「やあオッサム。奇遇だね」
「あ、王子先輩。ご無沙汰しています」
会議室を辞した後、帰路に就いていた修と偶然を装い遭遇したのは誰あろう王子である。
王子は普段通りの見掛け上爽やかに見える笑みを浮かべながら、何処か上機嫌に修に話しかけていた。
「聞いたよ。
「いえ、結局は10本勝負でストレート負けしてしまいましたし」
「謙遜する事はないさ。本来ならばきみが逆立ちしても勝てない相手に、きちんと一矢を当てる事が出来たんだ。その成果は、誇って良いものだよ」
そもそも、そうでなければ緑川がああも晴れやかな顔をしている筈がない、と王子は言う。
そう言われ、修は遊真と緑川が試合を行った後の一幕を想起する。
あれは、二人の10本勝負が終わった直後の事だった。
「三雲先輩、すみませんでした!」
「あ、いや、何の事?」
「先輩を大勢の前でボコって晒しものにしようとした事です。オレは────────」
緑川の突然の謝罪に、そもそも自分が置かれた状況そのものを把握していなかった修はキョトンとしながら彼の説明を聞いていた。
曰く、緑川は最初は風間と引き分けた隊員がいると聞いて興味を持って話しかけたが、自分が慕う迅さんに贔屓して貰っていると聞いて大勢の前でボコボコにして晒しものにしよう、と企んだのだという。
結果として修は緑川の目論見通りストレート負けしたのだが、それに怒った遊真が仕掛けたのが今の10本勝負なのだという。
流石にああまでボコボコにされ返されては頭も冷えたらしく、急に自分のやった事が恥ずかしくなってこうして謝りに来た、という次第なのだという。
修としてはそもそも噂が誇張されていたので、風間との戦いについても本当の所を知って欲しかったので丁度良かった、という事情もある。
ついでとばかりにこの場で周囲に聞こえるように「風間とは
傍から聞けば、19敗もした後にたまたま一度だけ引き分けただけ、となる為風間の事を良く知らないC級隊員はそこで興味を失ったのだろう。
無論、風間の実力を知る者からしてみれば冗談ではない。
B級に上がったばかりの、トリオンも低く戦闘技術も未熟な隊員にあの風間が引き分けとはいえ土を付けられた、という意味は相当に重い。
事情を知らなければ、風間が何か不調でも起こしているのかと疑うところである。
実際にそういう噂も立っており、それに踊らされて風間に挑んでしまった哀れな者達の末路は言うまでもないが。
「まあ、そういうワケだからぼくは気にしてないよ。貴重な経験をさせて貰ったしね」
「…………そうですか。えっと、そういえば聞きたかったんですけど。なんであの10本目で、オレの足に弾を撃ち込めたんですか? もしかして、9本目まで全部演技だったとか?」
修はこれ以上緑川の悪行を咎めるつもりはないと分かった為、緑川はかねてから気になっていた事を尋ねた。
彼から見て、修は自分の動きはまるで掴めていなかった筈だ。
その彼が何故、最後の一本で自分に攻撃を当てられたのか。
それが、不思議でならなかったのだ。
まさか、弱いのは演技で実は実力を隠していたのでは?
緑川がそう考えるのも、無理からぬ事と言えるだろう。
「いやいや、演技とかする暇なんかなかったよ。単に、
「…………え?」
だが。
修の返答は、そんな緑川の予想を斜め上に裏切っていた。
何処か寒気を覚えた緑川だが、なんて事のない事のように修は話し始めた。
「一回戦った時点で、普通に勝つのはまず無理だって事は分かったからね。だから、そこからは勝敗とか度外視して何とか君の動きのパターンを覚えようとしたんだ。お陰で碌に抵抗も出来ずに9本取られちゃったけど、それでなんとか最後の一回だけは反撃出来たんだ」
「────────」
風間さんの時は19本もかかっちゃったけどね、と苦笑する修に、緑川は何処か薄ら寒いものを覚える。
修のその感覚は、負けず嫌いな緑川からしてみれば異次元のそれであった。
普通、人は勝負ごとなら勝ちたいと思うのが当然だ。
当然であるが、それにも限度はあるし勝ち方というものもある。
実力の近い相手と勝って負けてを繰り返し、その果てにギリギリの勝利を掴む。
もしくは、格下の相手を気持ちよく蹂躙して勝つ。
勝負好きであれば、望むのはこのどちらかの筈だと緑川は考えている。
故に、一度限り一矢報いる為だけに結果的な負けを受け入れた上で9本も勝負を捨てるなど、普通ではない。
先程の戦いが、何が何でも負けられない戦いだったならば分かる。
しかし、あの戦いは単なる模擬戦の一つに過ぎず負けた所で何があるワケでもない。
そんな試合に対して、そこまで手段を選ばず一矢報いる為だけに動く事が果たして出来るか。
いや、出来るのだろう。
何せ、風間相手には19本もの勝負を捨てて20本目で引き分けに持ち込んだ人間だ。
10本勝負の勝ちを放り投げるくらい、普通にやる。
自分とは、見ている
明らかになった修の性質は、緑川を戦慄させるに充分なものであった。
「…………なんか、変な先輩だね」
「な、面白いだろ」
「ま、そうだね。じゃあ、これからよろしく。三雲先輩、遊真先輩」
「おう、よろしくな」
そして、否応なく修の強烈な個性を叩き込まれた緑川は速攻で二人に懐く事になり、後日隊外の人間に彼が懐いた事を知った草壁隊の隊長の草壁早紀が拗ねて不機嫌になった事もまた付け加えておく。
後々丸一日かけて草壁のご機嫌取りに終始する事になろうとは、現段階では予想もしていなかった緑川であった。
「成る程。風間さんの時も、グリリバの時も最後の一試合以外は全て見に回って攻略の糸口を見つけたワケか。これは、褒めないワケにはいかないな」
話を聞いた王子は、満面の笑みで修を褒め称えた。
修としては勝負自体には負けているのでそこまで誇れる成果ではないと思っているだけに、王子のこの反応は少々意外ではあった。
「あの、怒らないんですか? 結果的に勝ってもいないのに、それだけ負けを重ねて」
「何故怒る必要があるんだい? そもそも、風間さんも緑川も今の君じゃどう足掻いても一人じゃ絶対勝てない相手の部類だ。それに一矢報いただけでも素晴らしいのに、その為に勝負を捨てる覚悟までしたって言うんだから大したものだよ」
そもそも、と王子は続ける。
「確かに君の指導を請け負ってはいるけどね。君の行動に対して、ぼくは何かを言うつもりは一切ないんだ。君がぼくの指導で何を得たとしても、それの使い道についてどうこう言うつもりはないよ」
「えっと、それでいいんですか…………?」
「勿論。君が弱いのは分かり切っていたんだし、いちいち負けた程度で怒るのは違うだろう? それよりも、君が結果的に獲得した成果の方が余程大事さ。これについては君の感覚のおもし────────正しさを信じているから、今更言うまでもないけどね」
ニコリ、と王子は修に笑いかける。
どう返答して良いか分からず困っていると、いつの間にか傍にやって来ていた遊真がトントン、と修の肩を叩く。
「オサム、この人嘘は言っていないぞ。大丈夫だ」
「そ、そうか。って空閑、おまえジュース買いに行ってたんじゃ」
「だから買って帰って来た。はいこれ」
あ、ありがとう、と言いながら遊真の差し出したホットココアの缶を受け取り、修はそういえば、とこの白い少年を王子に紹介していない事を思い出した。
「あ、王子先輩。こいつは空閑って言って、ぼくのチームメイトです。空閑、この人は王子先輩で、ぼくの師匠なんだ」
「────────成る程、彼が君の
「これはご丁寧に。おれは空閑遊真です。いつも隊長がお世話になっております」
遊真はぺこり、とお辞儀をして王子に挨拶を返す。
初対面にも関わらずいきなり素っ頓狂な渾名を付ける王子ではあるが、遊真は「訛りか何かかな」と気にする様子はない。
修も王子のネーミングセンスの頓狂ぶりには既に慣れてしまっている為に突っ込む事を忘れていたのだが、結果的に双方のコミュニケーションに於いてさしたる問題は生じなかった。
王子の奇行を良く知るボーダー隊員からしてみると割と自然な流れではあるのだが、これが香取などであれば奇妙な渾名を付けられた時点で食って掛かっていただろう。
というか既にその一幕は経験済みであり、香取が王子を毛嫌いするのもそこが起点である。
身内のラインかそうでないかで明確に対応を分ける香取的には対して親しくもない相手に馴れ馴れしく頓狂な渾名を付けて呼ぶだけでギルティであり、カトリーヌなどと呼ばれた瞬間から王子の好感度パラメーターが一気にマイナスまで下降した事は言うまでもない。
遊真も修もそういった拘りは無い為、早くもこの場には突っ込み不在の不思議空間が出来上がっていた。
香取がこの場にいたらさぞ、突っ込みの嵐が起きていたであろう。
「君は、聞いたところによるとグリリバに圧勝したらしいね。入隊したてだと聞いているけど、何か身体を動かす経験でもしていたのかな?」
「まあ、そのようなところです」
「成る程、了解した。余計な詮索をするつもりはないから、安心して欲しい。君にも、オッサムにも勿論害意は無いと保証するよ」
「…………わかりました」
飄々としているように見えて鋭い王子の指摘を受けた遊真であったが、彼の様子を見た王子はすぐさま白旗を挙げて詮索をする気はない事をアピールした。
自分の正体を隠したい遊真としては下手な詮索をされるのは避けたかったので、これは素直にありがたい。
王子の与り知らぬ事ではあるが、遊真の
同時に王子の頭の回転の速さは遊真としても警戒するに値する代物であり、彼の心中のチェックリストの項目に早速王子の名が書き連ねられる事になったのであった。
「じゃあ、ぼくはそろそろ行くよ。今度、隊室にもおいで。三人分のお茶菓子を用意して待ってるからさ」
「はい、ありがとうございます」
じゃあね、と笑って王子はその場を後にする。
それを見送った修は相変わらずの王子の姿に苦笑し、遊真の方に振り向いた。
「…………なあオサム。オージ先輩に千佳の事言ってたのか?」
「あ、いや、言ってないけどどうしたんだ?」
「今、
「あ…………」
そういえば、と修は思い返す。
確かに今、王子は
しかし、修がチームメイトとして紹介したのはB級昇格が目前に迫る遊真だけであり、千佳の事はまだ話していない。
これはどういう事かと聞こうとするが、既に王子の姿は消えている。
予想外の事態に修が目を白黒させていると、遊真がはぁ、とため息を吐いた。
「なんか、頼りにはなりそうだけど良くわかんない先輩だな。オサム、気を付けろよ」
「王子。後輩からかうのも大概にせぇよ」
「やあみずかみんぐ。聞き耳を立ててたなんて良い趣味だね」
「阿呆、偶然聴こえただけやわ。お前と一緒にすんなや」
一方、修と別れた王子は向こうであわあわしている弟子の姿を想像して悦に浸っていると、呆れ顔の水上が声をかけていた。
水上は偶然最後の会話を耳にしており、その突っ込み体質からたまらず声をかけてしまったのが現状である。
「自分、カマかけてあの後輩の反応見てたんと違うか? 大方、例の壁ぶち抜き事件の子と関連あるか知りたかったとかそんな感じかいな」
「流石に鋭いね。そういうのも奨励会で磨いたのかな」
「ムカシの話はやめぇや。それとも伝え聞いたおまえの
「ぼくはそれでも構わないけど、此処は素直に謝るよ。揶揄したような形になってすまなかったね」
「なら最初からやるなや。波風立てんと気が済まん
まったく、と水上は盛大に毒を吐きつつ肩を竦める。
生駒隊の面々といる時よりも毒が強いが、外での彼は常時こんなものである。
無論、王子のエキセントリックさが言葉に込める毒が強くなっている原因である事は言うまでもないが。
「君だって、必要ならやるだろう? そのあたり、ぼくらは似た者同士だと思うけどね」
「面白半分でやるおまえと一緒にすんなや。
「目的を選ばないぼくと、手段を選ばない君とで過程は違うだけで本質はそう違わないと思うけどね。まあ、そこを議論すると多分殴り合いになるから止めとくよ」
傷は作りたくないしね、としれっと毒を吐く王子に水上はため息を吐く。
これで昔よりはまだ大人しくなったというのだから、かつて学校の面接で落とされるレベルの性格の尖り具合だった王子は一体どれ程だったかなど考えたくもない。
王子との会話はお互いに察しが良過ぎる所為でスムーズに進むが、双方の頭の回転が速過ぎて会話を楽しむ余裕がないので水上にとっては休息をしたい時にはなるべく遠ざけたい相手ではあった。
今回は王子のタチの悪さぶりに見ていられずに口を出してしまった時点で、自分の敗北だと言っても良い。
弟子を取って少しは丸くなるかとも思ったが、その程度では王子一彰の性格の奇特ぶりは一顧だにしないらしい。
こんな師匠を持って大変やなぁ、と心中で修の事を案じる水上であった。
今回の修は王子の指導があったので風間さんには20本目で何とか引き分けに出来ました。前作とは違って風間さんの修に対する興味度自体は原作とそう変わりないので、原作通りの策で認めてくれた感じです。