「あれが…………」
「木岐坂さん、なのか…………?」
警戒区域、その一角。
佐鳥からの連絡を受けた若村達香取隊の面々は、家屋の上から変貌した樹里の姿を覗き見ていた。
この事態が起こる事が知らされていたとはいえ、伝聞と実際に見るのとでは抱く感想や心境は大きく異なる。
瓦礫を纏い、異形の姿に変化した樹里は人体部分は原型を留めているものの、帯びているパーツの一つ一つが武骨と言うには歪で、何処か悍ましさすら感じる造形となっている。
元の樹里の容姿が浮世離れしているだけに、自分の意思を喪い瓦礫の鎧を纏う怪物となった彼女の放つ空気は人外のソレだ。
人形のように整った容貌と、ヒトでは有り得ない部位の拡張。
それがヒトならざる美としての完成度を上げており、一種美しいとさえ言えるだろう。
「…………あの子にあんな不細工なコーディネートしてくれちゃって。本当、許せないわ」
『勿論。拳を振り下ろす相手がいないのが、残念だけれど』
だがそれは樹里の人間性と尊厳を無視して作り上げられた代物であり、香取と華にとって断じて許容出来るものではなかった。
静かに怒気を募らせる香取だけではなく、声色だけで完全にブチ切れているのが分かる華の口調がそれを物語っている。
彼女達はこうなる可能性を聞かされ、備えて来た。
しかし、実際に見聞きしてみると樹里にあんな真似をした者達への殺意が募るのは自明の理と言えよう。
大切な幼馴染がどれだけ辛い目に遭って来たかの実証が目の前にあるのだから、当然と言えるが。
『葉子、分かってると思うけど』
「ええ、機会が来るまでは手を出さない。分かってるわ」
何処か不服そうに、香取はそう答えた。
今回、香取は出陣したものの、指示があるまでは待機と命令されている。
あの状態の樹里の戦闘力は高く、攻撃の一つ一つがかなり厄介で並の隊員では凌ぐ事すら難しい。
今はA級を中心にして対応しているが、一応香取であれば割って入れなくもない。
しかし相手がどんな手札を隠し持っているか分からない現状、近接戦闘しか出来ず他部隊との連携にまだ不安のある香取が突っ込むには少々危険過ぎるのだ。
また、これは彼女には知らされていなかったが、香取を前にした今の樹里がどういう反応をするか分からない、という事情もあった。
樹里の心を最も揺らす佐鳥相手に特別な反応を見せていない為に懸念はないと思われるが、それでも
よって今は香取は想いを燻らせたまま、待機状態にある。
場合によっては彼女の出番なくして事態を収束させる事すら視野に入れられている為、薄っすらとそれを察している香取は不満気になっている、というワケだ。
しかし香取もA級面子を差し置いて前線で活躍すると豪語する程考え無しではなく、万が一にも自分が足枷となって樹里を救えなかった、なんて顛末は絶対に避けなければならない。
そういった理屈が分かっているから我慢しているが、正直な話をすれば今すぐにでも跳び出したいのが本音だった。
(…………癪だけど、このまま終わってくれるのならベスト。けど、なんだろう。嫌な予感がする。こういう時の勘って、残念だけど外れた事がないのよね)
香取にとって最善は、このまま何事もなく樹里が無力化される事だ。
そうなれば全ては杞憂に終わるし、樹里との日常が戻って来る。
だけどどうしても、香取はそう楽観する事が出来なかった。
何が、というワケではない。
言うなれば、ただ
このままでは済まないような何かが、起こるような気がしたのだ。
それは、香取の直感とでも言うべきもの。
理屈ではなく、感性の世界。
されど香取は、その感覚をこそ重視していた。
自分がこうして不安を覚えている以上は、「何か」がある。
それを確信するだけの経緯が、彼女にはあったのだから。
(全部、順調に見える。戦力は集まって来てるし、あの白チビも暴れてる。樹里のトリガー情報は渡してるし、相手の手札も今の所致命的なものは見えない)
けど、と香取は険しい表情で戦場を見据えた。
(────────必ず、何かある。それが何か分かんないけど、その時はすぐにでも跳び出せるようにしておきましょう。何も出来ずに後悔するのだけは、御免よ)
(重心をズラして、致命傷は避けたか。次は仕留める)
遊真は樹里の背後数メートルの場所に降り立ち、
機巧兵は右肩が遊真の攻撃で吹き飛ばされた事により、右腕に装備していた砲塔も落下している。
今ならば、砲撃による反撃はない。
左腕の
あれはどう見ても、重装甲高火力の重戦車型だ。
拡張したパーツにより巨大になっている分、小回りの面は犠牲になっている。
聞き知った過去の戦闘記録を鑑みても、この考察は間違ってはいないだろう。
「…………!」
だが、遊真が攻撃に移ろうとした刹那。
樹里の側に、動きがあった。
彼女の背部、翼の中から無数の極細の糸が射出。
それが地面に撃ち込まれたと同時、遊真は自らの直感に従って跳躍。
次の瞬間、彼がいた地面から無数の瓦礫の杭が出現し、剣山の如き異様を顕現させる。
一瞬でも反応が遅れていれば、今頃あの針山の餌食となっていただろう。
(話に聞いてた、
この攻撃方法は、遊真に伝えられた情報の中にあった。
彼を始め、今回の戦闘に参加する隊員には一年前の樹里の暴走形態との戦闘内容が伝達されている。
当然それはあの状態の樹里が使って来た武装の情報も含まれており、地面から突き立つ鉄杭による攻撃は奇襲性が高い為に特に警戒するように言われていた。
(けど、奇襲性が高いって言っても糸を地面に撃ち込むっていう
とはいえ、確かにこの攻撃は初見殺しの性能は高いがタネが分かれば対処は可能な範疇である。
まず、この攻撃の仕組みとしては地面に糸を撃ち込み、その糸で持ち上げた瓦礫を杭状に変換して地面に引き上げる、というものになる。
つまり、これを罠として成立させる為には予め糸を地面に撃ち込んでおく必要があり、戦闘が始まって間もない現在ではその準備は殆ど出来なかった筈だ。
だからこそ遊真は糸が撃ち込まれた時点で跳躍し、難を逃れる事が出来たのである。
(これは能動的な攻撃というよりは、
加えて、反応速度自体は遊真の方が上だ。
向こうは精密機械じみた、というよりもほぼそのものな機能が備わっているのだろうが、それでも数々の戦場を踏破し近界での「殺し合い」に慣れている遊真の反応速度には敵わない。
遊真のそれは単純な戦闘経験のデータによるものだけではなく、彼自身が体感し実践して来た言うなれば「生」の戦場で生き抜く感覚的なノウハウの集積だ。
単純なデータを直接戦闘にフィードバックするしかない機械的な戦闘方式とは、明らかにベクトルが異なる。
如何に優秀なAIを積んでいようが、プロの選手にはその専門の競技ではまず勝てないのと同じだ。
初見であればともかく、今回は向こうに対する情報を集めた上で、徹底的に対策を練って来ている。
現状、こちらが崩される要素は少ない。
遊真は冷静に、そう判断していた。
「
樹里が次の行動に出る前に、遊真はアステロイドを模した印を起動。
夥しい数の弾丸が、機巧兵に向かって放たれる。
『────────!』
遊真の弾丸を、硬く強固なシールドが受け止める。
だが、防戦している間は反撃はない。
攻撃は最大の防御と言うが、この状況がまさにそれだ。
(一度に使える武装、というかトリガーか。これについては、ボーダーのそれとあんま大差なさそうだな。もし出来るんなら、このタイミングで攻撃をして来ない理由がない。或いは、トリオン消費を渋っている可能性もあるけど)
でも、と遊真は思案を続ける。
(これで、ハッキリした。あいつは全体で一つとして扱う近界のトリガーよりも、一つ一つの武装を個別のトリガーとして区別するボーダーのトリガーに近い。だから一度に使える
遊真は、己の思案を纏め通信で風間にも伝えた。
この考察は、そう間違ったものではないだろう。
何故ならば、こちらを止めたいのであればシールドを張って防御を固めるよりもその火力を振るいこちらに攻撃の暇を与えない方が遥かに効率的だ。
それをしない、という事は
(多分だけど、アレには「加減をする」って概念がない。だから出力の制御は出来ないし、シールドを使うなら自動的に
聞けば、一年前の戦闘で用いられたレーザーは規格外の射程に防御不能の火力を備えたどう考えても過剰威力の代物だったらしい。
それを使って早々にガス欠に近い状態に追い込まれていた事から、恐らくあの
(本来は
ヒュースやエネドラから聞いたククロセアトロでの戦闘では、件のレーザーと思しき攻撃が連射されるような地獄絵図が繰り広げられていたらしい。
だが、その時と今とでは決定的に異なる部分がある。
それは、敵が母トリガーと接続していない事だ。
ククロセアトロでヒュース達の前に顕れた
だからこそ過剰威力のレーザーの連射という無法が罷り通っていたのであり、もしもその光景がこの世界で再現されたのならば、市街にも被害が出かねない状態となっていただろう。
しかし現実として、そうはなっていない。
それは今の樹里が母トリガーと繋がっていない、いわゆる「主電源が無い」状態にある事と無関係では無い筈だ。
(本来の「臨界状態」ってのは多分、母トリガーからの無尽蔵のトリオン供給によって成立する「際限のない火力の継続」がコンセプトだったんだろうな。だからこそ母トリガーによって成り立つ近界の国でそうなった時には甚大な被害が出たし、出力に耐え切れなかった連中は文字通り
近界の国で「臨界」が起きた時には、彼等
だからこそその火力に際限はなく、甚大な被害を齎した上で検体自身もその出力に耐え切れず自壊したのだろう。
樹里がそうなっていないのは、偏に此処が母トリガーに依存しない玄界であり、近くに母トリガーという動力源が存在しない事が大きい。
故にこそ、そこに突破口がある。
(とはいえ、無為に時間を消費してれば何をして来るか分からない。早期に決着を着けるべきだ。その為には────────)
遊真はチラリと、横目で自身の背後を見る。
そこにいた人影を見て、ニヤリと遊真は笑みを浮かべた。
「お願い。こなみ先輩」
「任せなさいってのっ!
そしてその人物、小南は二つの片手斧を連結させ、一つの巨大な戦斧を形成。
シールドを張り遊真の弾幕に耐えていた樹里に向かい、その刃を振り下ろす。
『既存データに照応する脅威存在を確認。黒トリガー使用者の存在と併せ脅威レベルを大幅に上方修正。迎撃の為、
「…………!」
無機質な機械音声の如き声と共に、吹き飛ばされた樹里の右肩の断面から無数の糸が地面に向け射出。
次の瞬間、巨大な蜘蛛脚を模した瓦礫の集合体が出現し、小南に向かって振り下ろされた。
その大質量は、生半可な回避で凌げるレベルではない。
小南には遊真のような空中での移動手段は存在せず、これをどうにかする事は出来ない。
「ふっ!」
だが。
歴戦の戦士は、そんな常識をこそ覆す。
小南は自身に向けて振り下ろされた大質量に対し、双月を一閃。
蜘蛛脚を斜めになぞるような軌道で降下する小南の一撃が、その大威力と共に振るわれる。
落下時の加速を利用した斬撃は、大質量を以て敵を押し潰す巨大な蜘蛛脚を両断してのけた。
正確には、小南が斬ったのは蜘蛛脚を接続している
如何に巨大とはいえ、その正体は無数の瓦礫を繋ぎ合わせた張りぼてのようなものだ。
よって、瓦礫同士を接続している糸さえ断ち切ってしまえば、偽装の巨躯は容易く崩壊する。
加えて、小南のトリガーは継戦能力度外視の出力特化短期決戦仕様の玉狛トリガー。
この程度の真似は、出来て然るべきですらある。
切断された蜘蛛脚が落下し、轟音と共に地面から大きな土煙が上がる。
舞い上がった土煙は周囲を覆い隠し、土色のカーテンが周囲を包み込んだ。
「レイジさんっ!」
「了解」
そこへ、いつの間にか姿を現したレイジがガトリングを斉射する。
樹里はそれを咄嗟にシールドを展開して防御するが、それによって身動きは封じられた。
いつの間にか右肩は瓦礫で繋ぎ合わせたように修復されており、砲塔は復活している。
だが、シールドを張っている限りそれが火を噴く事はない。
「…………!」
されど、「糸」は別だ。
どうやらこの「糸」は通常のトリガーとは別系統で存在しているらしく、シールドを展開した状態でも使用可能な様子だった。
だからこそ、シールドを展開しながらの蜘蛛脚の顕現が許されたのだろう。
当然の如く、樹里はその背から無数の蜘蛛糸を伸ばし、再び地面へ打ち込もうとする。
「させません」
しかし、そこへ無数の弾丸が叩き込まれ、地面へ向かった糸は残らず叩き落された。
それを成したのは、烏丸京介。
一年前の戦いには参加していないが。紛れもなくボーダー最強部隊玉狛第一の一員である少年。
その彼がアサルトライフルを用いて
それを確認し、レイジは通信で指示を飛ばす。
「今だ。雨取」
「了解!」
戦場からやや離れた、警戒区域のビルの上。
そこに待機していた千佳は、師の命を受けて引き金を引く。
そして。
必殺の意を込めた砲撃が、標的に向かって放たれた。