「いやはや、一時はどうなる事かと思ったけど何とかなって助かったよ」
ガロプラの遠征艇の中、迅はふぅ、と大きなため息を吐いた。
その顔には、安堵の表情が浮かんでいる。
それはそうだろう。
何せ、たった今まで全てが台無しになる瀬戸際だったのだから。
今回の交渉、成功の目は殆どなかった。
まずこちらがヴィザの本当の目的に気付かなければお話にもならないし、気付けたとしても言葉選び一つ間違えれば翁に首を縦に振らせる事は出来ない。
本当に、奇跡のような偶然が重なったとしか言いようのない結果であった。
「良い後輩を持ったな、迅」
「ええ、本当に。おれには勿体ないくらいです」
桐山の言葉に、迅は喜色を浮かべてそう答える。
最悪の邂逅が、最大の転機となった。
そんな
彼が嬉しく思うのも、当然だろう。
あの交渉は、修でしか成し得なかった。
場数と人生経験は指揮官の二宮の方が上であるが、彼は近界民について詳しいとは言えない。
ボーダーで一般的に周知している情報に、これまでの経緯から薄っすらと裏側を推察している程度だ。
何より、ヒュースという隊員を個人の観点では殆ど知らない。
逆に修の場合は遊真や玉狛支部の面々を通じて近界の事情にある程度精通しているし、ヒュースとも個人的に悪くない関係を築いている。
その彼でなければ、ヴィザを納得させる交渉は出来なかったろう。
これまでの経験が物を言った、修の軌跡の勝利と言えるだろう。
それがどうにも嬉しくて、迅が顔を綻ばせるのも無理はなかった。
「とにかく、あの爺さんが味方になったのはとんでもなくでかいです。これまではどんな未来でも、樹里ちゃんの救出なくしてあのデカブツをどうにかする事は出来なかった。けど────────」
迅はふぅ、と息を吐き、続ける。
「────────あの爺さんがいれば、話は別なんです」
「では、そのように。よろしくお願いします」
ヴィザはそう言って、その手に黒トリガー
その身から放たれる覇気は、まさに埒外。
空気が唸り、それを浴びた者の総身を震わせる。
剣鬼。
そんな言葉がこれ以上なく相応しい、翁の威迫であった。
「では、そちらの提案通りこちらは弾幕を展開します。射線は気にしませんが、よろしいですか?」
「ええ。友軍からの援護射撃程度、自力で回避出来ます。これでも、数々の戦場に赴いた経験がありますからな。単騎で万の軍勢を相手にした事もありますので、心配はご無用。たとえ流れ弾に当たったとしたら、この身が未熟であったというだけの話です」
にこりと、その笑顔だけを見れば好々爺そのものである表情でヴィザは答える。
だが、その言葉には歴戦の兵らしい実感が確かに籠っている。
その威迫に気圧されそうになりながらも、二宮は頷いた。
未だ信じ難いが、この翁が期間限定とはいえ味方になったのは事実。
ならばそれを、最大限利用するまで。
ヴィザの実力は、大規模侵攻の時に嫌という程思い知っている。
今更、彼の言葉を疑う余地はない。
本当に、出来ると言った以上は実行するのだろう。
それが可能となるだけの力は、間違いなく持っているのだから。
「ああ、それからこれは独り言ですが────────そちらの
「…………!」
その言葉に、修は眼を見開いた。
間違いなく、ヴィザが言っているのは千佳の事だ。
大規模侵攻の時は、千佳は戦闘に参加せず他のC級と共に有象無象の一人となって隠れていた。
だからこそ気付かれはしなかったが、今の彼女はこの防衛陣地で指揮官たる二宮の傍で重要そうなポジションで待機していた。
先程までの爆撃を見られていたかどうかは分からないが、彼程の実力者ならば感覚だけで内包するトリオン量を推定出来たとしてもおかしくはない。
(けど、この言い方ならアフトクラトルへは報告はしないでいてくれそうだ。千佳を遠征に連れて行く以上遅かれ早かれではあったけど、今すぐに問題にならないならそれに越した事はないな)
勿論、千佳を遠征に連れて行く以上はアフトクラトル側に彼女の存在が露見するのは時間の問題ではある。
わざわざ彼等の求める最高峰の逸材を、自ら本国へ連れて行こうというのだ。
その程度の危険性は織り込み済であるが、今それが伝わるのかそうでないのかでは大分違う。
今更この翁が嘘を吐くとは思えないし、彼の言う通り本当に「見なかった事」にしてくれるのだろう。
不幸中の幸いならぬ僥倖ではあるが、今は素直にそれを喜ぶべきだ。
(それより、今の念押しはきっと千佳の投入を躊躇するなって事だ。最初はあの人が見ている前では千佳には撃たせないつもりだったけど、こうなった以上出し惜しみをしても仕方が無い。たとえこちらの情報を見る為のブラフでも、必要なら割り切るだけだ)
修は二宮とアイコンタクトを交わし、あちらが頷くのを確認する。
どうやら、こちらの意図は伝わったらしい。
その様子を見てヴィザはにこりと笑い、遠方に存在する巨大な怪物を見据えた。
「では、参りましょうか」
「…………! 速いっ!」
思わず、烏丸が声をあげる。
それは、一瞬どころか刹那だった。
共闘の協定を結べたとはいえ、本質的には敵同士の相手。
その一挙手一投足には充分以上に注意を払っていた筈であったが、気付けば翁の姿はその場から消え、遥か先に在った。
しかし、ヴィザの姿は再び掻き消える。
かと思えば更に遠い場所に再出現し、もう一度消える。
それを繰り返す事で、ヴィザの姿は瞬く間に彼方の先へ進んでいた。
「…………爺さんの脚力じゃないだろ…………」
思わず若村が呟くが、誰も反論はしようとしない。
強い、という事は分かっていた。
だが大規模侵攻では腰を据えてあまり移動せずに戦っていた為、スピードタイプの印象は左程なかった。
だというのに、いざ動いてみればこの圧倒的な速度。
言葉を失うのも、無理からぬ事と言えるだろう。
「雨取、撃つぞ」
「りょ、了解!」
されど、そんな動揺の中でも二宮は己の役目を忘れなかった。
自らを除けばこの場で唯一
千佳が同様に展開したのを確認しつつ、掃射を開始した。
空を埋め尽くす、弾幕の群れ。
それが、先の言葉通りヴィザの事など意にも介さぬ射線で降り注ぐ。
本来であれば先を行く味方に当たらぬように撃つのが定石だが、何分ヴィザの動きが速過ぎる。
あれでは、着弾場所を計算して被弾しないように放つ事など不可能だ。
ヴィザが先程自分の事は気にせず撃てと言ったのは、こういった理由もあるのだろう。
即ち、移動速度が速過ぎるが故にそういった気遣いは無駄であると。
それならば、自分の事など気にせず撃ってくれた方が効率的だと。
つまりは、そういう事なのだろう。
そして、それは正しかった。
二人の弾幕が降り注ぎ、大地に着弾する。
それらは地を埋め尽くす
先程まで行っていた千佳の狙撃と異なり、通常の射撃トリガーではあの巨体の足場を爆砕するには少々力不足ではある。
だが、どうやら敵のシールド発動は自動的なものらしく、本体へ射撃が届く前に展開された障壁によって弾幕は弾かれた。
如何に再生するとはいえそれまでのタイムラグを嫌ったのか、或いは妙な事をされまいと警戒したのか。
それとも、そういった仕様であるのかは不明だが、シールド使用を強要出来た事に変わりはない。
ならば、それで問題は無い。
先程までとは、状況が違う。
今までは、敵本体をどうにかするだけの火力は存在しなかった。
されど、それはあくまで先程までの話だ。
今は、こちらには最強の剣聖がいるのだ。
彼を送り届けるだけで、勝利は確約される。
つまるところ今の戦場は、そういった
ヴィザは降り注ぐ弾幕などないかのように、凄まじいスピードで巨体に迫る。
その距離は、瞬く間に縮まっていった。
『警告、警告。危険度SSSクラスの存在を確認。対象、アフトクラトルの剣聖。個体名ヴィザと認識』
その存在は、すぐさま
元より、ヴィザは近界に名を轟かせる至天の実力者。
ククロセアトロがシステムに刻んだ要注意人物リストには、当然のように載っていた。
『脅威度測定を再計算、他の全ての個体の総力を比較計算────────結果、対象の個人戦闘力が他の全軍を上回ると判断。他の個体に当てるリソースを最小限に絞り、対象の排除に注力します』
そして、見付けた以上は最優先で排除する以外の選択肢はない。
ギョロリと、女神像の単眼がヴィザを見据える。
同時に、両手に生成していたトリオンキューブの標的を変更。
腹部から突き出していた砲塔も、その方角を変更する。
文字通り、矛先が変わった。
最優先目標を、駆逐する為に。
『排除開始』
「…………!」
遥か彼方より、夥しい数の弾幕が降り注ぐ。
それは紛れもなく、
今まではレイジ達に向けられていたそれが、一斉に単騎の標的に向かって放たれる。
敵がヴィザの脅威度測定に、正しく成功した結果であった。
もっとも、埒外に過ぎるその巨体故に進軍するだけであらゆる障害は駆逐される。
だからこそ余計な武装は必要無いとも言えるが、その運用目的はシンプルだとも言える。
即ち、再生能力を持った巨大質量を武器とする
そういったコンセプトの下で設計された、いわば
だがそれは逆に言えば、単騎での対応力自体はその耐久力に依存するという事でもある。
動きは見た目通り鈍重であり、
サイズが圧倒的に違うだけで、性能としてはバムスターと変わらないとも言えるのだ。
要するにあれは再生能力とシールド発生能力を備えた、限界までサイズを極大化させたバムスターそのものと言える。
普通であれば、それだけも充分以上に脅威だろう。
事実、今まで二宮達は根本的な対策を打てず、遅延戦法が精々だった。
それだけ、怪物の巨大質量と再生能力の組み合わせが圧倒的であったのだ。
しかし、今は状況が違う。
その怪物を単騎で殲滅可能な剣士が、野に放たれたのだから。
敵が警戒し、標的を絞るのには充分過ぎる理由だろう。
「雨取」
「はいっ!」
しかし、此処にいるのは彼一人ではない。
遠く離れた防衛陣地より、再び弾幕が放たれる。
今度は、威力重視の調整ではない。
あくまでも、
極限まで細分化した弾丸が、空に向かって放たれる。
千佳は、その圧倒的な弾数を以て。
二宮は、正確無比なコントロールによって。
降り注ぐ敵の弾幕と相殺し、虚空に火花が迸る。
本来であれば、千佳に迫り来る弾幕を撃ち落とせる程の技量はない。
だからこそ、トリオン量にあかせた単純な物量によって、その問題を解決した。
その撃ち漏らしを発射タイミングをズラした二宮の弾によって迎撃する事で、この防御は成立した。
敵の弾幕はその殆どが地に落ちる前に撃墜され、数少ない撃ち漏らしをヴィザは悠々と回避していく。
「これはこれは、楽でよろしいですな。矢張り、
荒野のただ中を疾駆するヴィザは、微笑みを絶やさない。
今の攻防を見れただけでも、こうして組んだ価値はあった。
内心でそういった評価を付けながらも、翁の脚は止まらない。
その常人離れした速度を以て、遂にヴィザは
『■■■■…………!!』
怪物が、脅威の接近に際し咆哮をあげる。
そして、迎撃の為にその巨大な前腕を振り上げた。
何の変哲もない、ただの振り下ろし。
だが、圧倒的な質量を伴うそれは隕石の落下と何も変わらない。
数キロメートルに及ぶ前腕の一撃が、地へと振り下ろされる。
「甘い」
しかし、それが地面まで届く事はなかった。
斬撃。
一切視認出来ない速度で放たれたそれが、
圧倒的質量を持つ前腕が、ただ一度の斬撃で斬り落とされる。
それを当然のように、ヴィザは息を吐くかの如き自然さで実行したのだ。
攻撃は、失敗した。
されど、怪物には再生能力がある。
切断された前腕を修復すべく、傷の断面から無数の糸が伸びる。
それが繋がった瞬間、切断された腕は瞬く間に再生する事になる。
「おっと、それはさせませんよ」
だが、それすら許されなかった。
ヴィザの斬撃が、再度炸裂。
傷口から伸びた糸の全てを両断し、更に切断された側の腕も微塵に斬り裂く。
再生は許されず、ブロックのように細分化された前腕は轟音と共に地面に落下した。
「
悠々と、ヴィザは誇るでもなく当然の事のように呟く。
否、翁にとってこの程度は真実出来て当たり前の事でしかないのだろう。
数キロメートルに及ぶ前腕を切り刻んだ事も、敵の糸の悉くを切断し再生を阻害した事も。
ヴィザにとっては、息をするのと同じくらい自然に出来る事でしかないのだ。
『■■■…………!』
再び
同時に、その周囲に侍っていた数万体の
普通であれば、単騎ではどうしようもない物量差。
この場にボーダーの精鋭がいたとしても、あまりに数が違い過ぎて対応は難しいだろう。
「────────
────────されど、前提が違う。
此処にいるのは真実一騎当千、神の国の剣聖。
単なる物量差など、翁にとっては誤差程度のものでしかない。
一閃。
ヴィザの黒トリガー、
ただの一撃で、敵の全てを葬り去る絶技。
それを事もなげに放ったヴィザは、見逃さなかった。
8つに裂かれた敵の巨体の断面から、修復の為の糸が伸びる瞬間を。
たとえ身体を裂かれたとしても、原型が残っていれば充分に再生は可能。
数瞬の内に、この光景は元の木阿弥となる。
「遅い、ですな」
しかし、この翁相手に数瞬は遅過ぎた。
星の杖の一撃が再び周囲を席捲し、断面から伸びた糸を悉く両断。
8つに裂かれた巨体は、更に数百もの断片に断ち切られる事となった。
それでも、巨体の再生能力は止まらない。
再び断片となった破片から無数の糸が伸び、巨体を再生せんとする。
それは、
ただその威容を維持し、進軍するだけで良い。
その為に最優先すべきは、自身の再生。
だからこそ他の何を措いてもそれが優先され、どんな状況であろうと再生に取り掛かる。
「させません、と言いました」
────────だが、それさえも翁の前では無駄でしかなかった。
星の杖の連撃が糸を切断し、更に断片を両断────────否。
粉微塵に切り刻み、物理的に再生が不可能になるまで文字通りに
敵の再生能力は、つまるところパーツ同士で糸で繋ぎ合わせるもの。
即ち、裁縫で布を繕うのと原理は同じだ。
だが、ボロボロの小間切れになった布を針と糸で繕う事は出来ないように、そもそも繋ぐ対象が繋ぎ合わせる事も不可能なレベルまで裁断すれば修復は不可能となる。
言うは易しだが、それを事もあろうに「斬撃」で成し遂げたというのが埒外に過ぎる。
結果。
数キロメートルに及ぶ威容を誇った巨体は、規格外の翁の連撃によって文字通りに消し飛んだ。
汗一つかかずにそれを成し遂げた翁は、凄みのある笑みを浮かべた。
「再生するのであれば、再生出来ないレベルにまで切り刻めば良い。私の見立ては、間違っていなかったようですな」
斬撃で文字通りに「粉砕」するという常識外の手段を以て怪物を撃破したヴィザは、事もなげにそう呟いた。
あまりにも、圧倒的。
これが、剣聖。
アフトクラトルの国宝の使い手にして、近界に名を轟かせる剣士の形をした修羅。
ヴィザその人であると、誰しもが理解するのだった。