「ほぅ、ヒュースを落とすとは玄界の兵もやるものだな。玄界の戦力、その評価を改める必要があるか」
屋上に立つランバネインは、一人呟く。
彼もまた、ヒュース脱落の報は受け取っていた。
無論、その結末に関してもである。
武人であるランバネインにとって、実直で武に優れたヒュースは好感の抱ける少年だった。
少々精神的に甘い部分は見受けられるが、若いうちはこんなものだろうと許容していた。
そんな少年を置き去りにせざるを得ない状況について、思うところはある。
しかし、それが必要な事である事くらいは分かっていた。
兄、ハイレインは今回の遠征で「神」が見つかる可能性は低いと断じていた。
これについては、ランバネインも同感である。
そもそも、今の隆盛したアフトクラトルを支えるだけの人柱たる「神」の代替など、早々に見つかる筈はないのだ。
「神」の厳選で国力を上げて来たアフトクラトルであるが、同時にそれは次の「神」選びに妥協出来ないという諸刃の剣である事などとっくの昔に分かっていた。
だが、軍事国家として他国への侵略と略奪を繰り返して来た以上、弱みを見せれば滅ぼされる。
これまでの侵略の過程で多くの恨みを買っている事などとうに承知しており、自分達が今も生き残っているのは単にそういった者達よりも強いからに過ぎない。
もしも自分達が弱者の位置に堕すれば、彼等の牙は容赦なくこの身に降りかかって来るだろう。
そうなる事を防ぐ為にも国力を落とす事など出来ず、必然「神」選びは難航する。
それを踏まえた上でハイレインが温めていた次善策が、配下であるエリン家の当主を「神」として選出する事であった。
彼の当主は次の「神」としても充分なトリオン量を持っており、主家の当主であるハイレインより必然立場が弱い。
加えて、他所の勢力の所属ではないので巧くいけば内々の話で済ませる事が出来る。
少なくとも、他の領主の所と事を構えるよりは余程楽に調略が可能な相手だ。
そしてこれを行う上でネックとなるのが、ヒュースの存在である。
ヒュースはこのエリン家の当主に忠誠を誓っており、彼がハイレインに従っているのはあくまでもこの当主の為に功績を欲していたからだ。
当然、その当主を生贄に、などという話になれば反発するに決まっている。
否、正直に言おう。
間違いなく、ヒュースは自分達の敵に回ると。
実直で忠誠心の高いあの少年であれば、たとえ主家の長であるハイレインであろうと牙を剥く事に躊躇などあるまい。
だからこそ、「神」が今回の作戦で見つからなかった場合はヒュースを置き去りにする必要があった。
恐らくハイレインの事だから、「ヒュースが敵国に囚われて情報を売った」などというカバーストーリーをでっち上げて、エリン家の立場を悪化させる工作くらいは行うだろう。
それが悪いとは思わないし、兄である彼がそうやって裏方の仕事を一手に引き受けてくれているお陰で今の気楽な立場がある事を理解している自分としては反論など出来る筈もない。
思うところは多々あるものの、後で嫌みを零して済ませるくらいが関の山だろうとランバネインは己を納得させた。
(いや、ヒュースの事だ。案外玄界を利用して、こちらまで乗り込んで来るやもしれぬな。そうなればそうなったで面白いが、それは今己が気にする事ではないな)
普通に考えれば有り得ないであろう夢想を浮かべ、ランバネインはニヤリと笑みを浮かべる。
そんな彼の眼下には、こちらを見据える小柄な少年たちの姿が映し出されていた。
「さて、そろそろ続きといこうか。お前達も、もう少し楽しませてくれる事を期待しているぞ」
「好き勝手言ってるね、あのゴリラ。ホントムカつく」
「だが、空まで飛ばれては反撃以前の問題だ。幸い、ずっと飛行し続けていられるワケではないようだが、このままじゃジリ貧なのは間違いないな」
こちらを睥睨しながら射撃を撃ち込んで来るランバネインを見上げ、攻撃を回避しながら菊地原は悪態をつき歌川は険しい表情でチラリと隣を駆ける風間を見る。
その視線の意図に、気が付いたのだろう。
風間がコクリと頷いたのを確認すると、歌川は菊地原に「いくぞ」と声をかけ、二人はカメレオンを起動。
その姿が周囲に溶けるように消え去り、風間だけがその場に取り残される。
いや、そう見えるだけだ。
それが彼等が得意とする戦術の肝となるトリガーであり、その効果はトリオン体の透明化。
つまり使用すれば姿が見えなくなるトリガーであり、奇襲や逃走に非常に優位なトリガーである。
しかし、その使用者は多くはない。
何故ならば、このトリガーは嵌まれば便利ではあるものの、無視出来ないピーキーな仕様が存在するからだ。
その最大の難点が、発動中は他のトリガーの一切を使用不可能になる事。
これに尽きる。
要するに、このカメレオンを使用している間は攻撃はおろか、シールドを張る事もバッグワームを纏う事も不可能になるという事だ。
そんな状態で攻撃を受ければ回避する以外に選択肢はないし、攻撃を加える際には必ず解除する必要がある為、見た目以上に使い手の技量と戦術眼を必要とする玄人向けのトリガーなのだ。
B級では香取隊の若村と三浦と言う使い手がいるが、お世辞にも彼等は風間隊ほどこのトリガーを使いこなせているとは言えない。
カメレオン自体の習熟度でいえば、B級中位の漆間の方が余程練度は高い。
連携力と言う点では一人部隊である彼とは比較する事は出来ないが、少なくともカメレオンの使い手としては若村達より数段上なのは間違いあるまい。
使い手そのものが少ない中での比較ではあるが、一人部隊でB級中位で戦い続けて成果を残しているという漆間は、決して侮れる相手ではないという事だ。
だが、部隊の連携力と言う点では自分達が劣る事は早々ないと風間は自負している。
しかし、相性というものはある。
事実、現在彼等は苦戦を余儀なくされていた。
当初、ランバネインが現れた時は共にいた王子隊にすぐさま離れるように指示し、自分達はカメレオンで一時撤退を見せかけてから奇襲をかけるつもりでいた。
されど、そう巧くはいかなかった。
ランバネインは自分達が透明化したと見るや、周囲に無差別に爆撃を開始したのだ。
彼のトリガーの出力や連射性能は想定を大きく上回っており、掃射を受けた一帯は文字通り更地と化した。
このままでは、撤退中の王子隊まで巻き込まれる。
そう判断した風間は敢えて姿を晒す事で囮となり、ランバネインの攻撃を引き付ける役目を担う事にしたのだ。
一人も姿が見えない状態であれば、ランバネインは躊躇なく無差別爆撃を実行するだろう。
しかし、少人数であっても姿が見えてさえいれば、そちらを狙う事を優先する様子だった。
これは彼が単純なのではなく、その方が効率が良いと考えているからに過ぎない。
こちらが風間を囮として用いている事など、承知の上。
その上で策を巡らせて対抗するのではなく、自分の有利な戦場を押し付けてこちらが攻勢に出るのを待っている。
あれはそういう動きだと、風間は判断した。
逃げてばかりの自分達など大した事はないと侮ってくれれば儲けものではあったが、風間の勘はそうなる可能性は低いと告げていた。
ランバネインは大雑把に見えて、その戦術には確かな理論がある。
それは、これまでの戦闘で把握していた。
無造作に射撃を続けているだけに見えるが、こちらの散発的な攻撃にもしっかりと回避機動やシールドで対処している事から、決して油断などしていない事が分かる。
あれは、敢えてこちらの作戦に乗る事で自分のペースを崩さない事を優先しているだけだ。
こちらの作戦など大した事はない、と侮っているワケではなく。
作戦がある、と理解した上で自分の得意な戦術を押し付けた方が効率が良いし何をされても対処が可能、と判断しているに過ぎない。
こちらの動きに合わせて作戦を変えるのではなく、自分の得意戦術の基軸を維持する事で何があってもすぐに対処出来る状態を継続する。
それがあの大男のやり方なのだと、風間は理解していた。
(まったく、粗雑に見えて理論派か。何処かの筋肉を思い起こさせるな)
風間は滑らかな動きで射撃を回避しながら、ふとそんな事を思う。
あの空を飛ぶ大男、ランバネインはその見た目とは裏腹に理論偏重の戦術家だ。
恐らく、数々の戦場を潜り抜けた歴戦の兵士なのだろう。
それだけの貫禄が、ランバネインからは放たれていた。
風間は、多くのボーダー隊員と異なり
即ち、近界民とは住まう世界が違うだけの人間である事を。
遠征経験が複数ある彼は、その事を充分に知っていた。
今回攻めて来ている敵国、アフトクラトルは近界屈指の軍事国家であるという。
そんな国が差し向けて来た刺客が、単なる一兵卒である筈がない。
搭乗人数が限られる遠征艇に乗る資格を持っていた以上、ランバネインが精鋭である事は明らかである。
近界の戦争、侵略行為は少数精鋭で行うのが基本だ。
基本の兵力は卵の状態で大量運搬が可能なトリオン兵に任せた上で、虎の子の戦力として精鋭のトリガー使いを投入する。
それが近界の戦争の
但し、その精鋭の
アフトクラトルはトリガー
事実、ランバネインの操る
ノーマルトリガーでさえ、これなのだ。
黒トリガーがどれ程の出力まで引き上げられているかは、言うまでもないだろう。
ランバネインのトリガーが黒トリガーでない事は彼の角の色からすれば瞭然であるが、それが良い情報であるかと言えばそうではなかった。
何せ、ランバネインは傍目から見て黒トリガーと見紛うような出力の射撃を既に実現させているのだから。
少なくとも、それに準ずる脅威である事に疑いはない。
加えて、相性の差もある。
風間隊は攻撃手三名という構成を見て分かる通り、近接特化の部隊だ。
一応歌川は射撃トリガーを積んではいるが、あの相手にたった一人で火力戦など愚の骨頂であるが故に使用は控えさせている。
王子隊は近くに潜伏してくれているが、こちらも迂闊に切れる手札ではない。
彼等は全員がハウンドを装備している、中距離対応型の部隊だ。
風間のような突出したエースはいないものの、部隊の安定度と言う点ではB級でも屈指の部隊だと評価している。
少なくとも、風間が作戦に組み込むのに及第点を付けるくらいには部隊としての完成度は高かった。
そんな彼等を適当に使い潰すような真似をすれば、先はないという事も理解している。
場合によっては捨て石になって貰う事もあるかもしれないが、無駄死にをさせるつもりは微塵もなかった。
生きていれば可能な役割というものもあるのだから、考え無しに使い潰して良い筈がなかった。
彼等が風間隊にはない中距離火力を持っている、という事を鑑みても無駄遣い出来る手札でないのは明白だった。
(あいつは飛行と着地を、一定間隔で繰り返している。隙を晒さない為にはずっと飛び続けていれば良い筈だが、それをしないという事は飛行持続時間に制限がある────────────────もしくは、こちらを誘っているかのどちらかだな)
先程からの戦闘で、ランバネインは飛行をしながら爆撃し、一定時間後に手近な家屋の上に着地。
その後僅かなインターバルを挟み、再び飛行を開始する、というサイクルを繰り返していた。
こちらに対空火力がない事は分かっている様子なので、隙を晒さない為にはずっと飛び続けていれば良い筈だが、それをしないという事は何らかの理由がある事は明白だった。
即ち、継続して飛行をし続けられないか、もしくは敢えて隙を晒してこちらの攻撃を誘っているか、である。
風間としては、どちらも有り得ると考えられるからこそ厄介だった。
前者の方が可能性が高いとは、踏んでいる。
幾ら強化トリガーとはいえ、飛行機能にも相応のトリオンを消費する筈だ。
しかもあれだけの精密軌道が可能な飛行能力となれば、その消費トリオンは決して無視出来るものではないだろう。
加えて、敵の攻撃手段は射撃のみだ。
近接攻撃手段が皆無である以上、攻撃を続けているだけでトリオンを消費する。
ならば、少しでもトリオンを節約しようと考えるのは自明の理だ。
ずっと飛行状態を維持し続けないのは、その為であると考えれば納得がいく。
だが同時に、それすら戦術の一環として利用している可能性も高い。
敢えて余力の残っている状態で着地し、こちらの攻撃を誘った上で迎撃しようと待ち構えている、という可能性もゼロではないのだ。
というよりも、彼ならば間違いなくそのくらいはやるだろう。
粗雑に見えて計算高いという人物評は、決して間違ってはいないだろうからだ。
(手札が足りないな。王子達も悪くはないが、突破力には乏しい。俺達風間隊も、相手が手が届く場所にいなければどうしようもない。これ以上遅滞戦闘を続けては、向こうが焦れて周囲を無差別爆撃して来る可能性も出て来る。さて、どうするか)
風間は、思案する。
現状では、明確に手札が足りない。
自分達だけでも、王子隊を加えても。
敵を崩すには、あと数手が足りない。
かといって、現状を維持しようにもいつランバネインが無差別爆撃に切り替えて来るか分かったものではないのだ。
現状の戦力でその手段に対抗する術がほぼ無い以上、時間経過をただ待つのは愚策と言って良い。
何か、一つ。
手札があればと。
風間は、葛藤していた。
『風間。聞こえるか?』
『手は必要かよ? おい』
「…………! 丁度良い所に来たな。お前等」
だが、そんな折。
風間の下に、慣れ親しんだ者達の声が通信で届いた。
悪友達の声を頼もしく感じながらも、風間は不敵な笑みを浮かべる。
反撃は、此処からだと。
風間はその瞳に闘志を宿し、空からこちらを睥睨するランバネインを見据えたのだった。