「────────来たわね」
那須は列車の中で一人、ふぅ、と息を吐く。
既に、香取が乗り込んで来た事は承知している。
自身の弾幕に、七海のマンティスという隠し札まで切ったのに列車まで到達せしめた事は素直に驚いている。
だが同時にそれでこそ、という想いもある。
この空間が、この戦場がどのようなものであるかは分からない。
されど、仮にも自分はボーダー隊員。
ランク戦と言う場に立ち、戦うべき者と相対したのであれば。
後は、矛を交える他にない。
自分の知る香取とは、異なる世界線の香取。
彼女がそうであると、直感的に理解はしている。
確かに那須の知る香取も大規模侵攻に至るまでの戦いで相応に成長していたが、此処までの仕上がりではなかった筈だ。
自分の知る彼女を侮るワケではないが、今回相対している少女がこちらの香取よりも洗練された強さを持っているのは事実。
ならば、そう弁えた上で動くだけだ。
知らず、胸の鼓動が高鳴る。
既知にして未知の強敵との戦いを前に、心が震えているのを感じる。
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべ那須は顔を上げた。
「勝負しましょう、香取さん」
「────────」
「まあ、来るわよね」
背後に静かな足音と共に降り立った七海を見て、香取は不敵に微笑んだ。
元より、七海とはそう距離が離れていたワケではない。
彼の速力ならば、一歩遅れてはいても列車に跳び移る事など造作もないだろう。
此処で引き離せれば幸いだったが、余計な手間をかければその隙を突かれてこちらが列車から引きずり落とされかねない。
今は、何とか列車に乗り込めた事を喜ぶべきだ。
「…………!」
無論、七海が止まる筈もなく欠片も油断は出来ないが。
列車の屋根を疾駆し、七海が一気に香取に向かって肉薄する。
その手に掴むは、短刀型のスコーピオン。
ブレード自体のリーチは短いが、七海と香取では体格差がある。
身長157cmの香取に対し、七海は173cm。
少なくとも、女性である香取より上背があるのでその分だけブレードの射程も伸びる。
そもそも、スコーピオンは刀身を自在に変える事が出来るトリガー。
加えて、七海にはマンティスがある。
近距離戦でのリーチでは、彼の方に分があるのだ。
故にこそ、七海は接近戦を仕掛けて来た。
「フッ…………!」
香取は列車の屋根を滑るように、七海から離れるべく疾走。
更に、背後を垣間見ながら拳銃を連射する。
無数の光弾が七海へ襲い掛かるが、その全てが難なく避けられる。
当然だ。
そも、最初から牽制目的で放たれた銃弾程度で彼に傷一つ付けられる筈もない。
故に、これはあくまで時間稼ぎ。
コンマ一秒だろうと、七海が香取の下へ到達する時間を遅らせられればそれで充分。
今肝要なのは、列車内に潜む那須を確実に仕留める事。
それ以外は、全て些事だ。
というよりも、そうする以外に道がない。
何せ、七海は落とすどころか攻撃を当てる事さえも困難を極める。
影浦相手もそうだったが、攻撃感知型の
何せ、こちらの攻撃の軌道は常に把握されている状態なのだ。
隙を突こうにも、そもそも攻撃を実行しようとした時点でこちらの動きを察知され対処されてしまう。
影浦と異なり感情を読むワケではないので本命とフェイントの区別は感知出来ないだろうが、七海はそれを経験則で補っている。
香取も樹里に絡んだ騒動で相応の経験を積んで来たが、どうにも七海は格上相手の戦闘経験が圧倒的に豊富なように思える。
自身が格上であると驕るつもりはないが、少なくとも七海は「強者に対する戦い方」を心得ているようだ。
つまり、如何にして実力者の攻撃をいなし、反撃の起点に繋げるかという事を数えきれない実地で理解している。
そんな相手に、闇雲に攻撃を仕掛けたところで傷一つ付けられる筈がない。
ならば、今最も脅威となる相手である那須を何が何でも排除する事に全力を注ぐべきだ。
というよりも、そうする他に勝ち筋がない。
突破力に優れる香取であるが、総合力では七海に分があると考えている。
直観力で負けるつもりはないが、理詰めの判断ならばどちらが優勢なのかは明白だろう。
加えて、七海は己の能力を集団戦に特化させている。
自らは積極的に踏み込む事はせず、仲間との連携を第一に耐久戦を仕掛けて相手の処理能力を圧迫し、隙を見て刃を差し込む。
あれは、そういった戦い方だ。
つまり、七海が真価を発揮するのは1対1の戦いではなく多対1や多対多の集団戦。
そして今、香取は列車という動く鋼鉄の棺の上で孤立無援の状態にある。
那須と連携出来る七海とは異なり、香取にはこの場に援護を行える味方がいない。
七海が列車に乗り込んだ今樹里が即座に狙われる心配は薄くなったが、それでも狙撃手の位置を軽々に晒すべきではないのは明白だ。
彼女の爆撃であれば列車ごと吹き飛ばす事が出来るであろうが、那須はそれらを
よって安易な爆撃は出来ず、かといって高速で走る列車の上の標的を正確に狙えるような曲芸な樹里には出来ない。
故に唯一遠距離からの介入が可能な樹里という手札を切る事は叶わない為、香取は独力でこの局面を切り抜ける必要がある。
だからこそ、七海と直接鍔迫り合うという愚は犯せない。
今は一刻も早く、那須の下に到達し仕留めるべき場面なのだから。
「華、那須先輩の位置は…………っ!?」
『先頭車両に反応あり。気を付けて、バッグワームを着ていないって事は』
「
那須の位置は、既にレーダーで判明している。
香取がいる最後尾の車両とは、真反対。
先頭車両に、毒蛇の女王は座している。
来るなら来い、という挑発にさえ思えた。
(やってやろうじゃない。白黒つけてあげるわ、那須先輩)
自身の歩んだ歴史では久しく戦う機会のなかった那須であるが、今相対しているのが自分の知る彼女とは別物であるという事は理解している。
未だ直接言の葉を交わしてはいないが、技術力や立ち回りはかなり向上しているように思える。
元々曲芸じみた弾捌きを行える女傑ではあったが、あちらの那須はそれがより洗練されている。
少なくとも自分の知る彼女は、狭い路地を正確に潜り抜けさせるような絶技まで行えたかは疑問が残る。
そもそも香取の知る那須は自身しか点取り屋がチームにいない為に無理をして前に出る必要があり、指揮とエースを兼任していたが為に負担が大きく、十全に
しかし、今回戦っている那須にそんな兆候は見られない。
何というか、より伸び伸びと戦えているような印象を受ける。
発想力も、技術力も。
何もかも、自分の知る彼女とは違うのだろう。
あちらの那須がどんな道程を歩んだかには正直興味が沸くが、それは今考えるべき事ではないだろう。
今やるべきは、如何に七海の攻勢を凌ぎ、那須の弾幕を超えて彼女に致命傷を叩き込めるか。
これに尽きる。
(けど、だからって捨て身にはなれない。前衛のアタシが消えたら、七海先輩を抑えられる人間がいなくなる。七海先輩まで道連れに出来るなら話は別だけど、安易にリスクを許容する事は出来ないわね)
しかし、かといって捨て身では意味がない。
此処で那須を倒せたとしても、七海が健在である限り香取が落ちるワケにはいかないのだ。
自分達の部隊の戦力で七海を抑えられるのは、自分だけだ。
若村には流石に荷が重いし、樹里も本分が狙撃手であり回避能力に特化した七海を単独で討伐するのは難しい。
故に、香取という前衛がいなくなった状態で七海が健在であればその時点で
だからこそ、勝利条件は明白だ。
香取が生き残った状態で、那須を撃破する。
最優先事項は、これになる。
(逆に、那須先輩は自分が落ちてもアタシを落とせればそれで良い。そこは注意しないとね)
そしてそれは、あちらも重々承知の筈。
よって、香取には無理でも那須は最悪捨て身でこちらを落としに来る可能性もあるのだ。
当然それは最後の手段であろうが、選択肢として検討くらいはしているだろう。
そのくらいの想定は、当たり前にしていると考えるべきだ。
香取隊の敗北条件は、七海が健在の状態での香取の脱落。
両者共にそれが分かっているからこそ、此処での戦いが分水嶺となる。
「…………!」
そして、早速那須が仕掛けて来た。
列車の窓から放たれた無数の弾幕が、四方八方から香取へ襲い掛かる。
その数は、先程までの倍。
那須がバッグワームを脱ぎ捨て、
「────────!」
香取は列車の屋根を蹴り、全速力で疾駆。
中途でグラスホッパーを踏み込みながら、弾幕の雨の中を鋭い動きで潜り抜けて行く。
此処に来て、香取のギアが上がっていた。
七海という強敵と那須という好敵手との戦闘の最中で彼女の感覚は研ぎ澄まされ、普段よりも更に動体視力が上がっている。
それを香取は自覚はしていないものの、その動きに一切の迷いはない。
今までに倍する数の毒蛇の群れの中を、泳ぐように駆け抜けていく。
見る者が見れば、唖然とする光景だろう。
香取の生来の
そうとしか思えない、現実離れした姿だった。
「…………!」
弾幕の海を駆け抜ける香取は、不意に背後からの殺気を感じて身体を捻る。
刹那、彼女のいた場所に投擲された刃が通り抜けた。
背後には、その両手に細いピッケルのように分割された無数のスコーピオンを携えた七海の姿があった。
「そんなんアリ…………ッ!?」
次の瞬間、七海はその手に持った無数のスコーピオンを香取に向かって投擲した。
横並びに投擲された無数の刃が、香取に向かって放たれる。
「チッ!」
香取は止む無くサイドステップでその刃を回避し、その
無数の刃に分割されたように思えた、異形のスコーピオン。
その、正体を。
(分割したんじゃなくて、細い棒で繋がってる一本のスコーピオンってワケか…………っ! 器用な真似してくれちゃって…………っ!)
何故、同時に二つまでしか出せない筈のスコーピオンがああも分裂していたのか。
その絡繰りは、なんて事はない。
分裂したように見えていただけで、その実一本のスコーピオンの形を変えただけだったのだ。
スコーピオンはそのサイズが小さければ小さい程硬度は上がるが、逆に言えば硬度を気にしなければある程度まで大きさの拡張が可能という事だ。
七海はその性質を利用し、一見無数に分裂したように見せかけた形状のスコーピオンを投擲して来た、というワケだ。
「…………!」
そして当然、一撃だけではない。
既に次弾の装填を終えた七海が、再びスコーピオンを投擲する。
香取はそれを横にズレる事で回避しつつ、舌打ちする。
攻撃が、これからも継続する事が分かったからだ。
既に、七海の手には次なるスコーピオンが握られている。
そして、先程躱したスコーピオンは地面に辿り着く前に消失していた。
(つまり、投げたスコーピオンはアタシが回避した事を確認したと同時に破棄。その間に次弾の装填を済ませて、連続で投擲を続けるって寸法ね…………っ!)
ボーダーのトリガーの原則として、一度に二つまでしか使用出来ないというものがある。
たとえばスコーピオンを二つ同時に出していたのだとしたら、別のトリガーを出すには片方を破棄もしくはオフにするしかない。
弧月であれば再生成まで無防備になる為破棄する事は早々ないが、スコーピオンは別だ。
再生成に別個でトリオンを消費するものの、体内に片方を格納しておける分弧月よりは融通が利く。
七海はその性質を最大限利用し、攻撃と破棄を繰り返す事でスコーピオンの投擲による連続攻撃を可能としたのだ。
勿論ハウンドなどと異なり直線にしか飛ばない為、単体ならばそこまで脅威ではない。
だが、大量の
香取は前から迫る弾幕を躱しながら、背後にも注意を払わなければならなくなった。
それがどれ程の苦行かは、言うまでもない。
「…………っ! 駄目押し、って事…………っ!」
そして、前方から先程に倍する数の
恐らく、弾数重視で先程よりも数多くのキューブに分割したのだろうそれは。
言うなれば、こちらを狙い定める毒蛇の滝。
宙を埋め尽くす光の蛇が、一斉に香取に襲い掛かった。