「────────ハウンド」
男の、二宮の怜悧な声が響く。
二宮の展開したキューブが分割され、射出。
広範囲に渡る弾幕が、雨のように降り注ぐ。
「…………っ!」
その弾幕を、香取はグラスホッパーを用いて脱出を図る。
一度でも防御に回ってしまえば、その時点で嵌め殺される。
それを、彼女は良く理解していた。
故に、この場面で取るべき選択はハウンドの効果範囲から速やかに離脱する事。
グラスホッパーを活用すれば、それが叶う。
幸い、ハウンドは一度空中に撃ち上げられた後山なりな軌道で落ちて来ている。
最大加速で離脱すれば、ギリギリだが脱出は叶うハズ。
「────────甘いぞ」
「…………っ!?」
だが。
その目論見は、突如飛んで来た一発の弾丸によって打ち砕かれた。
何が、起きたのか。
言うまでもなく、狙撃を受けたのだ。
香取はこの場からの離脱を優先する為、両腕でグラスホッパーを起動していた。
二宮の射程範囲から脱出する為には必要な事であった為、それ自体は良い。
しかしそれは、同時にシールドを張る事の出来ない無防備な状態である事を意味する。
当然、それは香取も承知していた。
故に狙撃に対する警戒は、常に緩めてはいなかった。
だが。
狙撃は、遠方からではなく近距離────────────────即ち、二宮の側面の建物の陰から飛んで来た。
上ではなく、下から。
グラスホッパーを使う為に空中に躍り出ていた香取は、下方からの狙撃に対応が遅れ右足が吹き飛ばされた。
「…………っ!」
降り注ぐ光弾に対し、香取は止む無くシールドを張る。
しかし。
「────────」
「ぐ…………っ!」
シールドの上から固められた時点で、香取の命運は尽きていた。
二宮は容赦なく、アステロイドでの射撃を実行。
香取を展開したシールドの上から蹂躙し、呆気なく致命傷を与えた。
『戦闘体活動限界。
機械音声が、無慈悲に香取の敗北を告げる。
少女の身体は崩れ去り、光となって消え去った。
「俺のハウンドに気を取られ過ぎだ。俺が機動力の高いお前相手に、漫然と射撃を続けるだけの馬鹿だとでも思ったのか? お前の行動を予測して次の手を打っている事くらい、予想して然るべきだろが」
「く…………! わか、りました」
「敬意の籠っていない敬語なら不要だ。そんな事よりも、経験から学ぶ事を覚えろ。才能だけに頼って勝ち上がれる程、ボーダーは甘くはない」
「~~~~っ!!」
香取は思わず目の前の男に罵声を浴びせそうになって、ぐっと堪える。
もし、此処が本部の廊下や街中であり単に因縁を付けられただけならば彼女は我慢しなかっただろう。
しかし、今の自分は教えて
加えて、華を始めとした香取隊の面々もこの場にいる以上は無様な真似は出来ない。
此処は、二宮隊の隊室だ。
今自分達は、若村の伝手で頼る事になった二宮隊に対樹里の為の指導を受けている真っ最中である。
(しっかし、麓郎もどうやって二宮さんに協力なんて漕ぎ付けられたのよ? 犬飼先輩が師匠なのは知ってたけど、この人が他人のお願いを聞く柄だとは思えないんだけど)
正直、若村が「二宮隊の協力を得られたから一緒に来て欲しい」と隊室で告げた時には、不覚にもポカンとして呆気に取られたものだ。
精々犬飼からアドバイスの一つでも貰えれば儲けもの、と考えて送り出したのだが、まさかあの二宮の協力を得られるとは思っていなかったのである。
どんな手を使ったかは分からないが、よくやったと褒めてやりたい気分だったのは内緒だ。
但し。
いざ二宮隊の隊室に向かった後、有無を言わさず訓練室に叩き込まれて手始めとばかりに狙撃手対策の協力者として呼んでいた荒船を加えた二宮隊と戦う羽目になるとは思っていなかったのだが。
その後にこのデリカシー皆無の
「じゃあ、あの時どうすれば良────────良かったんですか?」
「ふん、その程度も考えられないのか。お前の脳みそは何のために付いている」
「…………っ! こ────────」
「グラスホッパーを片手のみで使って逃げるか、両腕で起動しつつ狙撃も警戒すれば良い。お前なら、後者の方が難度は低いだろう」
「────────!」
二宮のあまりの言いように罵声が喉まで出かけるが、そこで予想外に的確な助言が飛んで来た事で押し黙る。
確かに、その二択であれば香取なら出来なくはない。
そして二宮の言う通り、どちらかといえば後者の方が自分に適しているのは言うまでもなかった。
グラスホッパーを片方だけ起動しつつ、随所でシールドを張りながら逃げる事も可能ではある。
しかしそれは二宮の弾の檻に閉じ込められてしまう可能性が高く、とても無難な手とは言えない。
それよりは、あらゆる場所からの狙撃を最大限に警戒しつつ最大加速で逃げる方が性に合っている。
二宮は言葉選びは論外レベルだが、指摘自体は至極真っ当なものでありだからこそ反論もし難い。
(ホント、最悪。ただ口が悪いだけならどうでも良かったのに、ちゃんと優秀なのが腹が立つ)
此処で考え無しに叫べればどれだけ良かっただろうか、と香取は思う。
後先考えずに投げ出す事は、既に状況が許さない。
樹里に挑戦状を叩きつけたのは、こちらなのだ。
一時の癇癪でそれを台無しにする程、彼女の樹里への想いは軽くはない。
周りにはひた隠しにしているつもりの樹里への重過ぎる親愛の情が、香取の忍耐力を底上げしていた。
それがなければ、とっくに全てを投げ捨てて部屋を後にしていただろう。
「ろっくん、あそこで落ちた原因は何か分かった?」
「え、っと。犬飼先輩に注意を向けすぎて、他への警戒が疎かになっていたから、ですか…………?」
「うん、正解。あそこは俺の動きから、伏兵の存在を警戒すべきだったね。地形条件に気を配っていれば、狙撃は回避出来た筈だからね」
また、一緒に来た若村が一生懸命犬飼から戦術を学ぼうとしている事も、香取の意地に拍車をかけていた。
今の若村はこれまでの文句を言うばかりで前を向こうとしない彼ではなく、明確な目標を持って自分の悪い所を改善しようと頑張っている。
そんな姿を見せられて奮起しない程、香取の仲間への情は浅くはないのだ。
(そうよ、麓郎があんなに頑張ってるんだし無様な姿は見せてられないわ。壊滅的に口が悪い容姿と実力だけの男相手でも、少しは我慢して────────)
「そもそも、お前は自分の実力を過信し過ぎだ。上には上がいる事が分かっているなら、常に格上の存在を意識して行動しろ。才能だけあっても上に上がれない事くらい、そのお粗末な頭でも分かっている筈だ」
(────────前言撤回。少し、どころの話じゃないわね。全力で我慢しないと、保ちそうにないわ)
そう決意した矢先に暴君の口撃に晒され、早くも怒りの堤防が決壊しかけるも香取は我慢した。
ふと、気になって部屋の一角に目を向ける。
その視線の先には、三浦と華がやや離れた場所で辻と氷見の二人相手にレクチャーを受けている光景があった。
「三浦くんは、身体を動かすセンスも悪くないし周りもちゃんと見えてる。ただ、サポートばっかりに目が行きがちで自分の生存を疎かにしてる部分があるかな。三人チームだと、一人落ちるだけで一気に形勢が傾く場合もあるから場合によっては生き残る事を優先する事も大事だよ」
「はい、分かりました。すみません、分かってはいるんですが…………」
「君と俺のチームじゃ色々条件は違うし、君がそう動かざるを得なかった事情も理解してるよ。だから、恥じる事はないよ。悪い所が分かったなら、直せば良いだけだからね」
はい、と元気良く返事をしながら三浦は辻を見返した。
若村が突然自分達を二宮隊の下へ連れて行った事も驚いたが、まさか二宮隊総出で協力してくれるとは思っていなかった。
師弟の伝手で犬飼個人であれば助力を得られても不思議ではないが、あの二宮まで出張って来てくれるとは流石に予想外だったのだ。
おまけに狙撃手対策の一環として荒船もこの場にやって来ており、今は壁に背を預けて何故か片眼を閉じて佇んでいる。
何かのポーズに見えなくもないが、別段気にする事はないだろう。
映画の真似、という言葉が何故か思い浮かんだが些細な事だ。
荒船はあくまで狙撃手である樹里や佐鳥の対策の為の実践訓練の為にこの場に来ているようであり、必要がない限り教師役をやるつもりは無いのだという。
あくまでも指導を行うのは二宮隊であり、助っ人である荒船にはそこまで求めてはいないという事なのだろう。
普通の狙撃手相手であれば彼のアドバイスも有効であろうが、相手はあの樹里と佐鳥だ。
佐鳥はツイン狙撃という変態技巧こそあるがその立ち回りは普通の狙撃手のそれであるが、樹里の戦闘スタイルはそもそも単純な狙撃手のそれではない。
言うなれば狙撃も出来る射手といったところであり、加えて
それよりは、射手としての彼女を知る二宮の助言の方が有用である、というワケだ。
荒船もそれは理解しているようで、口出しをするつもりはないようだ。
どうやら彼は犬飼に頼まれてこの場にやって来たようであり、こちらの詳しい事情には踏み込むつもりはないらしい。
その貫禄は先輩というより教師や教官のそれであり、自分達と二つしか違わないとは信じられない。
精神年齢が高い者が多いボーダー隊員であるが、彼を前にしているとまるでベテランの指導者を相手にしているかのように錯覚してしまう。
そんな威厳とは無縁な三浦としては、羨ましくなる立ち振る舞いだった。
(それに、辻さんも色々と考えていて凄いな。マスタークラスの人に直に教えて貰えるなんてまたとない機会だし、頑張って覚えないと)
そして、自分の指導担当である辻の教え上手ぶりにも舌を巻いていた。
正直、教師適性が一番高いのは彼なのではないかと三浦は一人思う。
言葉選びがアレ過ぎる二宮は置いておくとして、犬飼も教え方は巧いがあれは師弟の付き合いという積み重ねの前提で行われているものであり、対面して話す事がほぼ初めてな自分に分かり易く指導をしている辻の教え方はかなり上質なものだと言って良い。
二宮のように貶す事なく的確に改善点を指摘し、その内容について詳しく説明してくれる。
香取のようなタイプには冗長だと敬遠されるかもしれないが、理屈で理解するタイプの三浦としては辻の教え方は最良に近いと言って良い。
(そう考えると、三人全員が的確な指導者に付いて貰っているのかな。ろっくんは犬飼先輩の弟子だから先輩の方も勝手が分かってるだろうし、葉子ちゃんは言葉を尽くすより結果を求めるタイプだから案外二宮さんのやり方が良いのかも)
思えば、既に師弟関係のある犬飼と若村はともかくとして、香取の指導を二宮が行っているのも適役と言えなくもない。
香取は完全な感覚派であり、冗長な説明を嫌う。
その点二宮は言葉を一切オブラートに包む事なく暴言交じりで改善点を指摘し、狙ってやっているのかと思う程酷い言い方で香取を奮起させている。
犬飼曰く「あれで丁寧に教えているつもり」なのだそうだが、もしも樹里が関わっていない状況であればいつ香取がブチ切れてもおかしくない有り様に目を覆いそうになる。
この特別な状況下でなければ真っ先に崩壊しそうな
(一週間しかないんだし、贅沢を言う暇は無いよね。ろっくんも葉子ちゃんも頑張っているんだし、オレも一生懸命やらないとね。華も華で、頑張ってるみたいだし)
「司令塔とオペレートの常時両立は難しいから、ある程度現場の動きに任せてみるのも場合によっては有効。犬飼先輩が色々教えてるみたいだし、ある程度若村くんに指揮を振ってみるのも手だよ」
「そうですね。そうしようかと思っています。葉子は、そういうの向いてないでしょうし」
「うん、適性ないから止めた方が良い。でも、要所要所の機転は悪くないから即応的な判断は彼女に任せて良いと思う。これまでの試合ログを見る限り、隊の中で一番判断力に優れてるのは香取ちゃんだしね」
氷見の指摘にわたしもそう思います、と華は肯定する。
彼女の言う通り、要所要所で機転を利かせて状況を好転させているのは香取だ。
香取は指揮能力は高くないが、状況を的確に見抜く直感とそれを活かす機転は悪くないものを持っている。
自身の思考を言語化するのが苦手な為に作戦立案能力は皆無ではあるが、そういった即時の判断を必要とされる状況では香取はこの上なく有能ではあるのだ。
激し易く釣りに乗り易いという欠点はあるが、それを補って余りある程才能に満ち溢れているのが香取だ。
これまで香取隊が曲がりなりにも隊としての形を維持出来ていたのは、彼女の才覚あってこそだ。
しかし、そんな彼女でも自分と同等かそれ以上の相手に集団戦で挑むには分が悪過ぎる。
香取一人が突出して強くとも、チーム戦術の前では個の強さだけで相手をするには限界がある。
それが自分達が停滞していた原因であり、華はそれが分かっていながら「香取が変化を望んでいないから」と傍観していた。
もし、樹里が絡んでおらず香取が変わる姿勢を見せなければ華が動く事はなかっただろう。
しかし今回に限っては樹里の入隊の是非が懸かっており、香取自身も変わろうとしている。
親友の変化を寂しいと思う気持ちがないでもないが、それ以上に言える事が一つ。
(わたしも、樹里と一緒にいたいのは葉子と同じだから。葉子も頑張ってるし、若村くんや雄太も変わろうとしてる。わたしだけ足踏みしちゃ、いけないわ)
自分もまた、変わるべき時が来ている、という事だ。
これまで実のところ諦めていた若村の成長に加え、三浦もまた彼等に於いて行かれないよう頑張ってくれている。
チームメイト三人が変わろうとしているのに、自分だけ怠けるだなんて許されない。
香取達が上を目指すつもりならば、自分もそれに応えるだけだ。
氷見の指導は勉強になる事が多く、これまでほぼ独学だったオペレートも彼女のお陰で向上が図れそうである。
(若村くんには、感謝しないと。上位のオペレーターの人がマンツーマンで指導してくれる環境なんて、滅多に用意出来るものじゃない。この機会を逃さず、ものにしないと)
二宮隊の協力を取り付けたと知った時は華もまた驚いたものだが、得るものは想定以上に大きい。
ならば、自分は自分で力を尽くすだけだ。
大切な仲間達が成長の兆しを見せているのだから、それに乗り遅れるワケにはいかない。
華は自分が天才だとも、秀才だとも思っていない。
自分はただ、自分に出来る勉強を積み重ねてその結果として多少賢しい真似が出来るだけの子供に過ぎない。
多くは望まないし、彼女としては大切な者達との穏やかな時間さえ過ごせればそれで良いとも思っている。
しかし、樹里に関しては変わり果てた容姿といい不吉な予感が拭えず、この先確かな力が必要になる事態が訪れる可能性が高いと推測出来る。
少なくとも、自分達だけでも幼馴染みの窮地に立ち上れる程度の力は得ておかなければ話にならない。
何が起きるかさえ分からないが、備えておいて損は無い筈だと。
華は冷静に判断し、氷見からのレクチャーに再度耳を傾けるのだった。