香取隊の狙撃手   作:デスイーター

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侵攻前夜

 

 

「やあ、三輪。此処は寒いよ」

「…………迅か」

 

 ボーダー本部、屋上。

 

 その縁に腰かけていた三輪は、突然声をかけて来た人物に胡乱な眼を向ける。

 

 屋上に入り口に立つのは、迅悠一。

 

 黒トリガー風刃を手放しA級隊員とはなったが、今尚ボーダーにとってなくてはならない人物であり。

 

 三輪が、憎悪を向けていた人間だった。

 

 彼は四年前の大規模侵攻の際、胸に穴の開いた姉を抱えた三輪の前に現れ、何も言わずに立ち去った。

 

 それ故に三輪は迅が自分を、姉を見捨てたと考えて近界民(ネイバー)と同じように憎悪の対象としていた。

 

 三輪にとって迅は姉を見殺しにした卑劣漢であり、あろう事か親近界民などという戯れ言を宣う玉狛支部の一員である。

 

 組織人としての立場を優先して日頃から敵対行動を取るような真似こそしなかったが、彼が迅の事を嫌っている事はある程度三輪を知る者であれば誰もが知っていた。

 

 故に、この場での三輪の対応は無視か拒絶の二択のみ。

 

「…………何の用だ」

「少し、相談があってね。聞いてくれるかな?」

「…………良いだろう。オレも、お前に聞いてみたい事があった」

 

 だが、それはあくまでもあの黒トリガー争奪戦以前の話である。

 

 あの戦いを契機に、三輪の心境に変化が生じたからだ。

 

 ────────甘く見ている、って事はないだろう。迅だって母親を近界民に殺されているし、師匠の最上さんを始めとした旧ボーダーの面々だって大勢亡くなっている。近界民の脅威は、誰よりも迅が分かっている筈だ────────

 

 想起するのは、あの戦いの直後に嵐山から告げられた内容。

 

 曰く、迅もまた近界民によって母親や仲間を殺されているという事実。

 

 その内容は、三輪の心を大きく乱す事になった。

 

「嵐山さんから、お前は母親や仲間を近界民(ネイバー)に殺されていると聞いた。それは事実か?」

「…………あー、成る程。それで前に視たお前の態度が変わってたのか。嵐山の奴も、余計な気を回しちゃったか」

「質問に答えろ」

「答えはイエスだよ。これで満足かな?」

「…………っ! 満足か、だと? そんなワケがないだろう…………っ!!??」

 

 それは即ち、迅は近界民の脅威を知りながら今の立場を取っている、という事に他ならない。

 

 これまで三輪は、迅は近界民の本当の脅威を知らないからこそ、親近界民などというふざけた主張を掲げているのだと思っていた。

 

 しかし、実態は真逆。

 

 迅は充分以上に近界民の危険性を知りつつも、敢えて親近界民としての立場を標榜し続けている。

 

 一体、何を考えてそんな真似をしているのか。

 

 さも当たり前のように問いを肯定した迅に、三輪は感情を爆発させた。

 

「お前も、近界民に大切な人を奪われたなら分かるだろう…………っ!?  あいつ等は敵だ、この世界の乱す害虫だ…………っ! なのに何故、お前は親近界民などという戯言を口にし続けるのだ…………っ!?」

「それが必要だからだよ。この場合、オレ個人の感情は関係ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()こそが、一番重要な事柄だからね」

「…………っ!」

 

 しかし、迅の見せた顔を目の当たりにして三輪は息を呑む。

 

 常の、飄々とした作り笑いではない。

 

 今、一瞬見せた迅の貌は。

 

 泣き笑いのような、悲痛な想いがその表情に滲み出ていた。

 

「確かに近界民(ネイバー)による侵攻は、この世界を脅かしている。決して放置は出来ないし、侵略者にかける情けも必要ない。けれどそれは、近界民全てを敵視すべき、という事とイコールではないんだ」

「どういう…………っ!?」

「簡単だよ。この世界にある多くの国々と同じでね。近界(ネイバーフット)も侵略や搾取しか考えていない国もあれば、条件次第でこちらと協力出来る国もある。だって、近界民っていうのは単に住む世界が異なるだけの()()なんだからね」

「な、に…………っ!?」

 

 近界民が、人間である。

 

 その言葉を聞いた時、三輪は驚きに眼を見開いた。

 

 彼とて、ボーダーのA級隊員である。

 

 ()()近界民という、自分達と変わらない姿を持つ近界民が存在する事自体は知っているし、そいつ等がトリガーを扱う難敵である、という事も情報自体は知っている。

 

 されどそれはあくまでもトリオン兵と同列の外敵であり、交渉の余地どころか対話の必要すらない駆除対象であると認識していた。

 

 だが。

 

 今の迅の話では。

 

 近界民という種族そのものが、近界という異世界に住むという相違点を持つだけの人間であると。

 

 三輪には、そう聴こえてしまったのだ。

 

「近界民が、人間だと…………?」

「ああ、近界民っていうのは文字通り近界に住む民、つまり人間の事でね。トリオン兵は彼等が作った人形兵器であって、それを操る者達には明確な人としての意思がある。それこそ、オレ達と変わらないものがね」

「人間だというのなら、何故あんな非道を行える…………っ!? 街一つ瓦礫と化した上に多くの人々を殺し、拉致していったんだぞ…………っ!?」

「それは、この世界でもままある事だろう? 侵略戦争っていうのは、反撃で痛手を被る恐れの少ない相手から徹底的に搾取する為に軍を動かすものだ。要するに、かつて植民地にされた国々のようにこの世界は多くの近界国家から()()()()()()()()()()と見られていたってだけだよ」

「…………!」

 

 三輪は、決して愚昧な少年ではない。

 

 むしろ聡明な部類に入り、だからこそ迅の言う事を理解してしまう。

 

 この世界が近界によって大規模な略奪を許したのは、ただ()()()()()()()()()()というどうしようもない理由であったのだと。

 

 かつて、植民地の憂き目にあった国々と同じだ。

 

 列強国によって植民地化され搾取された無数の国々と同じように、近界から見たこの世界は楽に略奪が出来る弱国と見られたが為に、あのような非道を許してしまったのだ。

 

 平和とは、抑止力がなければ成り立たない。

 

 もしも一国に力が集中し、他の国が何をしようが無視出来るようなパワーバランスの崩壊が起きてしまった場合。

 

 その先にあるのは、強国による他国の侵略と搾取の地獄だ。

 

 この世界は、トリオン兵に抗う力がなかった。

 

 近代兵器の一切が通用しないトリオン兵に対して、この世界の戦力は何の意味も持ちはしなかった。

 

 四年前、被害が三門市だけに留まったのは迅達旧ボーダーがトリオン兵を撃退したからだ。

 

 それがなければ恐らく、より深刻な被害が撒き散らされていたに違いない。

 

 迅を憎悪していた三輪とてその事くらいは承知しており、だからこそ分かってしまう。

 

 彼の、迅の言葉には矛盾がなく、近界民が人間である、という信じがたい発言も。

 

 また、真実であるのだろうと。

 

 そう、理解してしまったのだ。

 

「本来、この事は基本的にボーダー隊員には周知されない事になっている。相手が人間と分かれば刃が鈍ってしまう者もいれば、後々心に影響が出て来る者もいるだろうからね。だから、ボーダーでもこの事を知る者は少ない────────────────遠征に行った事のある人たちは、例外だけどね」

「…………!」

 

 そして。

 

 遠征に行った者達、即ち太刀川達はその事を知っていると聞かされ、三輪は眼を見開いた。

 

 三輪は以前、遠征へ行きより多くの近界民を殺してやろうと考えた事があった。

 

 そう考えて幾度か遠征試験を受けはしたが、彼の部隊が合格通知を貰う事はなかった。

 

 中には確かな手応えを感じた試験もあったものの、ついぞ彼が遠征の切符を手にする事はなかった。

 

 今思えば、あれは。

 

 自分が近界に行って無軌道に近界民を殺す事を懸念したが故に落とされたのではないか、と思案する。

 

 確かに、自分が近界民を前にして手を出さずにいられるとは思えない。

 

 そもそも、三輪にとって近界とは「害虫の棲み処」だ。

 

 そこでどのような破壊が起ころうと知った事ではなく、もし近界に向かえば周囲の被害すら考えずに戦ったであろう事は自分でも分かる。

 

 そんな自分だからこそ、試験を落とされたのではないか。

 

 今の三輪には、そんな客観視が可能となっていた。

 

「…………オレが遠征に一度も行けなかったのは、無差別に近界民を害されてその国との関係が悪化する事を懸念したからか?」

「おれは当時の試験官じゃないし、そこは分からないな。けれど、可能性はある、とだけ言っておくよ」

「…………そうか」

 

 迅の言い回しに自分の推察が事実に近いと感じて、三輪は大きく溜め息を吐いた。

 

 以前の三輪であれば、「そんな筈はない!」と人に食ってかかっていただろう。

 

 しかし黒トリガー争奪戦を経て客観視が可能になった今の三輪は、冷静に事実を受け入れる事が出来ていた。

 

 近界民への憎悪は、変わらない。

 

 街を壊し、姉を殺した者達を許すつもりは微塵もない。

 

 だが。

 

 だからといって闇雲に刃を振り回せば解決する程この世は簡単には出来ていないのだという事に、彼はようやく気が付いた。

 

 三輪は、自分が無敵でもなんでもない事を知っている。

 

 今でこそ城戸司令の懐刀のような立場を得たが、四年前の彼は無力に泣き叫ぶだけの一般人に過ぎなかった。

 

 力を得た今でさえ、黒トリガー争奪戦に於いて完敗を喫している。

 

 そんな自分一人が頑張ったところで、出来る事などたかが知れている。

 

 迅もまた、自分一人で何もかも巧く出来る、とまでは思ってはいまい。

 

「…………お前が親近界民を標榜するのは、交渉可能な近界国家の協力を得る為か?」

「まあ、概ねそう思ってくれて構わないよ。どちらにしろ、この世界一つだけじゃ力が足りないにも程があるからね。友好国の協力は、必要不可欠と言って良い。これから先、この世界を守り続ける為にはね」

「…………そうか」

 

 だからこそ迅は、恨んでいる筈の近界民とすら手を組み、その立場を標榜しているのだろう。

 

 遊真とレプリカが齎したあの光景を見た今となっては、理解出来る。

 

 近界民が一人協力するだけで、あれだけの情報が入手出来たのだ。

 

 これが一国の協力ともなれば、そこから得られるメリットは計り知れない。

 

 迅の話だけでは、三輪は此処まで理解は出来なかっただろう。

 

 しかし、今の三輪は近界民である遊真の齎した情報の膨大さと重要性を知っている。

 

 遊真が齎した多くの知識が、三輪にそう考えさせるだけの根拠となっていた。

 

 それだけ、あの時の光景は三輪の眼に焼き付いていたのだ。

 

「…………取り敢えず、話は理解した。それから、一つ聞かせろ────────────────あの時、姉さんはもう手遅れだったのか?」

「…………ああ、君のお姉さんの未来は()()()()()()。他の、死んでしまった人たちと同じように」

「…………そうか。見当違いの憎悪を向けて、すまなかった」

「いいや、謝るのはこちらだよ。おれは、君のお姉さんを救えなかった。それは、変わらないんだからね」

 

 三輪は迅の言葉に、何も言えなくなる。

 

 あの時、既に姉が手遅れであったのならば、迅が立ち去ったのは単にもう助けられない事を知っていたからに過ぎない。

 

 その可能性を理解しながら、姉の死の責任を無意識に迅に被せる事で三輪は己の心の安定を図っていた。

 

 それをようやく自覚した今になっても、迅は自らの態度を変えようとしない。

 

 迅の自罰性が相当なものだと気付いたが、自分にかけてやれる言葉は無いと三輪は口を噤んだ。

 

 それはきっと、自分に言う資格は無いのだろうからと。

 

(迅は、これだけのものを背負いながら前を向き続けられるのか。まったく、これ程自分が情けなく思えて来るとはな)

 

 三輪は内心で自嘲し、溜め息を吐く。

 

 こうまで三輪の態度が軟化したのは、偏に迅の抱える重みを性格を知れたからだ。

 

 母親が近界民に殺された、と聞いただけではこうはならなかっただろう。

 

 単に「奴も同じ穴の貉だった」という認識を持ち、表面上の態度は変わらなかった筈だ。

 

 しかし、三輪は嵐山から迅は母親だけではなく、大勢の仲間すらも近界民によって失っている事を聞かされていた。

 

 故に、自分の抱える重みよりも更に重く苦しいものを迅が抱えているのだと、三輪は理解してしまった。

 

 にも関わらず、自身の感情ではなく全体の利益を考えて行動する迅に尊敬の念を抱いたのである。

 

 無論、それを口に出せる程三輪は素直ではない。

 

 されど、彼の中の迅への感情のベクトルが明確に変わったのは確かなのだった。

 

「相談がある、と言っていたな。今までの借りもある。聞くだけなら聞いてや────────聞きます」

「今更無理に敬語を使わなくても良いって。それでね、物は相談なんだけどさ────────」

 

 そこから、三輪と迅の二人の会話が続いた。

 

 話した内容は実務的なものだが、それは今までの二人からすれば考えられない光景と言えた。

 

 三輪の眼から迅への憎悪、敵意は消え。

 

 対等な仲間として、迅の話を傾聴していた。

 

「────────話は分かった。協力はしてやる」

「ありがとう。助かるよ」

 

 じゃあね、と迅は三輪に背を向ける。

 

 話は終わった、とばかりに彼は屋上の扉へ向かう。

 

 もう、話す事はない。

 

 そう、彼の背が語っていた。

 

「迅」

 

 そんな迅の背に、三輪は思わず声をかける。

 

 言った後に後悔の念が押し寄せるが、既に賽は投げられた。

 

 ならばと、三輪は開き直る事を決意した。

 

「一つ、言っておく」

「何かな」

「…………オレに言う資格はないかもしれないが、一つだけ言っておく。お前だけで、全部巧くいくと思うな。お前が思う程、ボーダーは弱くない」

「────────」

 

 迅の眼が、驚愕に見開かれる。

 

 まさか、三輪からこんな言葉をかけられるとは思いもしなかったのだろう。

 

 目をぱちくりさせた迅が妙に面白くて、三輪は含み笑いを漏らす。

 

 迅相手に、このような心境になろうとは。

 

 現実とは分からないものだな、と三輪は自嘲した。

 

「…………そうだね。本当に、その通りだ。ありがとう。目が覚めた気分だよ」

「…………ふん、近くに大規模侵攻があるんだろう? だというのにお前が腑抜けたままじゃ、被害が拡大しかねないからな。オレはそれを懸念したまでだ」

「はは、それもそうだね。じゃあ、さっきの件はよろしく頼むよ。おれも、おれに出来る最善を尽くすからさ」

 

 迅はそう言って、笑って屋上を後にした。

 

 三輪は何処かおかしくなって、くすりと笑みを漏らす。

 

 それは、きっと。

 

 彼にとって本当に久しぶりの、心からの笑みだったように思う。

 

 三輪は何処か晴れやかな気持ちで、曇天の空を見上げていた。

 

 

 

 

「────────準備は整った」

 

 近界、遠征艇内部。

 

 狭い室内に誂えられたテーブルを囲むように、6人の黒装束が座っていた。

 

 その者達には一人の翁を除いて全員に頭部に異形の角が生えており、その容貌はまるで御伽噺に出て来る鬼のようですらあった。

 

 角の生えた黒装束の者達の中で、青い髪をした青年は。

 

 ハイレインは、室内に集まった面々を見渡し口を開く。

 

「明日の昼より、作戦を開始する。基本的な最優先目標は、金の雛鳥の発見と確保だ。但し、雛鳥の鹵獲も並行して行う。お前達には、派手に暴れて貰う事になるだろう」

 

 そこまで言うとハイレインは傍に座っていた杖を持つ老人の方を向き、声色を変えて告げる。

 

 部下へ下す命令から、敬うべき上位者に対する敬意を込めたそれへと。

 

「ヴィザ翁、もしもの時は頼みます」

「承知致しました。私なりに、微力を尽くすと致しましょう」

 

 ハイレインの言葉に、翁が頷く。

 

 彼こそは、軍事国家アフトクラトルの剣聖。

 

 名を、ヴィザ。

 

 老齢に至りながらも今尚戦場で剣を振るい恐れられる、人の形をした剣鬼の姿がそこにあった。

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