「────────樹里。隊室に来るのがこんなに遅くなった理由、ちゃんと説明してくれるんでしょうね?」
「葉子。わたし、別に来る約束とかはしてないよ?」
「折角入隊したんだからちゃんと会えないと寂し────────って、何言わせんのよこのスカポンタン…………ッ!」
はぁはぁ、と息を切らせながら香取は怒鳴り、樹里はそれを涼しい顔で受け流す。
此処は、香取隊の隊室。
樹里は遊真の試合を見た後、つい佐鳥との話に興じてしまい、大分遅くなってからこの部屋を訪れた。
かなりの時間が経過していたのでもういないかとも思ったが、香取は律儀にも樹里の事を待って隊室に残っていた。
無論、散々待たされた事で怒髪天を突いていたのは言うまでもない。
ようやく同じ部隊になれたというのにあまり隊室に寄り付かない樹里に対し、少しでも一緒にいられる時間を持ちたいと考える香取。
しかしそのアプローチが積極的過ぎた為に樹里は辟易してしまい、結果として一緒に過ごす時間が減っている、という本末転倒な事態に陥ってしまっていた。
そんな中、今日は樹里が珍しく「行っても良いかも」と言質を取らせてくれた日であり、密かにお菓子なんかも用意して歓待の準備をしていたのだ。
にも関わらず、樹里は散々こちらを待たせた上に悪びれた様子もない。
流石に期待値が大きかった分、この対応では香取の怒りも無理からぬ事と言えるだろう。
確かに樹里は「来る」と明言はしなかったが、逆に言えばそうとも取れる発言をした事は事実。
それを翻したも同然な樹里の態度には、流石に頭に来ていた香取であった。
「…………えっと、ごめん。その、うっかりしてた」
「ごめんで済んだら警察はいらな────────って、本気で反省してるっぽいわね樹里」
「…………うん。今回は流石に、わたしが悪いかな、って」
だが、長年の付き合いから樹里がその態度とは裏腹に本気で反省している様子を感じ取り、香取は矛を収めた。
これが他の人物であればこうはならないが、樹里は別だ。
彼女は昔から、言葉選びや対人に於ける態度が雑過ぎる側面があった。
なまじ感情が表に出難い性質なだけに、言葉選びを間違えると傍目から見れば煽っているようにしか聞こえない事も多い。
しかしその実樹里は恩義や友情に厚い性格をしており、自分に非があると認識すれば素直に謝れるだけの度量は持っている。
香取はそういった時の樹里の様子は見慣れており、今のようにこちらから目を逸らしている姿がそれだ。
特に悪いと思っていなければ、樹里はこちらを真っ直ぐ見たまま会話をする。
そうではなく香取と目を合わせないようにしているという時点で、樹里が今の状況を後ろめたく思っている証明となる。
樹里は表情の変化は乏しいが、感情表現自体は香取から見れば分かり易いのだ。
無論、これを話して同意して貰えるのは華と佐鳥くらいであると付け加えておく。
長い、もしくは深い付き合いのある相手でもなければそんな彼女の性質は見通せないし、その一見何事にも無頓着な様子からTPOを弁えない失礼な人間、と見られる事も少なくないのが樹里である。
今ではどうやら目上相手には慣れない敬語をぎこちないながらも使うくらいの事は出来ているが、幼い頃はそれすらまともに出来ていなかったのだ。
「仕方ないわね。けど、貸し一個よ」
「わかった。覚えておく」
そんな樹里がこうも素直に謝って来たとなると、香取からすれば許す以外の選択肢はないのであった。
こくりと頷く樹里を見て、香取は知らず破顔する。
よしよし、と自然な流れで樹里の頭を撫で始め、白い少女はされるがままになる。
普段であれば速攻で逃げている場面だが、遅刻の負い目がある以上無下にはし難い。
暫くの間、香取の手によってもみくちゃにされる樹里であった。
「葉子、髪ぐちゃぐちゃ。これじゃあ、外に出れない」
「少し梳いてあげるから待ってなさい。というか、そういう道具持ってないの?」
「持ってない。トリオン体になれば、一緒だから」
「ったく、仕方ないわね。少しは女子としての自覚を持ちなさいっての」
ひとしきり撫でまわして満足した香取は、自分が乱してしまった樹里の髪を整えるべく準備を始めた。
後先考えずもみくちゃにした所為で樹里の髪は結構凄い事になっているが、香取も年頃の女子高生の一人である。
身だしなみを整える道具程度は当然の如く常備しており、実は樹里に使う為の予備もある。
香取は懐から櫛を取り出し、樹里の髪を梳き始めた。
これは何とかして樹里との時間を過ごしたいと考えていた香取が用意していたアイテムの一つであり、今回髪をもみくちゃにしたのはこれを使う為の前準備のようなものだ。
勿論、綺麗な樹里の髪を思う存分触りたいという欲求に従った結果であるのは事実だが、それはそれとしてちゃっかり次の行動へ繋げる布石を打つあたり中々に計算高い。
この場に華がいればジト目で指摘するだろうが、今日彼女は用事で不在である。
華の事も大好きな香取ではあるが、こうして樹里と二人きりで過ごせる時間も悪くはない。
借りて来た猫のように大人しくなっている樹里を椅子に座らせながら、満面の笑みで髪を梳いていく香取であった。
「…………ねぇ、樹里。
「まだ、なんとも言えないかな。でも、葉子の為にも頑張るから」
「馬鹿ね。別に、アンタを勧誘したのは戦力が欲しいからってだけじゃないっての。ただ傍にいてくれるだけでも、充分ありがたいんだからさ」
人の眼がないからか、もしくは腕の中の少女の感触に安心したのか。
香取は素直に、樹里に己の本心を口にする。
彼女が樹里を隊に誘い続けたのは、当然ながら戦力増強の目的などではない。
そういった側面が皆無とは言わないが、一番重要だったのは大事な幼馴染と再び一緒の時間を過ごす事だ。
入隊の誘いはその為の手段に過ぎず、香取としてはこうして樹里が同じ場所にいてくれるだけで充分なのである。
「でも、やるからには勝たないと。でしょ?」
「分かってんじゃない。それはそれ、これはこれよ」
とはいえ、勝利への欲求が無いワケではない。
樹里が一緒にいてくれるだけで嬉しいのは確かだが、それはそれとして勝ちを狙いにいくのは当然の事だ。
同じく負けず嫌いな少女二人にとって、一度戦場に立ったのならば勝ちを狙うのは至極当然の事なのである。
樹里が加入して一気に戦力が増強されたのは事実なので、戦うとなればこれまで以上の成果を目指す事に異論などないのだ。
「だから、頑張る。これまで迷惑かけた分は、ちゃんと返す。それが、わたしに出来る筋の通し方だから」
「あんま気負い過ぎなくて良いけど、やるってんなら歓迎するわ。最終目標は、打倒二宮隊よ。あのスカした面、絶対に歪ませてやるんだから…………!」
「ん。賛成。二宮さんは面倒な人だし、一度勝ってスッキリさせよう」
そして、当然その最終目標はB級一位部隊二宮隊の打倒である。
先日の樹里との試合では世話になった相手ではあるが、その間浴びせられた二宮の暴言の数々を香取は忘れていない。
あの時は樹里との
そんな相手を一泡吹かせようというのは香取からすれば当然の思考であり、これには樹里も賛同を示した。
彼女からすれば二宮は一度技術を師事した相手ではあるものの、弟子を辞めてからも色々口出しをして来る面倒な相手であり、そのうちギャフンと言わせてみたい、という想いはあったのだ。
香取とも目標が重なる為、打倒二宮隊に対して否はない。
実現は果てしなく困難を極めるだろうが、やってやれないとも思っていない。
何せ、樹里の側からしてみても二宮隊は、自分が良く思っておらず見下していた若村に彼女を打倒する術を授けた相手なのだ。
あの若村相手に土を付けられたという屈辱は消えておらず、そのヘイトは当然ながら二宮隊にも向いていた。
樹里は細かい事を気にしないように見えて執念深い性質も持っている為、一度恨みを買うと面倒な事になるのである。
今回のそれは、そんな彼女の性質が如実に表れた結果と言えるだろう。
「だから樹里、仲良くしろとは言わないけどウチの麓郎や雄太ともちゃんと連携しなさいよ? アンタ、あいつ等とは殆ど話す素振りないじゃない」
「面倒。あの二人は、露払いだけして貰えれば良い。細かい連携とか、どうせ無駄」
「アンタ、そうやって見下してたから麓郎にやられたんでしょうが。もう忘れたワケ?」
「あれは若村先輩にやられたワケじゃないし犬飼先輩の入れ知恵が功を奏しただけだから若村先輩個人の力に負けたワケじゃないからノーカン」
ぷい、っと樹里はそう言ってそっぽを向く。
彼女からしてみてもあの敗北は屈辱以外の何物でもなく、意地になっている部分があるのは否定出来ない。
樹里は元々、自分を差し置いて香取の傍にいる(樹里視点)若村の事が非常に気に入らなかった。
気に入らない相手はナチュラルに見下すのが樹里であり、若村自身が隊に一切貢献出来ていなかった事実もまたそれに拍車をかけていた。
その結果があの敗北に繋がったという面は、否定出来ない。
完全にノーマークだった相手だからこそ、あの奇襲が成功し樹里は土を付けられたのだ。
それ自体は理解はしているが、感情として納得出来るかはまた別の話である。
理屈として分かるからと言って、頑固で負けず嫌いな彼女がそれを早々に認められる筈もないのであった。
「ったく、相変わらず変なトコで頑固なんだから」
「頑固じゃない。当然の事を言っただけ」
「それが頑固で意地張ってるって言ってんのよこのスカポンタン。あんなでもアタシのチームメイトなんだし、ちゃんと連携くらいしなさいよね」
「それ、葉子が言う?」
「アタシは良いの。エースなんだから」
「わたしも、実力的にはエース。だから問題なし」
ふふん、と胸を張る樹里に対し、その割とボリュームのある胸部を見て香取は頬を引き攣らせた。
トリオン体の胸を盛っているくらいには見栄えを気にする香取にとって、この幼馴染の案外発育の良い肢体は悩みの種である。
ただでさえ浮世離れした美貌で目立つというのに、その上スタイルまで良いと来れば不埒な視線をどれだけ集めるか分かったものではない。
それはそれとして、女としてのプライドが今の樹里は看過出来ぬ、と判断したのも事実。
香取はがしり、と樹里の胸を引っ掴み、ギリギリと引っ張り始めた。
「ひゃう…………っ!? 葉子、痛い。セクハラ」
「そう思うならこれみよがしに胸張るな馬鹿…………! あとアタシも女なんだから良いの…………!」
「…………葉子、もしかしてわたしに欲情した?」
「んなワケあるかこのスカポンタン…………っ! それどっから吹き込まれた戯言よあの男だとか言ったらただじゃおかないからね…………!」
誤解を解く為胸から手を放しながら、香取は頓狂な事を口走った樹里を睨みつける。
少々庇護者的な視線で樹里を見ていた香取としては、彼女に碌でもない知識を吹き込む輩がいるというのは看過出来ない。
誤解されるような行動を取ったのは香取が先だが、そこは当然の如く放り投げているので問題ない。
今はただ、彼女に変な知識を吹き込んだ輩を突き止めるのが先決である。
「綾辻先輩がそういうのもある、って言ってた」
「…………予想外なトコが来たわね」
しかし、相手があの綾辻と知って香取はう、と難しい顔をする。
綾辻はボーダー内でも人気の高い、嵐山隊のオペレーターだ。
広報部隊の女性陣の一員という事で対外的にも有名な彼女は、優しい年上のお姉さんとして三門市民に親しまれる嵐山隊の顔の一つである。
これが戦闘員であれば殴り込みにもいけたのだが、流石にオペレーター相手ではそんな真似は出来ない。
というか、そもそも綾辻に敵対する、というリスクは普通の思考をしていればまず取れない。
そんな真似をすればどれだけ大勢の敵を作るか分からず、それが理解出来ない香取ではないからだ。
綾辻のキャラからして何処かで偶然知った知識を口にしただけなのだろうという事も、香取を思い留まらせる材料となる。
仕方なく、香取は今回の件に関しては矛を収める事にしたのだった。
(連帯責任で、後で木虎をボコすわ。その為には、もっと強くならないと)
否。
矛を収めるのではなく、八つ当たりの対象を変えただけである。
木虎相手にそう簡単に勝てるとは思わないが、絶対に届かない相手だとも考えていない。
今は刃を磨き、いつか来るリベンジの時に備えよう。
そう誓い直し、香取は一先ず溜飲を収めた。
「葉子、したいの?」
「はぇ…………っ!!?? いいいいいいや何言ってんのよこの馬鹿樹里…………っ!!」
だが、何を思ったのかとんでもない事を口走った樹里を見て、思わず香取は顔を真っ赤にする。
人知れず変な扉を開きかけ、意思の力で強引に閉じた香取。
それから暫く、「アタシはノーマル。アタシはノーマル」とひたすらに呟き続ける香取の姿があったのだった。