「どうも、こんばんは」
「…………こんばんは」
「おや、珍しいお客さんだ。どうしたのかな?」
二宮隊、隊室。
そこで佐鳥と香取の二人を出迎えたのは、犬飼であった。
佐鳥は普段通りを装った平静な様子で、香取は慣れない敬語を使おうとして堅くなりながら犬飼と相対している。
既に現在時刻は21時を回っているが、二宮隊は今夜は最終戦の後で反省回を行い、軽く隊で食事を済ませ先程戻って来たところである。
ボーダー本部は申請さえすれば隊員が宿泊する事も出来るので、後は寝る準備をするだけ、といった状態であった。
なお、今夜そのように行動しようと言い出したのは二宮であると追記しておく。
本部での仕事が終わった後で焼肉に連れて行くのはよくあるが、特に用事のない時に隊全員で基地に泊まらせようとするのは初めてだ。
普段とは違う隊長の行動に、犬飼の心中に複雑な想いが渦巻いていた。
「前に色々あった香取ちゃんはともかく、佐鳥くんはあんまり話す機会もなかったよね。二人揃って、何の用なのかな?」
犬飼は何処か探るような視線を隠そうともせず、佐鳥達の言葉を待っている。
彼としても今日の二宮の奇妙な行動然り、何が起きているのか気になってはいたのだ。
何せ、二宮が隊の皆を食事に誘った時に焼肉ではなく本部内のラウンジを使ったあたりから、少々以上の疑念があったのだ。
違和感の正体を突き止めるべく、普段ならばあまりしない詰め方をしている、というところである。
「それは────────」
「────────佐鳥、それに香取か」
だが。
そんな折、部屋の中から出て来た人物によって会話は遮られた。
その人物、二宮は二人並んでいる佐鳥と香取を一瞥し、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前達が揃って来ているという事は、用件は木岐坂絡みか。いつまでも廊下にいないで、中に入ったらどうだ」
「了解です」
「…………わかりました」
意訳すると「早く中に入れ」と言われた二人は、素直に頭を下げて隊室へ入る。
その様子を、犬飼は平坦な眼でじっと見詰めていた。
「簡単に言えば、三時間後────────今夜0時を境に門から大量の危険なトリオン兵が出て来ます。二宮さん達には、それを止める手伝いをして貰いたいんです」
ふむ、と二宮は佐鳥の説明を聞き軽く頷いた。
そして顔を上げ、眼を細めて佐鳥を睨みつけた。
「それだけならば、通常の防衛任務の延長線上だ。単に、人手が足りないから臨時で出撃しろと命令が下るだけだろう。言え、何がある?」
「…………実は、迎撃する場所はこちら側でなくて門の
「待って。じゃあ何? おれ達に今から、近界に行けって言うワケ?」
「そうなります」
へぇ、と犬飼は再び眼を細めた。
その瞳の奥に多少の困惑と、悪感情らしきものが瞬くのを佐鳥は目撃した。
「それはちょっと、都合の良い話なんじゃない? これ、上層部絡みでしょ。鳩原ちゃんの時は試験に合格しながらも落としたってのに、必要になったら近界に行けって? 流石にその掌返しは、どうかと思うよ」
犬飼のその言葉には、少なからぬ敵意が混じっていた。
普段は温厚で誰に対しても友好的に接する先輩が珍しく感情を剥き出しにする姿に、佐鳥は心中で瞠目する。
彼の与り知らぬ事ではあるが、二宮隊は以前鳩原未来という隊員が人を撃てない事を理由に遠征試験に合格しながらも上層部によって結果を覆され、その後諸々あって彼女が密航する事となっていた。
その事に関して、犬飼は複雑な感情を抱いている。
佐鳥と香取という本来であれば有り得ない組み合わせの二人が並んでこの場に来た時点で、犬飼は上層部の関与をほぼ確信していた。
少なくともこの二人は上層部から指示を受ける、もしくは黙認に近い形で自分達の所にやって来て、いきなり「近界に行って戦え」と要請している。
それがどうにも気に喰わず、犬飼らしくなく敵意を隠し切れない態度となっているのだ。
普段であればこんな事にはならなかっただろうが、今夜は試合の結果B級三位にまで転落し、敬愛する射手の王の玉座が陥落した直後でもある。
加えて言えば最近二宮はユズルによく構うようになったので、寂しさ故にフラストレーションが溜まってもいた。
犬飼は正直ユズルには良い感情を抱いていなかった事もあり、猶更苛々が募っていたのである。
それでも持ち前の自制心で平静を保っていたが、そんな折に佐鳥達のいきなりの要請である。
幾ら犬飼とて、愚痴の一つや二つは出る方が自然であろう。
「犬飼、まだ詳しい話を聞いていない。鳩原の事は、今回の件には関係ない筈だが」
「…………了解」
しかし、そんな犬飼を二宮が止める。
犬飼自身、冷静でなかった自覚はあるのだろう。
バツの悪そうな顔で俯きながら、一歩下がる。
そうして、二宮は二人に向き直った。
「トリオン兵が来ると言うのであれば、何処であろうと迎撃に向かうのは当然だ。人手が足りないと言うのなら、猶更だろう」
だが、と二宮は続ける。
「お前達は、まだ肝心な事を話していないな? 先程も言ったように、今聞いた話だけならば上層部から
「…………ええ、仰る通りです。今回の作戦は迅さんから発令されたもので、此処におれ達が来たのも迅さんの指示によるものです」
成る程、と二宮は頷いた。
佐鳥としても事実を列挙する形で言い当てられれば、正直に話す他ない。
元々、隠し立てする理由も薄かったのだ。
二宮の指摘通り、今回の件は正式な作戦扱いとは言えない。
どういう扱いになっているかは不明だが、少なくともボーダー側は今夜の事を正式な記録には載せない方針であるのは確かだろう。
機密を知る者を無暗矢鱈と増やせない以上当然の措置だが、だからこそ不自然さが垣間見えてしまう。
二宮はその違和感を見逃さず、すかさず指摘した。
ならば、隠す事は百害あって一利なしであろう。
「ただのトリオン兵の駆除であるならば正式な作戦でない理由は薄い。以前の侵攻の時のように部外秘だとしても、最低限作戦に参加する者には情報提供と具体的な指示が出される筈だ。今の今までそれがないという事は、今回は部外秘の重さが前回とはまるで違うという事になるな」
また、ガロプラ侵攻の時と異なり作戦に参加する正隊員にもまるで事前情報がなかった事も二宮が勘付いた一因である。
あの時も部外秘で作戦を行ったが、それでもその日特殊な防衛任務がある事自体は事前通達が成されていた。
少なくとも、参戦する可能性のあったB級中位以上の正隊員はほぼ全員が作戦の事を知っていた筈である。
しかし今回は、そのような兆候はなかった。
だからこそ、違和感が先に出るワケだ。
「お前達が揃って来た時点で、木岐坂に関連する何かである事は分かっている。言え。あいつに、何があった?」
そして、佐鳥と香取を結び付ける要因は一つしか存在しない。
木岐坂樹里。
彼女はボーダー内では佐鳥への好意を全く隠そうとしていないし、多忙な彼が拒絶をしていない時点で二人の仲は半ば公然の扱いとなっている。
噂に疎い二宮も自分が何かと気に欠けている樹里の事なので知っており、佐鳥の事は密かに留意していたのだ。
その佐鳥と、樹里とチームメイトである香取がこんな夜遅くに自分達の隊室にやって来る。
この時点で、彼女に何かあったのだろう事は明白だったのだ。
「────────結論から言います。そのトリオン兵が出て来る近界国家には、今樹里ちゃんがいます。それも、有り体に言えば正気をなくした状態で、です」
「…………続けろ」
「詳しい説明になるとおれも多くは言えないんですが、今回の作戦の最終目標はトリオン兵の駆逐と樹里ちゃんの救出なんです。けど、トリオン兵の数が膨大で高い火力を持った雨取さんがいるとはいえ防衛し切れるか不安があるんです」
だから、と言って佐鳥は深く頭を下げた。
「お願いします。樹里ちゃんを助ける為に、二宮さんの力を貸して下さいっ!」
深く、深く頭を下げ、佐鳥は渾身の願いを口にする。
それを横目で見ながら、香取もまた口を開く。
「お願い、しますっ! 樹里を助ける為に、力を貸して下さいっ!」
激情のままに口走ってしまいそうになる己を抑え、香取は精一杯頭を下げて二宮に願った。
説明や口火を切る役目を佐鳥に任せきりにしてしまった分、このくらいはやらないと筋が通らない。
その義務感は勿論だが、彼女もまた樹里を助ける事に心血を注ぐ事に躊躇いなどある筈もない。
彼女の為ならば、頭でも何でも下げてやる。
その意気が、決意が、香取の行動には滲み出ていた。
「────────いいだろう。手を貸してやる。犬飼、辻、氷見。聞いての通りだ。これから出撃するぞ」
「了解」
「了解しました」
「了解」
二人の真摯な願いが、通じたのだろう。
二宮は要請を受諾し、事の成り行きを見守っていたチームメイトに声をかけた。
三者三様の答えと共に、二宮を含めた全員がトリオン体に換装する。
すっと立ち上がり、二宮はふとドアの方に眼を向けた。
「そういうワケだが、お前はどうする?
「…………!」
だが。
此処で、予想外の闖入者がいた。
二宮がスタスタとドアまで歩いて行き扉を開ければ、そこにはあたふたするユズルの姿があった。
実のところ、今日二宮が隊室に残る事を選んだのはユズルを呼んでいた為でもある。
例の鳩原密航の件を情報共有した後、ユズルは二宮に呼ばれてちょくちょくこの部屋に来るようになっていた。
自分の敵意が全くの見当外れであった事を知ったユズル側にその誘いを断る理由はなく、戦術的な教導や遠征試験に向けての対策の事などを話す事もあれば、かつての鳩原に関する話題で花を咲かせる事もあった。
少なくとも犬飼が嫉妬を覚える程度には、ここ最近の二宮はユズルに構い倒していた。
だからこそ、今の話を彼が聞いているだろう事も二宮は承知の上だった。
持ち前の狙撃手の技能を無駄に使って気配を消していた上に特に攻撃意思もなかったので香取も気付いていなかったが、佐鳥は恐らく分かった上で話しているだろうと二宮は看破していた。
狙撃手の隠密が同じ狙撃手である佐鳥に通用するとは思えないし、そもそも彼はあの東と狙撃手黎明時代を共に戦い抜いた人間だ。
戦闘時でもない同じポジションの至近距離での気配遮断程度、見破れない筈もないだろう。
「え、っと。確認したいんだけども、さっき雨取さんも行くって言ったよね?」
「ああ、雨取さんも作戦メンバーに入ってる。火力は彼女が最大値だけど、流石に経験値が足りなくてね。だからこうして、二宮さんに助力を頼みに来たんだよ」
故に、ユズルへの説明もスムーズに行った。
佐鳥としても、腕の立つ狙撃手であり千佳と交流のあるユズルは助っ人として来てくれるのであれば助かる人材である。
今回の作戦で最も派手に暴れる予定の彼女には、護衛兼指南役が欲しいと思っていたところでもある。
二宮のスカウトはそういった意味もあるが、彼程のトリオン量と技量の持ち主がただ護衛に徹するのは正直人材の無駄遣いである。
だからこそ、千佳と程良い関係を築いていて尚且つ狙撃手の視点でアドバイスが出来るユズルの存在は稀少だ。
そして、佐鳥だけではなく流れからして二宮もユズルの参加に前向きなのは見て取れる。
問題はとうの本人の意思であるが、ユズルはすっと顔を上げて正面から佐鳥に向き合い口を開いた。
「オレも、連れてって下さいッ! 雨取さんだけを、危険な場所に行かせられない」
「おれは構わないというか、歓迎するよ。ただ、向かう場所は近界だ。君のチームメイトには、今からおれが説明しに行くよ」
いいですね? と佐鳥はチラリと二宮に視線で意思疎通を図り、向こうが頷いた事を確認するとすっと顔を上げた。
矢張り、二宮がユズルの作戦参加を望んでいるという推測は間違っていなかったようだ。
なら後は筋を通しに行くだけだと、佐鳥は考えを纏めた。
「影浦先輩達は、今隊室にいるかな?」
「うん、少なくともカゲさんはいるよ。付いて来て」
わかった、と言いつつ香取に先に戻っていてと指示を出し、佐鳥は二宮に一礼し集合場所を伝えてから退室する。
二宮はユズルと共に部屋を去って行く佐鳥の背をじっと見据え、ふん、と鼻を鳴らした。
「良かったんですか? 少し詰めれば、上層部から遠征参加について何らかの譲歩を引き出せたかもしれないのに」
「恐らくは、無駄だろうな。今回の件は、非公式の案件に近い。知らぬ存ぜぬを通される可能性が高いだろう」
犬飼に対し、二宮は嘆息しながらそう諭した。
今回犬飼が妙に露悪的だったのは、今回の要請に関して色々条件を出せばいざ遠征選抜を行う際に何らかの有利な条件を引き出せるかもしれない、と考えた為だ。
やや感情的になっていたのは事実であるが、それでも
二宮は勿論だが、犬飼もまた鳩原と再会する事を諦めていない。
氷見の提案であまり深刻な空気にならないように留意してはいたが、内心では犬飼も鳩原離脱にかなりのショックを受けていた。
だからこそ、彼女を追いかける絶好の機会である遠征には絶対に参加したい。
ペナルティーの為にA級昇格は暫くないと半ば腐っていたところに、今期に限りA級昇格をせずとも遠征に選ばれる可能性があると聞いていた段階で、犬飼は本気でその席を狙うつもりでいた。
本来ならば真っ当に実力のみで目指すつもりだったが、最終戦の結果B級三位にまで降格してしまった為、チーム全員での遠征参加の切符は逃してしまっている。
それ以外の隊員も個人であれば選ばれる可能性があるとの事だが、犬飼が望むのは二宮隊全員での遠征参加だ。
勿論地力で他の隊員に負けるつもりはないが、遠征試験の内容が全くの不明である以上何らかの手段で裏口のようなものを作っておくのも悪くないと考えたワケだ。
だが、今回の件は二宮が看破したようにあくまでも非公式な扱い。
上層部としては今回の作戦自体なかった事にするだろうだけに、作戦参加を口実にした譲歩は難しいと二宮は判断したのだ。
「それに、あまり駄々をこねれば今回の件からも弾かれる可能性もある。無駄に上層部の印象を悪くするのは得策ではない」
(とは言いつつ、樹里ちゃんを助けたいんだろうなぁ。ホント、アマいんですから)
とはいえ、それ以上に変に駄々をこねて樹里を救う一助になるのを拒まれるのを厭ったという側面が大きいのだろうと犬飼は見ている。
二宮は顔や言動に似合わず、かなり世話焼きな一面がある。
一応彼の中では弟子扱いである樹里の事は、かなり気にかけていた。
その彼女の一大事という事で、二宮なりに気合いが入っているらしいのは態度の節々から感じ取れる。
何処までも感情で動く上司に半ば呆れつつも、しょうがない、と何処か悪くない想いで頷いた。
「了解です。木岐坂ちゃんを助ける為にも、頑張りますよっと」
「ああ」
素っ気なく返事をする二宮を見据えながら、犬飼はふぅ、とため息を吐く。
損な性分だよなぁ、と心中で愚痴りながらも射手の王の忠臣は主の道行に同道する事を決めたのだった。