「今日は、ありがとうございました。また明日も、よろしくお願いしますっ!」
「ふん、言っておくが見込みなしと判断した段階で指導は終わりだ。言葉を重ねるくらいなら、結果を出す事を優先するんだな」
若村に対し、二宮はあくまで塩対応を崩さずそう言って踵を返す。
話は終わりだとばかりにそのまま隊室へ消えていく二宮にどう反応すれば良いか分からず、若村は困惑する。
ちなみに、香取達は既に帰路に就いている。
どうやら犬飼以外の面々は用事があったらしく、必然的に二宮達の受け持っていた香取達は残っていても仕方がないとの事で帰ったワケだ。
なので若村は犬飼に挨拶をして帰る予定だったのだが、思ったより早く二宮が隊室に戻って来た為に止む無く挨拶をしたら先の返答が返って来た、という塩梅である。
やっぱり自分は見込みが無いと思われてるのかな、と落ち込む若村。
あのような言い方をされれば、そう思うのも無理はないだろう。
自分の情けなさを自覚した後の若村であれば、猶更である。
「二宮さんにしては、随分気にかけてるんだね。あんな風に気遣うなんて、結構高評価じゃない」
だが、犬飼はそんな若村の考えを見透かすように、思いも依らぬ事を口にする。
信じがたいその内容に、若村は眼をぱちくりさせた。
「え…………? 犬飼先輩、今のって、二宮さん気遣ってくれてたんですか…………?」
「うん、そうだよ。二宮さんは、本当に見込みがないと思ったら会話自体を拒否するからね。ああいう風にちゃんと話をしてくれる時点で、しっかり見込みがあると思ってくれてると考えて良いよ」
「そうなんですか…………」
機嫌が悪いと会話拒否するとか香取と同じだな、と内心思う若村であったが、流石にこの場でそれを口にする度胸は彼にはない。
二宮の香取への扱いを見る限り、彼女へ良い感情を抱いていないだろう事は分かる。
そんな香取と同一視されていると知られればどういう反応をするのか分かったものではないので、此処は黙秘一択だろう。
もっとも、師匠の犬飼にとってはそんな若村の内心などお見通しであり、相変わらず虐め甲斐がある子だなぁ、と邪悪な笑みを浮かべてた。
師匠の本心を知らない若村は、むぅ、と何処か納得していない様子で首を傾げた。
「でも、本当なんですか? どう聞いても、「お前には見込みがない」って言われてるようにしか思えなかったんですけども」
「あれはねー、翻訳すると「指導は厳しくするけど変に礼儀とかに気を遣う必要はないよ。結果を出す事に集中して頑張って」ってなるんだよね。ホラ、こう聞くとしっかり応援されてると思うでしょ?」
「…………えっと、本当ですか…………?」
「そうそう、二宮さんは少し誤解され易いけど面倒見は良い方だからね。少なくとも今のろっくんに悪感情は抱いてない筈だから、大丈夫だよ。まあ、ちょっと言い方は刺々しいかもだけどね」
(全然、
何処をどう読み取ればそうなるのか分からない二宮語翻訳を聞いた若村は信じられない、といった顔で犬飼を見るが、どうにも本気で言っているらしい、というのが伝わって来た。
まさか本当に、あれで激励しているつもりだったのかと戦慄する。
もしそうなら、口下手とかそういう次元ではないだろう。
あんな罵倒にしか聞こえない言葉で応援しているつもりだったなど、そう簡単に信じられるものではない。
しかし、二宮のチームメイトである犬飼にそう反論するのも躊躇われる。
(もしかすると部隊の人相手には親身に接するのかもしれないし、偏見は良くないよな。うん、犬飼先輩を信じよう)
無理やりに自分を納得させる若村だが、彼は知らない。
犬飼が二宮語の翻訳を行えるのは部隊内で二宮の言動が変わるなどといった事は断じてなく、単に彼の洞察力と読解力が凄まじく高いだけであるという事を。
二宮は基本誰に対してもあの調子であり、むしろその本心を読み取れる犬飼の方が異常なのだ。
同じチームメイトの辻は命令に従う事に違和感を抱かない人種である為に辛うじてコミュニケーションが成立しているだけで、氷見に至っては「二宮さんはそういう生き物」だと達観して受け入れているだけに過ぎない。
そうでなければ容姿端麗の才能の塊という長所を台無しにして余りある問題のあり過ぎる性格を持つ二宮と同じ部隊で過ごすなど、まずやっていられはしない。
むしろそういった二宮スタイルを寛容に受け止められる事こそが、二宮隊に所属する最低条件と言える。
もしもコミュ力最強クラスの犬飼がサポーターとして入隊していなければ、途中で空中分解していた可能性も否定しきれないのが二宮隊の恐ろしい所である。
そういう意味でも、犬飼は二宮隊になくてはならない
「ともあれ、色々懸念してた香取ちゃんも素直に指導を受けてくれてるし、この調子で頑張ろう。日数は少ないけど、可能な限り仕込める部分は仕込むつもりだからさ」
「はい、ありがとうございます」
葉子が爆発しなくて助かった、と安堵しながら若村は犬飼に礼を告げる。
暴言をマシンガンの如く連発する二宮とそんな彼に青筋を立てながら指導を受ける香取という構図は見ていて大変ハラハラするものだったのだが、結局香取は一度も癇癪を起こす事なく、指導を乗り切った。
彼女の暴発こそを恐れていた若村は、その事に酷く安堵したものである。
明日もまたあの心臓に悪い指導風景が広がるのだと思うと気が重いが、教えて貰っているのは自分達の方だ。
指導を受ける側である以上、贅沢は言っていられないと若村は心機一転する。
こういった切り替えが出来るようになった事自体、大きな進歩であると若村本人は気付いていない。
それも含めて、何処までも師匠の掌の上な若村であった。
「じゃあ、また明日。この調子で、頑張っていこうね」
「珍しいですね、二宮さん。まさか、ろっくんにあそこまで親身になるとは思ってませんでした」
「ふん、あの時の返答次第ではその場で叩き返していたがな。最低限、ギリギリで及第点に入ったから仕方なく応じただけだ」
その後、隊室の中に戻った犬飼は二宮に対しかねてからの疑問を尋ねていた。
若村に話した内容に、嘘はない。
しかし、ただ一点。
犬飼でさえも、二宮がこのような
二宮は才能のある人間を好む傾向があり、更にその中でも自己を磨く事にひたむきな者程気に入る傾向がある。
犬飼や辻、鳩原といった二宮隊の面々はそういった嗜好を持つ二宮が手ずからスカウトした人種であり、射手の王直々に任命した臣下である。
犬飼はその類稀な盤面俯瞰能力と巧みな機転、及び目立った弱点のない総合力を。
辻は攻撃手としては異例な程広い視野と、基本能力が高水準で纏まっているが故の安定感を。
鳩原は、卑屈な精神性と反比例した狙撃の腕を。
氷見は、高いオペレート能力を。
それぞれ買われて、二宮隊に入隊した。
犬飼はその事を誇りに思っているし、部隊の面々の能力に関して不満に思った事は一度も無い。
至高の力を持った王の下で、存分にその才覚を振るい勝利という栄冠を勝ち取り続ける。
そんな立場に充実感を覚えていたし、それは鳩原の密航でB級へ降格された後も変わらない。
二宮はそんな犬飼の精神性も含めてその能力を評価しており、自身が彼のお気に入りであるという自覚はある。
しかし、そんな犬飼の眼から見て若村はどう考えても二宮のお眼鏡に適うハズがない人種だった。
師としての贔屓目で見ても全く才能はなく、技術も判断力も特筆したものを持たない。
更に自身の非を自覚せず、手近な糾弾対象があればそちらに責任を押し付けてしまう悪癖もあった。
今の彼は樹里に完敗した事を契機に大分マシにはなっているが、自身の欠点を自覚しただけの段階でありまだまだ成長には時間と経験が必須である。
故にどう考えても二宮の眼には「相手をする価値のない有象無象」に見えている筈であり、彼があそこまで親身になる(二宮視点)理由に思い至らなかったのだ。
正直なところ、その理由が気になって仕方がない。
それが、今の犬飼の本心であった。
「ホント、どうしたんです? 何か良い事でもあったんですか?」
「…………ふん、大した事ではない。東さんに、頼まれた事があってな」
「東さんに…………? どういう内容です?」
「────────香取隊が頼って来たら、可能な限り便宜を図ってくれと。そういう話だった」
「へぇ」
犬飼は二宮の話を聞き、眼を細める。
東春秋。
言わずと知れたボーダー屈指の戦術家であり、狙撃手の開祖と言える始まりの
彼はこれまでに数々の隊員を率いて部隊を結成し、後進の育成に取り組んでいた。
その中でも有名な元A級一位部隊、第一期東隊のメンバーこそが目の前にいる二宮だ。
俗に旧東隊と呼ばれるその部隊は射手の二宮と加古、万能手の三輪、そして東の四名から構成されていた。
二宮はその時の経験から東の事を心酔しており、彼の言う事には恐ろしく従順になる特性があった。
そんな彼からの進言があったのであれば、今回の事も頷ける。
他ならぬ東の頼み事であれば、本来なら見向きもしない筈の相手の指導を請け負うような内容であってもやってのけるだろう。
それ程二宮の東への崇拝度は高く、東さん信者と言っても差し支えない。
まあ、その壊滅的な言葉選びの悪さから彼と親しい人間は皆無に近いので、初めて自分に親身になってくれた東の事を父親のように慕う気持ちも分からなくはない。
いや、圧倒的コミュ強者である犬飼にコミュ貧民である二宮の気持ちを本当の意味で理解する事は出来ないのだが、想像くらいは出来るというだけの話だ。
「でも、なんで東さんがそんな事言って来たんでしょうね? 別に、香取隊と繋がりなんてないでしょうに」
問題は、何故東がそんな頼みごとをして来たか、である。
犬飼の知る限り、東が香取隊と懇意にしていたという話は聞かない。
そもそも香取隊は外への繋がりが薄い面々ばかりであり、学校の友人関係の延長線上の知り合いしか目立ったコネクションを持たない部隊だ。
精々が自分を師と仰いでいる若村くらいであり、三浦は特定の師匠がいるという話は聞かず、香取は言うまでもない。
故に、東がそんな香取隊に対し助力した理由が謎なのだ。
「ふん、大方佐鳥が頼んでいたのだろう。曲がりなりにも奴は、東さんとほぼ同時期に近い頃合いに狙撃手になっている。その関係で、繋がりがあるんだろうさ」
「────────成る程、佐鳥くんか」
しかし、その疑問はすぐに氷解した。
佐鳥賢。
彼ならば、東との個人的なコネクションを持っていたとしても不思議ではない。
何故ならば彼は、東に続くような形で狙撃手になった、いわば狙撃手黎明期を生き抜いた人物なのだ。
何しろその時期は手本となる人間がいないに等しい状態であり、狙撃手という難度の高い職種の技術を磨くのは並大抵の事ではなかっただろう。
如何に東といえど一人きりで狙撃手の
佐鳥はこのボーダーでは珍しく師匠を持たない狙撃手であるが、東と切磋琢磨した仲であれば独力で自分のスタイルを確立するのも不可能ではないだろう。
それだけの関係がある東相手であるなら、ある程度の頼みごとをする事も出来る筈だ。
(多分、彼なりに今回の試合に大きな意味を感じてるからテコ入れしたって事か。自分は手を抜けない分香取隊に強くなって貰うってよりは、勝って貰わないと困るから利用出来るものを利用した、って感じかな)
今回、佐鳥は樹里の側で試合に参加する事が確定している。
ハッキリ言って、佐鳥が指揮権を預かった状態で樹里を率いて香取隊と相対すれば勝ち目はほぼゼロと言って良い。
しかし、今回の試合は樹里の入隊の如何が懸かっている。
加えて香取隊が成長する絶好の機会でもあり、それを大人気なく潰す事を佐鳥は良しとしないだろう。
だが流石に手を抜いて戦えば樹里や香取に露見するのは必至であろうし、それが原因で事態が拗れては本末転倒だ。
故に佐鳥は自身は駒に徹しながら試合では全力を出しつつ、二宮を通じて香取隊へテコ入れして彼女達の勝率を少しでも上げる、という迂遠な方法を取ったのだろう。
その為に自分のコネクションを利用したに過ぎず、結果的に自分達が彼の思惑に巻き込まれる事になった。
事態の推移としては、こんな所だろう。
(けど、ろっくんが成長する良い機会なのは間違いないからね。思惑通りに動くのは癪だけど、こっちはこっちで利用させて貰おうかな)
佐鳥の掌の上で踊るのは面白くないが、かといって若村の師としてこの機会を逃すべきではないのは嫌でも分かる。
故に彼の用意した機会を利用する事を決め、犬飼はほくそ笑む。
佐鳥が何処まで見通しているかは分からないが、精々こちらは彼の度肝を抜くくらいの結果を見せつけてやるまでだ。
今日の香取隊を見て、適切な指導内容は大体推察出来た。
後は、それを試合までにどれだけ効率良く仕上げられるか。
若村達の頑張りにも懸かっているが、此処で巧く指導出来ないようでは師匠を名乗る資格は無い。
折角、弟子が前を向き始めたのだ。
誰かの思惑の上であれなんであれ、奮起しなければ嘘というものだろう。
(さぁて、気合い入れますかね。普通ならこんな短期間の特訓で劇的な成果なんて出ないけど、下地は作ってあったし相手が集団戦初心者の樹里ちゃんならやりようはある。ここはいっちょ、B級一位の貫禄ってモンを見せつけてやりましょうかね、っと)
犬飼は内心でほくそ笑み、凄まじいスピードで脳内の草案を最適化していく。
いつも通りの笑顔の裏で、弟子の成長を喜ぶ師匠としての彼が昂揚しているのが分かる。
こうして、二宮隊による香取隊の