香取隊の狙撃手   作:デスイーター

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樹里、記憶の向こうに

 

 

「結論から言えば、彼女は無事じゃ。極度の衰弱状態にある故暫く安静が必要ではあるが、命に別状はない」

「…………そうですか。良かった」

 

 鬼怒田からの説明を受け、佐鳥は一先ず安堵の息を漏らした。

 

 此処は、ボーダー本部の開発室の一角。

 

 医務室としての設備を持たせた場所に、彼はいた。

 

 硝子を挟んだ向かい側には、ベッドに横たわる樹里の姿がある。

 

 樹里の暴走が止まった後、風間を介した鬼怒田の指示により彼女は此処に運び込まれた。

 

 詳細不明の暴走に加え、あれだけ苦し気な様子を見せていたのだ。

 

 何が起きてどのような事態になったか不明であった以上、開発室に向かうのは当然の処置と言える。

 

 本来であれば病院に連れて行く所なのだろうが、樹里の身体はブラックボックスが多過ぎる。

 

 普通の病院に連れて行っても状態が改善するとは思えず、更に言えば説明出来ない部分も多過ぎるのでボーダーの内々で処理する事になった、というワケだ。

 

 しかしそこまでの専門設備が整っていない医務室では面倒を見切れない為、近界の技術にもある程度精通している開発室が選ばれたという経緯だ。

 

 佐鳥もあんな有り様になった樹里を一般人の眼に晒す事がどれだけのリスクを抱えるかくらいは理解出来るので、この指示には納得している。

 

 彼女の身体の事を黙っていた事に関して何も思わないワケではないが、それでも今この場所以上に頼れる所はない。

 

(それに、勝手な行動をして迷惑かけたのは事実だしね。てっきり、もっと叱責があると思っていたけど)

 

 チラリと、佐鳥は鬼怒田の顔を伺い見る。

 

 鬼怒田はそんな佐鳥の視線の意図を察してか、深く溜め息を吐いた。

 

「…………気にするな、とは言わん。お主が勝手な行動をしたのは事実ではあるからの。しかし、元々それに関しては迅から通達があったんじゃ。お主が染井に接触しようとする事に関しては止めなくて良いとな」

「迅さんが…………」

 

 ああ、と鬼怒田は頷く。

 

「今回の切っ掛けとなった事に関しては、迅に関しても完全に想定外だったそうじゃ。本来であれば、お主が染井と接触しても何も起こらない筈じゃった。しかし、儂も把握しとらんかった木岐坂の()()によって予想外の事態になったワケじゃ」

「能力、ですか」

「そうじゃ。個奴の()は調べてみた所、視力が異常に強化されておる。それこそ、数キロ先だろうが目の前の光景と同じ鮮明さで視認出来る程にの」

「…………!」

 

 鬼怒田の話に、佐鳥は眼を見開いた。

 

 どうやって樹里が屋上での華との接触を知り得たか気になってはいたが、まさかそういうカラクリだったとは思わなかった。

 

 あの場所に彼女が隠れていたとか、そういう事ではない。

 

 ただ、遠くから()()()()いたのだろう。

 

 数キロ先すら見通せるという、その異常強化された視力によって。

 

 恐らく、樹里はその時マンションの部屋から出てすらいない。

 

 ベランダから何気なく外を見て、偶然眼に入ってしまったのだろう。

 

 屋上で密会する、佐鳥と華の姿が。

 

 それならば、自分と華が会った事を知っていても何のために会っていたのかを知らなかった風なのも理解出来る。

 

 樹里は、あくまで()()だけなのだ。

 

 その場にいたワケではない為会話の内容を知る術はなく、「佐鳥と華が二人きりで会っていた」という情報のみを取得する結果となった。

 

 だからこそ佐鳥への不信が芽生え、あのような顛末になったのである。

 

(どちらにせよ、悪いのはオレである事に変わりはない。彼女を不安定にさせたのは、間違いなくオレの行動なんだから)

 

 だが、それでも佐鳥は自身の責任の重さと失態を撤回する気はなかった。

 

 自分のエゴとも呼べる理屈による勝手な行動の結果樹里を不安にさせた事実は消えないし、自分の責任の所在を曖昧にするつもりもない。

 

 必要ならどんな罰でも受けるつもりだし、やれる事があるのならば全霊を賭す所存だ。

 

「それって、副作用(サイドエフェクト)ですか?」

 

 但し、此処で疑問点は解消しておく。

 

 数キロ先まで見通せる視力となるととんでもないが、ボーダーには()()がある。

 

 即ち、副作用(サイドエフェクト)

 

 トリオン能力に優れた者が稀に持ち合わせる、特殊な()()だ。

 

 身近な所では友人の菊地原は聴覚が異様に精密化する強化聴覚を持っているし、迅の未来視もこれにあたる。

 

 その例で考えれば、樹里の異常強化された視力も副作用(サイドエフェクト)である可能性が高いと見ていたのだ。

 

「厳密に言えば違うの。個奴が元々副作用(サイドエフェクト)に類するものを持っていたのは事実のようじゃが、それはあくまでも「少し眼が良くなる」程度のものじゃった筈じゃ。周囲の者も、違和感を抱かないレベルのものじゃったろう」

 

 じゃが、と鬼怒田は続けた。

 

「こ奴の身体にあんなモノを仕込んだ何者かの手によって左目が義眼────────いや、眼球をベースにした特殊なトリガーとなった結果、微弱なものだった副作用(サイドエフェクト)が異常と言えるレベルで強化されたようじゃ。義眼に生身の部分を基にした痕跡があるのも、それが理由じゃろうな」

「…………! 義眼、だったんですか…………?」

「ああ、そうじゃ。木岐坂を攫った近界民が施術したものと考えて間違いない。加えて言えば、身体そのものにも相当な手が加えられておる。過剰な投薬の痕跡も見て取れておるし、非人道的な扱いを受けていたのは間違いない」

 

 ギリ、と佐鳥は自らの拳を握り締めた。

 

 近界に攫われていた以上碌な扱いをされていないだろうとは思っていたが、そもそものレベルが違っていたのだ。

 

 樹里は人間扱いすらされておらず、ただの実験動物以下として非道な実験にかけられていたのだ。

 

 それを今まで知らずにいた事に、怒りが沸いて来ないと言えば嘘になる。

 

 知っていて黙っていた鬼怒田達にも思うところはあるが、それよりも樹里をただの少女と見たいが故に無意識の内に彼女の違和感から眼を背けていた自分自身にこそ、佐鳥は憤っていた。

 

 「樹里の生存を幼馴染に伝える」という、何の解決にもなっていないどころか今回の一件の引き金になった事に執着するあまり、彼女本人の心情や立場を蔑ろにしていた。

 

 それが何より許せなくて、この場が開発室ではなく目の前に鬼怒田がいなければ壁くらいは殴っていたかもしれない。

 

 そんな佐鳥を見て、改めて鬼怒田はため息を吐いた。

 

「気にするなと言ったところで無理があるじゃろうが、今はそういうものとして納得しておけ。お主に伝えていなかったのも、こちらの事情じゃ。じゃから、あまり自分を責めるな」

「でも、オレは────────」

「既に聞いておるかもしれんが、今回の件は遅かれ早かれ起こっていた事じゃ。お主の行動は、それを単に早めてしまっただけじゃ。そもそも、知っていながら黙認していた儂等にも非はある。迅も、完璧な人間などではない。読み逃がし程度は当然あると、認識しておくべきじゃったのじゃ」

 

 鬼怒田はそこまで言ってふぅ、と息を吐いた。

 

 そうして、改めて佐鳥の眼を見据えた。

 

「組織人として発言するが、お主が染井へ接触する事を知っていながら止めなかった時点で責任は儂等にある。迅の発言を信頼した結果なのは確かじゃが、あ奴におんぶ抱っこ状態なのを看過してしまったが故のミスであるのも事実じゃ。良くも悪くも、迅の発言を重く見過ぎてしまったとも言えるからの。そこは反省点じゃわい」

 

 じゃが、と鬼怒田は続ける。

 

「迅に責任を求めるのもお門違いじゃからの。あ奴は組織の為を思って助言しただけで、それを受け止めて行動したのは儂等の方じゃ。特殊な能力を持ってしまったとはいえ、あ奴はまだ成人を迎えていない子供じゃ。そしてそれは、お主も同じじゃよ」

「けど、オレは広報部隊の一員として────────」

「それでもじゃ。確かに他の者より社会人としての心構えは出来ておるじゃろうが、お主はまだ15で中学生じゃ。無責任になれとは言わんが、儂等が背負うべき責任まで持って行こうとするもんじゃない。責任者というのは、責任を取る為におるものじゃからの。儂等の仕事まで取るのは止めとくれ」

 

 有無を言わさぬ口調で、鬼怒田はそう言い切った。

 

 佐鳥としては思うところはたくさんあるが、鬼怒田の論に抗するだけの理屈を持っているワケではない。

 

 なまじ他の者より社会を知っていて聡いだけに、こうまで正論を貫かれると頷く以外の選択肢が無い。

 

 悶々としたものを感じつつも、一先ず佐鳥は納得したフリをした。

 

 あくまでも自分のスタンスに固辞するあたりが、まだ青い年齢とも言える。

 

「これに関する話題は終いじゃ。それよりも、お主に伝えなければならん事がある」

「…………なんでしょうか?」

「木岐坂の事じゃ。今回の件を受けて、上層部(ボーダー)は────────城戸司令は、決定を下した。その内容を伝える」

 

 鬼怒田は一拍置き、しばし逡巡した後口を開いた。

 

「────────木岐坂樹里は今後今回の件と同様もしくは類似した事態を防ぐ為、自身が攫われていた期間に起きた事に関するあらゆる記憶を封鎖する記憶処理を行う。これが、ボーダーとしての決定じゃ」

「…………!」

 

 その宣告に、佐鳥は眼を見開いた。

 

 記憶処理。

 

 話に聞いた事はあったが、実際に適用されるというのを聞くのはこれが初めてだ。

 

 どうやらトリオン技術を用いた代物らしいが、詳しい事は分からない。

 

 だが、それよりも気になる事があった。

 

「攫われていた時期に関する事、という事は昔の思い出はそのまま、という認識で良いですか?」

「ああ、攫われる前後の記憶に関しては誤魔化すように調整するしかないが、昔の記憶はそのままじゃ。あ奴の認識では、大規模侵攻が起こる数日前から()()()の記憶が抜けて、突然知らない場所で目覚める、という感覚になるのじゃろうな」

「今まで、という事は────────」

 

 ああ、と鬼怒田は頷く。

 

「恐らく、お主と出会ってからの記憶も消してしまう事になる。次に眼を覚ました時、こやつはお主の事を覚えておらん。残念ながら、この決定は覆らない。分かってくれ」

「…………分かり、ました…………」

 

 覚悟していた事が現実となり、佐鳥は内心を悟られぬように努めて平静な声で応答した。

 

 樹里の中から、自分の記憶が消える。

 

 それは耐え難い苦痛を伴うが、自分とて樹里を二度とあんな状態にしたくなどない。

 

 その事を思えば、これは呑み込むべき事だろう。

 

 そもそも樹里と出会った状況自体、正体不明の機械から彼女が出て来る、という非現実的なものであったのだし、それからの日々も彼女の()()を説明せずには納得出来ないであろう事ばかりだ。

 

 あの状態になる引き金は未だ不明であるが、自分の存在がその一因となるのであれば、記憶を封鎖するのも止む無しだろう。

 

 理屈は分かる。

 

 分かるからこそ、どうしようもない事が理解出来てしまう。

 

 もう、自分に向けてくれたあの笑顔は見られない。

 

 愛しい少女が、自分の事を忘れてしまう。

 

 それがどれ程の苦痛を覚えるかを、佐鳥は痛い程思い知った。

 

(…………耐えろ。仕方が無い。仕方が、無いんだ)

 

 或いは、自分が勝手な行動をしなければこうなる事はなかったのかもしれない。

 

 そう思うと後悔してもしきれないが、自業自得と言える顛末である以上文句を言う資格すらない。

 

 改めてそう考えて、佐鳥は自らの想いを呑み込んだ。

 

 自分の無力さを、思い知りながら。

 

「話は終わりじゃ。処置はこの後行う。辛いじゃろうが、呑み込んでくれ」

 

 

 

 

「樹里ちゃん…………」

 

 佐鳥は一人、ベッドで眠る樹里の前にいた。

 

 既に、記憶処理は完了している。

 

 彼女の中に、もう佐鳥と過ごした日々の記憶は存在しない。

 

 理解はしているが、納得は出来ていない。

 

 だがそれは、あくまでも自分だけが抱えておくべき葛藤だ。

 

 そもそも自分の事を忘れている少女が眠る個室に異性である自分が一人でいる時点でどれだけの未練を抱えているかは言うまでもないが、それでも彼女が目を覚ました時に自分以外の人間を最初に眼にするというのは耐え難かった。

 

 自分にこんな独占欲じみたものがあったというのは驚きだが、それでもこんな我が儘を許してくれた鬼怒田には感謝すべきだろう。

 

 或いは迅からの進言があったのかもしれないが、それでも迷惑をかけた自覚はある。

 

 何が起きても良いように部屋の外には風間が待機しているとはいえ、もうすぐ目を覚ますだろう樹里の個室へ入れて貰ったのは事実なのだ。

 

 今は、感謝しかない。

 

(…………なんて、声をかけるべきなんだろう。まずは、自己紹介から始めるべきかな)

 

 樹里は、既に自分の事を覚えていない。

 

 運命と言えるようなシチュエーションだった出会いも、その後のドタバタも。

 

 甘く青い春のようであった、あのマンションでの日々も。

 

 その全てを、彼女は忘れている。

 

 だから、目を覚ました彼女から見た自分は見知らぬ第三者に過ぎない。

 

 もしかすると、不審者と思われて怯えられるかもしれない。

 

 もしくは、素っ気ない態度を取られるかもしれない。

 

 どちらにしろ、受け入れるつもりだ。

 

 それを自分が耐えられるかどうかは、分からないけれど。

 

「ん…………」

「…………!」

 

 そして。

 

 ゆっくりと、樹里の瞼が開いていく。

 

 ぱちぱちと瞼を瞬いた少女は、人の気配を感じてゆっくりとベッドから起き上がった。

 

 簡素な手術衣を纏った少女の眼が、佐鳥を捉える。

 

「誰…………?」

「………………………………突然、ごめんね。取り敢えず、自己紹介だけはさせて貰おうかな」

 

 予想していた、しかし聞きたくはなかった第一声を耳にして倒れそうになる己の身体を叱咤しながら、佐鳥は何とか言葉を紡ぐ。

 

 心臓が、ばくばくと鳴る。

 

 されどそれを抑え、なんとか平静を取り繕う。

 

 ふぅ、と大きく息を吐いて佐鳥は意を決して口を開いた。

 

「オレは佐鳥、佐鳥賢。君の名前は?」

 

 だからだろうか。

 

 その言葉は奇しくも、最初に彼女と出会った時とほぼ同じだった。

 

 意識していたワケではない。

 

 ただ、今言うべきはこれしかないと、無意識の内に選んだのだろう。

 

「賢…………?」

「…………っ!?」

 

 だから。

 

 樹里の口からいきなり自分の名字ではなく、これまで通り自分の名前が出て来た事で、思わず眼を見開いた。

 

 内心の動揺を隠すので精一杯な佐鳥の前で、樹里は眼をぱちくりさせていた。

 

「あれ、わたし、なんで…………?」

「樹里ちゃん…………っ!?」

 

 気付けば、その樹里の眼から涙が流れていた。

 

 彼女自身理由は分からないようで、混乱しているのが伺える。

 

 佐鳥は思わず、彼女の手を握った。

 

 意識しての事ではない。

 

 しかし、初めて彼女が医務室に来て暴れた時、こうしたら落ち着いた経験があった為に、反射で行動したに過ぎない。

 

「あ…………」

 

 けれど、少女の華奢な手を握った自分の手を、樹里のもう一方の掌が包み込む。

 

 そして、ぎゅう、と力強くこちらの手を握り締めて来た。

 

「おかしいな。わたし、なんだか悲しいの。嬉しいのに、悲しい────────なんだろう。わたし、変になったのかな…………?」

「樹里ちゃん…………」

「こういう時、どういう顔をしたら良いのか分からないの。わたし、どうしたらいいの…………?」

 

 じっと、樹里が無垢な瞳でこちらを見据えている。

 

 その様子に内心で右往左往しつつ、佐鳥は無意識の内に口を開いた。

 

「涙よりも、笑顔が見たいかな。笑えば、良いと思うよ」

「────────うん」

 

 そして、少女の笑顔が花開く。

 

 その笑みは今まで見たどの笑顔よりも綺麗で、佐鳥は思わず見惚れてしまう。

 

 彼女が、自分を忘れたのは事実なのだろう。

 

 けれど、心の奥底にはあの日々が残っていると信じたい。

 

 自分の想いは、あの時から欠片も変わっていないのだから。

 

 ────────こうして、佐鳥の甘く苦い青い春の日々が終わり。

 

 舞台は、現代へ戻る。

 

 

                      ────────To Be Continued…………





 これにて過去編、『第零章~白の記憶/Memory of Boy Meets White Girl』は終了となります。

 次話より『最終章~ニューワールドオーダー/Dawn of the White Girl』開始です。お楽しみに。
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