(樹里ちゃん…………っ!)
佐鳥は痛み故と思わしき絶叫をあげる樹里を見て、跳び出しそうになる手足を必死に抑えていた。
瓦礫の翼と蜘蛛脚が生え、異形と化しているとはいえ今対峙しているのは「守りたい」と願った大切な少女本人だ。
対処しなければ不味い事になるのは明瞭ではあるが、それでも愛しい少女が苦しんでいるのを見過ごさなければならないのは佐鳥にとって苦痛だ。
しかし、明らかな暴走状態にある樹里相手に生易しい事を言っている余裕はない。
今は一刻も早く、彼女を無力化しなければならない。
その為に必要な最善を選ぶ事こそ、自分がすべき事だろう。
(頭では分かってる。分かってるんだ…………っ!)
とはいえ、心の軋む音からは眼を逸らせない。
こちらに敵対した行動自体は何らかの外的要因に依るものだろうが、それでも刃を向けているのは樹里本人なのだ。
平気な顔をして戦え、という方が無理があるだろう。
(それでも、やるしかない。やるしか、ないんだ…………っ!)
されど、今更泣き言を言うワケにはいかない。
今はただ、異形と化してしまった少女を速やかに無力化する事だけを考えるべきだろう。
出来るなら、なるだけ少女を傷つけない方法で。
そんな
(待っててね、樹里ちゃん。必ず────────)
(一応、叱咤は必要なさそうだな。よく自制が出来ている)
風間はチラリと佐鳥の様子を垣間見て、内心で称賛する。
少女の苦しむ姿を見て戦闘に悪影響が出るのではないかと一瞬懸念はしたが、あの様子であれば大丈夫だろう。
無論内心で葛藤しているだろうが、それを表に出さないよう努めているだけでも組織人としての自覚は充分と言える。
彼女の一件では色々と暴走じみた真似もしたようだが、元々佐鳥はあの東と共に狙撃手黎明時代から戦い抜いて来た隊員だ。
狙撃手としての心構えは人一倍出来ているし、公人としての意識も強い。
樹里に関しては少々入れ込み過ぎの部分も見受けられたが、現状を認識出来ないような愚物でないようで何よりと言える。
(とはいえ、彼女を徒に痛めつけ続ければどうなるか分からん。あの様子を見る限り、痛覚設定を殆ど抑えていないように見える。仕留めるなら一撃が理想か)
だが、それでも少女が苦しむ姿を見続ければ佐鳥の心が揺れかねない。
加えて言えばたった今見せた痛苦に歪む姿も、懸念点だ。
痛覚設定を生身の身体と同じように設定しているのであれば、通常トリオン体同士の戦闘では頻発する手足の切断等の部位破壊の度に相応の痛みが襲う事になる。
トリオン体では普通は痛覚設定をオフ、もしくは最小に設定しており、ダメージを受けてもそれが原因で動きが鈍ったりする事のないようにしてある。
この仕様があるからこそトリオン体での戦闘では腕や足を犠牲する戦法や自身を捨て駒とするやり方等が躊躇いなく実行されるのであり、仮想空間での
風間の知る限りこの仕様は近界も共通しており、あちらの場合は戦闘時に痛みで動きが止まる事がないようにという配慮であり、こちらの世界程捨て身戦法は確立されていない。
近界は日常的に戦争を繰り広げているような世界であり、一度破壊されたトリオン体は修復まで時間がかかる以上、訓練でトリオン体を破損させている隙に敵に攻め込まれる、というシチュエーションも充分に考えられるので、こちら程トリオン体での訓練を自由に行う事は出来ない様子だった。
無論大国となれば違うのだろうが、経験上小国では訓練は生身で、実戦の時のみトリオン体を用いる、というやり方が多いように思えた。
(何を考えて痛覚設定をそのままにしているのか。愉快な想像は出来ないな)
だからこそ、あの仕様はおかしい。
痛覚設定を調整せず戦闘を行うのは、どう考えてもデメリットだ。
戦闘中は多くの情報を処理しなければならない関係上、痛みという余計な情報を取得すればそれだけ思考に負荷がかかり易くなる。
手が無いのであればともかく、多少の手間でそのリスクを減らせるとなればやらない理由は無い筈なのだ。
…………あくまでも、
まともではない、利己的或いは悪意的な思考に基づくのであれば、可能性は幾らか考えられる。
どう考えても愉快には成り得ないケースが殆どなので、その意義を推察する事に意味はないと風間は結論した。
(余計な事を考えている暇はない。今は、戦力分析が先だ)
風間は思考を切り替え、再び樹里を見据える。
俯いている少女はゆらゆらと揺れ、その姿に生気は感じ取れない。
しかし、得体の知れない何かに無理やりに身体を使われている事に関する悲哀が、否が応でも眼に見えていた。
(斬撃で翼を斬った時の手応えからして、あの瓦礫の翼や蜘蛛脚の強度は大した事はない。文字通り、瓦礫を繋ぎ合わせただけの張りぼてだ。問題は────────)
風間が試行している最中、樹里に変化が訪れる。
切断された翼の付け根から無数の極細の糸が出現し、周囲の瓦礫に接続。
それらをかき集め、再び瓦礫の翼を形成した。
(張りぼてという事は、
樹里の翼や蜘蛛脚は、瓦礫を繋げて構築したものだ。
強度そのものは低いが、逆に言えば壊れたところで幾らでも修復が可能という事でもある。
武器破壊による戦力低下は、一時的なものでしかないという事だ。
(だが、あの砲撃を防ぐ手段としては有効だ。徒に苦しめる事にならないよう、暴発が起きる前に速やかに実行すべきだろう。いざという時は、躊躇わないがな)
それでも、翼を破壊すれば先程のように砲撃を停止させられる、という結果が付いて来る。
タイミング次第では暴発により更に苦しませる事になってしまうが、そこは仕方が無いと割り切るべきだろう。
この場での無力化に失敗し、市街や基地に被害が出る事だけは絶対に避けなければならないのだから。
『
「…………!」
だが、目の前で樹里の姿に変化が訪れる。
背の瓦礫の翼から更なる糸が発生し、周囲の瓦礫を引き寄せ押し潰す。
そうして、瓦礫の翼は無数の鉄条網に覆われた分厚いプレートへと姿を変えた。
明らかな、防御偏重の改造。
風間の奇襲を警戒しているのは、見ただけで分かった。
(防御力を上げたか、厄介だな。だが、あれだけ嵩張る翼を背負っていては機敏な動きは望めないだろう。格闘戦は捨てたか)
しかしその代償として、機動力は大幅に減衰しているように思える。
幾ら蜘蛛脚の脚力が強いからといって、あれだけの重量を背負ったまま移動するのは相当に負担がかかる。
即ち、最初に見せたような機動力に任せた格闘戦はほぼ捨てている形態と言える。
「歌川」
「はいっ!」
風間の号令により、歌川はハウンドを斉射。
四方から光の弾幕が、樹里に襲い掛かる。
『────────』
それを樹里は、プレートウイングを前面に展開する事で対応。
背部の翼を自身の前方に突き刺した。
少女の身を包む程に巨大化した翼は堅牢な盾となり、全ての光弾を凌ぎ切る。
歌川の攻撃は、傷の一つすら与えてはいなかった。
(ならば、こうするだけだ)
それを見た風間は再び歌川にアイコンタクトで指示を出しつつ、疾駆。
歌川の光弾の群れと並走する形で、一気に樹里との距離を詰める。
『下ッ!』
「ああ」
それに対し、樹里は再び地面から突き立つ無数の瓦礫の杭を以て迎撃。
しかし、既に見た手品でやられる程風間は甘くはない。
菊地原の声と共に滑らかに横に移動し、鉄杭の攻撃を躱す。
そしてそのまま樹里の背後に回り、スコーピオンを投擲した。
『────────』
だが、背部のリングを狙ったその刃は蜘蛛脚の一本により迎撃され弾き落とされた。
更に蜘蛛脚の一本を振りかぶると、その関節部分を切り離し射出。
スコーピオンの投擲の模倣だとでも言うかのように、蜘蛛脚の弾丸が風間を襲う。
「…………!」
風間は咄嗟に横に跳び、その攻撃を避ける。
流石に想定外の攻撃方法ではあったが、思えばあの蜘蛛脚ですら瓦礫を繋ぎ合わせた張りぼてでしかないのだ。
破壊されても修繕可能と言う事は、自ら切り離したところで痛苦に感じないという事でもある。
そう考えれば、こういった攻撃方法も有り得るという事も理屈としては理解出来る。
『
更に、樹里の側に動きがあった。
樹里の露出した背中から無数の糸が飛び出し、周囲の瓦礫を吸着。
昆虫の外骨格を模した装甲が背部に装着され、堅牢な鎧となった。
これで、生半可な攻撃は彼女に通らないと見て良いだろう。
「チッ」
風間は舌打ちしつつ、その場から後退し歌川の下まで移動する。
そうして、改めて現状を分析し直した。
(機動力を完全に捨てて、完全に防御力偏重の重戦車のような戦闘スタイルを徹底するつもりか。こうなると早々に負けはしないが、同時に決め手もない。千日手だな)
敵は少しどころではなく完全に機動力を捨て、防御力を強化した上での引き籠り戦術を実行するつもりのようだ。
こうなると、
風間隊のコンセプトはヒット&アウェイの対人戦に重きを置いており、硬い装甲を持った相手との戦いは少々骨が折れる。
やってやれない事はないが、相手の外殻が強固且つ幾らでも修繕が可能となれば、少しずつ装甲を削るしか相手を倒す方法のない風間隊のトリガー構成では終わりのない耐久戦になりかねない。
風間隊のメインウェポンは、スコーピオンである。
スコーピオンは応用力が高く軽い上に身体の何処からでも生やせるというスピードアタッカー御用達の優秀なトリガーだが、弧月よりシールドの突破力は劣り、旋空のように強引に防御を割る手段もない。
防御を割るのではなくすり抜けて攻撃するのがスコーピオン使いの戦い方であり、全身を強固な鎧で覆った相手との戦闘は門外漢と言っても良い。
(再生する強固な鎧、というのが厄介だな。矢張り、有効打がない)
それでも普通であれば少しずつ装甲を削るなどやり用はあるのだが、今回は鎧自体が堅い上に幾らでも修復されるというオマケ付きだ。
卓越した旋空の使い手がいればどうにかなる状況ではあるが、生憎風間隊の中に弧月使いは一人もいない。
このままでは、文字通りの千日手になるのが眼に見えていた。
(耐久戦闘は、こちらが不利だ。聴覚共有は長い時間行えるものではないし、今の行動を鑑みるに敵は戦闘データに適応して成長している傾向が見られる。相手の行動限界が分からない以上、無策で遅延戦闘を行って良い筈がない)
そうなると、不利なのは風間隊の方だ。
聴覚共有は確かに攻撃の察知等で有用だが、長時間行っていればどうしても負担が重なってしまう。
通常の聴覚しか普段持っていない風間達に、尋常ならざる聴力を持つ菊地原の感覚を疑似的に共有するのだ。
長時間行えば有り体に言えば乗り物酔いに近い状態になってしまうし、そうなればまともな戦闘など行える筈もない。
敵があとどれだけ活動出来るかも不明な以上、徒に長期戦に付き合うのは愚策と言える。
(────────手はない。あくまでも、俺達に
それ以外に選択肢がないのであれば、やるしかない。
しかしそれは、それ以外に手が無い場合の話である。
風間には、そうはならない確信が。
否。
たった今入電した
「メテオラ」
少女の涼やかな声と共に、無数の爆撃が放たれる。
それは樹里の前面に展開されたプレートウイングに着弾し、誘爆。
鉄壁の鉄条網の翼を、揺らしてのける。
『────────!?』
更に、そこに重厚な銃声と共に無数の弾丸が叩き込まれる。
一点に集中して放たれたガトリングの弾幕は、鉄条網の翼の接続部分を破砕。
そのまま貫通し、蜘蛛脚の一本を吹き飛ばした。
樹里の姿をした異形は突然の事態に困惑した様子で、頭を抱えながら左目の紅眼で新たに現れた二人を睨みつけた。
「助太刀に来たわよ、風間さん。ていうか、何なのあれ」
「それについては尋ねない約束だろう。風間、これより戦闘に参加する。指揮はお前に任せるぞ」
瓦礫の戦場に、新たな風が吹き荒ぶ。
その名は、小南桐絵と木崎レイジ。
ボーダー最強部隊玉狛第一のメンバーにして、一人で一部隊換算の文字通り一騎当千の二人であった。