「…………僥倖です。まさか、このような折に例の星を見付ける事が出来るとは。これも普段の行い故、と言うには些かこの身は血に塗れ過ぎていますかな」
暗がりで、影が囁く。
痩身痩躯、
その声には老獪さと底知れなさを漂わせ、余人を寄せ付ける事を許さない。
翁の姿をした影はゆっくりとスクリーンを見据え、一歩を踏み出す。
「では、参りますか」
「くっ!」
三浦は地面から飛び出た
間一髪、その牙が届く前に敵を両断する事に成功する。
「…………!」
だが、その次の瞬間には再び地面から骸兵蟲が出現し、三浦に狙いを定める。
「ふっ!」
しかし、そこは辻がカバー。
危なげなく弧月を振るい、新たな敵を斬り裂いた。
再び両断の憂き目に遭った怪物は、音を立てて地面に墜ちる。
既に周囲には、至る所に
それだけ、彼等が絶え間ない襲撃に遭った事の証明でもある。
現在まで脱落者は出ていないが、いつそれが出てもおかしくない状況ではあった。
「あ、ありがとうございます。辻さん」
「元々、君の護衛は任されていたからね。今は少し様相が異なっているけど、仲間同士で助け合うのに変わらない。お礼は良いよ」
礼を言う三浦に対し、辻はあくまでクールに対応する。
年齢自体は同い年ではあるのだが、どうしても漂う風格的に辻の方が先輩感は出ている。
なお、彼がこうして冷静に振舞えるのは同性相手だけという事は言うまでもない。
もしこの場に香取が残っていればしどろもどろになっていたであろうし、正直女性陣が殆ど向こうへ参加してくれた事にはある意味で安堵していた程だ。
唯一この場に残っている女子隊員である千佳は二宮と共に重要な役目を担っているし、辻がわざわざ近付く用事もない。
よって、女性恐怖症の剣士は全力で先輩面をしておけるのだった。
「それより、油断しないで。これからも、いつ敵が来るか分からないんだし」
「そ、そうですね。分かりました」
雑談は、此処まで。
元より、彼等は油断などしていない。
辻は勿論、三浦も視野は広い方で尚且つ件の二宮隊による指導によりその能力を活かす動き方も身に付いている。
以前は他者のフォローばかりを気にして自身の安全が疎かになりがちだった三浦であるが、今は「生きて役目を全うする」という事の重要性を理解し、しっかりと自身の保全にも気を配るようになった。
元々、素養は悪くなかったのだ。
これまでは単にチームメイトのフォローの為にその才覚を使い潰していただけで、能力自体はB級上位の及第点レベルは普通に超えていた。
若村と異なり一つの事にだけにしか集中出来ないのではなく、同時に複数の視点を持つ事を苦としない。
他人への配慮がその原動力であるが、どちらにせよ視野の広さは戦場では武器になる。
三浦は油断なく周囲を見回しており、いつ敵が来ても良いように弧月に手をかけていた。
「無理をして他の人のカバーに回らなくても良いよ。此処にいる人は誰も彼も、自分の事は自分で出来る筈だ。君達だって俺達を超えてB級一位になったんだし、そこは自信を持って良い」
けど、と辻は続ける。
「一人で気を配れる範囲には、限度があるからね。加えて今は、連戦で精神力も消耗してる。無理をして余計に消耗するよりは、自分の事に集中した方が良いと思うよ」
「分かりました」
三浦が頷いたのを確認すると、辻はよし、と微笑んだ。
元から三浦は、他人の事ばかりを気にして自分の事が疎かになりがちな所があった。
短い間ではあったが彼を教導した者として、その懸念点は把握していた。
だからこそこうして念を押したのであり、理由についてはたった今話した通りだ。
これまで自分達は、幾度も
最初と異なりエスクードという防壁がなくなった為に、自分の足元からタイムラグなしで怪物が奇襲をかけて来るようになった。
エスクードという台座があったが為に余裕を持って迎撃出来ていた時とは違い、一瞬の油断が文字通り命取りになる状態だ。
その事を自覚し緊張状態を保ったまま連戦して来たのだから、当然相応に精神力は消耗している。
そんな状態で無理をして他人のカバーをしようとすれば、どうなるかは自明の理だ。
故に辻は三浦に忠告し、無理をしないよう配慮したのである。
物分かりが良い事は以前の教導で知っていたので、先程ああ言った以上彼は自分の言を守るだろう。
その程度の信頼は、確かにあった。
「この調子で、確実に凌いでいこう。無理はせず、出来る範囲でね」
(何とか、凌ぐ事は出来ているか。それも薄氷の上ではあるがな)
二宮は陣地の状況を見回し、冷静に判断する。
確かに、実質的な被害は出ていない。
攻撃を被弾した者もいないし、
数々の地面からの奇襲攻撃も、少々危ない場面があったとはいえ無傷で凌げている。
しかし、隊員達の疲労の色が濃い。
ただでさえ長時間の戦闘を続けている上、今はいつ来るか分からない穿孔奇襲に対して神経を張り巡らせている状態だ。
トリオン体は肉体疲労で動きが鈍くなる事はないが、精神は別だ。
如何に強靭なトリオン体であっても、それを動かすのは生身の人間の意思である。
当人が精神的に疲労していればそれだけ動きに精彩を欠くし、ミスもし易くなる。
これは人間である以上仕方のない事で、如何に強靭な精神を持とうが限度というものはある。
それを無視する程、二宮は楽観的でも理想主義でもなかった。
(特に、こういった状況に慣れていないB級の連中は注意しておくべきだろう。若村や三浦は成長が見えたとはいえ、経験不足なのは事実だ。それは三雲や雨取にも言える。三雲は本人の精神力は強靭だが、経験不足故の粗は目立つからな)
二宮はチラリと、隣で爆撃を続ける千佳に眼を向ける。
(雨取は頑張ってはいるが、疲労の色がかなり濃い。トリオン切れの心配はないだろうが、精神的には限界が近い筈だ。本物の戦場での戦いは、事実上これが初陣。無理もないか)
千佳は規格外のトリオンを持つが、精神的には普通の女の子だ。
つい先日まで戦いとは無縁の場所にいて、
あれだけの爆撃をしておいてトリオンの底が一切見えないのは驚嘆に値するが、それでも精神には限界がある。
大規模侵攻では直接戦う事は無かった事を考えると、仮想空間以外でのまともな長時間戦闘はこれが初陣である筈だから猶更だ。
かなり我慢強い性格な上に今は覚悟も決まっているらしく持ち堪えてはいるものの、二宮の眼から見ても相応に無理をしているのが分かっていた。
トリオン切れは実質心配ないだろうが、当人の限界は近いと見るべきだろう。
今は爆撃に集中しているから保っているが、恐らく今奇襲をされても対応は難しいだろう。
あれは一つの事に集中しているからどうにかなっているだけで、他の事をする余裕は欠片も無い筈だ。
人間は一つの事柄に集中していると、他の事が目に入らなくなる。
これは当然の事なのだが、その集中が並外れていれば周囲の音や喧騒は雑音として処理され、たとえ声をかけられたとしても本人が必要な事と認識しない限りは耳に入らない事も多い。
千佳はこの集中力がかなり高く、ある意味で狙撃手に向いている性格とも言える。
狙撃手はその役柄上、一ヵ所でひたすらに潜伏を続ける事も珍しくない。
勿論その間スコープを活用して索敵を続けるワケであり、隠密に徹する以上かなりの集中力が必要とされる。
絶好の機会を逃さない為、いつ訪れるか分からない狙撃のタイミングまで集中を切らさずにスコープ越しに戦場を俯瞰し続ける。
それが出来て初めて、狙撃手と呼ばれる資格がある。
東という師が開祖となったポジションの難しさを、二宮は彼から聴いて良く知っていた。
そういう意味で狙撃手には相応の資質が求められるが、ある意味で千佳はその適性を充分以上に有していると言える。
だからこそ、仮想空間ではない本物の戦場での初陣で此処まで頑張る事が出来ているのだ。
今以上を求めるのは酷であり、効率の面から行ってもよろしくない。
(狙撃手の事は、狙撃手が一番知っている。直接の手助けは、ユズルに任せておくか)
幸い本人のフォローはユズルが務めてくれており、指揮官として全体を俯瞰する役目のある二宮が直接干渉する必要はなさそうなのが何よりである。
本音を言えばもっと構ってやりたいが、風間から任された立場を無下にするワケにはいかない。
風間は、自分なら出来ると信じてこの場を任せてくれたのだ。
その期待に応えられずして、射手の王は名乗れない。
それに、必要以上に介入すればユズルに嫌われそうだ。
彼が千佳に好意を抱いて構っているのは見れば明らかであり、割と鈍感な方である二宮にも露見しているのがその証拠だ。
その是非はともかく、それがモチベーションに繋がっているのであればプラスと見るべきだろう。
実際、言葉足らず(自己認識に難アリ)な二宮のフォローをしてくれているのは有難くはある。
どうやら千佳には自分の言いたい事が旨く伝わっていない時があるようで、その度にユズルが口添えをしてくれていた。
その必要性を最初は理解出来なかったが、ユズルの介入が始まってから千佳との意思疎通がスムーズになったのは事実なので、これで良いと見るべきだろう。
ともあれ、千佳に対する精神的なフォローはユズルに任せれば良いという結論に変わりはない。
(…………鳩原の事にも、気付けなかった俺だ。俺よりも、アイツの方が適任だろう)
その判断に、口には出さずとも過去の後悔が関わっていないかと言われれば嘘になる。
口では色々言いつつも、鳩原密航の件は二宮の中で確かなしこりとして残っている。
精神的に強靭な為に表に出していないだけで、彼は過去の悔恨を容易に忘れる事など出来ない性格だ。
しかし合理を求める本人の強い自我により、感情と自分の役目を分けて考えられてはいる。
幸い、今期限定の特殊な状況により遠征参加の可能性が消えていなかった事で奮起出来たのは事実だ。
犬飼が自分が悪役になってまで佐鳥達を通じて上層部から譲歩を引き出そうとしたのも、そんな二宮の内心を察していたからでもある。
何処まで自覚があるかはともかく、合理に徹するようでいて感情が第一である男は、冷静に状況を俯瞰しつつもいつ訪れるか分からない破綻の時を警戒しながら指揮を執っていた。
『二宮さん、悪いんだけど緊急だ。聞いてくれるかな』
「はい。何かありましたか?」
そんな時だった。
迅から、突然連絡が来たのは。
今彼は
その詳細な位置は知らされていないが、そこは作戦には関係のない事だと察して追及はしていない。
重要なのは、これまで殆ど見に徹していた迅がいきなり連絡を寄越して来た事だ。
直接の手助けが出来ず、こちらに来れない彼がこの状況で連絡を行った理由。
それが何なのか、分からない二宮ではなかった。
『たった今、無視出来ない未来が視えた。実は────────』
(…………何とか、凌ぐ事は出来てる。守られてばかりなのは、情けないけどな)
修は時枝の隣で周囲を油断なく見据え、心の中でため息を吐いた。
彼は現在、時枝の護衛を受けながら陣地内でワイヤーを張る仕事を任されていた。
トリオンが低く攻撃能力が低い修では、トリオン体の強度が同一であるランク戦では役に立てても、堅い装甲を持つトリオン兵の相手は向いていない。
普段ならばスラスター斬りを利用して撃破に貢献しているところだが、下手に他の面々から離れるワケにはいかない以上火力がぶっちぎりで低い彼が直接戦闘を担当するのはあらゆる意味で負担が大きい。
その為、少しでも敵の動きを鈍らせる事が出来るように陣地周りにスパイダーを設置していたのだ。
当然その間穿孔する
時枝は派手な活躍こそしないものの、縁の下の力持ちとでも言うべきか他人のフォローが途轍もなく巧い。
何処にワイヤーをどう仕掛ければ良いかもアドバイスしてくれるし、警戒の効率的なやり方も教えてくれた。
陣地内を巡回し各所で手助けを行っている嵐山と同様、他人に物を教える事に慣れている様子だった。
広報部隊としてボーダーのオリエンテーションを担当していた事もあり、そのあたりはお手の物なのだろう。
ともあれ、時枝の護衛ありきとはいえ役割は全う出来ているので決して役立っていないワケではない。
自己評価は相変わらず低いが、彼がいるだけで千佳の精神安定に貢献している事もあり、なくてはならない人材なのは間違いなかった。
(向こうがどうにかしてくれるのを待つしかないのは分かっているけど、いつまで続くんだろう? あのメンバーならどうにかしてくれるとは思うけど、油断は禁物だ。敵がいつ、どんな手を使って来るか分からないし────────え?)
そんな折、修はふと視界の端に気になるものを見付けた。
紫電。
防衛陣地の近く、何もない中空に突如紫電が迸った。
その光景には、覚えはある。
あれは。
(
近界で用いられる、場所と場所を繋ぐ文字通りの「門」。
それが開こうとしているのだと、修は理解した。
(あれは…………っ!)
そして。
中空に発生した門から、一人の人間が降り立った。
修は、その人物を知っている。
否、この場にいる誰もが目にした事があるだろう。
彼は。
その、翁は。
「────────おやおや、まさかこんな所に出くわすとは。異な事もあるものですな」
────────アフトクラトルの剣聖ヴィザは、なんて事もないような顔で異星の地に降り立った。
緊張が、走る。
ただでさえ過酷な戦場のただ中、特大のイレギュラーが顕現した瞬間だった。