「王子先輩、このトリオン兵は一体…………っ!?」
「…………樫尾、下手に動かないでね。これは、普通のトリオン兵じゃなさそうだ」
王子は樫尾の呼びかけに応えつつも、視線の先にいる兎を
通常、トリオン兵は人の捕獲、もしくは邪魔者の排除という役割を帯びている為、鹵獲対象である人間よりも巨大にデザインされている。
多くの人々が知る一般的なトリオン兵であるバムスターがその最たるものであり、あれは抵抗の手段のない者達を地形や建造物を無視して追い込み、攫う為の代物だ。
巨大質量、というものはそれそのものが武器となり、事実四年前の大規模侵攻に於いてはバムスターこそが最も大きな破壊と人的被害を撒き散らした。
しかし、無抵抗な相手を拉致する事に特化したバムスターは、トリガーを扱える者にとっては鈍重で碌な攻撃手段を持たない雑魚に過ぎない。
C級にとっては鬼門であるモールモッドであっても正隊員であれば油断をしなければ大抵は負けない相手である為、多くのボーダー隊員にとってトリオン兵の脅威とは質ではなく数である、という認識が一般的である。
だが、目の前のトリオン兵はそのサイズからして異様だった。
比較的小型なモールモッドでさえ相対すれば見上げるような巨躯であるというのに、このトリオン兵は大型動物程度の大きさしかない。
ならばモールモッドと同じく戦闘用なのか、とも思いはしたが、それにしては目に見える武器が存在しない。
モールモッドのブレードのような、明らかに相手を殺傷する為の外装が、この異形の兎には見当たらない。
加えて、明らかにこちらの眼を掻い潜る目的で配されたであろう他のトリオン兵の内部、という格納場所。
これだけ手間をかけて戦場に投入したトリオン兵が、単なる雑魚であるとは到底思えなかった。
(もしかして、忍田本部長の話にあった
そして。
その考えを裏付けるような話を、王子は事前に忍田から聞いていたのだった。
────────確定情報ではないが、今回の侵攻に未知の新型トリオン兵が出て来る可能性がある。その場合はすぐに司令部に報告した上で無理のない範囲で時間稼ぎに徹し、A級もしくはA級相当の実力を持つ部隊の到着を待つか、場合によっては撤退も視野に入れてくれ。このトリオン兵は────────
(────────ボーダー隊員の捕獲を目的としている可能性が高い、だったか。もしそうなら、迂闊な真似は取り返しの付かない結果を招くな)
王子は忍田の話を思い返し、チラリと隣に立つ樫尾を見る。
彼は少々融通の利かない面こそあるが、真面目で好感の持てる性格の大切な部下だ。
王子にとって掛け替えの無い仲間であり、それは後方で様子を伺っている蔵内も同様だ。
それを失うような事態には、断じて陥ってはならない。
しかし、即座に尻尾を巻いて逃げては碌な情報のないこのトリオン兵によって他の隊員が捕まる可能性が出て来る。
ならば、取るべき手段は決まっていた。
「樫尾、
「了解しました!」
距離を取りながら、中距離戦闘に徹して情報を集める。
それが、この場での最適解だと王子は判断した。
そして、一番重要な連絡も彼は欠かさなかった。
「本部、トリオン兵の残骸より未知のトリオン兵が出現。これより遅滞戦闘を開始します」
「王子隊、香取隊、諏訪隊、荒船隊が新型と思われるトリオン兵と遭遇。戦闘状態に突入しましたっ!」
「最寄りのA級部隊に連絡し、至急現場へ向かわせろ。交戦している部隊には、以前話した通り可能な限り時間稼ぎに徹しろと伝えてくれ」
「了解!」
報告を受けた司令部にて、忍田は沢村を通じて各地に指示を飛ばしていた。
しかし、その眉間には皺が寄っている。
彼は懸念していた展開の発生に、頭を悩ませていた。
(三雲くんからの進言で、攻めて来るのはアフトクラトルである可能性が高いというのは分かっていた。しかし確たる証拠がない為結局のところ大筋の作戦自体を変更する事は出来なかったが────────────────それでも、可能な限りの策は講じてある)
アフトクラトルには新型の強力なトリオン兵が存在する、という話は遊真に聞いて知っていた。
それがトリガー使いを捕獲する用途に使われる、と聞いた時点で忍田は緊急脱出機能のないC級隊員を避難誘導に用いるのではなく、基地での待機を命じるよう城戸に訴えた。
しかし、侵攻がいつ起こるのか詳細な時間帯が不明である以上、速やかに一ヵ所にC級隊員を集める作業は困難だ。
基地への待機を命じるにしても、いつ侵攻が起こるか不明な以上学校を休んで貰う等の手続きが必要となる。
その場合迅の未来視の事を開示出来ない以上、学校側への納得のいく説明を行う事が困難である事も痛い。
事実、侵攻は平日の日中────────────────即ち、多くの隊員が学校にいる時間帯に発生した。
そこから本部へ向かう為には当然ながら膨大な数のトリオン兵が湧き出ている警戒区域を通らねばならず、非常通路を使うにしてもそこまでの道筋でトリオン兵と鉢合わせになる可能性が高い。
それらを理由に城戸は最終的に「C級隊員は市街地でB級下位部隊と共に避難誘導を行いつつ、いざという時はB級下位チームが時間を稼いでC級隊員は即時撤退する」という方針に決定した。
B級下位部隊は当初バムスター等の雑兵の駆除に当てる予定であったが、それよりもC級の先導者としての役割を担った方が良い結果を生むと判断された。
嵐山隊の市内残留や、街の外へ行きがちな加古等が市内に留まっていた事で、B級下位部隊をC級の引率に回す事が可能になっていた事も大きい。
これらの動きは恐らく迅の根回しであると考えられ、C級全員をいつ来るか分からない侵攻の時まで基地に待機させ続けるのが実質不可能である以上はこれが最良であると、最終的には忍田も賛同した。
忍田本人も自分が無理を言っていた自覚はあった為、合理的な理由もあった事からこの措置に納得したのだ。
とはいえ、実際にこうして新型トリオン兵が出て来たとなると警戒度をより一層高めなければならない事は間違いない。
遊真やレプリカも新型トリオン兵────────────────ラービットの詳細な機能までは知らないとの事だったので、「A級でも単騎では負けかねない程強い」という事しか分からない、というのが現状である。
故に情報を集める為、各部隊の隊長には新型の存在とそれが出て来た時の対応については伝えてあった。
つまり、時間稼ぎによる遅滞戦闘を行い相手のデータを収集せよ、と。
未知のトリオン兵という事で、どの程度の
まずはそれを引き出さなければ、虎の子のA級隊員すら返り討ちに遭いかねない。
それを防ぐ為にも、現在ラービットに相対している部隊には何とか抗戦して情報を集めて貰う必要がある。
難しい役目だが、決して不可能な筈はないと、忍田は判断していた。
「頼んだぞ。君達なら、やれる筈だ」
「もしかして、こいつが新型…………? ブサイクね」
「そうだね。兎じゃなくて、宇宙人みたい」
「いや、んな事言ってる場合じゃねぇだろ…………っ!? っていうか葉子、お前これが何なのか知ってんのか…………っ!?」
一方、ラービットと相対した香取隊は何処か気の抜けた会話を繰り広げていた。
そんな二人に若村は思わず突っ込みを入れるが、表面上の様子とは異なり香取も樹里も全く油断はしていない。
目の前の怪物が警戒すべき脅威である事など、二人はとうに理解しているのだから。
『────────!』
「…………っ!」
「え…………?」
故に、その奇襲にも対応出来た。
隙を突き、若村へ向けて突進するラービット。
それを察知した香取が、若村の首根っこを掴んでグラスホッパーを展開。
即座にジャンプ台を踏み込み、若村を引っ張り跳躍。
その一瞬後に、彼女達のいた場所にラービットがその巨体で突っ込んで来た。
一瞬対処が遅れていれば、あの巨腕は間違いなく若村を捕捉していただろう。
それだけ、目の前の新型の動きは驚異的だった。
「ったく、あれがヤバいのは見りゃ分かるでしょうが。油断してんじゃないわよ」
「す、すまん」
「やっぱり、まだまだだね。それじゃあ、不合格」
「樹里は余計な事言わなくていいから。どんだけ素直じゃないのよ、アンタ」
自分の置かれていた状況を遅れて理解した若村は素直に謝罪し、すかさずそれを樹里が揶揄して珍しい事に香取がそれを窘めた。
一見コントのようにも見える絵面ではあるが、香取達が一切の油断などしていない事は今の動きで証明された。
自分こそ覚悟が足りなかったと、若村は気を引き締め直す。
(何やってんだ、オレ…………ッ! 変わるって決めたんだから、足引っ張ってどうすんだよ…………っ! こいつ等が凄ぇ事なんて、とっくに分かってた話だろうが…………!)
若村は、気付いていた。
以前は好き勝手振舞っているように見えた香取が、その実彼女独自の感覚によって言わずとも最適解を選び取ろうと動いている事に。
彼女が行って来た独断専行はその実、香取自身の類稀なる鋭敏な感覚により察知した最適行動である、という事実にようやく彼は気付いたのだ。
それに自分が気付けなかったのはそれだけ自分と香取の間には圧倒的な才能の開きがあるという証明でもあり、最初に理解した時には凹んだものだ。
しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。
今、自分達の目の前には未知のトリオン兵が戦闘態勢となっている。
たった今見せた動きからするに、若村個人では歯が立たないのは分かり切っている。
もしも単独でこの怪物に遭遇したならば、彼に生き残る芽などなかっただろう。
「で、どうするんだ? こいつが何なのか、知ってんのか?」
────────────────この場に、香取隊が揃っていなければ、の話ではあるが。
今此処には、頼りになると理解した自隊のエース兼隊長と、新たに加入したA級クラスの実力を持つ狙撃手がいる。
彼女達が共にいて何とかならない事など早々ないのだと、若村は学んでいた。
そんな、彼の考えが伝わったのだろう。
何処か誇らしく笑みを浮かべ、香取は口を開いた。
「何日か前に本部長から、「A級並みに強いトリオン兵が出て来るかもしれない」って話が隊長全員にあったのよ。多分、こいつがそうでしょ。見るからに普通の奴とは違うし」
だからね、と香取は続ける。
「本部長は、無理に攻めずに情報収集に徹しろって言ってたけど────────────────樹里、
「
「分かった」
樹里と短く話した香取はくるり、と身を翻し、若村と三浦を見据える。
その怜悧な視線を浴びて、二人は背筋を正した。
「麓郎、アンタはとにかくあいつの眼を狙って撃ち続けなさい。あいつが近付いて来たらアタシが何とかしたげるけど、可能な限り避けなさい」
「ああ、分かった」
「オレはどうする? 隙を見て、あいつに組み付いてみようか? 見たところ、背中側からならいけそうだけど」
「止めときなさい。ああいう見た目の敵はね、ゲームじゃ隠しギミックとかあんのが相場なのよ。必要な時が来れば指示するから、それまでは待機よ」
「わ、わかった」
ゲームにたとえるなど論調は無茶苦茶であるが、これが香取の直感から来ているものと悟った三浦は逆らわなかった。
香取は鋭敏な感覚を持っており頭の回転もずば抜けて速いが、自分の思考を言語化する事が非常に苦手である。
その為ゲームにたとえたのは彼女が解釈し易い事例がそれだっただけで、これが王子であれば「目に見える武器が少ない分、内蔵されている隠し武器があると見るべきだろうね。特に、構造上弱点になる背中が怪しいかな」などと説明しただろう。
香取は直感で、王子は推論で事実に辿り着くという違いはあるものの、こういった所が彼女の指揮官適正を下げているのは言うまでもない。
「じゃあ、いつでも動けるようにしとくよ。気を付けてね、葉子ちゃん」
「任せなさいっての。樹里、良いわね?」
「うん、おっけー」
但し、それを巧く噛み砕いてくれる仲間が相手であれば話が別だ。
若村や三浦に対しても樹里との戦いを通じて絆が深まっているし、幼馴染相手との意思疎通に問題など生じる筈もない。
以前は樹里の側が壁を作っていた為齟齬が生じていたが、今は違う。
樹里は香取隊の一員であるという現状を受け入れ、香取に心を開いている。
ならばこそ、彼女の指示を理解出来ずして幼馴染を名乗るなど片腹痛い。
此処は自分と香取の
「さ、行くわよ。兎退治、始めようじゃない」
そして。
香取隊の面々は武器を構え、ラービットとの交戦を開始した。