これでアフターストーリーは終了となります。
次回からはクロスランク戦Ver「VS痛みを識るもの」をお送りします。
「ふぅ…………」
迅は一人、溜め息を吐く。
玉狛支部の屋上、そこで黄昏ていた彼はこれまでの事を思い出す。
あの日々。
樹里という特大の爆弾が運命という名のレールに放り込まれた、波乱の日々を。
────────その娘を視た時、迅は
何せ、その子がいるだけで未来への分岐が数十から数百にかけて広がったのだから。
通常、人一人が齎す事の出来る可能性は知れている。
環境や外部因子によって別れる事はあれど、それはあくまでも戦場などの
戦場という非日常の中でなら第三者による横槍や想定外の増援等、未来を狂わせる要因は幾らでもある。
なので、大規模な戦闘の最中であれば未来が次々と切り替わる事も十二分に有り得た。
しかしその子は、日常の些細な行動を含めたあらゆる可能性の幅が、とんでもなく広かった。
悪い結末も最良の道筋も同じくらい無数に広がり、しかも些細な事で分岐が切り替わるのだから正直かなり心臓に悪かった。
木岐坂樹里。
それが無数の未来への分岐を持つ特異点の正体であり、運命という物語の主役の名でもあった。
樹里はある日突然、空から降って来た。
比喩ではない。
突如として現れた
その樹里を佐鳥が発見し、風間隊と共に連れ帰ったのが全ての発端だった。
当時は佐鳥を暫く視る機会がなかった為に初動が遅れ、後手に回ってしまったのは痛感だった。
彼女の抱える事情を思えば有効打を打てたかどうかは分からないが、それでも、と思わずにはいられない。
結局のところ、その後の事件はこの時に全てを終わらせる事が出来なかった負債が原因のようなものなのだから。
樹里を初めて視た時、その時点で彼女の一度目の「暴走」は避け得ないものだと理解した。
どの分岐であっても、樹里が暴走すると言う結末だけは覆しようがないものだったからである。
今にして思えば彼女の中に仕込まれていた時限爆弾のようなものが起爆した結果なのだから当然であるが、それが分からなかった当時は何が原因かすら分からなかった為「起きるもの」と断じて動くしかなかった。
発生は避け得ないにしても、被害をなるだけ軽微なものにしてなるべく大事にしないよう立ち回るべきだと判断したのだ。
この時に樹里の暴走が公に広まってしまう程の規模となれば、その後の彼女の立場がなくなる。
それだけは、避けなければならなかった。
その為に、まず暴走の発生時期を可能な限り遅らせる必要があった。
早期に暴走が起きるケースとして、彼女の幼馴染である香取と再会して記憶が刺激されて、といった
この場合、最悪の結末としてはその暴走に巻き込まれて香取が死亡し、大切な人を殺めてしまった樹里の心も崩壊する、といった
だからこそ、少なくとも樹里が一度暴走しそれが鎮圧されるまでは、香取と接触させるワケにはいかなかった。
一度暴走を経れば再度のそれの危険性は著しく下がる事が未来視で分かっていた為、これは絶対条件でもあった。
そこで問題になったのが、佐鳥の動きだ。
佐鳥は樹里にとってなくてはならない存在であり、彼と数日離れるだけでも彼女の暴走の危険性は加速度的に高まってしまう為、傍に付いていて貰う他なかった。
しかし、善性の塊で尚且つ意志が強い佐鳥は、樹里から幼馴染を探して欲しいという依頼を受け、何が何でもそれを叶えようと行動する。
その結果として香取にどんな些細なものであれ樹里の生存に繋がる情報が渡ってしまうと、そこから彼女は如何なる労苦を支払ってでもその詳細を突き止め、接触を図ってしまう。
だからこそ迅自らが姿を見せて、佐鳥に対して明言する形で警告する必要があった。
佐鳥は正義感が強く意思も強いが、決して考え無しではないし聡い少年でもある。
こちらが必要な分情報を明かせば、理はこちらにあると分かってくれるだろう。
事実、佐鳥に警告を与えて以降は香取が樹里に早期に直接接触する、という
どうやら同じ幼馴染である華には何とか樹里の生存を伝える事で折り合いを付けようとしていたようだが、彼女の場合香取と違って後先を考える冷静さがあり、こちらの意図も汲んでくれるので最悪のケースには至らないだろうと黙認する事にした。
…………その結果、樹里が佐鳥と華の密会を視認して情緒不安定になり、暴走の引き金を引いてしまう事になるとは夢にも思わなかったが。
彼女の身体はブラックボックスの塊であり、その視力が莫大な強化を受けていた事など、当時は知る由もなかった。
知っていれば対策の立てようもあったとは思うが、全てはたらればの話だ。
ともあれ、樹里の暴走が確定してしまった以上次善の策を使うまでだった。
幸いと言うべきか、樹里と佐鳥には既に風間隊の監視が付いていた。
それは即ち非常時の護衛として彼等を運用出来るという事であり、事前に風間に話を通して樹里の暴走した暁には即座に佐鳥を助けて貰えるよう交渉していた。
加えて、樹里の鎮圧の為に小南とレイジにも声をかけていた。
詳細な情報を話せない、というよりも分からない事の方が多い状況であった為に色々詰められたものの、何とか参戦に漕ぎ付ける事は出来た。
樹里の暴走は防げなかったものの、佐鳥は無事助け出され、小南達の協力もあって早期に鎮圧する事には成功した。
二度目の暴走を抑止する為に記憶処理を行わなければならなかったのは佐鳥や彼女に悪いとは思ったが、安全には代えられない。
そもそも、この記憶処理をしなければ香取と無事に再会させる事も出来ないのだ。
過去の辛い記憶がある限り、些細な刺激であっても暴走の引き金となってしまう。
フラッシュバックを暴走のトリガーとする仕組みは悪辣極まりないが、逆に言えば記憶処理さえしてしまえばその危険は軽減出来るのだ。
ならばさっさと記憶処理をしてしまえば暴走自体起こらなかったのではないかと言われると、そうではない。
彼女の身体に対する干渉はそれがどんなものであれ「敵対行動」と認識される為、記憶処理をしようとした瞬間暴走を誘発させてしまうのだ。
故に記憶処理を行うには一度暴走させてから鎮圧する事で彼女に埋め込まれた機構を一度機能停止させ、その隙に捻じ込む形で実行する必要があった。
その仕組み自体は後から分かった事だが、記憶処理をしようとすればその場で暴走する未来は視えていたので、そこは止めさせて貰った。
ともあれ無事と言うには苦い結果ではあるが、一度目の暴走は何とかする事は出来た。
そこから暫くは大きな変化もない為、安心して見ていられた。
…………あの、大規模侵攻の未来を視るまでは。
とある日、自分の未来視に無視出来ない映像が映り込んだ。
それは、四年前以来の大規模な
前回の侵攻より規模自体は大きく、更にはボーダー隊員が連れ去られる未来や、市街地が破壊され一般人が犠牲になる未来。
そして、その最中に樹里の二度目の暴走が起き、被害が拡大してしまう
可能性としては1%にも満たないものだが、逆に言えば1%は確実に存在する道筋なのだ。
未来を扱う以上、たとえ可能性がどれだけ低くとも無視は出来ないというのが経験則でもある。
大規模侵攻の真っ最中に暴走が起きてしまえばただでさえリソースが足りない所を更に削られる事になり、否応なく被害規模は拡大してしまう。
加えて大規模な作戦行動中ともなれば、彼女の暴走が人目に触れてしまう危険性も加速度的に上がる事になる。
だからこそ、断じてそこに至る可能性だけは防ぐ必要があった。
その為に佐鳥に樹里の監視といざという時のフォローを依頼し、彼女の動向には逐一気を配った。
本当であれば人型とは誰とも接敵させたくなかったのだが、香取隊があそこでヒュースを抑えなければ迅自らが向かう他なく、そうなると他が覚束なくなる。
樹里を含めた香取隊であれば迅以外で唯一穏便に彼を捕虜にする事が出来るらしい事は既に識っていた為、止むを得ず彼女達に任せる判断を下した。
それに、此処で香取隊とヒュースとの接点を作っておけば今後玉狛支部との縁が出来、未来の為になると知れば止める理由の方が少ない。
結果としてヒュースと交戦しても樹里が暴走する気配はなく、胸を撫で下ろした事を覚えている。
…………油断しなかったと言えば、嘘になる。
ヒュースと戦って大丈夫だったのだから、もう心配はないだろう。
そういう考えは、確かにあった。
だからこそ、ヴィザという老剣士相手に樹里を起用した際に暴走の兆候が見られた時にはかなり焦った。
本格的な暴走には繋がらなかったものの、彼女の秘められた力の片鱗を公然と見せつけてしまった。
加えてこの時、彼女の二度目の暴走が起きる可能性がかなり高まったのを自分の
それまでは1割以下だった暴走の可能性が、この日を境に6割以上に跳ね上がった。
確定まではしていなかったが、50%を超えた以上それは最早起きる事は確実であると言っても良かった。
痛恨である、と言っても過言ではない。
それでも、必要な努力は怠らなかった。
次の転換点は、ガロプラ侵攻。
最悪なのはこの時にボーダー本部の至近で暴走が起きてしまう事であり、万が一にも地下の
この日に起き得た可能性としては、模倣躯体ラービットが完全な状態で樹里に接触し、強力なデータウイルスを撃ち込まれる事で即座に暴走が起きてしまうケースだった。
これは遊真達の奮闘でどうにか阻止出来たが、結果として出力は小さいものの樹里にプログラムを撃ち込まれてしまう事は防げず、二度目の暴走が確定事項となってしまった。
幸いその場で発動するタイプのものではなかったので最悪のケースはなくなったが、それでも二度目の暴走が起きるとなるとそれに備える必要があった。
ともあれ、大規模侵攻の時点で半ばそれは確定していたので、随所への根回しは怠らなかったのが幸いした。
変貌した彼女の姿を佐鳥や香取に晒す事になるのは心が痛むが、そこは堪えるしかない。
何せ、今回の暴走では彼女の「未帰還」の可能性さえ存在するのだから一切手は抜けない。
それだけならまだしも、最悪の場合
正直な話、そうなる前に彼女を「処理」してしまうという選択肢もあった。
ボーダーの、この世界の未来を思えばそれが最善ではあっただろう。
トロッコ問題、という思考実験がある。
これはトロッコが進む先に5人の人間がいて、レールを切り替えればその人達は助かる。
しかし切り替えた先のレールには一人の人間がいて、そちらが犠牲になってしまう。
果たしてどちらを選ぶのか、という倫理的なジレンマを問うものだ。
これは、未来が視える自分には常に付いて回る問題だ。
誰かを救うという事は、誰かを救わないという事。
確実性を問うのであれば、迷う事なくレールを切り替えるべきだったろう。
だけど、それだけはしちゃいけないと思った。
他に可能性が無いのであればまだしも、両方を助ける可能性があるのであれば、最後までその選択肢を諦めない事こそ寛容なのだ。
そういった選択が出来ないようでは、自分は人間の精神を維持出来なくなるだろう。
ただ効率と確実性のみを求め、少数を犠牲にする事を躊躇わない存在など、最早ヒトではない。
少なくとも、人間性を維持したいのであれば、笑って過ごせる未来を掴み取りたいのであれば。
効率だけを求めるのではなく、己の善性に基づいて判断を行わなければならない。
人の間に立ち、世界を繋ぐ一助となる。
それが出来る者を、
結果として、二度目の暴走も何とか抑え込む事が出来た。
ククロセアトロの本星の接近等の
この日を以て樹里の暴走の可能性は完全な0となり、彼女は鋼の軛から解き放たれた。
まだまだ彼女が迎える苦難は山積みだが、それでも最大の山場は超えたと言って良いだろう。
レールを切り替える事を選ばずに良かったと、本当にそう思えた。
「なーに黄昏てんのよ。迅」
「小南」
そんな風に物思いに耽っていた時、不意に声をかけられた。
振り返れば、そこには夜風に靡く髪を抑える小南の姿。
小南はこちらを見るとはぁ、とため息をつきツカツカと歩み寄って。
ぐい、と迅の頬を掴んだ。
「ふぇ?」
「アンタが何考えてんのかとか、別にどうでもいいけど。それでもね、あたし達は仲間なの。少なくとも、旧ボーダー時代からのね」
「それは分かってる、けど」
「いーや、分かってないわね。アンタが樹里ちゃんの事で悩んでる時、あたし達に碌に相談してくれなかったじゃない。全部一人で背負い込むのは、アンタの悪い癖だっての」
ふん、と鼻を鳴らす小南に迅は何も言えなくなる。
確かに樹里の件を一人で抱え込んでいたのは事実ではあり、鬼怒田等に最低限の情報共有はしていたものの小南は殆ど蚊帳の外だった。
どうやら彼女は、それが大層お気に召さないらしかった。
「あたし達を巻き込むんなら、最初から巻き込みなさいよ。口外しちゃ不味いならそうするし、逆に協力者がいっぱい必要ならその助けもしたげるわ。それとも、あたし達はそんなに信頼出来ないとでも言うつもり?」
「…………そうだね。悪かったよ」
「社交辞令なら要らないわよ? そんな風に言っても、必要ならこれからも同じ事するでしょアンタ」
「…………」
「沈黙は肯定と見做すわ。ホント、分かり易いんだから」
はぁ、と小南は再び大きく溜め息を吐いた。
けれど、その眼は。
穏やかな、優しさに満ちていた。
「アンタにはアンタのやり方があるのは、分かってるわよ。けど、必要ならいつでも手を貸してくれる奴等がいるって事は、ちゃんと覚えておきなさい。あたしも、レイジさんも、修達だってそうよ。準だって勿論手伝うだろうし、弓場ちゃん達もそうでしょ」
だから、と小南は続けた。
「これからも、何かあれば頼りなさい。そんで、言える事はきちんと言いなさい。あたしから言えるのは、それだけよ」
「────────ありがとう。小南」
ふん、と何処か照れ臭そうにそっぽを向く小南を見て、迅は思う。
自分は、なんと恵まれた仲間を持っているのだろうと。
これからも課題は山積みだが、彼女達と一緒なら切り抜けていける。
そう、思った。
未来はもう、明るい光の先へ向いているのだから。
<迅悠一/トロッコの行く先は~FIN~>
『くろうするじん』
「有能系憂鬱未来視少年」
樹里という爆弾を放り込まれ、四苦八苦しながらも何とかハッピーエンドへ辿り着かせた立ち役者である迅さん。
色々と心労を重ねつつも、必要な手回しはしっかりと行い彼なりの最善を目指した。
未来視を持つが故の独自の視点は他者と共有する事が難しく、孤独感も感じていたがそんなの知ったこっちゃねぇと小南が叱咤激励。
大切な仲間の重みを思い出した少年は、笑顔で前を向いていく。