(…………あの子が、樹里が生きてる、か…………)
華は一人、深く息を吐きながら頭を抱えていた。
彼女は佐鳥との会談を終え、帰路に就いている最中だ。
元は単なる直感から始まった、佐鳥に対するコンタクト。
それが予想通りの、否。
予測以上の成果を以て遂行出来たのだから、その心中は察するに余りあるだろう。
(佐鳥くんは、樹里の状態に関しては頑として口を割らなかった。生存し、居場所が確定している。わたしに伝える事が
そんな佐鳥から得られた情報、それは。
三年目に行方不明となった幼馴染、木岐坂樹里の生存の報であった。
正直、驚いていないと言えば嘘になる。
何せ、最早生存を絶望視し会う事など夢のまた夢とまで思っていた相手が生きていた、というのだ。
まさに夢のような話で、今でも現実感がない。
それでも、佐鳥が嘘を言う理由がない以上、真実なのだろう。
華は、そう思う事にした。
(状況からして、樹里の生存を伝えられる事が看過されたのはわたしだけで、葉子に対してそれは許されなかった。あの子がこれを知ったら何が何でも会おうとするだろうし、逆説的に考えれば
また、その裏についても推察していた。
現状、樹里の情報を伝える事が許されたのは自分だけで、香取への情報伝達はあの迅が出て来るレベルで阻止された。
即ち、それだけ彼女の情報に関する扱いはデリケートなものである事が察せられる。
(発見はされたが意識が戻らない、或いは重篤な障害を負っている、というパターンは有り得ない。それなら生存そのものを隠匿するだろうし、少なくとも佐鳥くんは善意からわたしに伝えようとしてくれていた様子だった。だから、生存は確定しているものの立場的に非常に繊細な状態である可能性が高い)
会わせても絶望するだけのような状態、という可能性はまず無いと見ている。
それならばわざわざ自分と接触してまで伝えようとする筈がないし、佐鳥はあくまでも「せめてこれくらいは伝えておきたい」と善意で行動していた様子だった。
ならば考えられるのは生存が確定し尚且つ無事であるが、立場的に非常に繊細な状態であるケースが考えられる。
(想定されるのは、
華は、樹里がこれまで行方を晦ましていた理由について楽観はしていない。
恐らくは近界に攫われていたのだろうと、当たりを付けている。
ならばその樹里が生きて発見されたという事は、これまでに前例のない「近界から生還した唯一無二の帰還者」という事になる。
マスメディアがこれを知ればこぞって彼女に群がるだろうし、周囲の人間やボーダーという組織そのものにも無視出来ない影響が広がるだろう。
それを阻止する為に情報を制限しているのだとすれば、納得は出来る。
(…………今わたしが得られている情報から出来る推察は、これが限界。あとは想定に想定を重ねた推測、妄想の域になる。わたしより口が軽いと思われてる葉子に伝えないのも筋は通るし、あの子が知れば間違いなく何が何でも会おうとするから個人的にも正解に思える)
現状で得られた情報で出来る推察は、此処までだった。
一応、今の推測でも香取に伝えない理由は理解出来たし、自分も敢えて彼女に教えるつもりはない。
今すぐに会えるのならばともかく、あの様子だと樹里に会う許可が下りるまでは大分かかりそうな感じであったからだ。
それまで香取が我慢出来るとは到底思えないし、今は口を噤んでおいた方が良いだろう。
(でも、なんでだろう。嫌な予感が、消えない。気になるのは、迅さんの対応がどうにも過剰に思える事。彼が動くのはあくまでもボーダーやこの世界そのものの危機に対してであって、こういう情報統制はどちらかというと根付さんとかの上層部の管轄な気がする事くらいかな)
だが、華はどうにも引っ掛かりを覚えていた。
考えられる根拠としては、わざわざあの迅が直接動いてまで佐鳥を止めた事だろう。
迅の事を詳しく知るワケではないが、これまでの情報を鑑みるに彼はこの世界を守る為にその異能を行使し動いている様子だった。
その迅が直接動く程の案件としては、些か今回の事は分野違いであったように思うのだ。
勿論メディアに漏洩した結果起こる悪影響を無視出来なかったと言われればそれまでだが、それでも迅が他者の前に直接姿を現してまで阻止する程の案件であったかと言われれば多少の疑問が残ったのも確かである。
(…………あとは、そう。佐鳥くんと話していた時、何処からか視線を感じた気がする。あんな場所を直接見るには望遠鏡でも使うしかないから、勘違い、だと思うのだけれど…………)
もう一つ、気になって居る事があった。
それは先程、佐鳥と話していた時だ。
その時、華は何処からか自分が「視られている」という感覚を覚えていたのだ。
勿論、気の所為である可能性が高い。
あの時いたのはこの近辺で最も高いボーダー本部の屋上であり、あの場に誰もいなかったのは確認済みだ。
外部から屋上を視認するには高い建物から望遠鏡等を使うしかないが、わざわざそんな真似をする者はまずいないだろう。
そう思えば、ただの気の所為として片付けた方が良い。
それが、常識的な対応の筈だ。
(でも、あの視線。ただのそれじゃなくて、何か負の感情が込められていた気がする────────痛々しい、けれど
しかし、華はそれを気の所為として片付ける事はどうにも出来なかった。
その視線を受けた時、それに乗っていたらしき感情が気にかかったのだ。
何処か懐かしくも、明確に負の感情であるそれで。
憎悪と言うには拙く、それでいて痛々しい。
彼女は、そんな感想を覚えていた。
(今、出来る事は何も無い。それは分かっているけれど────────この予感が当たらない事を、祈るだけね)
(何とか情報は伝えられた。追及は想定より鋭かったけれど、何とか誤魔化す事は出来たか)
佐鳥は一人、警戒区域の中を歩きながら先程の出来事を反芻していた。
彼は念願の華に対する樹里の生存の情報提供を完遂し、満足して帰路に就いていた。
勿論樹里の現状について厳しく追及されたが、思っていた以上に華は聡明であった為、こちらの立場を伝えるニュアンスで話をしたところ渋々ながら納得してくれた。
想定していたよりも感情的な少女であったが、それ以上に頭が回り聡い人物でもあったので、察しが良い事を利用した形になるが現状ではこれが限界でもある。
まかり間違っても樹里の現在位置や現状を伝えるワケにはいかない以上、彼に出来るのはこれが限度だ。
一先ずの目標は達成出来たのだから、これで良しとするべきだろう。
(樹里ちゃんにこれを伝えられないのが、心苦しいな。彼女のお願いを無下にする事になるけれど、言えば会おうとするのが眼に見えてる。それが出来ない以上、彼女の事を伝えないくらいしか対処法がないからね)
しかし、華や香取の事を樹里に伝えられない事は気にかかっていた。
樹里の「二人に会いたい」という願いに反する事になるが、彼女達が見つかった事を伝えれば接触をしたいと思う筈だ。
だが、迅によって樹里が二人と直接会う事は禁じられている。
ならばそもそも見つかった事を隠匿し、コンタクトが許可されるまで待つべきだろう。
樹里を騙す結果になり心苦しいが、今はこうする他ない。
「って、あれは…………っ!」
そこで、気付いた。
視線の先。
向かっていた樹里のアパートの前に、人影がある。
その正体は勿論というか当然の如く樹里であり、佐鳥は慌てて駆け寄った。
「樹里ちゃん、ここは一応警戒区域だから危ないって…………っ!」
ほぼ端とはいえ、佐鳥がいるのは警戒区域の内部だ。
他者に樹里のマンションに通っているのを見られるワケにはいかないので佐鳥はトリオン体になって此処を通っているが、それでも「近界民が現れる可能性のある区域」である事は事実だ。
樹里のマンションは警戒区域の境界線上に建っており、有刺鉄線はその裏手に張り巡らされている。
しかし佐鳥が入り易いように一部のみそれが外されており、そこから出入りする事は可能だ。
恐らくだが、樹里はその裏口から出て来てしまったのだろう。
マンションから出ないように言い含めていたのだが、今日は佐鳥の帰りが遅かったので待ちきれなかったに違いない。
自省と共に足を速め、何とか樹里の下へ辿り着く。
「樹里ちゃ────────」
「賢」
そして、気付いた。
俯いていた樹里が、顔を上げる。
その表情に、明確な負の感情が。
憎悪のような、悲痛な想いが宿っていたという事に。
「なんで、黙ってたの?」
「え…………?」
「────────あの子が見つかったのに、なんでわたしに黙って二人だけで話してたの? 賢」
「…………っ!!??」
────────そして、その口から発せられた言葉に瞠目する他なかった。
あの子、というのが誰なのか、というのは問うまでもない。
華だ。
理由は分からないが、樹里は自分が華と会って話していた事を知っている。
それを追求しているのは、明らかだった。
「樹里ちゃん、どうして…………」
「答えて。なんで、あんな所で二人だけで話してたの? 見付けたら教えてくれるって言ったのに、賢はわたしに嘘をつくの?」
「…………ごめん、それについては謝るよ。けど────────っ!?」
最早誤魔化す事は出来ないと佐鳥は腹を括り、樹里に謝罪しようとする。
しかし、予想外の樹里の行動で佐鳥は言葉を止めざるを得なかった。
突然佐鳥の腕を掴んだ樹里は、あろう事かその腕を自分の胸に押し付けたのだ。
手に伝わる柔らかな感触に頬が紅潮しかけるが、樹里の眼を見てしまい凍り付く。
樹里の瞳は深い悲しみと、凄まじいまでの情念が燃え盛っていた。
「わたしを、一人にしないで。わたしを、裏切らないで。賢の為なら、なんだってしてあげる。賢の望む事なら、なんでも。なんでもだよ? だから、わたしを置いていかないで。他の女の子と、話して欲しくないの」
「樹里、ちゃん…………」
「わたしには、賢しかいないの。何があってもわたしの味方でいてくれる人は、賢しかいないの。だから、だから、だからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだから…………っ! わたしだけを、見ていて…………っ!」
ぎゅっと、樹里の腕に力が籠る。
その膂力に遠慮はなく、佐鳥がトリオン体でなければ腕に痣が残っていただろう。
何よりも、その腕に込められた力の強さは樹里の情念そのものだ。
樹里の瞳には、寂しさと恐れがこれでもかと詰め込まれていた。
恐らく、「華の情報の隠匿」という裏切り行為としか思えない事を受けた事で彼女の精神が極度に不安定になってしまったのだろう。
その結果、こんな行動に出てしまったに違いない。
(おれは、馬鹿だ…………っ! この子が不安定な状態にある事くらい、知ってた筈なのに…………っ!)
佐鳥は、自分の行動を悔いた。
強引にでも華に会い樹里の生存を伝えようとしたのは、自分のエゴだ。
結局のところそれを成し遂げても樹里本人にはそれを伝えられないのであれば、彼女を放ってまで行動に移すべきではなかった。
結果として樹里は佐鳥に裏切られたと考え、精神が不安定になっている。
警戒区域側にまで出て来てこんな行動をさせたのは、佐鳥の責任にあると言っても過言ではないだろう。
佐鳥は正面から樹里に謝罪するべく、口を開こうとする。
樹里は一時的に不安定になっているだけで、佐鳥が真摯に説得すればまだ後戻りは出来ただろう。
記憶が無い故の孤独感で情緒のバランスが崩れているが、まだ取り返しのつく範囲と言えた。
「樹里ちゃん、おれは────────」
「感情閾値の一定の超過を確認しました。臨界条件の達成を確認。記憶封鎖の解除を実行します」
────────だが、仕込まれた悪意はあらゆる善意を覆す。
異変が、起きる。
彼女の脳内にのみ響いた機械音声が、その契機だった。
「あ、あ、あぁ…………っ!!??」
「樹里ちゃん…………っ!?」
樹里は突如頭を抱えて苦しみ始め、それによって腕を解放された佐鳥は慌てて彼女を抱き寄せる。
少女の身体は痙攣し、その顔は恐慌に歪んでいる。
今まで見た事のない、医務室で見たそれを遥かに上回る「恐怖」の表情がそこにはあった。
────────
────────いたい、いたいいたいいたいたいいたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…………っ!!! わたしのめ、わたしのめ、かえしてぇぇぇぇぇ…………っ!!!────────
少女の脳裏では、封鎖されていた記憶がフラッシュバックしていた。
それまで機械的な手段で封じ込まれていた忌まわしい過去が、容赦なく彼女を襲っている。
当時の痛み、恐怖が少女の脳裏を幻痛で焼いていく。
────────検体の損壊率が30%を超過。戦闘継続に支障なし。戦闘実験を継続します────────
────────いたい、いたいよぉ。とまって、なんで、とまらないの…………っ! わたしのからだ、とまってぇ…………っ!!────────
少女の脳に蘇るのは、かつての実験の日々。
ククロセアトロで受けた凄惨極まる、人道を無視した地獄の毎日の記録だった。
────────女性機能の成長により性能試験の低迷を確認。投薬により、検体の調整を実行。その後、戦闘試験を────────
────────やめ、て。わたしのからだに、もう、なにもしない、で────────
「あ、あぁ、あ、あぁ、あぁああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁあぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁあぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁあぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁあぁぁあああぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁあああぁあぁぁぁああああああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!!!」
────────そして、変貌が始まった。
樹里の身体は突如としてトリオン体になり、佐鳥と出会った時の真っ白なボディスーツへ姿を変える。
それと同時に少女が無意識に佐鳥を突き飛ばし、トリオン体の膂力で弾かれた佐鳥は吹き飛ばされながらも何とか地面に着地する。
「なに、が…………っ!?」
そして、見た。
少女の身体から、無数の細い「何か」が伸びる光景を。
それは周囲の建物へ接続すると、その外壁を剥がし、樹里の周囲へと収束させていく。
その「何か」、否。
極細の「糸」は、周辺から片っ端から資材をかき集め、少女の身体を纏う鎧へと変化させる。
────────そして、変貌が完了する。
赤く染まった左目に、背から伸びる瓦礫の翼。
右腕は瓦礫を集めた武骨なアームと化しており、背には蟲の脚部のような四本のパーツが生えている。
少女の肢体を瓦礫で彩った、悪趣味なオブジェ。
そうとしか言えない姿が、そこにはあった。
「じゅ────────」
『対象の感情閾値を超過させた対象を、優先排除対象と認定。撃滅を実行します』
そして。
樹里の口から放たれた、彼女ではないナニカの声と共に。
佐鳥に向かって、無機質な殺意の込められた鋭いアームが振り下ろされた。