「…………うぅ、これ以上は…………」
「もう、どうしたの佐鳥くん? そーんな疲れた顔しちゃってさ」
何処か虚脱した様子で弱々しい声をあげる佐鳥を見て、綾辻はからからと笑う。
此処は、嵐山隊の隊室。
そこでデスクワークをしていた二人だが、一通り終えたあたりで佐鳥が大きく溜め息を吐いたのを見て「何かかある」と綾辻は確信。
何やら面白そうな気配を察知した少女の眼光は、爛々と輝いている。
世間一般には誰ででも優しく愛嬌のある「優しいお姉さん」として通っている綾辻だが、身内相手にはざっくばらんな物言いになり茶目っ気も全開になる。
当然の如く身内扱いである佐鳥に対し、この少女が遠慮などする筈がない。
特大の
「…………なんでも…………」
「ないって事は、ないよねぇ。念願叶って可愛い彼女も出来たってのに、どしたの? ハジメテで失敗したとか?」
「って、んなワケないでしょそもそもまだ────────」
「あ、
う、とカマをかけられた事を察して佐鳥は黙り込むがもう遅い。
ギラリ、と目を輝かせた綾辻相手に発した失言を取り消す事は叶わなかった。
「そっかそっかぁ、まあ付き合ってるんだしそういう事も意識するよねぇ? 察するに樹里ちゃんからOKサインどころか全力で誘惑されてるけど、それを自制心をフル投入してギリギリで躱し続けてる、とか?」
「…………読心の
「そんなのなくたって分かるよー? 樹里ちゃんが晴れて彼氏彼女になった佐鳥くん相手に遠慮なんかする筈ないし、だからって素直に手が出せる程自分に甘くないもんねぇ? 佐鳥くんってば」
そう言ってからからと笑う綾辻に、佐鳥は観念したようにため息を吐く。
本当は、漏らすつもりなどなかったのだ。
しかし最近の出来事から若干グロッキー気味になっていた為、思わず口をついて出てしまったのである。
それだけ、樹里の
「…………まあ、そういう事なんですよね。樹里ちゃんのモーションが最近メッチャ激しくて、露出多い服を室内限定で着るとかなら前からありましたけど、今は直接的に色々言葉で煽って来たり隙あらば密着して色々当てて来たりで、正直今まで我慢出来てたのが奇跡だと思ってます」
「なんで手出さないのさ? 樹里ちゃんはOKって言ってるどころかぐいぐい誘って来てるんでしょ? もしかして不能とか?」
「失礼なちゃんとた────────って、いや、何言わせようとしてんですかっ!?」
自爆だよー、と言って笑う綾辻に佐鳥は盛大にため息を吐く。
どうにも、自分はこの先輩相手に勝てるビジョンが浮かばない。
まあ、飄々としたキャラを作りながらも根がクソ真面目な佐鳥では八方美人に見えて性根が茶目っ気全開のS属性相手に敵う筈など無いので当然とも言えるが。
「まあ、真面目な話さ。手を出さない理由ってあるの? 彼氏彼女がそういう事するのって別に普通な事だと思うし、不順異性交遊とかよく言うけど純愛なら別に良くない? あんなスペクタクルを潜り抜けて結ばれた者同士なら、ぶっちゃけそのくらいの報酬はあって良いと思うんだけど」
「…………色々と、理由くらいはありますよ。たとえば、樹里ちゃんの身体の事は話しましたよね?」
「うん、聞いた。あの時は皆凄かったよねぇ。主に樹里ちゃんへの同情と
そうですね、と佐鳥は頷く。
実は綾辻が話した通り、佐鳥はあの決戦の後で樹里の抱えていた事情を全て嵐山隊に共有した。
勿論上層部の許可を得て、である。
最初は難色を示した根付であるが嵐山隊の面々は揃って口が堅く、人格的にも信頼が置ける。
その上で既に終わった事でもあったので、緘口令を徹底した上で情報共有が許可されたのだ。
樹里のバックボーン、要するに近界に攫われ人体実験に晒された挙句身体の中を滅茶苦茶にされ、その影響で子供が出来ないかもしれない、と聞いた時に真っ先に反応したのは綾辻と木虎の二人だった。
残る男性陣二名も当然義憤の表情を浮かべていたが、女性陣の反応は特に凄まじかった。
同じ女性として「このままでは子供を産めない可能性が高い」というのは、より共感出来る身体的損傷だったのだろう。
今こうしてあっけらかんと話している綾辻もあの時は静かにキレていたし、木虎もこれまで見た事のないレベルで険しい顔をしており、樹里の境遇をどう思ったのかは瞭然であった。
その日を境に木虎の樹里への態度が眼に見えて軟化した、と聞けばその程度が分かるだろう。
樹里はその態度の変化に不思議がっていたが、何の事はない。
善性の塊のような少女にしてみれば、あれだけの地獄を経験して尚前を向こうとする樹里を応援しない理由は無い、というだけの話だ。
事実、二人の交際の情報を隊内で共有した時も特に追求等もせず応援してくれた。
むしろ「木岐坂さんには佐鳥先輩が着いていないと駄目ですから」と言って、必要なら仕事を自分に回してでも二人の時間を作れ、と告げる始末である。
流石にそんな事までして貰うのは申し訳無い、と言ったのだが何故かこれには嵐山隊の全員が木虎に賛同。
有無を言わさぬ調子で、それからというもの樹里と過ごす時間が取れていないと感じた時に限っていつの間にか自分の仕事が減っており、嵐山達が率先してこちらの仕事を引き受けていたのは瞭然だった。
これは言っても無駄だと感じた佐鳥は最低限樹里との時間を取れるようにスケジュールを調整し、仲間達が無理をしてまで仕事を引き受けずに済むように差配するのが最善だと判断して今に至る。
元が多忙な為どうしてもある程度仕事を隊員各々に分配する必要はあるのだが、こういう事になると頑固な面々なのは知っているのでこの方法で妥協したまでである。
それでも繁忙期には佐鳥も全力で頑張らなければ仕事が回らないので、そういった時は予め樹里には連絡を入れ、後で埋め合わせをするという事を隊内で共有する事としている。
しっかりとそこを周知しないと嵐山達が気を回してしまうので、佐鳥としても注意しなければならない。
しかしそんなこんなで二人の時間を取れるようになった事は感謝しているし、自分には勿体ないくらいの良きチームメイトであるとも思っている。
だが、二人きりの時間が取れるようになったという事は、全力でモーションをかけて来る樹里と一緒にいる時間が長くなったという事を意味する。
遠慮のない樹里の猛攻で理性が擦り切れ続ける中、佐鳥が手を出さずに我慢している理由は何か。
それは、樹里の境遇そのものに起因する。
「樹里ちゃんは前に話した通り、身体の中が無理な投薬でボロボロなんです。そんな状況で下手な事をして、もし悪化なんてしたら目も当てられません。どんな理由があろうと、オレが樹里ちゃんを傷付けてしまったらオレはオレを許せなくなる。それが、一番の理由ですかね」
前提として、樹里はククロセアトロでの長期の投薬により身体の中が滅茶苦茶にされている。
生命活動に必要な機能は今の所問題なく動いているように見えるが、それでも寿命は常人より削られていると見るべきだろう。
特にダメージを受けているのが女性機能関連である、という事なので「そういう事」をした結果思いも依らぬ影響を与えて容態が悪化してしまう可能性は捨てきれない。
佐鳥が懸念しているのは、そこだった。
「他にも、もしもそういう事してバレたら嵐山隊の皆に迷惑がかかりますし、責任を取れない未成年の内からそういう事するのは正直どうかと思ってます。オレが手を出さない理由としては、こんな所ですね」
「ふーん、なら、「手を出しても大丈夫って分かれば」やってもOKって事?」
「いや、でもそんなのわから────────」
「分かるよ? だって、樹里ちゃん鬼怒田さんに確認取ってるもん」
「うぇぇ…………っ!?」
だが、いきなり綾辻から思いもしていなかった事を言われ、佐鳥は眼を白黒させる。
予想外の発言にポカンとする佐鳥に対し、綾辻はやだなぁ、と言って続ける。
「自分がちゃんと子供を産めるか聞いた樹里ちゃんが、「そういう事」をやっても支障ないか確認するのは当然じゃん。鬼怒田さんはかなーり渋い顔をしつつも、「無理をしない程度であれば問題ない」って答えてたよ」
「答えてたよ、ってなんだか見て来たように言いますね」
「
ああ成る程、と佐鳥は得心する。
樹里は今でも定期的に、開発室で診察を受けている。
記憶が戻ったとはいえ普通の病室や診察室への苦手意識は残っている樹里にとって、そういった空気を可能な限り和らげたボーダーの検査室は身体の状態を調査する為の場所としては適任である。
そもそも明らかな違法な投薬の痕跡がある樹里を下手に外部の医療機関に受診させるワケにはいかないので、引き続き樹里の診察に関してはボーダー内で行う事となっている。
そうなると当然女性の手も借りなくてはならない場面が多く、これに関しても綾辻が快く引き受けている為にそこで樹里が鬼怒田に尋ねたのであれば不可抗力的に聴いてしまう事もあるだろう。
突飛な話ではあったが、経緯を聞けば納得するしかない。
「で、でも、大丈夫って…………」
「なんか、樹里ちゃんが女性機能に問題があるのはそれを抑制する類の薬を投薬されたからで、単純な薬効の類に分類されるから下手な事しなければ身体に影響はないんだってさ。樹里ちゃんは何が大丈夫で何が駄目なのかとか、結構事細かく聞いてたよ」
「それで、暫く鬼怒田さんから複雑な眼で見られてたのか…………」
佐鳥はふと、思い出す。
ここ最近、鬼怒田と会う度に鬼怒田が何かを言いたげな表情でこちらを見て来ていた。
なんだろうと思ってはいたが、確かに樹里からそういう質問を受けていたのであれば納得である。
何せ、樹里のやった事はつまり「佐鳥と不順異性交遊したいです問題ないですよね?」という宣言に等しく、鬼怒田からしてみれば佐鳥に対しどういう視線を向けて良いか分からなくなるのも理解出来る。
自分の立場になって考えると確かに困惑するだろうというのは分かるので、教えてくれなかった事に対して文句はない。
「あ、いや、でも未成年だしそういう事は軽々にやっちゃいけない事で…………」
「いやもういいじゃん、ヤっちゃえば。樹里ちゃんがいいって言ってるどころか熱望してんでしょ? 身体への悪影響もないってんだから、我慢する理由ある? どうしても気になるならコン────────」
「言わせねぇよっ!? だから、アンタ自分のイメージ考えて発言しましょうよ綾辻先輩ィィィィィ…………ッ!!!」
とんでもない事を口走ろうとした綾辻に向かって、佐鳥は全力シャウトで致命的な発言を妨害にかかる。
こういう少女であるのは知っているが、万が一にも他の誰かに聴かれればどんな事になるのか考えるだけでも頭が痛い。
ボーダーのマドンナというイメージで売っている少女の評判を落とすワケにはいかないと、佐鳥は焦りながら制止にかかるのだった。
「大丈夫だって、聞かれるとしても嵐山隊の誰かでしょ。皆口堅いし、聞かれちゃっても平気だよ」
「いや、もし来客とかあったりしたらどうすんですか。広報部隊なんだし、そういう付き合いはあるんですから」
「ちゃんと鍵はかけてあるから問題ナーシ。そのくらいの対策はしてあるってば」
にこり、と笑う綾辻に佐鳥は本日何度目か分からないため息を吐いた。
弱みを見せてしまったのはこちらだが、矢張りこの先輩には何をどうしても勝てそうに無い。
その事を、改めて意識せざるを得なかった。
「でもさー、多分このままだと樹里ちゃんもっと直接的な手段に出ると思うよー? 理性プッツンして何も覚えてない初体験にするくらいならさ、むしろ自分から行った方が良くない?」
「それは、そうなんですが…………」
何処かのペンチメンタルの口癖を意図せず
今はまだ言葉で煽ったり露出を増やしたり等のある意味では間接的な誘惑に留まっているが、このまま進展がなければ樹里のやり方が更に過激になる可能性は高い。
そうなるといずれは佐鳥の理性が限界に来るのは眼に見えており、自分でも理性が崩壊した時にどんな真似をするか想像も出来ない。
下手をすると最悪の初体験に繋がってしまう恐れもあり、そうなるくらいなら自分の意思で一歩を踏み出した方が良い、という論も分かる。
それを実際に実行に移せるかは、また別問題であるが。
「判定負けより、早めにギブアップして収まる所に収まった方が良いと思うよー? その方が樹里ちゃんも安心するし、一回やっちゃえばある程度落ち着くと思うしねー。前にも言ったけど、大事に
「それ、綾辻先輩が言うんですか? 恋愛経験、ゼロですよね?」
「それでも、女の子だからねー。女の子の気持ちは、佐鳥くんより分かってると思うよー」
そういうものですか、と佐鳥は一先ず納得する事にする。
確かに自分は女心に理解があるとは言い難いし、そもそもそれが出来ていれば一年前のあの時もあんな失敗はしなかった筈なので反論はし難い。
聞いた話では綾辻は誰かと付き合った事はないらしいが、自分と比べれば年長者であるし社会経験も豊富なのでアドバイスは素直に聞いた方が良いかもしれない。
「そもそも、樹里ちゃんでそういう妄想くらいした事あるでしょ。あんな子と四六時中一緒にいたら、反応しないのはホモか不能くらいだからねー。少しくらい、下半身に素直になろうYO」
「だからっ、アンタ自分のイメージ考えて下さいってばぁ…………っ!!」
まあ、それでもオチを付けるのが綾辻という少女なのだが。
その後もタメになるのかならないのか分からないアドバイスが続き、騒がしい恋愛相談は木虎が呆れ顔で戻って来るまで継続するのだった。
<佐鳥賢/少年の葛藤~FIN~>
『なやめるさとり』
「青春葛藤佐鳥系狙撃手」
最大の苦難を乗り越え、晴れて愛する少女と彼氏彼女の関係となった
掴み取った日常は素直に喜んでいるが、それはそれとして樹里からのアタックが激しいのが悩みの種。
下手に理性が強く紳士的な為に中々踏ん切りをつける事が出来ないものの、このままでは時間の問題であると自覚はしている。
果たして彼の理性が折れるのが先か樹里が強硬手段に出るのが先か、それは神のみぞ知る。