「おい、まだランダールとの連絡は途絶えたままなのか」
ドラゴンを思わせる苛烈な瞳に睨みつけられ、守護兵士の1人は蛇のように長い首をピンと持ち上げ、少しうわずった声で返答する。
「はっ!未だランダールからの連絡は無く、調査に送った先遣隊も誰一人帰還しておりません、王」
六大国の一つである『セラドケィラ』。蛇の身体に、太い強靭な2本の腕を持つ種族<ユアンティス>の国の唯一王ラルドルは、艶の良い鱗に包まれた眉間に深い皺を寄せて唸った。
彼の国は、いや、彼は今現在未曾有の大問題に悩まされていた。
「先遣隊には我が息子…3蛇将の一柱であるオルドルもいたのであろうが。何故帰って来ぬ。我は…我はこれから何を食って生きてゆけば良い?」
投げられた質問に答える者は無い。否、答えられる者がいないのだ。俯いて目を合わせない守護兵士達を見て、ラルドルは首をダラリと垂らして分かりやすく落胆した。
彼を悩ませている問題。
唯一王ラルドルの主食である人間。
その中でもラルドルの肥えきった舌を、唯一喜ばせることのできる最上質の人間の生産国からの連絡が、突然途絶えたのだ。
ユアンティスは雑食なので別に人間に拘る必要は無いのだが、ラルドルはもうこの国の人肉以外では満足できない身体になってしまっていた。
権力、知力、或いは武力によって…生まれてから今現在に至るまで、欲しいものは全て手に入れてきた。
今の自分が本気で望むなら、かの
それだけの力が彼の国にはある。屈強に鍛え上げられた20万にも及ぶ兵士は、一体一体がトロールを圧倒できる強さを持つと言われるその圧倒的軍事力。また、生産国としても優秀な側面を持つ彼の国は、彼の鶴の一声によって貿易を止めれば、滅びる国が一つや2つでは効かないレベルで存在する程である。
そして極めつけは唯一王ラルドル自身の強さである。
その力、まさに鬼神。一度槍を振るえばこの国の兵士全てが敵になったとしても無傷で殺し尽くせるだろうし、この世界で最強などと宣っている『白金の竜王』でさえ、容易く屠ることができる自負がある。
故に、故に理解できない。唯一王であるこのラルドルが何故食糧如きで悩む必要があるのか。
何故欲する物を差し出さない。
何故連絡が途絶える。
何故使者が誰も帰って来ない。
かの国の者も、先遣隊の者も、我が息子も、この世の全ての者全員が深海よりも深く理解しているはずなのだ。ラルドルの望みに答える以上に大切なことなど存在しないと…。
「もうよい。我が出向く」
そう言って身を起こしたラルドルを見て、ギョッとした側近の1人であるルグガシュは、慌てて王の前に頭を垂れて懇願した。
「な、なりません王よ!!それだけは何卒!何卒_」
「何故止める?先遣隊が帰って来ぬ以上我が行くしかあるまいて。ランダールめ、つまらん理由で連絡せなんだら承知せんぞ…」
「なりません!危険すぎます!王の身になにかあれば…」
違う。ルグガシュは別にラルドルの身など案じてはいない。王に勝てる存在などこの世界にいるはずがないのだから、心配するだけ無駄というもの。
彼が必死に王を引き留めるのには別の理由がある。一歩間違えればこの国の根幹を揺るがしかねない強い理由が…。
それを知らないはずがない王からの返答は、揺れるほどの大きな笑い声であった。
「笑い死ぬかと思うだぞルグガシュ。お前は一体誰の身を案じておる。この我を脅かす者がかの国にいると?そう思うのか?それならば尚のこと我が行かねばなるまいて。カッカッカッ」
王は笑っているが、身に纏った空気には僅かに殺気が滲んでいる。かれこれ一週間は碌な肉を提供できていないのだ。王のストレスも限界に近いのだろう。これ以上余計なことを言えば最悪首を飛ばされる可能性もある。だが…
「なりません、王よ」
「貴様…」
ミシッと殺気が強まる。
「女神様の怒りに触れます、王よ」
絞り出した声を聞き、舌打ちと共に王の殺気がフッと掻き消えた。
張り詰めた緊張が緩み、ルグガシュは思い出した様に2度、深く呼吸を繰り返した。
「天上の戦女神か。この国の創設者にして、我々ユアンティス族の救世主。先代の王達はこの地に永劫留まり、この国を守り続けることを条件に、永遠の繁栄を約束されたと言う…。」
「その通りです、王。そしてその約束は今現在に至るまで果たされ続けております」
下らん。そう吐き捨てようとして、飲み込んだ。
セラドケィラ王国の背を守る様に聳り立つ、巨大かつ広大な山脈シグレィゾ。その一番高い峰に住むとされる女神。
セラドケィラの者ならば戦女神は決してぞんざいに扱ってはならぬと遺伝子の奥深くまで刻み込まれている。
かつて、二代目唯一王がこの国を2日程留守にしたことがあったと言う。
懇意にしていた隣国の国王が崩御したために、葬儀に参列しに行ったという真っ当な理由であったが、これを知った戦女神は怒り狂い、シグレィゾ山は砕け、流れ落ち、王が帰還した時には既に、国土の半分が土砂によって壊滅してしまっていたという過去がある。
繁栄が続く限り、天罰もまた繰り返す。唯一王であるラルドルはこの国を動けない。
だが、王がひもじい思いをしているこの国が、果たして繁栄していると言えるのだろうか?足るを知れというのならそうかもしれないが、もうランダールの肉無しでは、とてもではないが満足することなどできはしない。
ならば、戦女神とやらがそれを解決してくれなければおかしいだろうに。
「天罰か…我からすればこの現状そのものが既に罰であるが。一体どうすれば良いのだ。ルグガシュ」
「今はただ座して待つより他ないかと、既に次の先遣隊を選抜しております故必ずや…」
続く言葉を言おうとした瞬間、ざわりと背後が騒がしくなった。
王もまた、ルグガシュの後ろを凝視している。
「失礼」
断りを入れて振り向くと、そこにはボロボロのローブを纏った、1人のひょろ長い人間の男が立っていた。
守護兵士が男を取り囲む様に移動し、槍を構える。
男は真っ直ぐ玉座を、王を見つめていた。白く長い髪の間から覗く、落ち窪んだ瞳は泥の様に濁り、一切の輝きが見られない。
(人間がどうやってここまで登ってきた?)
セラドケィラ王国の王宮はシグレィゾ山脈を背に、ピラミッドの様な形でそそり立っており、玉座の間はその天辺に位置している。
太陽の日を浴びれば浴びるほど強くなると信じられているこのユアンティス族の玉座の間に屋根はなく、国で最も陽の光の差す場所にある。
故に、垂直な壁すら登攀できるユアンティス族ならいざ知らず、翼もない人間如きに、王宮の急な斜面を登ることなど不可能なはずである。
最も、魔法が使えるならば話は別だが。
「不味そうな人間だな。何しに来た?」
興味無さ気な王の問いに、男は黙って懐に手を入れることで答える。
本来ならばその様な行動は敵対行動と見做され、即座に拘束、処刑するのだが、この玉座の間では違う。
王の許可が降りるまで、客人の行動は制限されることは無い。
男は懐から一抱えの袋を取り出すと玉座に向かって放り投げた。
袋の中身が空中で溢れ落ち、3つの塊となって玉座の前に転がった。それはルグガシュの友であり、王の息子であり、この国きっての三蛇将である…。
転がった先遣隊の首を一瞥し、王は静かに男を見つめ、薄く笑う。
「これは随分な挨拶ではないか。なんだ。復讐にでも来たと言うのか」
虐げられてきた人間の復讐話は別に珍しいことでも何でもない。人間は力は無いが心のある生き物なのだから。
実際人間による反乱が起きた亜人の国はいくつも存在する。無論、食糧如きにやられた国は無いだろうが。
この人間もその類の可能性は高い。そして王を悩ませている原因の一つと見て間違いないだろう。
「おい、話せないのか?何か言_」
「父さんはどこにいるの?」
「…はぁ?」
王の素っ頓狂な返事に、男は呆れた様に白目を剥き、再び濁った瞳が戻ってくる。
「父さんはどこにいるの?君達が隠しちゃったんでしょ」
「知らんな。お前の父親など。あー…もしかしたら知らずに食ってしまったのかもしれん、許せ。」
全く許しを請うてない不遜な態度。これが復讐ならば間違い無くこの男は怒りに震え、王に殴りかかるだろう。
この後の展開を予想し、ルグガシュはベルトに差した剣の柄を軽く握る。
「そこの三匹もそうだ。父さんを渡したくないから嘘をついた。君達の悪い癖だよ」
「…おいルグガシュ、父さんって誰のことだ?」
全く話を聞いていない様子の男に、王は堪らず此方に話を振ってくる。勿論そんなこと聞かれても知らないとしか言いようが無い。父さんって誰だ。
「分かりかねます、王よ。この男、黙って話を聞くタイプには見えませぬ。拘束して口を割らせるべきかと」
「まあ待て。久しぶりの客人だ。もう少し様子を見るぞ」
飛び込んできた非日常に、王はすっかり機嫌を良くしている。それはまるで見世物小屋にいる子供の様だった。
ルグガシュも王の説得はあきらめ、男の方に向き直った。
男は長い髪をくしゃくしゃと掻き毟り、ブツブツと何かを呟いている。
「もうここしか有り得ないんだよなぁ…絶対にここなんだよなぁ…なんで隠すのかなぁ…悪いなぁ…イライラするなぁ…」
小刻みに震えていた男の挙動が、ガクガクとさらに大きなものになり、ピタッと止まる。
「予言は成就する。もう間も無く、この世界に最期の特異点がやってくるだろう。そんな時に…まだ父さんを見つけることすらできていなかったら…僕が父さんに怒られるかもしれないんだよ?」
「それが我と何の関係がある?第一、親に怒られたくないのならば、少しは相手の話を聞いたらどうだ?お前が我の息子なら、もう10発はゲンコツをかましとるわ」
王の返答に、濁った瞳が三日月型にニタリと笑う。
「≪魔魂置換≫」
「_なっ!!」
「…殺せ」
男の突然の詠唱に仰天するルグガシュ。
静かに王の命令が飛び、男の周りを取り囲んでいた守護兵士達が一糸乱れぬ動きで男の身体に槍を突き刺した。
髪を掻き毟っていた腕が、ダラリと垂れる。
前から後ろから穂先を突き出した様は、まるでウニの様だ。こうなってはもう命はないだろう。ランダールの話を聞きたかったが王の命令なら仕方ない。
ああ勿体ない。と思ったルグガシュの目の前で信じられないことが起きた。
「≪
「何だと!?」
「コイツ、まだ動けるのかっ!」
無数の槍に貫かれて尚、何事もない様に魔法を詠唱する男。守護兵士達は槍を引き抜き、再び男の身体を滅多刺しにする。
が、詠唱は止まらない。
「≪
≪
≪
≪
「やめろ!!」
どれだけ切っても、突いても、裂いても、そんなダメージは存在しないとでも言うのか、男は此方を真っ直ぐ見据え、畳み掛ける様に詠唱を続ける。
王はこんな状況でさえ、そんな男の様子を興味深そうに見つめている。
勘弁してほしいものだ。確かに王ならば正体不明の
そう願っている間にも男は幾つも魔法を詠唱し、そして、
「超位魔法」
≪空亡の唄≫
突如、男を中心にドーム状の巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「な…なんだこれは…」
「カッカッカッ素晴らしいぞ小僧。その胆力の少しでも我が兵士達に分けてやりたいものよ」
と、戯けて見せたものの、ラルドルはこの男に対する警戒心を、極限まで引き上げていた。
唱える魔法の全てが、そこから放たれるオーラから、どれも
(この男、只者ではない。成る程、ランダールを滅ぼしたのは此奴で間違いなかろうな)
実際に滅びたのを見たわけではないが、先遣隊が皆殺しにされている以上、ランダールが無事とは思えない。
玉座に立て掛けてある煌びやかな槍を手に取る。その昔戦女神から先代の王が受け継いだ国宝である。
未だ守護兵士達が攻撃を繰り返しているが、効果はないだろう。恐らく奴の最初に唱えた魔法…それの防御を突破しなければ殺すことはできない。
男に向かって槍を構える。
横でルグガシュが安堵のため息を溢す。
男が笑う。
そして、魔法陣が弾けた。
束の間、眩い光に包まれ、気がつくと、あたり一面に奇妙な赤い花が咲き乱れていた。
呆けたルグガシュの頭をはたき、正気に戻す。
「おい、何だこの花は。知っておるか?」
「い、いえ、初めて見る花です。これは_」
「綺麗だろ?」
はっとして声のした方を向く。
今まで詠唱しかしていなかった男が、喋りだす。
「遠い昔、日本では彼岸の時期になると、この花が沢山咲いていたらしいね。僕も見てみたかったなぁ。見れるかな?見れるよね?僕はとてもいい子だから」
誰に向かって話しているのか。
男は虚な目で虚空に向かって語りかけている。
すると、どこからともなく赤子の泣いている様な、しかし野太い男の声にも、啜り泣く女の声にも聴こえる、幾つもの声が折り重なった歌が…赤い花の咲き乱れる玉座の間に響き渡った。
この声を、ラルドルはよく知っている。そう、これは屠殺される前の…
人間の怨嗟の声だ。
「一体何が…」
「王!!そ、空が…!!空が!…ああ!!」
「ん?」
ルグガシュの悲鳴に促されるまま空を見上げ…絶句。
黒い絵の具の様な雲に塗りつぶされた空。そしてそのドス黒い雲の間から、メリメリと産み落とされる様にして、血の様に真っ赤な巨大な球体が姿を現した。
それは太陽によく似ていたが、そこから放たれるのは柔らかな陽の光ではない。ただただ邪悪な…黒い呪いが、絶え間なく噴き出している。
それはまるで地獄から這い出してこようと死に物狂いで伸ばされた、亡者達の手の様にも見えた。
あれは、マズい。
目にした瞬間、全身の毛穴が開く感覚がした。
本能で理解した。あれが落ちてくれば、この国は終わりだと。
≪能力向上≫
≪能力超向上≫
≪剛腕剛撃≫
≪外皮超強化≫
≪可能性超知覚≫
連続して武技を発動し、槍を構える。
「ルグガシュ、我に続け。術者を叩くぞ。絶対にあれをこの国に落としてはならぬ」
「ハッ!!」
ルグガシュの返事を待たず、雷と見紛う速度でもって男に肉薄し、その胸部に強烈な突貫を見舞う。
突きの衝撃波で守護兵士達が吹き飛び、無数の礫を巻き上げながら、ラルドルを中心に地面に幾つもの大きな亀裂が走る。そして_
男は眠そうに欠伸を1つ。
「さあ蛇さんたち。滅びる準備は済ませたかい?」
神をも殺せると謳われた一撃を受けて尚、無傷。
槍を突き刺したまま男を見上げたラルドルの瞳に、空から溢れ落ちる怨念の塊が、ゆっくりと影を落としていった。
「アハッアハッ。さあ、そろそろ起きる時間だよ、父さん」
この日、栄華を極めた六大国の一つであるセラドケィラ王国は、謎の魔法詠唱者の放った、たった一つの魔法により滅亡することになる。