「犬飼先輩、お願いします。オレ達が木岐坂に勝てるよう、指導して下さいっ!」
「いきなりだねー。でも、良いよ。というより、最初からそのつもりだったしね」
「え…………?」
若村は己の師である犬飼に指導を頼みに来た直後、想定外の言葉を受けて硬直した。
彼は現在、「自分達だけで考えても樹里には勝てない」と結論付けた為に、自分の師をこうして頼りに来たワケだ。
若村達香取隊は、オペレーターである華がいない状態であったとはいえ樹里と佐鳥の二人相手に以前完敗を喫している。
文字通り、手も足も出なかったと言って良い。
あれから犬飼の指導を受けて少しは成長出来たと考えている若村だが、それだけであの二人に勝てると思う程自惚れてはいなかった。
加えて、香取隊全員で話し合っても樹里の明確な対策までは立てる事が出来なかったという事が大きい。
だからこそこうして犬飼を頼りに来たワケだが、とうの師匠はこちらの思惑を見透かしていたと言わんばかりの態度。
そんな犬飼に、若村は本気で当惑していた。
「えっと、それはどういう…………?」
「やだなー、ろっくん。まさかおれが何の目標も設定せずに指導内容を変えたとでも思ってた? 違う違う。最終的な達成地点はともあれ、
「あ…………」
そういえば、と若村は思い直す。
犬飼はあの樹里との一戦を契機に、若村への指導内容を大幅に変えていた。
それまでは技術の向上をメインに行っていたのだが、あの日からは戦術方面────────────────即ち、ランク戦での立ち回りについての指導を重点的に行っていた。
強くなる為には技術を磨くしかないと思っていた若村にとって突然の方針転換の意味は理解出来なかったが、他ならぬ犬飼のやる事ならと黙って従っていた。
その事について正直に答えた時には「そのあたりはやっぱりまだまだだねー」との言葉を貰っているが、その場ではそれ以上の答えを返す事は出来ていない。
しかし、こと此処に至りようやく犬飼の言いたい事が見えたような気がする。
若村はあの樹里達との戦いに於いて、全てが後手後手に回っていた。
自分が任されていた佐鳥のマークすら碌にこなせず、挙句軽率なミスで落とされる始末。
近距離で狙撃手に返り討たれるというこの上ない失敗により、自分は戦いに何一つ貢献出来なかった。
(あの試合でおれは、「正しい判断」ってのが全然出来てなかった。犬飼先輩はその判断力を養う為に、指導方法を変えてくれたのか…………?)
犬飼からは指導内容についての細かい説明はされておらず、「その理由を考えるのも大切だから」と、聞いても教えては貰えなかった。
あの時はそんな意地悪をせずに教えてくれても良いのに、と思いもしたが、思えばヒントは至る所にあった。
指導内容の中に様々なポジションの動き方についてのレクチャーがあったり、狙撃手への対策講座が妙に充実していたのは。
もしかすると犬飼は、若村が決定的な挫折を経験した一戦。
即ち、対樹里の
そう考えると、犬飼の言いたい事が見えて来る。
彼は最初から、若村を樹里に勝てるように鍛え上げるつもりで指導内容を考えていたのだと。
それを、若村は今更になって理解したのだった。
「犬飼先輩は、オレ達がもう一度木岐坂と戦う事になるって分かっていたんですか…………?」
「別に、おれは迅さんみたいに未来が視えるワケじゃないけどそのくらいは分かるよ。だって、あれだけ派手に完敗した相手にリベンジの一つもせずに和解するとか、無理でしょ。少なくとも香取ちゃんが樹里ちゃんの入隊を狙い続ける以上、何処かでぶつかる必要があるのは明瞭だったからね」
犬飼にしてみれば、それはごく自然な形で決まった方針だった。
若村達香取隊は、公衆の面前で樹里と佐鳥の二人組に完敗した。
その件は様々な意味で目立っている樹里と香取という二人の少女が中心にいた事で、既にボーダー中に広まっている。
そんな状態で真っ当に樹里と香取隊が和解するには、何処かで一度ぶつかる必要があるのは彼の眼から見ても明らかだった。
戦う事で全てが解決するとは言わないが、ことが戦闘に関する事で拗れた関係であれば、それをどうにかするのは矢張り戦いしかない。
力を伴わない言葉に意味が無い事は、犬飼も良く知っているのだから。
「それに、上を目指す上で最初に超えるべき壁として、樹里ちゃんはかなり的確なんだ。個人の戦闘力はA級クラスに匹敵するけど、集団戦の経験がほぼ皆無。ランク戦を勝ち抜く上の登竜門としては、この上なく相応しいと思うよ」
犬飼の言う通り、樹里は個人の実力だけ見ればA級にも匹敵する強力な駒だ。
しかしその一方、これまでずっと
個の存在として強力でありながら、集団戦は素人同然。
故にこそ、集団戦で上回る壁としてはこの上なく的確なのだと、犬飼は告げる。
「で、でも、佐鳥はA級の嵐山隊の隊員ですよ? 作戦指揮に関しちゃ、そっちがどうにかしちゃうんじゃないですか?」
「いやあ、多分今回佐鳥くんはそっちはノータッチになると思うよ。聞いた話の通りなら彼はそう動くだろうし、樹里ちゃんもそう望むだろうからね」
「そう、ですか」
理由までは分からないが犬飼がそう言うのであれば正しいのだろうと、若村は納得する。
釈然としないものはあるが、それ以上の思考をする事を若村は放棄するのだった。
(んー、まだまだだなぁ)
そんな彼を見て、犬飼ははぁ、とため息を吐いた。
「ろっくん、そこで考えを止めちゃうのは君の悪い癖だよ? オレを慕ってくれてるのは嬉しいけどさ。オレが言ったからって理由で、言葉の裏を読むのを止めるのは良くないよ。ランク戦じゃ、思考を止めた奴から脱落してくんだからさ」
「…………すみません」
「んー、まあ今の段階でそこまで進むのは厳しいか。自分の状況をある程度客観視出来るようになっただけ前進はしてるんだし、気長にいこうか」
犬飼はこれ以上は今は意味がないなと悟り、話題を切り替える。
ようやく足を進め始めた弟子が更に上を目指すには超えるべき壁が未だ無数にありそうだが、それは師である自分から無暗に言及すべきではない。
此処で安易に
それは折角停滞を抜け出しかけている弟子の歩みを止める事と同義であり、師として断じて許容出来る事ではない。
飄々とした態度から色々と誤解される事はあるが、彼なりに自分の弟子の事は大事に思っているのだ。
こと若村に限れば、無暗に飴を与えるよりも徹底して鞭を用いた方が良い結果を生む。
香取という上位クラスへの特別チケットを得てしまった結果がこれまでの彼の停滞の原因だったのだから、此処は心を鬼にしてでも的確な指導をすべきだと犬飼は考えている。
ランク戦では、思考を止めた者から脱落していく。
この言葉は、決して嘘ではないし的外れでもない。
地道な努力を重ね、対戦相手や自部隊の戦術の研究を重ねる事は
その上で掴み取った手札をどれだけ効率良く、無駄なく迅速に切る事が出来るか。
ランク戦の勝敗は、そこに懸かっている。
覚悟を決めただけで勝てるとか、個人が強くなれば勝てるとか。
そういった、甘い考えで勝利出来るような世界ではないのだ。
覚悟を決めるのは、
自身を鍛え上げるのは、戦いに臨む上で
その上で、如何に知略と経験を重ね勝利という細い道筋を手繰り寄せるか。
それが出来て初めて、上へ挑戦する権利が得られる。
ランク戦で上を目指す者にとってこれは当たり前の事であり、これが分かっていない者は本来B級中位にすら上がれない。
そういう意味で、若村達の戦術レベルは未だB級下位より僅かにマシな程度に過ぎない。
香取という在籍するだけでチームを上位まで引っ張り上げてしまう特殊なシード権を得てしまったが為に、彼等は本来B級中位を勝ち上がる上で必須の試行錯誤の経験を積む事なく魔境とも言えるB級上位に辿り着いてしまった。
それが香取隊最大の失敗であり、香取という天才の付属品としてB級上位に付いて来てしまった二人の悲劇でもあった。
まずは香取がいなければ成り立たないチームであり、自分が何の貢献も出来ていない事を自覚する。
これまでの若村は、それすら出来ていなかった。
だが、奇しくも彼は樹里相手に完敗を喫した事を切っ掛けに、自分の立場を多少客観視する事が出来た。
それは若村にとって大きな一歩であり、犬飼がこれまで半ば諦めていた本格的な指導に切り替える良い契機でもあった。
自分を客観視出来ていなかった若村に下手に戦術を指導しても、却って自身を客観視する機会を失わせるだけで逆効果になる可能性が高かった。
というよりも、そうなるとほぼ確信していた。
若村は、自分の非から目を逸らす為に身近な存在に責任を転嫁する悪癖があった。
これまで彼は自分がチームに何の貢献もしていないにも関わらず、独断専行という分かり易い
そんな状態で下手に戦術を身に付けさせて生半可な自信を付けたところで、彼自身の意識改革が成されない限り宝の持ち腐れになるだけだと犬飼は判断していた。
彼は弟子を大切にするが、甘くはしない。
甘さが時に何よりの劇薬になる事を、充分承知しているが故に。
彼は、弟子への対応を緩くするつもりは微塵もなかった。
今、その弟子がようやく自分を客観視して前を向けるようになったのだ。
此処で選択を誤るワケにはいかない以上、彼への指導はこれまで以上に
「試合は一週間後だったね。なら、これからは毎日これまで通りのログ漁りをした後に、狙撃手相手の実践訓練を重ねていこう。大丈夫、狙撃手はこっちの方で用意するからさ」
「…………分かりました」
若村は納得した風に頷くが、その顔が強張っている事を犬飼は見抜いていた。
犬飼の言った
これまで犬飼は戦術指導を行う上で、毎回必ず若村に香取隊の負け試合のログを見せ続けていた。
若村からすれば負け試合など思い出したくない記憶の筆頭であり、出来る限り見たくない代物であった事だろう。
しかし、それでは駄目なのだ。
彼等が、香取隊が上に行く為には、この作業は絶対に避けては通れない。
何故なら、若村達のランク戦での動きを向上させる為には、負け試合の
香取隊が勝てた試合というのは、イコール香取が一人で点を取る事が出来た試合という事でもある。
そんなものを見ても香取の戦力評価以外の価値はなく、香取隊そのものの強化には繋がらない。
彼等が見るべきは、その逆。
自分達が負けた、即ち
それらの試合のログからエースの香取が十全に動けなかった原因を推察し、その原因を排除する為にはどう動くべきかという思考をまず確立させる。
その上で戦術指導を行い、見付けた改善点を皮切りに戦術思考を向上させていく。
それが現在の犬飼の指導方針であり、余程の事がない限り変えるつもりの無い指針であった。
これまでは自身の不甲斐なさを直視する事への抵抗の所為であまり進歩はなかったが、今の若村は以前と違いある程度覚悟が固まったように思える。
香取隊の間でどういったやり取りが成されたかは知らないが、どうやら彼女達は若村に良い影響を与えてくれたらしいと犬飼は内心で笑みを浮かべる。
(楽しいな。最初は弟子を取るなんて面倒って思ってたけど、こういう楽しみがあるなら悪くはないな)
これまで停滞を続けていた弟子が、明確な成長の兆しを見せる。
それが此処まで心躍らせるものだとは、思っていなかった。
最初は若村の香取への態度を見て見込みはないかな、と半ば以上諦観していたものだったが、此処に来てその認識が変わる事になるとは夢にも思わなかった。
頭を下げて頼み込まれたから興味本位で弟子に取った相手だが、こうなると愛着も湧いて来る。
東が数々の弟子を取っている理由が、なんだか分かる気がした。
こういう楽しみがあるのであれば、師匠というものも悪くはない。
犬飼はそう思って薄笑いを浮かべ、予てから決めていた内容を話し始めた。
「あと、生憎おれは樹里ちゃんについて詳しいとは言えないからね。此処は、彼女を良く知ってる人にも協力して貰う事にするよ」
「木岐坂を良く知っている人、ですか…………?」
ああ、と犬飼は続ける。
「────────二宮さんだよ。あの人、実は樹里ちゃんの射手時代に指導をやってた事があってね。彼女については、割と詳しいんだ」
そうして。
犬飼は、対樹里の指導者として自部隊の隊長に協力を願うと。
冷や汗をかいた若村相手に、満面の笑みで告げたのだった。