伝わって来る。

 

 叶わないなぁ、と佐鳥は再び脳内でため息を吐いた。

 

「…………ありがとう、ございます。迷惑をおかけする事になるかもしれませんが、自分なりにやってみます」

「迷惑だなんて思ってないぞ。仕事(こっち)はこっちで何とかしてるし、賢の思う通りにやってみるといい。責任は全部、隊長(おれ)が取る。だからお前は、自分のやりたい事をやってみてくれ」

 

 にこり、と嵐山は再び満面の笑みを浮かべる。

 

 そんな嵐山に対してぺこりと頭を下げ、「失礼します」と言って佐鳥はその場を後にした。

 

 

 

「ふぅ…………」

 

 佐鳥の背を見送った嵐山は、おもむろにため息を吐いた。

 

 そして急に眼を細め、ボソリと呟く。

 

(…………迅も、今は何をしてるんだろうな。連絡が取れないって事は、俺とは今話すつもりがない、って事だよな。こういう時は大抵、アイツが何かを一人で背負い込んでる時だ。きっと、佐鳥の「仕事」ってのが関わってるんだろう)

 

 嵐山は、佐鳥に言っていない事がある。

 

 それは、ここ最近迅とは音信不通である事。

 

 もう一つは、根付ではなく城戸から色々と言い含められている事だ。

 

(何かあれば頼って欲しい、とは言われているが具体的な内容が何も分かってないのが痛いな。内実さえ分かれば、もう少し色々備えられるんだが)

 

 鬼怒田は嵐山を個別で呼び出し、彼のやっている「仕事」の内容を尋ねない事と、何かあった時に遠慮なく相談に来てくれという内容の話をされている。

 

 とはいえ嵐山の手元にある情報があまりにも少ない為、動こうにも動けないというのが正直なところであった。

 

(前に少し話題になりかけた「賢が女の子を連れて歩いている」って噂も数日程度で消されてるあたり、上層部の思惑も絡んでいるのは間違いないだろう。賢は、真面目だからな。きっと、その子の為にやろうとしている事と組織の規範とで相当に葛藤しているんだろうな)

 

 隊長として、嵐山は佐鳥の性格を熟知している。

 

 ひょうきん者に見えて、誰よりも生真面目。

 

 それでいて責任感が強く、情に篤い。

 

 尽くせる言葉は様々あるが、嵐山にとっての佐鳥はそのような認識であった。

 

 助けたい子がいるのに、組織のしがらみで助けられない。

 

 或いは、手を伸ばせない理由がある。

 

 佐鳥の悩みは、そんなところだろう。

 

 直接手助け出来そうにないのが口惜しいが、必要ならば声をかけてくれる筈だ。

 

 相当に特殊な状況にならない限り、オペレーターを挟めば何処からでも通信は出来る。

 

 だから有事の際には、きっと連絡をくれるだろう。

 

 嵐山は、そういった考えを持っていた。

 

 また、いつも責任感が強く自分を押し殺しがちな佐鳥が珍しく「自分」を出していたのが嬉しかったという事もある。

 

 だからこそ、嵐山は敢えて前へ進ませる助言を行った。

 

 ────────此処に、両者の情報格差によるズレが生じる。

 

 佐鳥は樹里の詳しい危険性(バックボーン)について知らされておらず、嵐山はそもそもどういった問題を抱えているのかすら分かっていない。

 

 加えて、迅が動いているのならば悪いようにはならないだろうという信頼もあった。

 

 両者共に、致命的に情報が足りず。

 

 歯車が狂い始めている事に、未だ誰も気付いていなかった。

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