「ヤバい。街を狙ってる…………っ!」
修は遠目からでも見える市街地に向かって落ちて来るイルガーを見上げ、思わず悲鳴のような声をあげた。
脳裏に、かつてのイルガーにより引き起こされた爆発が蘇る。
あの時は遊真が川に叩き落してくれたお陰で、街への被害は抑えられた。
しかし、もしも彼がいなかったなら。
川に着弾する事で起きたあの大爆発が、市街地のただ中で起きる事になっただろう。
そして今、それは紛う事なき現実になろうとしていた。
「空閑、あれ何とか出来るか…………っ!?」
「厳しいな。前と違って、近くに安全に叩き落せる場所がないし────────────────そもそも、遠過ぎる。今から向かっても、間に合わないだろうな」
頼みの綱の遊真も、今回ばかりは「無理」だと判断していた。
イルガーの落ちて来る場所が近くで、尚且つ前回の時のように周囲に川があったのなら何とかなったかもしれない。
されど現実としてイルガーの落下地点は遊真達のいる位置からは遠く、今から向かっても間に合わない。
幾ら黒トリガーという驚異的な武器を持っているとはいえ、出来る事と出来ない事は存在する。
今回はそれが、「物理的な距離」と「地形」に阻まれた結果不可能である、というだけの事。
「けど、このままじゃ…………っ!」
だが、かといってこのままでは未曾有の被害が起きてしまう。
前に見たイルガーの自爆の規模から考えても、市街地が丸ごと吹き飛ぶ事になるのは避けられない。
あの付近にはまだ、市民を避難誘導しているB級下位やC級の面々が残っているのだ。
市民がどれだけあそこにいるのかも分からないし、緊急脱出のないC級が爆発に巻き込まれれば生身の身体をその場に放り出される事になる。
どう考えても、最悪な結果が待ち受けている事に違いはなかった。
先程イルガー二体を両断した太刀川のいる場所も、あそこからは遠い。
万事休すか。
修は、そう覚悟した。
「え…………?」
だが。
次の瞬間。
そのイルガーに向けて、跳び上がる人影を目撃したのだった。
「デカいサカナやな。ま、斬ればええやろ」
空中に跳躍した少年、生駒達人は視界の先に浮かんでいる巨大なトリオン兵をゴーグル超しに見据えた。
彼がこんな超高空まで跳び上がれたのは、チームメイトの南沢のグラスホッパーの加速があったからだ。
生駒は丁度自分達のいる場所からそう遠くない空の上に出現したイルガーを見て、「これ自分の出番では?」と確信した。
彼は先程、基地を襲った二体のイルガーを両断する太刀川の姿を目撃している。
その時は「格好良えなあ」と感嘆するだけで済んだのだが、彼とてボーダー随一の旋空の使い手。
自分も同じ事が出来るのではないかと、内心で奮起していた事は言うまでもない。
そして今、その為の舞台は整った。
彼の頼みを二つ返事どころか条件反射で引き受けた南沢のグラスホッパーを踏み込んで、生駒は上空へと跳び上がった。
現在イルガーとの距離は、凡そ40メートル。
普通の旋空の射程が20メートル少々である為、通常であれば此処から旋空を撃っても届かない。
「────────旋空弧月」
だが。
彼ならば。
生駒達人であれば、話は別だ。
ボーダーの中で、彼のみが可能とする絶技。
それこそが、生駒旋空。
その最大の特徴は、
旋空は、発動時間に反比例して旋空が短くなる。
つまり理論上は可能な限り発動時間を短縮する事で、長大な射程の拡張斬撃を実現する事が可能となる。
しかし、それは言う程簡単な事ではない。
旋空は見た目からは「飛ぶ斬撃」のように見えるかもしれないが、その実態は「伸びる斬撃」である。
このオプショントリガーは弧月を
つまり、実際に刀身そのものが伸び縮みしているのであり、発動時間を短縮するとなればその極限まで削減した発動時間中に正確に敵に斬撃を当てるだけの技巧が必要となる。
そもそも発動のタイミングと抜刀のタイミングを秒単位で合わせなければ実現出来ない技術であり、ただの中距離用の武器として旋空をセットしただけの隊員ではまず実現不可能だ。
この技巧は現実で居合の技術を学んでいた生駒だからこそ出来た絶技であり、攻撃手としての順位は上である太刀川ですらこの域には至っていない。
そして。
生駒旋空は、40メートルという距離を一瞬にしてゼロにしてイルガーを両断してみせた。
自爆モードとなり更に硬度の増したイルガーの装甲が、太刀川の時と同じく紙切れのように両断される。
長距離で、尚且つ正確に先端を対象に当てる技術が必要とされる絶技ではあるが────────────────当然の如く、生駒はそれを現実のものとしていた。
生駒旋空という
かくして、過去最大の脅威となる筈だったイルガーの市街地への特攻は、一人の旋空使いによって防がれた。
「雛鳥の群れを発見しました。どうやら、住民の避難誘導を行っていた模様」
だが。
その時には、既にアフトクラトル側の目的は達成されていた。
彼等の本当の狙いは、玄界側の戦力を引きずり出した上でターゲットとなる雛鳥────────────────即ち、緊急脱出機能を持たないトリガー使いの幼体とも言える者達の発見と鹵獲。
自爆モードのイルガーという無視出来ない脅威を投入する事で主だった特機戦力を引き出させ、その上でバドによる索敵で雛鳥の位置を見つけ出す事こそが彼等の目的だった。
三体目のイルガーを基地ではなく市街地に突貫させたのは、早期のラービットの複数撃破という玄界側の奮闘を見て、「三体全てを基地に向けても撃墜される可能性が高い」と判断した為である。
ならばより多くの実力者を引きずり出す為に、三体目はどうあっても無視出来ない市街地への攻撃に用いるのが最良、とハイレインは判断したのだ。
仮に市街地への攻撃が成功したとしても、それはそれで問題は無い。
彼等にとって玄界の被害など知った事ではなく、それによって探索すべき範囲が狭まればそれはそれで構わなかった。
無論、追い込み過ぎれば黒トリガーを作り出される危険性はあるが、彼等の経験上国家の中枢や敵戦力の大本を無理をして叩かない限りはそういった事態になる事は稀であるとも分かっていた。
それに、ある程度までの脅威であればヴィザがいればどうとでもなる、という認識もあった。
国宝の使い手である彼を加えたこの遠征部隊であれば、多少の障害程度は打破出来ると。
油断などではなく、ただの事実として認識していた。
彼等は、軍事国家の精鋭である。
故に他者から見れば残酷と思える判断でも、強硬出来るだけの精神性は当然のように備えていた。
「雛鳥を避難誘導に当てるとは、少々予想外ではあったな。てっきり、基地に匿っているものかと思ったのだがな」
「これまでの斥候の結果を鑑みても、有り得る可能性ではあった。玄界の軍は、市街地へ被害が出る事を防ぐ為に多くのリソースを割いていた。ならば、戦力にならない雛鳥をこうして有効活用する場合もあるだろうとは思っていた」
ハイレインは、為政者の視点からこの玄界の判断について正確な分析を行っていた。
てっきりあちらの軍は自分達と同じように政権を結びついたものであると考えていたのだが、ラッドの処理の際に本来であれば育成に専念すべき雛鳥まで駆り出していた事から、予想していたよりも相手の人材は不足している可能性が高い、と見ていたのだ。
無論、リソースの節約等の為に雛鳥を敢えて現場に出した可能性はあった。
しかし、近界の常識ではトリガー使いというだけで貴重であり、未だ未熟であったとしても適合者は重宝されるのが普通だ。
だが玄界はそのトリガー使いと成り得る雛鳥を、雑用として使っていた。
これは想定していた以上に玄界にトリガー使いの素養のある人間が多い事の証明であり、尚且つ玄界のトリガーが自分達のそれよりも汎用性を重視したものではないか、という見解が成り立つ。
近界のトリガーはワンオフのものが多く、性能そのものは高いが適合する人間が少ないのが欠点であった。
今回の遠征部隊の中ではヒュースが扱うそれは複雑な処理能力が前提として必須であり、生半可な者が使用してもまず扱い切れない。
そういった事情もあり、玄界側のメインである「誰にでも使用可能なトリガー」という概念は彼等からしてみれば斬新に映るのである。
汎用性の代償に性能そのものは近界のトリガーに及ばないようだが、それでも兵士の質の底上げ、という観点から無視出来ないメリットがある、とハイレインは感じていた。
だからこそ雛鳥一人一人の価値は自分達が考えているより玄界にとって低く見積もられている、という判断は間違ってはいなかったようだとハイレインは内心でほくそ笑む。
彼等が軽視する雛鳥の価値をこそ、自分達は大きく見ている。
その隙とも言えぬ隙を突くべく、ハイレインは命令を下した。
「機は熟した。お前達、暴れて来い。ラービットの仕事を、邪魔させるな」
ハイレインの号令に、遠征部隊の面々は不敵な笑みを浮かべる。
これをこそ、彼等は待っていた。
自分達の高い実力を、玄界の者達に見せつける為に。
或いは、多くの強者と戦う為に。
もしくは、任務を遂行する為に。
または、未だ見ぬ自分を楽しませてくれる者と出会う為に。
アフトクラトルの精鋭達は、出撃の時を迎えた。
「流石だね、イコさん。あのトリオン兵を一刀両断とはね」
「丁度良い場所にいたようだな。ああいうめぐり合わせの良さは、時々羨ましくなる」
生駒がイルガーを両断する光景を見ていた王子と風間は、共に感嘆の声をあげる。
市街地にあの爆撃型が落下する光景を目撃した時は、流石の風間でも焦りを覚えた。
彼等のいる位置はイルガーの落下地点より遠く、そもそも彼等にはあれを撃墜出来るだけの火力がなかった。
対人戦では無類の強さを誇る風間隊だが、純粋な火力と言う点で決定打がない事は否定出来ない。
三人全員が主武器をスコーピオンにしている為、熟練の旋空使いが彼等の中にはいないのだ。
むしろ、そのような編成で硬い装甲を誇るラービットを蹂躙してみせた事こそ異様なのだ。
故にあのイルガーを見て肝を冷やしたのだが、どうやら丁度良く居合わせた生駒がやってくれたらしいと理解して胸を撫で下ろしたものだ。
「王子、敵は市街地を攻撃する事に躊躇を見せていない。流石にあれの四体目が来るとは思いたくないが、敵の戦力は未知数だ。一端本部に指示を仰ぐ。悪いが、移動は少し待て」
「了解」
しかし、敵が躊躇なく市街地を攻撃したという事実は消えない。
これ以降相手が市街地へ狙いを絞る事も考えられる為、方針の転換が必要かもしれないと感じた風間は本部に連絡を取る。
否、
「…………っ!? あれは…………!」
その、刹那。
彼の視線の先に、それが映った。
空間に、穴が開く。
それはこれまでに見た
「…………!」
だが、それで問題は無かったのだ。
そこから現れたのは、トリオン兵ではない。
黒い、鬼。
そう見えた人影は、角の生えた人間だった。
黒一色のマントに身を包んだその人物は御伽噺に出て来る鬼のように頭部に角が存在しており、されどその眼には明確な意思の光が宿っている。
人型
本当の意味での、
それが目の前に現れた者の正体だと、遠征経験のある風間はすぐに看破した。
「本部、
風間はこれまで以上の警戒を以て、目の前に現れた大男の近界民と対峙する。
姿を見せた人型、ランバネインはニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「おいおい、俺の相手はこの猿共かよ。揃いも揃って間抜け面晒しやがって、こんなんじゃ楽しめるかも分かんねえなぁ」
「なんやこの黒オカッパ。いきなり出て来て失礼やな」
対峙する、エネドラと生駒隊。
イルガーを撃破し、地上に降りた彼等の前に現れたのは般若と見紛うようなシルエットを持つ黒髪の近界民、エネドラだった。
いつも通りの煽りを口にしたエネドラに、普段通りの対応をしてみせる生駒。
自分が馬鹿にされたと感じたエネドラは、ピキリ、と額に青筋を浮かばせた。
「ふざけた口叩いてんじゃねぇメガネサルが…………っ! ぶっ殺す…………っ!」
「これ、眼鏡じゃなくてゴーグル言うねん。やからその表現は違うで」
「うだうだ言ってんじゃねぇクソ猿がぁ…………っ!」
まるで漫才のようなやり取りを経て、エネドラと生駒隊は戦闘へと突入する。
黒い泥の津波が、生駒隊へと襲い掛かった。
「何こいつ。人型、っての?」
「多分。そうだと思う」
「────────」
そして。
最初にラービットを撃破した部隊、香取隊の前には。
黙してこちらを見据える少年、ヒュースが。
彼等の前に、姿を現していた。
戦争は、ようやく本番を迎える。
真の意味での近界民が、その暴威と共にこの地に降り立った瞬間だった。