「どうした。用件があるなら早く話せ。俺は暇ではない」
「…………っ!」
若村は犬飼に連れて来られた先で待っていた男、二宮匡貴を前にそのオーラに足が竦んでいた。
常日頃からナチュラルに他人を見下し居丈高に振舞う事で知られる二宮だが、こうして直に相対してみると威圧感が半端ではない。
言葉も刺々しく、こちらを歓迎していないという空気を隠そうともしない。
誰かに糾弾される事を常に恐れている若村にとって、二宮との対面は学校での三者面談などよりもよっぽど心臓に悪い。
出来るならばこの場を辞してUターンしたいくらいだが、そうもいかない。
(そうだ。これは犬飼先輩がわざわざ作ってくれた機会なんだし、先輩の面目に泥を塗るワケにはいかない…………っ!)
今回彼が二宮に会う事になったのは、師匠である犬飼の采配の結果である。
彼が樹里の対策の為に、彼女を良く知る一人である二宮に話を通してくれたからこそこの場がある。
そんな師匠の面目を潰す事だけは、若村には出来なかった。
「あ、あの…………お、お願いしますっ! オレは、オレ達は、木岐坂に勝つ為のアドバイスが、欲しいんですっ! だから、その、二宮さんの協力が欲しくて…………っ!」
若村の勇気を振り絞った懇願に、二宮は「ふん」といつも通り横柄な態度を見せながら目を細めた。
「木岐坂に勝つだと? あいつは未だチームにも属さず、ソロ隊員として無為に日々を過ごしていると聞いている。ランク戦で戦り合う相手でもないというのに、何故そんな事を望んでいる?」
「それは────────」
どうやら門前払いではないみたいだ、と判断した若村は自分が知る限りの経緯を説明する。
以前、華を除いた香取隊全員で樹里と佐鳥の二人と戦い完敗した事。
どういう理由かまでは知らないが、樹里が何処かの部隊に入らないといけなくなった為入隊の話を香取の所に持って来た事。
その時の
それらを聞き終えると、二宮は何処か不機嫌そうに舌打ちした。
「…………あいつが、部隊に入ろうとしているだと…………? 俺の誘いは断った癖に、どういう面の皮をしている」
独り言を聞く限り、どうやら樹里が彼女が陥った状況に際して自分を頼らなかった事が気に食わないようである。
若村も普段から二宮が度々樹里に絡んでいる事は風の噂で知っているが、以前彼女に指導していた事があるという話を聞く前と後とではその印象は異なって来る。
以前は女子高生に度々絡む評判の悪い人という見方であったが、過去に彼女を指導していたという話が事実であれば分からなくもない。
要は彼の眼から見れば、樹里は射手の王たる二宮の指導を受けていながらあっさりと狙撃手に転向し、更にチームも組まずにソロでぶらぶらしているロクデナシ、という評価になる。
あの二宮の指導を受けていながらその立場をみすみす捨てるような真似をした理由までは分からないが、少なくともその事を彼の側が良く思っていない事は事実だろう。
しかし同時に師として気にかけていた事も事実なようで、彼の樹里に対する感情は複雑に入り乱れているように見える。
もしかして気があるのでは、とも邪推するが二宮に関しては以前隊に所属していた狙撃手の女性との関係が噂されていたのでそれはないか、と思い直す。
万が一にでもこんな事を考えていると彼に知られればどんな目に遭わされるか、分かったものではない。
犬飼の面子を考えて精一杯の勇気を振り絞りはしたが、怖いものは怖いのだ。
正論の暴力で容赦なくこちらを苛め抜いて来る二宮のような人種は、若村にとって最も苦手な部類の人間であるのだから。
誰だって、藪を突いて蛇を出したくはないものだ。
若村は思考を切り替え、二宮の言葉を待つ事にした。
ちなみに、そんな若村の思考は師である犬飼にはお見通しである事は言うまでもない。
彼は弟子の百面相を見ながら、二宮相手にテンパっている若村の様子を楽しんでいた。
犬飼は自分が善人だと自称した事はないし、悪人であると語った事もない。
しかし同時に、ある程度のSっ気を持ち合わせた人物である事は否定しない。
普段は場の空気を完璧に読んで行動する為ボロが出ないだけで、割と彼の行動は自分の
若村に対する第一印象が「虐め甲斐がありそう」だった事は、彼だけの秘密である。
「一つ聞こう。お前が木岐坂に勝ちたいと思う理由はなんだ? 言ってみろ」
自身の中の葛藤が、終わったのだろう。
何処か試すような調子で、二宮はそう若村に問いかけた。
その眼は憚る事なく若村の事を値踏みしており、この問いへの返答で彼への対処を決める事を隠していない。
此処で返答を誤れば、それで終わる。
そんなプレッシャーが、若村へ襲い掛かった。
(どうする…………? 葉子への義理とか、そういう事を言うべきか…………? 一体、何が正しいんだ…………っ!?)
当然、いきなりそんな立場に置かれた若村はパニック状態だ。
二宮は明らかに、この問いへの返答次第で今後の対応を決めるつもりでいる。
下手な返答をすれば、自分の所為で全てが終わってしまう。
若村の大嫌いな「責任を負う」事態に直面し、額に冷や汗が流れる。
(オレの返答次第で、犬飼先輩に迷惑をかけちまう。一体、なんて答えればいいんだ…………? どうすれば、責任を負わずに済む…………?)
責任を負い、結果を糾弾される事への恐れから若村は及び腰になる。
既にその思考は自分への問いかけではなく、如何に責任を回避するかにのみ向けられていた。
大きな責任を、負いたくない。
自分の選択の結果を、誰かに責められるのが怖い。
それが、これまで若村の視野を大幅に狭めて来た原因となる思考だった。
人に責められたくない、怒られたくないと思う考え自体は誰しもが抱くものだ。
若村はそれが人よりも少々大きいというだけで、なんらおかしいワケではない。
ただ一点。
このボーダーではそういった恐れよりも、自分の責任を果たす為動くという行為を当然のように行える者の方が圧倒的に多い故に彼が悪目立ちしているだけで。
ボーダーのB級中位以上の隊員の思考は、学生ではなく社会人のそれに近い。
自分の行動の結果には相応の責任が伴い、それが自分の評価を決める事を理解している。
選択の結果で悪いものが出たとしても、それを後悔するだけで終わらず次へ繋がる糧とする。
それが当たり前に出来るのがボーダー隊員の一般的な
若村の思考は、男子高校生のそれとしてはなんら不思議な事ではない。
彼は学校では特に役職を持たず、大きな責任を背負って行動した事がない。
ボーダー隊員が社会人的思考を身に着ける為に通る過程であるランク戦での試行錯誤も、香取という大戦力がいた所為で殆ど経験せずに来てしまった。
B級上位に上がってからの戦闘も、香取が独断専行した結果勝つか、それが上手く行かずに負けるかのどちらか。
若村の行動が明確に勝敗に繋がった試合は、それこそ例の樹里との戦い以外にはない。
あの試合は誰が見ても明らかに、若村が佐鳥を抑えきれなかった事が決定的な敗因に繋がっていた。
ただでさえ大幅な劣勢だったところを、若村が佐鳥に返り討ちにされて彼を自由にして勝敗を決定づけた。
その事が、若村の中の意識を変える原因にもなった。
自身の行動が、負けに繋がった事を実感した事で。
あの時初めて、自分の不甲斐なさを客観視する事が出来たのだから。
(葉子が独断専行して負けた時みてーな無様を晒すワケにはいかねーし、いや────────────────待て)
そこで、気付く。
自身の選択の結果を、責められる。
そんな事は承知の上で、いつも
その事を、ようやく思い至る。
(そうだ。葉子はいつも、迷わなかった。毎回みてーにオレに色々言われてるってのに、あいつは自分の行動を変えなかった。責任を負う事を、恐れなかったじゃねーか)
そうだ。
香取は独断専行を行う際、一度も迷わなかった。
これまで若村はそれを香取の身勝手さ故と見ていたが、実際はどうか。
犬飼に見せられた、今までに自分達が負けた試合のログを思い出す。
そこで、自分は何をしていた?
ただ、独断専行した香取を追いかけるだけで、後先を一切考えてはいなかった。
試合の盤面よりも、まずは目先の行動だけを決めて特にこれといった考えなく動いてはいなかったか。
(ひでー時には、葉子を追いかけた隙を突かれて敵の接近に気付かずにやられた、なんて事もあったよな。だっつーのにあいつは、試合の後でその事を責めなかった。多分、どうでも良かった────────────────いや、諦めてたんだろうな)
しかし、そうした自分の失態を香取に責められた事は殆どない。
思えば最初の頃はそういった指摘をしていたかもしれないが、すぐになくなった。
恐らく、香取は自分に見切りをつけていたのだろう。
何を言っても学習しないし、無駄であると。
彼女は、若村の事を「成長の余地なし」と見放したのだ。
それが今の香取の若村への態度の大きな要因となっている事は、最早疑いようがない。
あの試合以降の態度は若干柔らかくなったものの、恐らく彼女の若村への諦観は未だ拭えていない。
当たり前だ。
若村は未だ、彼女に確たる
結果さえ出せば、多少の独断専行は許容出来る。
それが物事の本質であり、若村がこれまで理解出来なかった事でもあった。
(情けねーな。これまで、そんな事も分かってなかったのかよオレは)
こうして自分が大きな責任を負う立場になって自覚するあたり、相当だ。
そう自覚した若村は、思考を切り替える。
どう責任を負わずに済むか、ではなく。
この場で自分の判断を、選択を正確に二宮へ伝える。
ただそれだけを考えるだけで、返答はすんなりと決まった。
これまでの迷走が、嘘のように。
若村の口から、明瞭な言葉が飛び出した。
「────────前に負けた時に、悔しかったからです。オレの所為で、何も出来ずに負けた事が。だから、木岐坂に一矢報いたいんです。少しでも、前に進む為に。それが、これまで醜態を晒していた自分へのケジメだと思いますから」
それは、彼の正直な気持ちだった。
これまでの失態は、最早覆せない。
ならば、後悔するだけでは駄目だ。
その為に、今回の戦いは絶好の機会となる。
勝てるかどうかはさておいて、樹里という大きな壁に手をかける事が出来れば何かが変わるかもしれない。
そんな機会が目の前にあるというのに、逃がすという手はない。
それが。
自分を見詰め直した結果見出した、若村の正直な想いであった。
「────────ふん、いいだろう。俺もあいつには色々と思うところがある。協力はしてやろう。途中で弱音を吐けば、それまでだがな」
二宮はそんな若村の態度を見て、是とした。
此処で若村が責任逃れの為に美辞麗句を並べようとしていれば、その時点で彼は不合格を言い渡しただろう。
二宮が問いたかったのは、そんなその場凌ぎではない。
若村の本心、戦う理由である。
目的を達成する為には、その為の動機を自覚しなければ話にならない。
それを、自分の心すら見誤っている者に前に進む権利はない。
これまでの経験から、二宮はその事を知っていた。
師事してくれた東に示すに相応しい強さを身に着ける為に、二宮は自身を鍛え上げる事に対して貪欲だった。
自分に無い物を会得する為に頭を下げて出水に弟子入りしたのも、全ては彼の生徒として恥じない結果を残す為である。
単なる見栄かもしれないが、それでも上を目指す確たる原動力である事に違いは無いのだ。
明確な動機がなければ、次へ繋がる機会はやって来ない。
東の下で戦う事で、自己の能力のみに頼る戦い方が如何に脆いかが理解出来たように。
何かを変える為には、自分の心と向き合う機会が必要だ。
旧東隊の時にはそれは人から与えられたものだったが、今思えばあれは貴重な経験の一言だけでは語れない素晴らしい体験だった。
二宮は、東に心酔している。
明言した事はないが、彼に近しい者にはバレバレだ。
故に、彼の判断基準には常に東がいの一番に挙げられる。
彼のように、人を導く存在になりたい。
そんな願望が、二宮の中にはある。
だからこそ二宮は敢えて他者に厳しく接して、その成長を図ろうとする。
二宮自身の言葉選びが壊滅的な為に巧くいった例は殆ど無いに等しいが、以前の彼であればそもそも黙殺に近い対応をしていた事だろう。
他者に声をかけるという事は、それだけの関心を抱いている事と同義。
それを分かっているからこそ二宮の行動を東は温かい視線で見守っているし、失敗の原因が彼自身の態度である事に気付けない事を加古は鼻で笑っているのだ。
そんな二宮から見て、自分の気持ちを正直に話した事で多少若村の評価は改められた。
しかしそれはこれまではマイナス評価を突き抜けていたところに多少プラスが加わっただけで、本質的には「面倒を見る価値なし」から「少しは試してみるか」に変わっただけに過ぎない。
今後の彼の評価が変わるかは、彼の働き次第である。
「まず、香取隊を全員連れて来い。話はそれからだ」
そして、協力を決めた以上やるべき事はきちんと行う。
二宮はそう考え、若村に香取隊全員の呼び出しを命ずるのだった。