『ごめん、しくった。三浦くんは倒せたけど、あたしもやられちゃった』
「ううん、くまちゃんの責任じゃないわ。隊長は私で、指示を出してそれにゴーサインしたのも私だもの。あまり自分を責めないで」
那須は通信で報告を受けながら、熊谷を労っていた。
正直な話、彼女が落とされた事に驚いてはいた。
しかし、それをおくびにも出さず心の中で切り替える。
今は、試合中。
反省会をしている場合ではなく、それよりも現状どうするかの方が重要なのだから。
「取り敢えず、旋空という列車の安易な破壊手段が確実に消えただけでも充分よ。これで香取隊gが列車を
熊谷が此処で落とされたのは正直痛いが、それでも三浦と言う旋空を使える駒が落ちた意味は大きい。
これで直接乗り込む以外で列車に搭乗する那須をどうにかする手段は、樹里という最大のカードを切る以外の道はなくなったからだ。
列車から自由自在に
その最たるものが、旋空だ。
旋空は弧月使いならば基本的にセットしているオプショントリガーであり、サブの攻撃手段を用いない攻撃手が離れた場所に干渉出来る唯一の手段でもある。
その切断力も然る事ながら、
熟練の旋空使いならば周囲の地形を自在に斬り裂き、地形戦じみた真似すら可能とする。
「今の」三浦の旋空の熟練度は知り様がないが、「出来る可能性がある」というだけでも無視出来ない事に変わりはない。
だからこそ、熊谷という伏せ札を切ってでも彼だけは確実に落としておきたかったのだ。
結果として熊谷という貴重な前衛が道連れにされる事にはなったが、最低限の目的は果たせた。
今はそれを踏まえた上で、どう動くかを考えるべき時である。
「万一樹里ちゃんの爆撃が飛んで来たら、私が
今後考えられる那須隊の動きとしては、大きく二つ。
一つは、樹里の爆撃で列車を直接破壊しようとする事だ。
しかし、こちらはまずないと那須は考えているしそれは七海や小夜子も同様だった。
既に、那須は高速で走る列車から
それだけの絶技が可能であるならば、遠方から飛んで来る弾幕程度迎撃可能であると考えられてもおかしくはないだろう。
少なくとも、これまでの戦いでの香取隊の練度を見る限りそれが分からない可能性は有り得ないだろうと断じられた。
だからこそ、これはないと言える。
こちらには、狙撃手殺しの七海がいるのだ。
迂闊に貴重な切り札の居場所を教えるような軽々な真似は、控える筈だ。
貴重な切り札と言える樹里だからこそ、切り時は見極めなければそのまま試合の趨勢に直に影響する。
少なくとも、早々に爆撃を行い彼女の居場所を晒す愚は避けるだろう。
故に、本命は二つ目。
つまり、このまま香取が列車に乗り込み那須を撃破しようとする流れだ。
状況を鑑みて、まず間違いなくそうなるだろうと考えている。
だから此処からは、それを前提に動く必要があった。
(香取ちゃんと直接戦ってる玲一の所感を聞く限り、今の香取ちゃんを私たちの知ってる香取ちゃんと同じに考える事は出来ない。少なくとも、練度や駆け引きは数段上のものと見るべき。私たちは仮にもA級とはいえ、まだ成って間もなくB級部隊と大きく実力が離れているというワケじゃない。慢心は、命取りになるわ)
チラリと、那須は己の隊服に刻印された
今の仲間達と目標を達成した証であるこのエンブレムには誇りがあり、それを成し遂げただけの実力は持っているという自負もある。
しかし、現実問題としてA級に昇格して間もない部隊である事に変わりなく、B級部隊とそこまで大きな差があるとは思っていない。
だからこそ、慢心などは以ての外だ。
そんな余分で敗因を作る程、愚かな事はないのだから。
(香取ちゃんはただでさえ、天賦の才と類稀な戦闘勘に恵まれた才能の化身みたいな子だったんだもの。それが数段上に成長しているとなると、元からとんでもなかった突破力が極限まで強化されていると見るべき。生半可なやり方じゃ、彼女は落とせないわ)
加えて、香取という才能の怪物は決して侮って良い相手ではない。
隊長として、指揮官としての才覚はともかくエースとしての能力であれば那須の知る彼女も相当な領域にいたのだ。
B級上位という魔境で実質たった一人で部隊を維持していた実力は、伊達ではない。
学習能力が非常に高く、見たばかりの技能をその場で応用する、なんて芸当も軽々とやってのける。
そんな彼女が経験を積み、大きく成長しているのだ。
その脅威度は、想定よりも遥かに多く見積もるべきだろう。
(けど、香取隊が「強力なエースを如何に暴れさせるか」って戦術方針に特化した部隊なのは変わりない。代替不能の前衛である彼女さえ倒せれば、後はどうとでもなるわ。樹里ちゃんは、基本的には狙撃手。前衛がいてこそ輝くポジションである以上、単騎で出来る事には限度があるもの)
しかし、裏を返せば香取さえ撃破出来れば後は消化試合に成り得るという事でもある。
香取隊は、エースが中心となって戦うチームだ。
隔絶した実力を持つエースを保有する部隊は、それを中心とした戦略を取るのが最も効率的に勝てる方法なので当然と言えば当然の話である。
特に、香取という格上喰いすら可能とするようなレベルのエースを擁しているのならばそれを活かさない方が損失となる。
そういう部隊は、極論エース以外は使い捨てても何ら問題は無い。
エースを十全に暴れさせる事さえ出来れば、他のサポーターは必要な時に使い潰しても結果的に勝てる事が多いのだ。
但し、この方針は裏を返せばそのエースが落とされた場合、一気に形勢不利になる可能性を内包している。
香取隊の場合特にそれが顕著であり、得点能力は香取がずば抜けて高く、近接戦闘能力に限れば彼女と他の隊員とでは大きな開きがある。
三浦は弱くはないが基本的に能力がサポーター寄りであり、単騎で無双出来るような性質の駒ではない。
今回はそれを踏まえた上で熊谷を当てて封殺にかかった上で駒を一つ持っていかれてしまったのだが、それでも彼がサポーター的な能力構成だったのは間違いない。
残る相手は銃手の若村と狙撃手の樹里であるが、若村は侮るつもりはないが脅威度としては香取や樹里に大きく劣り、まともにぶつかればまず勝てる相手でもある。
彼は集団戦に於ける立ち回りや判断力に難があり、他の香取隊員のように成長しているだろう事を加味したとしても、少なくとも香取よりは脅威度はずっと下となる。
よって警戒すべきは樹里となるが、彼女はあくまでも狙撃手。
性質上、狙撃手殺しの七海がいればどうとでもなる。
これは慢心ではなく、純然たる事実であると。
那須は、そう考えていた。
少なくとも、香取という強力な前衛が消えれば香取隊に七海を打ち倒せる手段はなくなる。
七海は、生存力が非常に高いタイプのエースだ。
機動力に特化した上で感知痛覚体質という回避に有用な
事実ランク戦で七海はあの二宮並の生存力を誇っており、落とされた試合は殆ど存在しない。
1対1の個人戦では話は変わるのだが、集団戦に於ける七海の生存力は群を抜いている。
少なくとも、香取を欠いた状態で香取隊に彼をどうこう出来るとは思えない。
黒トリガー
故にこの評価は当然のものであり、盲信ではなく純然たる事実の類だ。
香取隊は成長しているが、その方向性はあくまでも生来の武器をより強化したもの。
エース中心の部隊であり、エースの生存に勝敗の大部分が影響するのは確実なのだから。
だからこそ、此処からの戦いで勝負の趨勢が大きく変わる。
那須は深呼吸をして、移り変わる列車からの景色を俯瞰した。
「もうすぐ、香取さんが指定の圏内に入るわ。此処からが、勝負よ」
『今、報告があったわ。雄太は熊谷先輩と相打ちで退場。負傷して実質熊谷先輩と那須先輩との二対一だった事を考えれば、大金星ね』
「よっしっ! よくやったわ雄太!」
華からの報告を受け、香取は内心でガッツポーズを決める。
実際にやらないのは今現在彼女は七海から逃走中の身の上であり、少しでも余計な真似をすれば追いつかれかねないからだ。
ほんの少しのアドバンテージを得て今は距離を空けているが、それでも安心出来る間合いかと言われれば否だ。
僅かな隙が、致命的な展開に繋がり得る。
そう心得ている香取は、細心の注意を払いながら逃走劇を続けている。
何せ、七海の機動力評価は10。
数字の上では、香取よりも上なのだ。
脇目も振らない疾走で何とか逃れ続ける事が出来てはいるが、彼女が逃走に全力を注いでいなければすぐにでも追いつかれていただろう。
そして、一度でも捕まれば再び振り切るのは困難を極める。
突破力ならばともかく、総合力ではあちらが上なのだ。
一点特化型の近距離タイプの香取とは異なり、七海は大抵の距離に対応可能な上に恐ろしく戦い方が巧い。
捕捉されたが最後、あの手この手で足止めされ電車への道は更に遠ざかるだろう。
そうなれば勝ち目は殆ど消え失せ、消化試合に成り得る。
列車から好き放題に
だからこそ香取は全霊を尽くして逃走を続けているのであり、それを理解しているからこそ七海は再びの潜伏を選ばずに彼女を追撃しているのだ。
旋空の使い手の三浦が消えた今、能力的に考えて列車乗り込む事が出来るのは香取のみ。
即ち、彼女が無事に電車に辿り着けるかどうかがこの試合の分水嶺となる。
全員がそれを理解しているからこその、この逃走劇なのだから。
『ごめん、何とか相打ちには持ち込めたけど落ちちゃった。出来ればもう少し皆の役に立ちたかったんだけど』
「何言ってんのよ。敵を一人持ってっただけでも充分よ。雄太は充分貢献出来たんだから、後は華の手伝いをお願い。頼んだわよ」
『…………! うん!』
そこに
逃走劇の真っ最中ではあるが、この程度で隙を晒す程香取は甘くはない。
ちなみに三浦は香取の邪魔をしないよう華にだけ話しかけたつもりなのだが、その華が香取と通信中だった為に声が割り込んでしまった形だ。
それは理解していたが、折角だからと労いの言葉をかけた香取はしっかりと隊長としての責務を果たしていると言えよう。
ただ、指揮をするだけが隊長の役割ではない。
隊内の問題を解決し、潤滑な人間関係を築く事もまた役目の一つだ。
三浦は若村程ではないが自己評価が低く、こうやってちゃんと労ってやらなければ考えが後ろ向きになりがちなので、そこを怠る香取ではない。
風間の薫陶は、確実に活きている。
なんだかんだで、しっかりと隊長をしている香取であった。
(問題は、此処から。そろそろ、線路が近い。つまりそれは、列車から撃って来る弾をより弾速に特化したものに出来る距離になるって事。トリオンを温存するつもりなのかさっきから攻撃が断続的になって来てたけど、いい加減仕掛けて来る頃合いでしょうね)
思考を切り替え、香取は現状を整理する。
先程から、
というよりも、殆ど撃って来ていないのが実情だ。
恐らく、遠方から撃つだけでは香取を仕留めるには至らないと判断したのだろう。
相手は、待っているのだ。
香取が充分に近付き、トリオンを弾速に多く割り振れる圏内に足を踏み入れる瞬間を。
だからこそ、その時に備えてトリオンを温存しているのだろう。
那須のトリオン評価値は、7。
そこそこある方だが、樹里のような圧倒的なトリオン強者とは言えない。
節約出来るのならば節約したいのが本音であろうし、香取をある程度まで近付かせるリスクを割り切れるのなら理解出来る方針だ。
だが、それもこれまで。
線路との距離を考えるにそろそろ来てもおかしくないタイミングだと、香取は判断していた。
『葉子、列車が来るわ。勿論────────』
「────────来たわね」
そして、予測は的中する。
遠くから列車の駆動音が聴こえると同時に、空に流星が瞬く。
速度を増した光の毒蛇が、一斉に香取に向かって降り注いだ。