(暗い…………どこだろ、ここ…………)
わたしの意識は、「くらやみ」の中にあった。
暗く、冷たい、狭い場所。
あまりにも暗過ぎて、此処が何処なのかとか何があるのかすら分からない。
でも、何故だろう。
自分は動いていないのに、ただ蹲っているだけなのに。
何故か、風を切るような感覚を覚えた。
移動している?
けれど、わたしは自分の身体を動かしているという感覚が無い。
話に聞いた、金縛りのよう。
幽霊を信じてるワケではないけれど、そもそも実際に体験してみると物凄く辛い。
自分の意思で自分の身体が動かせない、なんて事がこんなにも苦痛だとは思わなかった。
…………けれど、何故だろう。
この感覚を、わたしは知っている気がした。
自分の意思ではないのに、自分は望んでいないのに。
勝手に自分の身体が動いて、やりたくもない事をしてしまう。
その癖、失敗したら負債は全部こっち持ち。
受ける苦痛だけはプライスレスで、補償なんて一切ない。
そんな、有り体に言って地獄のような環境を。
わたしは、知っている気がした。
思い出せない/思い出したくない。
知らない。知らない。知らない。/知ってる。知ってる。知ってる。
分からない。分からない。分からない。/理解するな。理解するな。理解するな。
ようやく、眼を閉じる事が出来たのに。/もう、思い出してるっていうのに。
いつまで、知らないフリをするつもり?
「あ、あぁぁぁぁぁああっぁぁぁぁぁァぁぁぁぁっぁァぁぁぁぁぁぁぁぁアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁ…………ッ!!!!」
分かってた。分かってた。分かってた。
思い出した。思い出した。思い出しちゃった。
痛い、痛い、痛いの。
抉られた眼の痛みも、「実験」で身体が切り裂かれる痛みも。
全部、全部、思い出した。
忘れていたかった、忘れていたかった、のに。
夢で見るようになっても、見ないフリをしていたのに。
なんで、なんで全部思い出してるの?
こんな
全部、間違ってる。
わたしだけがこんな目に遭うなんて、間違ってる。
だけど。
本当は、そんな事よりも
「彼」の前でわたしがわたしでなくなる事が、耐え難かった。
思い出した。
わたしは、全部思い出して。
そして、そして────────!
「…………たすけて、賢…………」
少女の
鉄の揺り籠の中、少女の涙を眼にする者は誰もいなかった。
「樹里ちゃん…………っ!!??」
樹里が、
その光景を見ていた、見ているしか出来なかった佐鳥は、慌てた様子で現場に駆け寄った。
何故か、少女に助けを求められた気がして。
ひたすらに、駆ける。
そうして、現場に辿り着き。
近くで膝を突いている香取には眼もくれず、黒い穴が消えた周囲を探る。
しかし、何も見つからない。
少女がいた痕跡すら、そこには何もなかった。
虚無感が、絶望が脳裏を埋め尽くす。
目の前で、守るべき少女が消えてしまった。
その無力感で、佐鳥は思わず弱音を吐き出しそうになって。
「────────気合い入れ直しなさい、この馬鹿男っ!」
「うぇっ!?」
いつの間にか立ち上がった香取に全力で頬を叩かれ、燻らせていた弱音は物理的に吹き飛んだ。
顔を向ければ、正面には涙目になりながらも未だ覇気を失わない。
毅然と立つ、香取の姿があった。
「まだ、何も終わってないわよ。樹里は、たった今消えたばっか。今なら、何処に行ってるかも調べられるんじゃないのっ!? 弱音吐いて時間を捨てるような余裕、残ってると思うっ!?」
「香取ちゃん…………」
「二度は言わない。けど、これで分かんないようなら未来永劫絶対アンタに樹里はやらない。それを覚悟しときなさい」
ふんっ、と大袈裟に息を吐いて見せる香取の言葉を聞き入れ、佐鳥はぱん、と自分の頬をはたき直した。
確かに、彼女の言う通りだ。
樹里は、たった今消えたばかり。
今なら、その行方を追う事は出来る筈。
自分一人では出来ずとも、今この場には何人もの優秀な隊員が居る。
その上、玉狛の面子が此処まで出て来ているという事は。
「宇佐美先輩、いますか?」
『いるよー? ついでにゆりさんもいるし、なんならクローニンさんもいるからバックアップ体制は万全。樹里ちゃんの居場所は、今探ってる最中だよ』
当然、そのオペレーターもこの場を見ているという事に他ならない。
そもそも、今はランク戦最終戦の直後。
ランク戦を終えた面子がそのままボーダー本部に残っていても、なんら不思議はないのだ。
宇佐美の優秀さは言わずもがなであるし、何故かは分からないが玉狛のオペレーターと技術者も来ているらしい。
交流は殆どないが林道ゆりというオペレーターも充分な技術力を持っていると聞くし、クローニンという人物には会った事はないがこの言い方だと優秀なのだろう。
加えて風間隊が来ている以上言うまでもなくそのオペレーターの三上はいる筈だし、あまり頼りたくはないが彼女目当てに真木理佐がいる可能性もある。
今はとにかく、あらゆる方法で樹里の居場所を探し出す他ない。
必要なら、誰にだって頭を下げよう。
そのくらい、愛する少女の為ならば安いものだ。
今は、労力を惜しむ暇すらない。
ただ、自分の出来る事をする。
それだけが最善なのだから。
(樹里ちゃん、無事でいて…………っ!)
『結論から言うと、今樹里ちゃんはこの世界の近くに来ている近界の星の中にいるみたい。ただ、どうにも普通の星じゃないっぽいんだよね』
「普通の星じゃ、ない…………?」
数分後、解析結果が出たとの連絡を受けてその内容の奇妙さに佐鳥は眼を細めた。
近界遠征の経験はない佐鳥であるが、近界国家というのはどれも大なり小なり変わった所がある筈だ。
その近界遠征の経験者である宇佐美をして「普通じゃない」というのは、少々穏やかではなかった。
『有り体に言うと、普通の近界国家みたいな活力というか、星が活動している形跡がないんだよね。今この世界の近くに来てるって言ったけど、それもどちらかというと流れ着いた、
「えっと、それはつまり…………?」
『…………わたしも直接見た事がないからなんとも言えないんだけど、「死んだ星」だと思うんだよね。滅んだ国、と言った方が分かり易いかな?』
「…………!」
国が死ぬ。
それは近界に限って言えば、比喩表現でもなんでもない。
国家としての体裁が維持出来なくなる、といった迂遠な表現ではなく。
文字通り、星そのものが
そういう状態になる近界国家は、例は少ないが存在すると聞く。
即ち、それは。
「
『多分ね。状況から見て、間違いないと思う』
樹里の為に近界に関わる知識を調べた過程で識る事になった、一つの巨大なトリガー。
母トリガーの、機能停止。
もしくは、「神」の死亡。
そのどちらかであると、暗に示していた。
遊真がたった今口にしたように、近界の国家は母トリガーという巨大な核を中心に形成されている。
これは炉心の役割を担っており、星が星として機能する為にはこの母トリガーを欠かす事が出来ない。
そしてこの母トリガーを星が運用出来るレベルにまで稼働させるには、「神」と呼ばれる人柱、生け贄が必要不可欠。
そのどちらか、或いは両方が機能停止すれば、それは文字通り「星」の死を意味する。
そして。
今この状況下で「死んだ星が近界の近くに来ている」という、ある種の符号。
その時点で、佐鳥は嫌な予感を覚えた。
(まさか…………)
近界の国で縁のある国など、それこそ先日攻めて来たアフトクラトル程度のもの、とは言い切れない。
あと一つ、あるのだ。
名前だけは、その所業だけは知っている。
既に滅びた筈の、一つの近界国家が。
かつては医療大国として謳われながらも裏では非人道的な実験を繰り返し、その果てにアフトクラトルとの戦争で自滅の道を辿った狂人達の巣窟。
その名は。
『────────ククロセアトロ。間違いない、ククロセアトロだ』
『
樹里が今の状態に至った、元凶である国の名前。
それが通信に割り込んで来たヒュースの口から語られ、佐鳥は眼を見開いた。
『…………! 本当ですかっ!?』
「今、
ヒュースはそう言って、計器に映る情報を眺める。
彼もまたこの近くで待機していたのだが、あの門が開いて樹里が消えた瞬間自分の知識が役立つかもしれないと思い立ち、宇佐美と合流したのだ。
結果として宇佐美が映し出している映像には、見覚えのある星の情報が映し出されている。
星の死の影響か地形は変わっているが、ヒュースの記憶通りの特徴が残っている為間違いない。
機人国家、ククロセアトロ。
かつてヒュースがアフトクラトルの兵士として攻め入り、苦い体験をした場所である。
画面にはそのククロセアトロの情報が記載されており、星自体の運行能力は殆ど消えていると出ていた。
だが、疑問がある。
ククロセアトロは軌道に関係なく動く乱星国家であったが、この状態ではまともな航行など不可能だろう。
乱星国家に詳しいワケではないが、それでも異質な状況である事は明白だ。
(そもそも、あそこに人間は誰一人残っていないハズだ。死んだ星で、人間が生活出来るワケがない)
加えて、仮に運航が出来たとしてもそれを動かす人間はあの星には既に存在しない筈なのだ。
ヒュースはククロセアトロの末期を、ヴィザ等の話で聞いている。
彼自身はあの時閉鎖空間にいたので外の様子を直接眼にしてはいないが、顛末だけは聞いていた。
各所に地割れが広がり、死んでいく星の結末を。
ククロセアトロは「母トリガーから直接力を汲み上げて戦闘に用いる」という愚行ですらない暴挙の代償として「神」が死に絶え、自滅の道を辿った。
あの星は少なくない数のアフトクラトルの兵隊や連れて来ていた属国の兵士を諸共に巻き込み、死んでいった。
地割れはヒュース自身も眼にしているし、外で
そんな状態の星で人が生き残れるとは思えず、今回ククロセアトロとの間に
「まだ、詳しい事は分からん。だが今のところ、ククロセアトロが即座に移動する気配もない。向こうとの
『了解です。ありがとうございました』
「情報を伝えただけだ。礼を言われる程の事じゃない」
本気で感謝を伝えて来ている佐鳥に対し、ヒュースはため息を吐いた。
彼が対象の少女と特別な関係である事は聞き知っているが、何分異性関係には疎いヒュースではその心境に共感を抱く事は出来なかった。
大切な者は誰か、と聞かれて真っ先に自分の所属する家の当主を挙げてその事を誇りにしているヒュースにとって、惚れた腫れたの関係というのは理解の外であったのだ。
それでもそういうものがあるとは分かっているし、口を挟む程野暮でもない。
精々が「最悪の状況が起こった場合こちらを止めに入るかもしれない」と、懸念する程度である。
ククロセアトロの悪辣さを直に体験しているヒュースは、樹里が「手遅れ」になるケースも当然考慮している。
そうなった場合の覚悟は当然出来ており、仮に救う手立てがなく害悪でしかない存在と化したのならば手を汚すのも吝かではないと考えている。
最初から諦める事はしないが、希望だけを見て現実を疎かにする事はしない。
そのあたりが、ヒュースとしての妥協点であった。
「オレも流石に死んだ星には立ち入った事はないからな。
そもそもの話、「死んだ星に立ち入って平気なのか」という問題はあった。
様々な近界国家への遠征経験があるヒュースでも、流石に「死んだ星」へ行った事はない。
そんな所に行っても得られる資源はないであろうし、第一にどんな危険があるか分かったものではないのだ。
人間が生きて居られる環境があるかどうかすら分からないし、星の末期の時に地表に溢れていた「糸」がどうなったかも不明だ。
母トリガーを動力源としていたのなら活動を停止している筈だが、ククロセアトロに関しては最悪の斜め上を想定してもまだ足りないというのが正直な感想である。
人が死に絶えた後も何らかの手段で活動を続けられる細工がされていたとしても、なんら不思議ではない。
(オレが殺した研究者も、実験体の身体を乗っ取るという理解し難い真似を行っていた。同じような手段があったとしても、なんらおかしくはない)
────────だって、
ヒュースはかつて対峙したククロセアトロの研究者、アパテオナスの言葉を想起する。
そんなふざけた理由で迷いなく星を自ら滅びへ向かわせた連中に、まともな常識など通用しないだろう。
どんな「最悪」が出て来ても、おかしくない。
ヒュースは、そう考えていた。
「それから恐らくだが、こちらから
『そういえば…………』
また、消える前に樹里の口を借りた
即ち、「第三次
これを額面通りに受け取るのであれば、あの機巧兵はククロセアトロで何らかの準備を行った後、満を持して姿を現すのだろう。
どんな変貌を遂げるかは分からないが、十中八九碌な事にはならない。
「そうなってからでは、恐らく手遅れになるだろう。焦りは禁物だが、悠長にしている時間もないと思うべきだ。どの程度の猶予があるかまでは、まだ分からないがな」
ヒュースはそう言って、画面に映る情報を見据える。
そこには死したククロセアトロの中を移動する、樹里と思われるトリオン反応が映し出されていた。