白の少女と白い少年②
(────────何とか、此処までは来れたか。最低限必要な段階とはいえ、正直ヒヤヒヤしたよ)
ボーダー本部、屋上。
眼下の街並みを見下ろす迅は、仲良さげに帰路に就く香取達の姿をその眼に映し出していた。
樹里のような超視力のない迅ではあるが、今彼が見ているのは肉眼での光景ではない。
彼の能力、未来視を通して視た香取達の少し先の未来の姿。
それを見て、心なしか迅は安堵しているように思える。
但し。
その表情には、未だ翳りが見える。
一つの条件をクリアした程度では、彼の顔が晴れる事はないのである。
(これでなんとか、スタートラインに立つ事は出来た。重要なのは、むしろ此処から。
迅は再度、その眼を通して樹里の未来を視る。
彼の瞳に映し出された樹里の姿は、如何に。
それは、
「樹里、ボーダー行くわよっ! 早くしなさいっ!」
バァーン、と盛大に1-C教室の扉を開け放ち、堂々とした素振りで香取がその姿を現した。
教室に残っていた少数の生徒たちはなんだなんだと騒ぎ出し、香取の顔を見た瞬間さっと眼を逸らしてそそくさと去っていく。
香取はその垢ぬけた美少女ぶりもあって、校内では知らぬ者はいない。
但し、決して良い意味だけではないが。
香取は以前、学校の中でも樹里と押し問答を繰り広げ、教師に指導された前科がある。
しかし香取は巧みに「自分と樹里は3年ぶりに会った幼馴染」「天涯孤独になった彼女に寄り添いたい」という理由を
香取は規則や年功序列などよりも自分の身内に対する感情を最優先にして行動するが、要領自体は悪くないどころか相当に良い。
此処は自分が大人しくした方が得だ、媚びを売った方が得だと判断すれば、猫を被る程度は造作もない。
感情的で激し易いという評価が一般的な香取ではあるが、それは自分の素を出しても問題が起き難いボーダーの中であればこそだ。
学校のような集団生活の場では、波風を立てない事こそが一番面倒が少ないと、彼女は本能的に知っている。
故に、彼女は成績が良い事もあって教師側には優等生で通っていた。
しかし、そんな彼女が猫を被って見せるのはそうして得のある相手────────────────即ち、教師のみだ。
学生に対してはそんな事をしても利益にならないと分かっている為、普段通りの棘だらけの態度で接している。
自分の
幼馴染である華と樹里の二人さえいれば極論他はどうでも良い香取にとって、学校の級友など有象無象に過ぎない。
そういった相手に見せる愛想など彼女は持ち合わせてはいない為、学校での彼女は数人の友人を除いて遠巻きにされている事が多い。
何より彼女自身が無駄に群れる事を好まない為、そうした状況を敢えて受け入れているという面もあった。
こうして、香取が出たらまず回れ右して避けろ、というのがこの学校での常識となったワケである。
ちなみにそんな状況に関して以前若村が文句を言った事はあるが、完膚なきまでに論破されて撃沈した事実を此処に記しておく。
元より頭の出来の良さが違う為、真っ当な論戦になれば若村が香取に勝てる道理は無いのである。
そして、そんな彼女が此処に来た目的は一つ。
晴れて香取隊に入った樹里を、直々に迎えに来る事であった。
「…………葉子。恥ずかしいからそういうのやめて」
「アンタに恥ずかしいなんて感情があったとは驚きね。いつもあれだけの事しといて表情の一つも変えなかったアンタが、どういう心境の変化?」
「別に。今の葉子と一緒にされたくないだけだし」
対して、樹里の反応はハッキリ言って悪い。
まあ、これだけ堂々と人目を浴びてしまっている葉子の巻き添えで注目を浴びてしまう事を、樹里は是とはしないであろう。
香取以上に一匹狼気質が
人の視線など気にしていてはキリが無いと諦観している樹里ではあるが、こうまで堂々と視線を集める香取に隣に立たれると流石に物申したくなるというもの。
本質的には陽キャの香取と、性質的に陰キャである樹里とでは、そのあたりの感じ方は違うのである。
「フン、有象無象が何を言おうが気にしないわ。言いたい奴は言わせておけば良いのよ。迷惑になったらツブすだけだし」
「葉子。ここ、番長漫画の世界じゃないよ?」
「誰が番長よ誰が。せめてスケ番とか言いなさいよ」
「葉子、何歳? 今時スケ番とか、古い」
ビキリ、と香取の額に青筋が浮かぶ。
ギギギ、と首を機械のように動かし、がしり、と樹里の肩をしっかり掴む。
「アタシじゃないわよパパが良く見てたビデオに映ってたのよ悪いかこの野郎…………!」
「葉子、わたし野郎じゃない。この場合、女郎…………?」
「あんましふざけてんじゃないわよこのスカポンタン樹里…………っ!」
ぎゃーぎゃーと姦しい
絆を取り戻した二人の幼馴染は、騒ぎを聞きつけた若村がやって来るまで延々と似たような会話のドッジボールを繰り広げ続けるのであった。
「へぇ、それは大変だったね樹里ちゃん」
「うん。わたし、結構災難だった。賢、慰めて」
「はいはい後でねちなみに此処公共の場だから、そういうの止めてね樹里ちゃん」
「けち」
放課後、狙撃手訓練場。
そこで佐鳥相手に愚痴を吐き出していた樹里は、さり気なく彼に密着しようと位置を調整している事に気付かれて指摘され、はぁ、とため息を吐いた。
意気揚々と樹里をボーダーへ連れて来た香取ではあったが、彼女は今の時間帯に狙撃手の合同訓練がある事を失念していた。
当然それを知っていた樹里は訓練を口実に香取の下を抜け出し、こうして訓練場へやって来たワケである。
香取の事は大事に想っているが、それはそれとしてここ数日の香取の絡み具合に辟易していたのも事実。
基本的に香取の事は彼女の中の優先事項の中で上位を占めているが、彼女とてこうも遮二無二に距離を詰められ続けるのは疲れるのだ。
いつもは佐鳥と一緒に訓練を行う樹里ではあるが、今日に限っては佐鳥が新人隊員の研修に付きっ切りになっていた為に不在。
研修がひと段落した後にやって来た佐鳥を即座に捕まえて、絡みだすまでが
この場に香取がいたら面倒な事になる事この上ない光景ではあるが、それはいつもの事なので
樹里にくっつかれる佐鳥の姿など、むしろ無い方が珍しいくらいなのだから。
色々な意味で手遅れなのは、お察しである。
「そういえば、少し遅かったね。研修で何かあった?」
「んー、ちょっと訓練生の一人が基地の壁に穴を空けちゃってね。その後始末で色々あったんだ」
「へぇ。入隊初日に設備破損とか、中々
「事故だよ事故。その子、トリオンがとんでもなくてね。試しにアイビス撃たせたら、基地の壁をぶち抜いちゃったってワケ」
「…………ふぅん」
佐鳥の言葉に、樹里の眼が細められる。
アイビスは、トリオンに応じて威力の上がる狙撃手トリガーである。
これはノーマルトリガーに於ける旋空以外の攻撃手段では最強と言って良い火力を誇り、高トリオン能力者の放つアイビスは、あらゆる防御を突破すると言っても過言ではない。
だが、何事にも限度がある。
相当のトリオンがなければアイビスであっても最高硬度の防御力を持つエスクードを突破する事は難しいし、特にリソースを費やして作られた本部の壁など最たるものだ。
何せ、ボーダー内部で使用しているのは紛れもない
万が一それが外へ漏れて被害者でも出ようものなら収拾のつかない事態になりかねず、それ故に基地の壁は厚く作られている。
それをアイビス一本だけで突破したというのだから、どれだけのトリオンの持ち主かは最早想像の外だ。
「…………ねぇ賢。その子、もしかしてあの白い子絡み?」
「あー、樹里ちゃんには分かっちゃうか。うん、そだよ。正確には、三雲くんの関係者だけどね」
「…………誰だっけ、それ?」
「こないだの白い子供の件で話題に上がった元C級隊員…………! 樹里ちゃん、本気で忘れてたワケ?」
「だって、もう終わった事だし」
「相変わらず、興味の無い事には淡泊だなあ」
ジトリと、佐鳥は樹里を睨みつける。
そもそもあの一件は樹里が修の件を報告して来たのが発端なのだが、彼女は既に終わった事として彼の名前すら忘れていたらしい。
興味のあるなしで記憶力にハッキリと差が出る樹里らしいといえばらしいのだが、例の一件で手回し・暗躍に終始し続けた佐鳥としては意味が無いとしても文句の一つでも言いたいところである。
無論、実行に移しても損の方が大きい為思うだけであるが。
「白い子供のネ────────外国人に、トンデモトリオンの女の子か。随分濃い面子が集まったね」
「樹里ちゃん、空閑くんの事は覚えてるのね」
「だって、強かったし」
「…………ああ、それが理由かぁ」
成る程、と佐鳥はため息を吐いた。
樹里は本人は否定しているが、若干
太刀川程あからさまではないものの、個人ランク戦を相手に気持ち良く勝って優越感を得る為の
相手が強ければ強い程勝った時の快感は大きい為、これまでも樹里はふらりとランク戦ブースに現れては適当な相手を蹂躙していく、といった事を繰り返していた。
今では香取隊に入隊してしまった為チームとしてのしがらみがあり、流石にそういった行動は控えるだろう。
しかしだからこそ、樹里は無意識の内に強者との闘争を求める側面がある。
そうした意味で、遊真は彼女のお眼鏡に適った為記憶されていたというワケだ。
対照的に修が存在すら忘れられていた理由は、言わずもがなである。
「ちなみにその空閑くんだけど、入隊した後の戦闘訓練で歴代最高の記録を叩き出したんだ。木虎が嫌そうな顔してたよ」
「ふぅん、まああの子ならそのくらいはやると思うし別に驚きはないかな。木虎さん、記録を抜かれて悔しがってた?」
「多分ねー。まあ、その事に関しちゃ下手に突かない方が良いよ。木虎って要領は良いけど、堪忍袋の緒は割と短いからさ」
「わかった」
機嫌を損ねた時の木虎の面倒さを知っている二人は、共に二つ返事で了解の意を示す。
佐鳥は言わずもがな、樹里にしてもそんな状態の木虎と向かい合うなど勘弁願いたい為、否はない。
「────────随分、面白い話をしていますね。お二人共」
「げ」
「…………!」
だが。
時、既に遅し。
運悪くこの場に居合わせてしまった木虎は凄みのある表情で二人を睨みつけ、ガシリ、と両者の肩を掴んだ。
「無駄話をしているくらいですから、お暇なんですよね? 後片付けが色々あるので、手伝って貰いますよ」
こちらの意思を聞くつもりがないあたり、どうやら相当頭に来ているらしい。
木虎は有無を言わさず二人を連行し、研修の片付けを口実にチクチクと文句を言い続ける苦行を両者に課したのであった。
「ひどい目に遭った。賢、ごめんね」
ふぅ、と樹里は廊下でため息を吐く。
あの後、流石に部外者である樹里は早々に解放されたのだが、元から嵐山隊所属の佐鳥はそうはいかない。
彼は今も木虎にコキ使われている筈であり、自分はそんな彼の厚意でこうして苦役からは解放されたワケだ。
出来れば佐鳥と一緒にいたかったのだが、流石に並んで説教を受け続けるのは御免被りたい。
故に泣く泣く、樹里はこうして一人で帰路に就いているワケである。
帰路、と言っても家であるマンションへのそれではなく彼女が向かうのは香取隊の隊室だ。
理由としては、訓練を口実に別れた香取のご機嫌取りをする為である。
今日は佐鳥と一緒にいたいという
このまま機嫌を悪化させ続けるのは後々の事を考えれば面倒極まりない為、今から埋め合わせをしに行く所なのだ。
香取への埋め合わせに、特別な何かは要らない。
単に自分が傍にいるだけで良いのだと、樹里は理解している。
そも、樹里は香取の事を疎んじてなどいない。
そのぐいぐい来る態度には辟易はするものの、大切な幼馴染であり失いたくない大事な人、という評価は一貫している。
今日は単に友情よりも男を取ったというだけで、樹里の側には香取を蔑ろにするつもりは微塵もない。
あくまでも樹里の側から見て、なので香取側がどう判断するかはまた別の話ではあるのだが。
「…………? なんか、あっちが騒がしいね」
その時。
ランク戦のブースが、妙に騒がしい事に樹里は気付いた。
その眼で視てみると、ブースの一角に人垣が出来ているのが分かる。
なんだろう、と気になって樹里は歩を進める。
そこには。
「…………空閑くん…………?」
「────────」
「────────!」
いつか見た、白い少年。
空閑遊真。
その彼が、どういう経緯かは分からないが緑川と対峙している光景だった。