「と、ここでいいかな」
「屋上、か。確かに、人気はないわね。誰かが来ても、すぐに分かるし」
華はそう言って、周囲を見渡した。
此処は、ボーダー本部の屋上。
佐鳥は華の「人気のない場所」というオーダーを受けてこの場を薦めた為、こうしてやって来たのである。
以前佐鳥が迅と話をしたのもこの場所であり、密談には向いている地形なのは間違いない。
特に何があるワケでもない屋上なので人が寄り付く事は滅多になく、そもそもかなり高い位置にある場所なので当然寒い。
トリオン体であれば体温調節は問題ないが、生身のままだと少々辛い環境である。
なので特別用がない限りは早々人が来る場所ではなく、何かしらの秘密の会談を行うには持ってこいの条件なのだ。
時折一人になりたい隊員等が来る事はあるが、出入り口は一つしかない為そこを見張っていれば誰かが来た時はすぐに分かる。
そういう意味でも、密談に向いた場所なのは間違いなかった。
「それで、えっと、染井さん」
「雑談は苦手だから、単刀直入に言うわね。貴方はわたしに何かしらの話があって探していた、で合ってるわね?」
「…………っ! どうして」
突然の華の言葉に、佐鳥は動揺する。
そんな佐鳥を見て、華は眼を細めた。
「順序立てて説明するわ。発端は、つい先日。葉子から聞いた話よ。貴方がランク戦のブースにいて、迅さんと一緒に何処かに行ったらしいわね」
「…………!」
その指摘に、佐鳥は再び眼を見開いた。
あの時、香取に自分がいた事を気付かれていたなどとは考えていなかったのだ。
佐鳥の記憶では香取はこちらに視線は向けていないし、何かしらのアクションを起こす前だったので自分の存在を殊更にアピールした覚えもない。
だというのに、香取はこちらの存在に勘付いていたらしい。
勘が鋭そう、というイメージは間違いではなかったようだ。
「貴方は狙撃手で、広報部隊の一員。個人ランク戦のブースにいるのは、少々おかしいわ。狙撃手が個人ランク戦なんてしないでしょうし、そもそも広報部隊として多忙な筈。その貴方が用もないのにその場にいた、というのは違和感があるわ」
「それは、えっと」
「貴方と親しい相手も狙撃手や同じ部隊の人員の筈だから、誰かと待ち合わせていた、或いは迎えに来たという可能性も低い。少なくとも、わたしの調べた貴方の友人関係で積極的にランク戦をする人はいなかったわ」
反論を言う暇もなく、理路整然と華はこちらの逃げ道を塞いで来る。
別段、睨んでいるワケでも凄んでいるワケでもない。
ただ、その言葉や表情にはこちらを圧倒する何かがあった。
「加えて決定的なのが、その場に迅さんが現れて貴方を連れて行った事。迅さんは本部で滅多に姿を見せる事がなく、逆に姿を見せた時には相当に重要な「何か」がある事が多いと聞くわ。つまり、そんな重要人物が直接連れて行かなければならない程、貴方は大きな事をしようとしていたという事になる」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るわ。勿論それだけじゃ、何の為に貴方がランク戦のブースにいたのかは分からない。けど、あの葉子が貴方の存在に気付いたって事は、少なからず貴方の存在を葉子が認知する切っ掛けがあった────────即ち、貴方は葉子に何かの用事があってあの場にいた。違うかしら?」
「…………いや、違わないよ」
全ての反論を封じられた佐鳥は、絞り出すような声でそう告げた。
正直、感服していた。
華には、そこまで情報を与えていた覚えはない。
今話していた事も状況証拠ばかりで、決定的な物証はない。
だが、それでも少ない
どうやらこの少女は、見た目以上に頭が切れるらしい。
単純に頭が良いというよりも、頭の回転が滑らかに過ぎるのだろう。
多くの教養を備え、知識の採集に余念がなく。
いざとなれば集めた情報を総動員して頭を回し、論理的に正解へ辿り着く。
それだけの素養が、彼女にはあるのだろう。
今まで出会った事のないタイプなだけに、面食らった事は事実である。
どうやら相当に、曲者のようだった。
「ちなみに、貴方がわたしや葉子の情報を探っていた、なんて話も耳にしたの。なるだけ人を選んで聞いて回っていたようだけど、人の口に戸は立てられないわ。とは言っても、わたしと親しい人間は限られるから無理もないけれど」
「そこまで知られてたか。うーん、確かにちょっと迂闊だったかもね」
佐鳥は反論をするでもなく、素直に感嘆した。
確かに彼女の言う通り、佐鳥は香取の交友関係について聞き込みを行っていた。
とは言っても香取は想像以上にボーダーでの交友関係が狭く、華に至っては誰と個人的な繋がりがあるか全く分からないレベルだ。
なので止む無くオペレーターを中心に聞いて回っていたのだが、傍から見れば年頃の少女の事を男子が探っている、という状況だ。
問いかけを行ったオペレーターの何れかから華に情報が伝達されたとしても、何の不思議もない。
そういう意味で、少々佐鳥の行動は軽率だったと言える。
そこから今の状況に持って来た華の手腕には、脱帽するしかないのだが。
「話を戻すわ。貴方は少なくとも、葉子が気付くレベルで彼女に意識を向けていた。加えて、その後貴方は葉子だけじゃなくわたしの事を調べていた。つまり貴方が接触したかったのは、葉子かわたしの
そして、と華は続ける。
「わたしと葉子のどちらか一方に話を出来れば良い、というのであれば内容は限られる。とはいえ、此処からは完全な想像になるわ。少なくとも、普通の発想だと一体何の用なのか見当もつかないもの────────
華はそう言って、眼を細めた。
眼鏡の奥の瞳は、真剣な色を帯びてこちらを見据えている。
佐鳥はその視線を正面から受け止め、次の言葉を待った。
「実はあの時、葉子から
「一体、何を…………?」
「────────三年前。あの大規模侵攻の日、わたし達にはあの日行方不明になった幼馴染がいたの。その子の事を、話していたのよ」
「…………!」
その言葉を聞いて、佐鳥は瞠目した。
まさか。
まさか、あんな限られた情報と偶然を必然と解釈する論理の飛躍によって。
彼女は、樹里の存在にまで行き付いたというのか。
その動揺は華にも伝わったらしく、すぅ、と眼を細めた。
「やっぱり、そうなのね。わたしと葉子が共通して欲する話題となると、それくらいしかない。少なくとも、貴方という第三者がわざわざ接触を図ろうとするのなら、そのレベルの理由付けがないとおかしいものね」
「…………参ったな。本当に、何でもお見通しって感じだね」
やれやれ、と佐鳥は思わずかぶりを振った。
こうまで詰められては、誤魔化しようがない。
当初の目的を考えれば願ったり叶ったりではあるのだが、それにしても本当に立つ瀬がないとはこの事だ。
同い年の少女相手に此処まで理論的に詰められるというのは、流石に経験がない。
本当に同年代なのかと疑う程度には、華の頭のキレは群を抜いていたと言える。
「一応、確認するね。その子の名前は? 君達は、その子に対してどういう認識をしてるのかな?」
「木岐坂樹里よ。彼女は三年前の大規模侵攻から、行方が分からなくなっている。あの子の両親は遺体が発見されているから、生存は絶望視されているわ。とはいえ、少なくとも葉子はあの子を見付ける事を諦めてはいない。一縷の望み、と言うには細過ぎるのは承知しているみたいだけどね」
そこまで言うと華は一旦話を切り、チラリと佐鳥の様子を伺った。
佐鳥が黙って傾聴の姿勢に入っているのを確認すると、一呼吸置いて話を再開した。
「あの日行方不明になった人間の末路は、大きく分けて二つ考えられる。一つは、火事等で遺体が損壊し誰のものなのか判別すら出来なくなっているパターン。瓦礫の下敷きになって亡くなった人も多いけれど、建物の破壊に伴う火事によって死んだ人も少なからずいた。そういう人の亡骸は、酷いものだったそうよ」
華の言う通り、あの三年前の大規模侵攻での人的被害は相当なものだった。
瓦礫の下敷きになって亡くなった人間もいれば、建物の倒壊に伴って発生した火災によって死んだ者も少なくない。
街を蹂躙したバムスターは通り道にあった建物を全て踏み潰していたし、ガスボンベのようなものがあったりした場所も関係なく倒壊させていた。
その拍子に火事が起きてもトリオン兵にそれを頓着する理由はなく、結果として火災という二次被害が発生し多くの人々の命を奪った。
加えて言えば火災に巻き込まれた人の遺体をバムスターが踏み潰し、原型を留めないレベルで損壊したというケースも少なくなかった。
トリオン兵は鹵獲の為に生体反応を検知する機能が備わっているが、既に死んだ人間に対しその機能は発揮されない。
故に通り道に遺体があった場合でも関係なく踏み潰しており、あのような巨体に潰された遺体がどんな有り様になるかは自明の理だ。
「火災で亡くなった人の遺体がトリオン兵に潰された場合、個人の特定は困難を極めるわ。焼けて男女すら分からなくなった上に四散までしていたら、流石にそれが誰のものなのかを調べるのは相当骨が折れる筈。あの日行方不明になった人間の数が多過ぎるから、特定まで至るのは相当にレアケースだと聞くわ」
よって、そういった末路を迎えた場合遺体の状況は眼を覆うしかないものとなる。
火災で人体が焼けて人相どころか男女すら分からなくなる上に、踏み潰されて四散したとなれば個人の特定は不可能に近い。
あの日いなくなった人間の数が100や200では利かない以上、その中から探し出すのは無謀とも言える。
「これが、ケース1。そしてもう一つが、
もう一つのパターン、近界民に攫われたという可能性は、当然考慮して然るべきだろう。
あの日いなくなった人間の大多数は、恐らくこちらに当て嵌まる。
近界民がこの世界を襲うのは、偏にトリオンを持った人間という人的資源を搾取する為だ。
あの日街に放たれたトリオン兵は、人間の鹵獲を目的としていた。
その過程で多くの犠牲を出したとしても、本命が拉致である事に変わりはない。
三年前のあの日にいなくなった人間の大多数は、近界民によって連れ去られたと考えた方が良いだろう。
とはいえ、こちらだったとしても生存は絶望視するのが普通だ。
拉致という手段を使って連れて行った人間をまともな扱いをするとはとても思えないし、そもそも既に三年の月日が経過している。
まともに生きている、という可能性を諦観する程度には、時間が経ち過ぎている。
事実これまで連れ去られた人間が帰還した例などなかったのだから、無理もない。
「話を戻すと、貴方の用件は樹里に関する事で間違いないと推測している。そして貴方は、彼女に関する何かの情報を葉子に話そうとして迅さんに制止を受けた。間違いない?」
「此処まで来ると否定する気も起きないね。イエス、と言っておくよ」
そう、と華は得心したように頷いた。
流石に此処まで理路整然と詰められては、否定する方が馬鹿らしい。
既に逃げ道は完全に塞がれていたも同然だし、当初の目的を考えれば願ったりではある。
考えていた以上に華の頭の回転がえぐかったのは、想定外であったが。
「迅さんが貴方をそういった理由で止めたのなら、貴方がわたし達に伝えたい内容も推測出来る────────とはいえ、願望も込みになってしまうのだけれど」
「染井さんは、なんだと思っているの?」
佐鳥が探るような視線を向けると、華はしばし逡巡の後、口を開いた。
「────────あの子の、樹里の生存。それが、何らかの形で確定した。違うかしら?」
「違わないよ。それを伝えたかった、という事まで含めてね」
「…………っ!」
その時、初めて華が息を呑んだ。
自分で語っておきながら、それが希望的観測に基づいたものだと自覚はしていたのだろう。
それが肯定されて、ハッキリと驚きを露にしている。
実のところ今日初めて、年頃の少女らしい反応を見せたとも言えた。
「…………話せる、範囲でいいわ。教えて頂戴。あの子に、関する事を」
「分かった。話せる事は多くはないけれど、手短に伝えるね」
そうして、佐鳥は口を開く。
その口から伝えられる内容を聞き逃さないよう、華は真剣な眼で佐鳥を見据え、傾聴していた。
「あれ、は…………」
同刻、樹里は自分のマンションのベランダから何気なしに遠くを、ボーダー本部を見ていた。
普段彼女は検査が無い時、佐鳥が共にいない時はこのマンションの部屋で過ごしている。
とはいえ、まだ住み始めて浅いこの部屋で暇を潰せる手段は多くない。
結果として樹里はこうして、佐鳥の事を探すべく自然とベランダに足を向ける事が多かったのだ。
────────此処に、一つの見落としがあった。
それは、彼女の
樹里は、先日発見されるまでの記憶を喪失している。
故に、自身の身体の
即ち、
その精度は並の望遠鏡を凌駕し、遠くの景色であってもその場にあるかのように見通す事が出来る。
記憶がなくなっているが故に、樹里はその事を
だからこそ申告はしていないし、彼女の左目の義眼はブラックボックスの塊であるが故に開発室での調査も難航していた。
よって、樹里の視力が異様に強化されていた事について、誰も知る事が出来なかった。
そして。
尋常ならざるその視力を以て、彼女は一つの光景を目にする事になった。
それは、佐鳥がボーダー本部の屋上で一人の少女と密談している姿だった。
「あの女の子、知ってる……………………けど、思い出せない。だけど、知ってる…………っ! あの子、知ってる筈、なのに…………っ!!」
樹里は思わず、頭を抑えて蹲る。
ズキン、と疼痛が彼女を襲う。
それは、蓋を閉じられた記憶を刺激されたが故の、痛みだった。
「…………あの子は、きっと────────賢、まだ分からない、って言ってた。でも、会ってる。なんで…………?」
同時に、樹里の胸中に別の感情が燻り始める。
その気持ちの名を自覚出来ない少女は、複雑な感情の入り混じった表情で遠くの情景を睨みつけた。
「…………なんか、イヤ────────賢が、わたし以外の子と、話してるの」
彼方の景色を見据える、少女の瞳。
そこには確かな、激情が秘められた情念が宿っていた。