「行けぇっ!」
香取が怒声を上げ、母トリガーに向かって射出された二機の怪物を見下ろす。
これまであの怪物達は壁を這う、或いは壁を足場にして跳躍する事で移動していた。
少なくとも、あの二機に飛行能力や浮遊能力といったものは見受けられない。
故に、空中で方向転換する術はない。
一度加速を着けて撃ち出された以上、その前進を自ら止める方法は無いと見るべきだろう。
『────────ッ!?』
加えて、二機の怪物はワイヤーによって
全身に糸が絡まっているだけではなく、二体の
このワイヤーは、風間達が回避と並行して繰り返し攻撃を加えた結果出来た裂傷の中に埋め込まれている。
怪物の背には強固な装甲がありワイヤーを撃ち込む事は出来ないが、比較的硬度の低い腹部であれば傷をつける事が出来る。
そして、裂傷さえ作り出せればそこにワイヤーを撃ち込む事が可能になる、という寸法だ。
これまで時間をかけたのは偏に木虎がワイヤーを張り終わるまで待っていたという理由もあるが、充分な数の裂傷を腹部に作り出すという狙いもあったのだ。
当初の計画ではより多くの裂傷を作り出すまで防戦を継続する手筈だったが、元よりある程度の数の傷を作る事には成功していた。
慎重を期していたのはあくまでも充分な
更に、二機が絡む合うように射出された事で鋭利な前腕を用いてワイヤーを切断する事も出来ない。
そもそも、かなりのスピードで射出されている為母トリガーに到達する前に対処を行う事など出来ない。
二機の
『■■■■…………!』
だが。
その予測は、覆された。
母トリガーの台座となっている、蜘蛛のオブジェクト。
その複眼を模したカメラアイが紅い光を放ったと同時に脚部が素早く動き、墜落する二機の
この蜘蛛の形をした台座は、何も伊達や酔狂でこのような形状をしているのではない。
いざという時
この
だからこそ、伸縮自在の脚部という武装を以てこの地まで辿り着いた外敵を迎撃するようプログラムされている。
本来であれば風間達が近付いた時に不意を打つ予定であったのだろうが、何にせよ本体への致命的なダメージを防ぐ事は出来た。
防衛機構である
加えて、ワイヤーによる妨害という手札は既に見た。
ククロセアトロの人工知能は応用力に乏しいが、その眼で視た事柄に対する的確な対処はむしろ得意とする所である。
ワイヤーによって
場合によっては蜘蛛の台座と直接接続する形に変形させてしまえば良いし、既知の手札の対処などどうとでもなる。
それが、
もうやり口は見えたのだから、恐るるに足りないと。
そう、判断したのだ。
「充分だ」
だが。
それに、異を唱える者がいた。
彼は、風間は。
自らの尖兵を刺し貫いた
その頭上に鎮座する母トリガーの一点を見据え、告げる。
「
「
それは、風間達がこの地下へ潜る直前。
突入前に交わした、ヒュースとの会話だった。
不意の質問に最初は戸惑っていたヒュースだったが、それも一瞬。
すぐさま風間の意図を理解し、得心を示した。
「そうか。木虎も香取も近接特化型で、風間もそれは同様。つまり、オレや遊真のように大出力を以て構造物を破壊するには不向き、という事か」
「そういう事だ。手当たり次第に切り崩せば良いのであればそうするが、もっと容易に事が済ませられるのであればそれに越した事はない。流石に俺も、母トリガーを破壊する、といった任務に従事した経験はないどころか近界の母トリガーを直接見た事すらないからな」
だろうな、とヒュースは同意する。
「母トリガーは、国の中枢だ。如何に友好国の間柄であろうともおいそれと見せられるものではないし、縁の薄い国の人間相手ならば猶更だ。お前が遠征経験者である事は聞いているが、それを加味しても尚母トリガーを直接見る機会は早々あるものではないだろう」
ヒュースの言う通り、母トリガーというのは近界国家の中枢個所だ。
国の本当の心臓部と言っても過言ではなく、最重要機密にあたるのは間違いない。
如何に友好国であっても他国の者に軽々に見せるものではないし、そもそも存在する場所すら秘匿されているケースが大半だろう。
風間は数々の近界国家への遠征経験があるが、その殆どは隠密任務。
数年前まで縁も所縁もなかった玄界という世界の人間が、そもそも近界と真っ当なコネクションなどある方がおかしいだろう。
よって、遠征ではその国の他国への方針を探りつつ交渉の糸口を探し、必要ならば隠密行動で物資を調達する。
要するに諜報員としての活動が主で、国の賓客として招かれる事など殆どない。
そのような立場であった為、当然母トリガーを直接視認する機会など皆無だった。
そもそも母トリガーは厳重な警備の下秘匿されているのが普通であり、国内の人間ですら限られた者しか立ち入れない場所にあるのに、他国の人間が垣間見る機会などまず有り得ない。
だからこそ、風間は尋ねたのだ。
母トリガーを破壊、もしくは無力化するにあたって良い方策がないかと。
自分達よりは確実に近界の事情に詳しい、
一縷の望みを懸けて、問うたのだ。
その風間の事情を理解し、ヒュースはふむ、と思案する。
しばし黙考し、数秒を経てその口を開いた。
「初めに断っておくが、オレが母トリガーを見た経験があるのは他国を占領する時に同伴していた場合に限られる。このククロセアトロの母トリガーに限って言うならば直接視認したのはあくまでもエネドラであり、オレは報告を聞いただけに過ぎない。それを念頭に置いた上で聴いてくれ」
「ああ」
風間が頷いたのを確認し、ヒュースはならば、と話を続けた。
「母トリガーは通常、単体では星そのものを賄う出力を出す事は出来ない。星を運営するにあたって充分な出力を出す為には、「神」の存在が必須となる。これが大前提であり、近界の常識だ」
これは、既知の情報だ。
近界の国を運営する為には母トリガーだけでは足りず、それを見守る「神」という名の生け贄が必要となる。
その存在の重要度は高く、アフトクラトルはこの「神」を厳選する事で国力を上げて来た国だ。
アフトクラトルの精鋭であったヒュースにとって、これは共通認識に過ぎない。
遠征経験のある風間であれば分かっている筈だが、それでも尚口に出したのは近界に於ける母トリガーの重要性を強調する為だろう。
それが分かっていなければ、この話は先に進まないのだから。
「当然ながら母トリガーを壊す、といった事を考える者はまずいなかった。というよりも、必要がなかった、と言うべきだ。他国を占領支配する際には母トリガーを押さえるが、それはあくまで制圧するだけだ。母トリガーを破壊すれば、その星は機能停止する。そんな事をしても占領した側に一切の利が無い以上、試行する者は皆無だった筈だ」
母トリガーは、近界国家の要。
アフトクラトルのような軍事国家が他国を占領する際には、当然その心臓部を押さえる事になる。
しかし、だからといって母トリガーそのものを破壊しようと動く者はいなかった筈だろうとヒュースは語る。
それは当然の話で、戦争とは戦闘行為という手段を経て
母トリガーを破壊してしまっては、その利益そのものを取得する機会が失われる。
だからこそ母トリガーを破壊しようと動く者は皆無であったし、そんな蛮行を考える者がいたとも思えない。
それは、当たり前の話ではあった。
「それを前提として話すが、この国の母トリガーは一度機能停止に近い状態に陥っていた可能性が非常に高い。ククロセアトロ戦役の際には実際に星に地割れが起きるのを見たし、星中に響く地鳴りは間違いなく崩壊の予兆だった」
「だが、今こうして母トリガーは動いている。それをどう説明する?」
「簡単な事だ。死に瀕した「神」を、無理やりに修復して稼働させた。このたとえが、一番現状に近いと推測している」
まず、と前置きしてヒュースは話す。
「この国の
チラリと、ヒュースは周囲の荒野を見渡す。
風も吹かず、生命の息吹はなく、雨も降らない。
そんな死の荒野に、「生きている」感じは見受けられない。
これが意図的なのかそうでないのかはともかくとして、「母トリガー」が真っ当な状態であるというには無理があるというのは納得出来るだろう。
「「神」となった者は人間としては死んだ状態と言えるが、生物的には「生きている」事こそが肝要になる。だからこそ「神」には「代替わり」が存在し、母トリガーには常に
だから、とヒュースは続ける。
「母トリガーを機能停止に追い込むのであれば、その「神」を殺すのが一番手っ取り早いだろう。そうすれば母トリガーは十全の機能を発揮出来なくなり、いずれ崩壊する。あれだけの馬鹿げたリソースを吐き出しているのだから猶更だ。如何に数多くの生け贄があったとしても、中枢となる「神」が生きていなければその代替をする事は出来ない筈だ」
「成る程」
風間はヒュースの話に得心し、頷く。
そんな風間を見ながら、ヒュースは更に続けた。
「母トリガーに埋め込められた生け贄の中で、最もトリオン反応が大きい奴が本来の「神」だろう。そいつを殺せば、目標は達成される。恐らくはただの死人より酷い状態になっている筈だから、
(あれだな…………っ!)
風間は、目標を発見していた。
蜘蛛の台座から伸びる母トリガー、その根元付近。
そこに、一際大きいトリオン反応を示す場所があった。
凝視すれば、それは瞭然。
柱に埋め込まれた、ヒトガタのシルエットだった。
他の者達は一様に顔だけが母トリガーから浮かび上がっているかのような状態だが、そのヒトガタだけは十字架に磔にされた聖者のような恰好で柱に埋め込まれていた。
シルエットからすれば女性だという事は理解できるが、輪郭から人間であると分かるだけで生命の息吹は欠片も感じ取れない。
見た目は罅割れた硝子細工が辛うじてヒトの形を保っているだけといった風貌で、マネキンだと言われればそのまま信じてしまいそうだ。
感情の浮かんでいない顔は苦悶のようにも悲しんでいるようにも見えて、何処か物寂しさを感じさせる。
あれが標的であると、風間は瞬時に理解し疾駆した。
狙うは、ヒトガタの首。
それ以外には、なかった。
(こういうのは、オレの仕事だ。あいつ等にやらせる事はない)
既に人間としてはとうに死していた者であろうとも、ヒトである事に変わりはない。
今まで
無論いざとなれば躊躇なく命令を下すだけだが、それでも出来るのならば自分がやるべきだと風間は考えていた。
スパイダーとグラスホッパーの合わせ技で射出した二機の怪物は、あくまでも陽動。
本命は、それらを目眩ましとした奇襲である。
現在、
加えて、あの蜘蛛の台座そのものが移動する事はないだろう事もこれまでの経緯で確認出来た。
よって、貫かれた二機の怪物を隠れ蓑にした奇襲であのヒトガタを葬れば、それで事足りる。
少なくともそれで、母トリガーの出力を大幅に低下させる事は出来る筈だ。
風間は今この場にいる三人の中で最も年長だが、最も小柄だ。
彼こそが、絡まり合った二機の怪物の隙間から奇襲をかけるのに一番都合が良い。
小柄であるというのはリーチの短さという欠点を生むが、同時に被弾面積の少なさと発見され難さという利点がある。
風間はその点を最大限活用し、この奇襲役を買って出たのだ。
既に、お膳立ては充分に済ませた。
後は、一撃を加えるだけ。
そう考えて、風間は二機の怪物の間を抜け、目標地点に到達する。
目の前に、磔にされた女性のシルエットが現れる。
既に生気のないその首筋に狙いを定め、風間はスコーピオンを一閃した。
「…………っ!?」
────────その、瞬間。
ヒトガタの周囲から、無数の
それらの糸は明確な意思を持つように、風間に向かって殺到する。
咄嗟に後退し糸を回避した風間だが、視界の先に映ったモノを見て眼を見開いた。
ヒトガタが埋め込まれている、柱の奥。
そこに、夥しい数の糸が蠢いている光景を。
母トリガー自体が眩い光を発している為気付けなかったが、凝視すれば柱の中にはびっしりと同じような「糸」が蠢きヒトガタと柱に浮かぶ「顔」を繋いでいる。
あれは恐らく、その全てが
既に死んだも同然の「神」を無数の生け贄の血肉を以て無理やり活かしている、忌むべき人造の神経。
考えてみれば、当然の話だったのだ。
この母トリガーは、
ならば、その母トリガーの
(あれに触れるワケにはいかない。だが…………っ!)
あの「糸」にトリオン吸収能力がある事は、報告で聴いている。
下手をすればあれに囚われたが最後、自身もあの「顔」の一部になる末路を迎えたとしても何らおかしくはない。
だからこそ本能的な危機感知が働いた風間は、大きく距離を取る形で回避をしてしまった。
この奇襲は、敵の一瞬の虚を突いたもの。
モタモタすれば二機の怪物はすぐにでも復帰する筈であるし、あの母トリガー内部に蠢く糸が本格的に襲って来る可能性すらある。
ただでさえ二機の怪物の相手だけで手一杯だったというのに、そうなれば次チャンスが巡って来るのがいつになるか分かったものではない。
判断を誤った。
風間は、そう自省して。
「風間先輩、退いてっ!」
「…………! 香取…………!」
────────側面から跳び出した、香取を見て面食らった。
香取にも、蠢く無数の糸は見えている。
にも関わらず、彼女は一切迷う事なく前へと跳び出した。
当然、香取に向かって無数の糸が殺到する。
しかし、彼女は止まらない。
そのまま、糸の群れに突っ込み。
「木虎っ!」
「了解!」
背後を振り返る事なく放った怒号と共に、木虎が銃撃を敢行
正確に糸を迎撃し、強引に香取の道をこじ開けた。
普段反目し合っていても、今は私情を持ち込んでいる余裕はない。
大切な幼馴染を助ける為であれば、気に喰わない相手とも躊躇わず共闘する。
それが、香取の強さだった。
だが、そう簡単に目的は達せられるものではない。
すぐに、新たな「糸」が殺到する。
元より、母トリガーの内部には数えきれない程の
一部を除いたところで、それで攻撃が途切れる筈もない。
無数の糸が、直進する香取に迫る。
「────────いいだろう」
それを、風間のスコーピオンが斬り裂いた。
驚愕は、一瞬。
すぐさま己の取るべき行動を規定した風間に、無駄はなかった。
今更、覚悟を問う事などしない。
こうして今、前に出た。
それこそが、香取の決意の表明であったのだから。
糸の包囲網を突破した香取は、スコーピオンを振るう。
当然母トリガーの奥から更なる糸が殺到するが、遅い。
天賦の才を持ち、類稀なる学習能力と突破力を持つ香取葉子を止めるには、その全てが遅過ぎた。
「これで、終わりなさいっ…………っ!!」
────────そして。
一閃。
香取の刃が、ヒトガタの胸部を貫き。
少女は文字通り星の心臓部に、己の刃を突き立てた。