香取隊の狙撃手   作:デスイーター

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変化の兆し

 

 

「状況終了です。お疲れ様でした」

「ん」

 

 屋上から路地へと飛び降りた木虎から労いの言葉をかけられ、樹里は普段通りの眠たげな眼で生返事を返す。

 

 話半分に聞いているようにも見えるが、彼女は狙撃の時以外は常時こんなものである事はなんだかんだで腐れ縁となってしまった木虎には分かっている。

 

 彼女はこれでも、「真面目に応対したつもり」なのだ。

 

 以前はそのいい加減な返答に食って掛かったものだが、樹里相手にそれは無駄な労力でしかないと思い知って以降は流すようにしている。

 

 何せ、樹里には自分が外からどう見えているかについて全く気にしていない。

 

 というよりも、思考が及んでいない、と言うべきか。

 

 樹里が気にするのは窮極的には自分が身内扱いした香取や染井といった幼馴染、そして様々な意味で依存している佐鳥の事だけだ。

 

 木虎は付き合いがそこそこある為ギリギリで身内に近い扱いをされているが、その対応は佐鳥と比べれば雲泥の差だ。

 

 彼女にそういう意識がないのだとしても、言動や挙動を観察していればそれは明らかである。

 

 樹里にしてみれば自分は、佐鳥に付いて行く時に口うるさく言って来る小姑のようなもの、だろうか。

 

(あまり愉快な想像ではないわね。ホント、分かっていても気分が良いものではないわ)

 

 やれやれ、と木虎は内心でかぶりをふった。

 

 此処で態度の軽さを注意したところで、樹里がそれを改める事はあるまい。

 

 とはいえ、樹里程の実力があればある程度は許容範囲ではある。

 

 今回の戦いでは、樹里の力は勝利への大きな要因となった事は間違いない。

 

 佐鳥の提案した作戦ありきとはいえ、彼女の力を十全に活かした結果がこの勝利だ。

 

 その大き過ぎる功績の前では、多少の態度の悪さは目を瞑るしかないだろう。

 

「え、っと。ごめん、なさい…………? わたし、失礼だった…………?」

「え…………?」

 

 だから、樹里の方からそんな事を言って来た時は本気で驚いた。

 

 予想もしていなかった樹里の()()に、木虎は眼をぱちくりさせている。

 

 一体、どうしたのか。

 

 逆に心配になって、木虎は樹里を凝視した。

 

「確かに、少し態度が悪いなとは思ったけれど、どうしたの…………? あなた、そんな事を気にする子じゃなかったでしょ?」

「…………今回は、賢がわたしの我が儘を聴いて作戦に参加させてくれたから。失敗があっちゃ、いけないと思って。わたしはともかく、賢にあまりこれ以上迷惑をかけたくないから」

「…………そう」

 

 樹里の返答に、木虎は眼を細めた。

 

 詳しい事情までは不明だが、一つ言える事がある。

 

 これまで身内以外の人間に対して「その他大勢」としてまともに向き合おうとしなかった彼女が、その意識を少しであれど変えようとした。

 

 切っ掛けに佐鳥が関わっているとはいえ、これは大きな意味を持つ。

 

 それは傍から見れば大した事のない変化ではあるが、こと樹里に関して言えば大きな一歩であると言っても差し支えない。

 

 それだけ、これまでの彼女は他人に対して無関心が過ぎたのだから。

 

「別に私も、日常会話までいちいち口を出すつもりはないわ。ただ、今は作戦行動中でしょ? たった今戦闘が終結したのは事実だとしても、撤収まで含めて作戦行動なの。だから、私の通達にはせめて「了解」って返事をして欲しかったのよ」

「そっか。分かった。気を付ける」

「それでいいわ。次は注意して頂戴」

「うん。あ、いや、了解」

「ええ、それでいいのよ」

 

 そっか、と微笑を浮かべる樹里を見て、木虎は何処か心が和むのを感じていた。

 

 樹里は自分より年上の16歳だが、背は木虎の方が高い。

 

 木虎が161㎝で樹里が156㎝であり、必然的に彼女との会話は自分が見下ろす形となる。

 

 浮世離れした透明感のある美貌も相俟って、素直になった樹里に笑顔を向けられるのは何処か妖精に懐かれたような不思議な心地よさが感じられるのだ。

 

 木虎の対人感情は年上に対しては「舐められたくない」であり、樹里への思考傾向もこれなのだが、そういった要因もあるのか年下に対する「慕われたい」という感情が出て来てしまった事に木虎自身困惑するのであった。

 

(美人は得ね。胸の大きさなら負けてないから、別にいいけど)

 

 心中で謎の張り合いを始める木虎だが、そこで樹里が何処か不満気な様子をしている事に気付く。

 

 今の説教で気分を害した、というワケではない筈だ。

 

 何故なら、思えば先程生返事を返した時から彼女の心には何かの靄がかかっていたようだと。

 

 今になって、思い至ったのだから。

 

「どうしたの? 何か、気に食わない事でもあった?」

「…………賢が、落とされちゃったから。当真先輩、恨む」

「成る程、それが原因ね」

 

 ふぅ、と木虎は言われれば成る程、と得心する不機嫌の理由にため息を吐く。

 

 どうやら、樹里は先程の戦いで大切な佐鳥が一人だけ落ちてしまった事がいたく気に入らないらしい。

 

 重すぎる佐鳥への感情に辟易する気持ちがないでもないが、先の問答で珍しく木虎は気分が良かった。

 

 だから、なるだけ優しく応対してやる事にしたのだ。

 

「あれは仕方ないわよ。むしろ、そのお陰で貴方が当真先輩をカウンター狙撃(スナイプ)で仕留める事が出来たのだから、それも込みで佐鳥先輩の功績だと思えば良いわ」

 

 それに、と木虎は続ける。

 

「当真先輩は性格に問題はありますが、実力は確かです。あれでも、NO1狙撃手ですからね。あれくらいしないと、落とす事は出来なかったでしょう」

「それはたしかに。当真先輩は(戦術が)いやらしいし(技術が)変態的だって賢も言ってたし」

「…………それ、他の人の前で言っちゃ駄目よ? 言うなら、言葉は省略しないで言った方が良いわ」

「…………? 前に狙撃手の合同訓練の時に言ったけど、特に何もなかったよ? そういえば、あれから当真先輩とは一度も顔を遭わせてないかも。なんでだろ」

「……………………どうやら、蒸し返さない方が良いみたいね。悪かったわ」

「…………?」

 

 キョトン、と首を傾げる樹里を見て、木虎は盛大にため息を吐く。

 

 彼女の言葉通りならば、今の重要な語句をすっ飛ばした発言を衆人環視の中やらかした事になる。

 

 樹里のような美少女の口から「いやらしい」「変態的」と称された当真がその後どのように扱われたかは、言わぬが花だ。

 

 口は災いの元と言うが、まさか当真も悪意のない少女の一言が切っ掛けで自身の評判が左右される事になるとは夢にも思わなかっただろう。

 

 尚、この一件は騒ぎを聞きつけた冬島隊オペレーターの真木理沙によって事実確認がなされ、収束している。

 

 当然彼女は当人の樹里にも確認を取ったのだが、樹里としてただ聞かれた事を答えただけなので特に印象に残らずすっかり忘れていたのだ。

 

 というよりも、前述の発言と関連して考える事をしなかったと言った方が正しい。

 

 樹里としては「アンタ、うちのバカに何かされた?」と聞かれた時に「別に、何も」と答えただけなのだから無理もないが。

 

 無論、それまでの間に彼女によって当真の精神の安寧が脅かされ続けた事は言うまでもない。

 

 もしも噂通りに当真が不貞を働いていたとするならば、どうなっていたか。

 

 それこそ、言わぬが花であろう。

 

「しかし、此処まで巧くいくとは正直思っていませんでした。保険として持っていた貴方のイーグレットも、結局使わなかったですし」

「わたしとしては、いっぱい相手を吹き飛ばせたから不満はないかな。賢の仇も討てたし」

 

 そう言ってブイサインをする樹里に、木虎は何処か呆れつつもそういえば、と思案する。

 

 樹里は今回、サブトリガーにイーグレットを採用していた。

 

 通常、バッグワームが入るサブトリガーに狙撃手トリガーを採用する者は殆どいない。

 

 佐鳥のような例外を除き、レーダーに位置を晒しながらでは狙撃手としての動きをする事が出来ないからだ。

 

 しかし、そもそも樹里はこのイーグレットを狙撃用として用意していたワケではない。

 

 これは万が一、彼女の元に敵が接近した場合に備えての、()()()だ。

 

 副作用(サイドエフェクト)、強化視覚によりスコープなしでの狙撃が実行可能な樹里にとって、狙撃手トリガーは銃手トリガーの如く手軽に扱える代物でしかない。

 

 故に、銃手トリガーと同様の利点────────────────即ち、引き金を引くだけで攻撃可能、というメリットを最大限に活かす事が可能なのだ。

 

 樹里からしてみればイーグレットは高威力の銃手トリガーと同じ感覚で扱う事の出来るトリガーであり、敵の接近時に即座に使える武器でもある。

 

 射手トリガーと異なり一工程(ワンアクション)で使用出来るという利点が、最大限に活きるワケだ。

 

 常識から外れた即応狙撃(クイックスナイプ)が可能な樹里だからこそ行える、例外的な使用法と言えるだろう。

 

 しかしこれは言うなれば最終手段であり、使わないに越した事はない。

 

 今回は彼女を裏方に徹させ続ける事も作戦目標の一つであった為、結果としては大成功だろう。

 

「とにかく、後は迅さんや嵐山さんが巧くやるでしょう。改めて、お疲れ様でした。今回は貴方のお陰で勝てたと言っても、過言ではありませんからね」

 

 

 

 

「くそ…………っ!」

 

 ガン、と三輪は残った左腕で電柱を殴りつける。

 

 トリオン体の膂力で殴られた電柱が少々凹むが、今の三輪にそれに頓着する余裕はない。

 

 敗北した。

 

 それも迅ではなく、彼の味方をした嵐山隊に。

 

 黒トリガーを使う迅に負けたのならば、まだ仕方がなかったと納得出来たかもしれない。

 

 しかし、部隊としての順位はこちらが下とはいえ、同じA級の嵐山隊に敗北したのは少々どころではなく納得出来なかった。

 

 無論、彼等を侮っていたワケではない。

 

 嵐山隊は広報活動という激務をこなした上で五位という順位に甘んじている事は承知しているし、そもそも隊長の嵐山の万能手ランクは自分より上だ。

 

 この時点で侮る事など出来る筈もなく、内心で三輪は彼の事を高く評価していた。

 

 だからこそ、嵐山が迅の味方をした事が未だに納得出来ていなかった。

 

 何故、彼のような正義の化身があんな男の肩を持つのか。

 

 それが、三輪にとって抜けない棘となって彼を苛んでいた。

 

「…………嵐山さん、後で後悔する時が来るぞ。近界民(ネイバー)の本当の脅威は、実際に身内を失った者にしか分からない。近界民を擁護する迅は、それを甘く見ている。そして、その時にはもう手遅れだ。大切なものを、失う事になる」

 

 故に、それは精一杯の彼なりの嫌がらせだった。

 

 自分ではなく近界民を庇う迅などに味方した愚を、いずれ思い知らせる為に。

 

「甘く見ている、って事はないだろう。迅だって母親を近界民に殺されているし、師匠の最上さんを始めとした旧ボーダーの面々だって大勢亡くなっている。近界民の脅威は、誰よりも迅が分かっている筈だ」

「…………っ!?」

 

 だが。

 

 その目論見は、嵐山の一言によって呆気なく崩れ去った。

 

 今、彼は何と言った?

 

 迅が、母親を近界民に殺されている。

 

 嵐山は、確かにそう言った。

 

 しかも、それだけではなく自分の師やかつての仲間さえ大勢死んでいるのだという。

 

 馬鹿な。

 

 そう叫びたいのを、三輪は何とか堪えていた。

 

 理解出来ない。

 

 それだけの被害を受け、近界民の脅威を理解していながら。

 

 何故迅は、奴等を擁護する立場に回れるのか。

 

 今の話が本当だとすれば、一体奴は何を考えているのか。

 

 それが、心底理解出来ない。

 

 そこで、ふと気づく。

 

 自分は、迅の事を何も知らない。

 

 かつて姉を見捨てた彼を憎悪し、疎んで来た。

 

 故に迅の名前が出る度に踵を返し、彼に関する情報から意図して目を背けていたという面も否定出来ない。

 

(一体、迅は何を考えているんだ…………? 俺には、それが分からない。分かろうとも、して来なかった)

 

 憎悪に、翳りが見える。

 

 それは本来であれば復讐に生きる三輪にとって、看過出来ない事象である筈だった。

 

 しかし、考えてみれば直接姉を殺した近界民と違い、迅はただ姉を()()()()()()()()()だけだ。

 

 故に直接的な加害者とは言えず、それどころか本来であれば藁にも縋る想いだった自分の下にたまたま訪れた第三者でしかない。

 

 理屈では、分かっている。

 

 あの時点でもう、姉は既に助からなかったのだろうと。

 

 未来視を持つ迅は、それが分かったからこそ手を差し伸べなかったのだろうと。

 

 ある筈もない希望を、抱かせない為に。

 

 彼は、三輪に恨まれる事を選んだのだと。

 

 しかし、理屈で納得は出来ても感情はそれを是とはしない。

 

 だって、そうしなければ。

 

 あの時、姉を救えなかった惨めな自分を。

 

 許す事など、こんな自分が生きている事など。

 

 許容出来る筈が、なかったのだから。

 

(けど、それじゃあ)

 

 三輪の意識が、変わる。

 

 普段の三輪であれば、嵐山の発言一つで此処まで揺れはしなかっただろう。

 

 だが、徹底的な完敗を喫した事で、いわば冷や水を浴びせられたような状態となり自分自身を客観視出来た結果とも言える。

 

 これまでは、自分の情けない部分を棚に上げて迅を一方的に毛嫌いするだけだった。

 

 しかし、迅もまた自分と同じ大切な者を奪われた立場であるのならば。

 

 話をする余地は、いや。

 

 しっかりと話す必要が、あるのかもしれない。

 

(…………話を、してみるか。冷静に話せるかは、分からないが)

 

 今回の件は、良い機会だろう。

 

 どう帰結するのかまでは分からないが、迅にもまた自分に言いたい事の一つや二つはあるハズだ。

 

 そう考えて、三輪は今後の方針を決めた。

 

 顔を上げたその表情には、知らぬ間に薄く笑みが浮かんでいた。

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