「むぅぅ…………っ! 樹里の奴ぅぅぅ…………っ!」
ボーダー本部、その一角。
廊下を歩きながら「私、不機嫌です」というオーラを全力で放出しているのは誰あろう香取である。
眼は半眼で、唇は引き攣り拳をぷるぷると震わせている。
明らかな「爆発物注意」といった様子に通りがかる隊員達は皆一様に避け、なるだけ関わり合いにならないよう努めていた。
基本的に身内以外には素っ気ないどころか攻撃的ですらある香取であるが、今日のそれは中々の臍の曲がり具合だと言える。
何故、彼女が此処まで機嫌を損ねているのか。
それは。
(最近賢、賢ってあいつにべったりし過ぎだっつーのっ! 今日も一緒に帰ろうって言ったのに「賢が待ってるから」とか宣いやがってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………っ!)
香取の幼馴染、樹里の付き合いが悪い(香取評)事に由来する。
樹里はあの最終決戦を乗り越えた後、(香取からすれば)忌々しい事に佐鳥と正式に付き合う事となり、それはもう嬉しそうに報告して来たのだ。
若村と三浦はご機嫌伺いも兼ねて「おめでとう」と言っていたが、香取の場合それを何のてらいもなく祝福出来る程素直ではない。
(…………色々あったけど、アイツが樹里を救い出せたのは確かなんだし。そこは認めるしかないし、間接的に許可出したようなモンだけど────────でも、ムカつくモンはムカつくのよ…………っ!)
だが、あの最終決戦の場で香取は佐鳥に「樹里と結ばれたいならキッチリ救い出せ(意訳)」といった発言を口にしている。
結果として佐鳥は香取本人を含む多くの者のサポートがあったとはいえ樹里救出に成功し、彼にとって最大の試練を乗り越えた。
つまり、樹里を救い出す事に成功した時点で香取から樹里との交際についての許可は既に出しているようなものに等しく、表立って文句を言う事も出来ないでいるのだ。
流石に自分から口にした内容を反故にするような真似は香取のプライドに懸けて出来る筈がないし、なんだかんだで義理堅い少女であり尚且つ口では色々言いつつも佐鳥の事は樹里のパートナーとして相応しい人間だと認識している。
正直佐鳥以外に樹里を巧く操縦出来る異性など思いつかないし、そもそも彼女はあの少年以外を選ぶ事は有り得ないだろう事くらいは分かっている。
樹里はなんだかんだ依存癖があり独占欲も強く、身内認定した相手への感情は相応に重い。
それは香取も似た者同士なので共感出来る部分ではあるのだが、樹里の場合は少女らしい情念が全開になっているのがこちらにはない点である。
女の本能と呼ぶべきものを樹里は常識や倫理などよりも上位に置く傾向があり、自分の領分を冒される事を絶対に許しはしない。
だから佐鳥が自分以外の女性と喋る事すらいい顔をしないし、可能な限り一緒にいようとする。
以前までは樹里を監視する任務を請け負っていた為合法的に佐鳥が傍に付き添っていたのだが、先日の決戦を経てその必要がなくなった為、これまでのように四六時中といった感じで一緒にいる事は出来なくなっている。
そもそも佐鳥は多忙な広報部隊の人間であり、樹里と付きっ切りに近い状態であった前までの状況の方がイレギュラーだったのだ。
樹里もそこは渋々ながらも納得しているし、これまで散々迷惑をかけて来た自覚もあるので現状を受け入れてはいる。
しかしその反動か、佐鳥の予定が空いた時は他にどんな予定があったとしても彼と一緒にいる事を最優先事項として動いてしまう。
今日も香取とは朝の時点で一緒に帰る約束をしていたのだが、佐鳥の仕事が早く終わり一緒に帰れる事になった事が分かると秒で香取との予定を棄却し、彼の下へ行ってしまった。
一応無断ではなく香取に断りは入れていたのだが、急なドタキャンに文句を言うこちらの言葉も空返事で、その後の彼氏とのデート(樹里評)に心が向いていた為、ちゃんと聞いていたかは疑わしい。
というか、間違いなく聞いていないしこちらの説教も効いていなかったと香取は確信している。
正式に結ばれる前から佐鳥が関わった時の樹里の行動パターンは嫌になる程目にしていたので、今更ではある。
(ったく、これで何度目よ。彼氏が出来て嬉しいのは分からなくもないけど、アタシっていう大切な幼馴染を蔑ろにしてんじゃねぇっての…………っ!)
問題なのは、ドタキャンはこれが初めてではない事である。
最初こそ佐鳥はこれまでの反動なのか多忙にしており樹里との時間を中々取れず、モーニングコールを香取に頼んだ一件からも分かる通り滅多な事では二人の時間を確保出来なかった。
しかし、とある日を境に還り間際になってから仕事が早く終わったのか急に「一緒に帰れるようになった」と連絡して来る事が多くなり、その弊害として香取が樹里と一緒に過ごせる時間が少なくなっていたのだ。
突然佐鳥からの連絡が来て樹里がそっちに飛んで行った事も一度や二度ではなく、その度に香取は一人での帰路を余儀なくされていた。
最近では樹里と一緒に出掛ける機会もごく僅かになっており、少し寂しいというのが本音だがそれを表に出す程香取は素直でない。
結果、フラストレーションばかりが溜まりそれが表出しているのが現在の状況である。
このまま時間経過すればいつものように華に報告が入り、幼馴染に回収されお説教コースだったろう。
「あ、わわっ、香取先輩っ!」
「あん?」
────────そこに、偶然三雲修が通りがからなければ。
香取は曲がり角から出て来た修に気付き、ぶつからないよう立ち止まる。
それに数歩遅れて修も慌てて立ち止まり、ふらつきながらも踏み止まり両者の衝突は回避された。
これが普通の少女ならばそのままぶつかってハプニングの一つも起きただろうが、香取の反射神経はそんな真似を許さない。
「────────」
転びかけた修の手を反射的に掴み、そのまま無造作に助け起こした香取はじっ、と少年の顔を覗き込んだ。
「す、すみません香取先輩。ありが────────」
「────────アンタ、今時間あるわよね?」
「え、えっと、少しなら、まあ」
「付き合いなさい。丁度、愚痴りたい所だったのよ」
そう言って、香取は有無を言わさずガシリと修の腕を強く掴み、そのままスタスタと歩き始めた。
何が何だか分からず困惑する修だが、力は香取の方が強く運動神経も雲泥の差であるので抵抗のしようがない。
修はそのまま香取に
「────────だからね、薄情だと思うワケよ。幾ら彼氏が出来たからって、幼馴染を蔑ろにして良いワケないでしょうに」
「は、はぁ」
その後、隊室に修を連れ込んだ香取は遠慮なく樹里に関連する愚痴を吐き出していた。
いきなり年上の少女に部屋に連れ込まれ、延々と愚痴を聞かされる羽目になった修はと言うと、適当に相槌を打ちながら香取の相手をしていた。
圧の強い女性の相手は慣れている修にとって、感情任せに愚痴を垂れ流す香取の対処は別段難しい事ではない。
下手に反論すると面倒な事になるのは分かっているので、相槌を打って適当にいなすのが最適解である。
香取としても自分の悪感情をぶつけるサンドバックがあれば良かったので、今の所修が地雷を踏むような事はなかった。
これが若村なら我慢出来ずに文句を言って喧嘩になり、三浦であれば良い所を見せようと下手な誉め言葉を言って呆れられるか興に乗った香取がヒートアップするかのいずれかであったと思われるので、彼を相手役に選んだのは地味にベターだったと言える。
なんだかんだ、性格的な意味では相性は悪くないのだ。
それに気付いているのは華くらいなものなので、香取が修を選んだのは完全に流れと勢いに任せた結果ではあるのだが。
「そりゃあ、彼氏が出来て嬉しいのは分かるわよ。一緒にいたいだろうし、それが最優先事項になるのも分かんなくはないわ。アタシだって女子だし、付き合った経験はないけどそういうものだってのは理解出来るもの」
「はぁ、そうなんですか」
「アンタはどーなのよ? 彼女欲しいとか、思った事ないの?」
「いえ、別に。そういった感情は良く分からなくて」
ふぅん、と香取はジロジロと修を眺め始める。
そして何故かニヤリと笑い、唇を歪めた。
「ま、アンタってモテそうに思えないしそういう経験がないのも仕方ないわね。けど、あのチビ大砲────────雨取の事は、どー思ってんのよ?」
「千佳は麟児さ────────恩師から託された大切な妹分です。何に於いても守り抜くと誓った相手ですし、大切な人間ですよ。空閑と同じように」
「そこで
アタシと樹里もそうだし、とは決して口には出さない。
幼少期からの付き合いと言っても、所詮は他人。
他に優先される事が出来れば、後に回される程度の関係。
暗にそう言われているような気がして癪だが、此処で修に当たるのは間違いだという事も理解出来る程度には香取のフラストレーションは大分解消されていた。
少なくない時間愚痴に付き合ってくれた修の忍耐の賜物であろうが、それを香取が自覚する事はない。
大分口が軽かった自覚はあるが、それが性格的な相性の良さだとは微塵も思っていない。
無茶ぶりをされても文句を言わずにそれをこなし、必要とあれば進言もするししっかりと自分の意見も持っている。
何よりも我が強く、性根が善性。
自我が強く我が儘な傾向があり、感情任せに行動する香取の衝動を受け止める相手としては、実はこれ以上ない相手だったりするのでこの結果もなるべくしてなったと言う他ない。
此処までやって対して悪感情を抱かれていない時点で稀有な存在ではあるのだが、相手が修である、という一点だけで納得は出来てしまう。
元より自分の評価や境遇には無頓着な少年なので、彼としては当たり前の事を当たり前にしているだけに過ぎないのだから。
「アンタ、女の好みとかないワケ? アタシと一緒にいても特に反応せず何のモーションもかけて来ないとか、まさか枯れてるってワケじゃないでしょうに」
「あまり、考えた事はないですね。そもそも自分は女性に好かれるような人間ではないという自覚はありますし、誰かの人生を背負うに値する人間であるとも思っていません。ぼくはまだまだ、未熟ですから」
「…………そう」
修の見当違いの返答を聞き、香取は思わずはぁ、とため息を吐く。
そしてジロリと、修の顔を睨みつけた。
(コイツ、「誰でも良いから彼女が欲しい」とか「可愛い子と付き合いたい」とか、そういう欲求がそもそも理解出来ない
以前に香取が修に対し「気に入らない」と思った理由の一つに、「自分という美少女が話しかけているのに顔を赤らめたりモーションをかける素振りすらなかった」事が挙げられる。
自分の容姿を客観視出来る香取は自らが相応の美少女であり、異性ウケする容貌であると自負している。
だからこそ自分に対して異性としての興味を欠片も持たない修を気に入らないと思ったのであり、当初は「アタシがタイプじゃないとか生意気」とも思っていたが、こうして面と向かって対面で話をする事でようやく彼の人物像が見えて来た。
要するに修は最近珍しいくらいにストイックな性格であり、そもそも自分の「欲」というものをあまり持たず、行動の軸そのものが利他傾向。
自分の生き方や信念を第一としてその一点は融通が利かず頑固極まりない代わりに、その他人間関係や趣味嗜好といった分野に関して極端に興味が薄い枯れた老人のような精神性だったのだ。
年頃の男子学生が持っていて当然な「可愛い女の子と付き合いたい」という欲求は欠片も持っておらず、だから相当な美少女度を誇る香取と一緒にいても一切異性を感じていない。
そういう珍獣のような生態だったのだと、香取は初めて認識したのである。
「中坊の癖に色々枯れてるとか、どんな人生送ってたらそんな事になんのよ。アンタみたいなの、マジで見た事ないわ」
「はぁ、そういうものですか」
「なんかないの? たとえば、どういう女の子と一緒にいたいとか、そういうのも無いワケ? それともボッチが良いとかいう残念系かしら」
だから、この質問は別に他意などなかった。
せめて修の秘めた性癖の一つでも引き出せれば儲けものと、駄目元で告げた言葉に過ぎない。
「そうですね。(遠征に)一緒に(行く)なら、木虎が良いですかね。頼りになるし、足りない所を補ってくれると思います」
「────────は?」
カチン、と香取の頭の中で怒りのスイッチが入った音が聴こえる。
まさかこのタイミングで聞く事になるとは思わなかった少女の名前が、よりにもよって自分と密室で対面している状況で少年の口から出て来た。
その事実を認識し、香取の機嫌は急転直下。
有り体に言えば、盛大に地雷を踏み抜いた。
「ふざっ、けんじゃ、ないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………っ!!??」
当然の結果として香取は憤怒のままに荒れ狂い、修は困惑しながらその怒りを受け止める事になる。
その騒ぎは華が隊室に戻って来るまで続き、香取は後に幼馴染の手によってこってりと絞られる事になったのだった。
<香取葉子/幼馴染の憂鬱~FIN~>
『ゆううつかとり』
「突撃主人公系女万能手」
決戦を経て、幼馴染との日常を掴み取った香取。
しかし彼女の心境を知った事かとばかりに樹里は彼氏となった佐鳥を最優先する生活を送り、香取のフラストレーションは溜まる一方。
偶然通りがかったペンチメンタルを捕まえて愚痴を垂れ流していたが、その相手の口から普段から強く意識している少女の名前が出た事で激憤。
その後、心中にモヤモヤを抱えたまま木虎と鉢合わせる事になり、八つ当たりに近い形で勝負を挑む事になる。
奇遇にもそこに居合わせた修も因縁を付けられ何故か試合に巻き込まれる事になり、有無を言わさず木虎とチームを組んで香取と戦う事になる。
お互いの手の内を知っており連携も出来るスパイダー使い二名が組んだ結果どうなったかは、察して知るべし。